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PTSDの診断(主として連れ去り後の家庭裁判所に対して提出されるもの)が乱発されているのではないか。それは当然に第三者の権利を不当に侵害して、人生を台無しにする危険がある。考え足らずの「寄り添い」の犯罪性について。 [弁護士会 民主主義 人権]


PTSDという精神疾患があります。
外傷性後ストレス障害と訳されています。
ベトナム戦争から帰還した兵士に多く見られた精神症状について
これまでの精神疾患のカテゴリーに該当しないのではないかということで
新たな精神疾患として理論化されました。

ICD-10という国際病類分類の定義を末尾に紹介しておきます

独特の精神症状が現れる病気ですが、
強烈な外傷体験が必要とされているという
精神疾患にかかる原因があったことを要求しているという点で
国際病類分類の診断基準としては珍しい部類に入るのではないでしょうか。

その外傷体験とは、戦争、テロ、強姦、拷問という強烈な体験であるもので、
例外的に著しく脅威を与えたり破局的な性質をもった、ストレス性の出来事
とされています。

例外的な出来事が無ければPTSDと診断できないはずなのです。

ところが、このPTSDという診断を裁判所でよく見るのです。

今、裁判実務で問題とされている類型は交通事故です。
何年か前から法律実務の雑誌で裁判官たちの
批判的な論文が掲載されるようになっています。

もっとも裁判官は如才ないですから
「こんなのPTSDではない。間違った診断だ。」
というような表現は、したいとアッピールしながらしていません。

PTSDという診断が多投された結果どうなったかという
判例分析を冷静にしています。
・PTSDという診断で、損害の大きさは判断できない
・症状の程度で精神的損害の大きさを判断する
ということになるようになったと分析しています。
それはそれでよいのですが、
この流れの派生結果として
例えば強盗に身体を拘束されて武器で脅かされた女性が
PTSDの診断を受けても
PTSDの診断は信用できないから
損害額の軽減を図る手立てをしなければならないと
ざっくり言ってそのようなことになっています。

PTSDインフレみたいな状況になってしまい
正当に保護されるべき人の保護が図られない
という危険が起きているのです。

医学的には正しいかどうかわかりませんが
いまやPTSDという診断より
遷延性うつ病と慢性的なストレス障害、解離性障害の合併症
とでも診断された方がよほどよいような気がするほどです。

裁判所での悪影響は、それだけではありません。

子どものPTSDが目につきすぎるということです。

(事案は本質を害さない程度に変更しています)
子どもの精神疾患の専門医の肩書で、
瞬間的な一度の打撃による打撲(被害者は暴行、加害者は事故と対立)
があったことを理由にPTSDという診断があったり、

野球観戦の際に売店に行くときに子どもをおいて行ったことを理由に
PTSDにり患しているというのです。
6歳の子どもです。その後子どもと楽しく野球を見て帰っているのです。

この野球観戦から半年以上を経た時期の
一方の親による連れ去り別居が始まるまで
子どもには何の精神症状も出ていないのに
連れ去り後に症状が出たからと言って
PTSDだと診断書を作成しているのです。

甚だしいのは
2歳にもならないお子さんがPTSDだという診断書も
先日目にしました。
「乳幼児期の父親の(主として母親)に対する異常な言動によるもの」
というのです。
これが戦争やテロに匹敵する外傷体験だというのです。

そもそも発達科学に照らして、2歳未満の子どもの知能が
どのくらい発達しているというのでしょうか。
大人の言語も理解しているような書きぶりです。

まだありました。
母親による子どもの連れ去り別居の事例で
面会交流調停の中で
医師の意見書が提出されました。
父親による過度のしつけ、虐待によって
子どもが精神的不安定になっている
だから、試行的であっても、子どもの症状が悪化するため
面会交流には絶対反対だというヒステリックなものでした。

ちなみにこの事件は、母と子の折り合いが悪く
母の支配的拘束に絶えられない子どもが反発して
問題行動を起こしていた事例でした。

こちらの医師批判の活動(これは企業秘密ですね)も奏功して
裁判所はこの診断書は全く相手にせずに
ほどなく裁判所での面会が実施されました。
(調停委員、裁判官に恵まれた事例です)
面会室に父親が入った瞬間の
まさにはじけるような満面の子どもの笑顔は今も忘れられません。
その笑顔は父親が退室するまで1時間近くもずうっと続いていました。
父親に会えてうれしくてしょうがないということが嫌でもわかり、
合えなかったときの子どもの気持ちを考えて
こちらは1時間近くずうっと泣きっぱなしでした。

この時、この医師だけでなく、学校関係者からも
面会に反対する意見書が出ましたが、
あの笑顔を抑圧する危険があったと思うと
どんなに面罵して面罵しきれない思いということが正直なところです。

子どもの親に会う喜びを奪おうとしたことはもちろんですが、
子どもが健全に、自分は誰からも大切にされる存在だという
生きていくために必要な自信を得る機会を奪い
健全な成長を妨げる危険があったということが
よくわかります。

その後この事件は定期的な面会が実施されるようになりましたからよいですが、
そうでなければ、学校関係者と医師に対する
裁判提起があったのではないかと感じています。

簡単にPTSDの診断書を作成する医師の特徴として
・子ども本人を診察しない
・概ね同居親の話だけで症状の有無を判断する。
・同居親の話だけで虐待の事実があったと判断する。
・PTSDの診断をしても、治療は行わない
・もちろん認知行動療法は行わない。
せいぜい、コンサータなどの劇薬を処方するくらいです。

そもそも発症時期も特定していません。
もし一方の親の虐待が原因で精神症状が起きたというのならば
ストレス源である一方の親との同居中から
子どもに精神症状が起きなければならないのではないでしょうか。
ほとんどの事例ではそれはありません。
同居親自体が同居中から症状があるということは言っていません。

ほとんどの事例で
「虐待」と認定された出来事から半年以上を経た
別離を契機に子どもに症状が起きています。

多くは一方の親と突然会えなくなったことの
わけのわからない状況に陥らされた
子どもの不安の表れだとみるべきだと私には思われます。
お医者さんは、このことを思いつきもしないのでしょう。

診断の名に値するのかわからないほどの
投げやりともいえる態度だと感じる理由はそこにあります。

つまり
同居親の話だけで虐待があったと認定し
ささいな行動がPTSDにおける外傷体験だと無理な認定をし
同居親の話だけで子どもの精神症状を認定し、
発症時期をまったく気にしないで
無理な診断をするのでしょうか。

いくつか原因が考えられます。
・医師は、目の前の患者さんの治療だけを、日常的に仕事にしているために、目の前の患者の利益以外は考える職業的習慣がない。自分の医療行為によって、第三者が損害を受ける可能性があるという発想を持てない。
・素直な性格。お医者さんに多く見られるのは、素直に他人の話を信じるということです。おそらく、そういう性格だからこそ、大学の医学部という難関を突破し、国家試験に合格するということなのでしょう。だから人の話を素直に本当だと受け容れてしまう。虐待があったと思ってしまう。
・恵まれた環境に起因する素朴すぎる正義感。虐待やDV等の話は身近にはないから、そういうことがあると先ず拒否反応を示してしまうか、詳しく聞くことをためらってしまう。このため、漠然と虐待、DVという言葉だけに反応し、先ず言葉に反発して、被害者のために自分ができることを考えてしまう。
・診断書を書くという自分の立場におごり高ぶっている。診断書は、裁判で言うところの判決みたいなものです。自分が最終的な決定権を持っているという意識の効果があるのではないでしょうか。虐待があったと認定できる権限、PTSDを発症していると言える権限をもっているわけです。この権限を目の前で苦しんでいる人を助けるために行使しなければならないという、使命感、正義感があるのではないでしょうか。軍事力を強化すれば戦争をしたくなるということが言われていますが、こういうことかもしれません。
・主義主張を持った人 このような一部の方もいらっしゃる可能性は否定できません。ご自分の主義主張が、医学的知見を凌駕してしまうケースです。

でもその結果、満足するのは同居親の「気持ち」と
診断書を作成した意思の自己満足だけです。

別居親もそうですが
何よりも子どもに深刻な影響が生まれてしまいます。

統計的な研究によれば、
子どもは、診断書があるからという理由で
別居親に面会すらもできなくなるのです。
年齢によっては、子どもは
自分が悪い子だから別居親は自分に会いに来ないのかな
悪い子だから嫌われたのかな
自分が会いたくないと言ったから別居親は自分を怒っているのかな
自分はなんてひどいことをしたのだろうか
と感じるようになり、


やがて
自分は、被害者である親と加害者である親の
二人の血を引いた人間である。
自分とは相反する血が流れているわけのわからない存在だとか

自分は他人から受け入れられる存在ではないとか
深刻な影響が15歳ころから現れ始める
そういう実際の事例をたくさん目にしてきました。

実際のいくつかの事例では
入院した精神科では、
ほとんど何の治療もなされずに
社会から隔離されていただけでした。
退院しても何かが改善されたということはなく
また、入院をするということが繰り返されていました。

こうならないように
楽しく人生を歩むということが
子の福祉の意味だと思います。

子どもを診察するということは
この子どもという後の人生を決定しかねない時期に
子どもの利益のためにベストを尽くすということではないでしょうか。

幼稚な正義感で、決定権を濫用してはいけないはずです。

先に上げた野球観戦で親が売店に行って一人ぼっちになったということが
虐待だとされ、PTSD発症の原因だとされたケースですが、

実際は、子どもが「フライドポテトを食べたい」
と親におねだりしたことが始まりでした。
ひいき球団の得点機という場面だったのですが、
親がそれより子どもが喜ぶならばということで
人ごみをかき分けて売店まで行き買ってきたのです。
もちろん子どもは大喜びだったと言います。

いつもは食べる量を制限されている大好きなフライドポテトを
好きなだけ食べられたということよりも
親が野球観戦を中断して自分のために売店に行ってくれたという
親の愛情を、一点の不安もなく感じることができたからだと
私は思います。

ところが、その大切な子どもの思い出が
PTSDの原因となる虐待エピソードだと認定されてしまえば
大切な思い出が、一転して、
自分が実の親から虐待された、自分が嫌われたエピソードだと
記憶が変容してしまうのです。

子どもにとって、単なる別居親との別離を強いる以上の
極めて罪深い診断書ではないでしょうか。

このような診断書が多く作成されることが
何とかならないものなのでしょうか。


<ICD-10によるPTSD>

「ほとんど誰にでも大きな苦悩を引き起こすような、例外的に著しく脅威を与えたり破局的な性質をもった、ストレス性の出来事あるいは状況(短期間若しくは長期間持続するもの)に対する遅延したおよび/または遷延した反応として生ずる(すなわち、自然災害又は人工災害、激しい事故、他人の変死の目撃、あるいは拷問、テロリズム、強姦あるいは他の犯罪の犠牲になること)。
  典型的な諸症状には、無感覚と情動鈍麻、他者からの孤立、周囲への鈍感さ、アンヘドニア(喜び、快楽の喪失)、トラウマを想起させる活動や状況の回避が持続し、そのような背景があるにもかかわらず生ずる侵入的回想(フラッシュバック)あるいは夢の中で、反復して外傷を再体験するエピソードが含まれる。一般に、患者にもとのトラウマを思い起こさせるきっかけとなるものへの恐れや回復がある。稀には、トラウマあるいはそれに対する元の反応を突然想起させるおよび/または再現させる刺激に誘発されて、恐怖、パニックあるいは攻撃性が、劇的に急激に生じることがある。通常、過剰な覚醒を伴う自律神経の過覚醒状態、強い驚愕反応、及び不眠が認められる。不安と抑うつは通常。上記の症状および兆候に伴い、自殺念慮もまれではない。アルコールあるいは薬物の過度の服用が合併する要因となることがある。
  トラウマ後、数週から数カ月にわたる潜伏期間(しかし6カ月を超えることはまれ)を経て発症する。経過は動揺するが、多数の症例で回復が期待できる。一部の患者では、状態が多年にわたり慢性の経過を示し、持続的パーソナリティ変化に移行することがある。」


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