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今日のNHK「お帰りモネ」(104話、105話)に異議あり、東日本大震災の時の実際の教師と内心に対して自責の念を持つことのばかばかしさ [進化心理学、生理学、対人関係学]


異議ありとか言っていますが
別に文句をつけようというわけではなく、
ちょうどテレビ番組で取り上げていただいたので
説明しやすい良い機会だという便乗企画なのです。

むしろよく取り上げていただいたという大拍手なので、
アンチモネの方々には失望させてすいません。


モネの母親の亜哉子は東日本大震災の際に小学校教師をしていて、
教師を辞めた理由として、
震災の時に、教え子たちをおいて
自分の娘たちの安否を心配して家に帰ろうとしてしまった
と言うことの自責の念を吐露していました。

これは、背景として
教師という職業は、「自分の命よりも教え子の命を優先する」
という聖職論があって、
そのような教師でないから自分を責めたという流れがあるわけです。

昨今の若い人たちには伝わりにくいのは
聖職論(というかそういう教師)なんて知らないよという人が
ほとんどではないかと考えているところだからです。

但し、残業ばかりして、教え子の部活に付き合って
自分の子どもの夕食もろくに作れない、一緒に食べられない
土日は家にいない
という意味では十分聖職者の呪いがかかっているようにも思われます。

さて、私が言いたいことの1つ目は
実際の東日本大震災の教師たちはどうだったのでしょうか。
ということです。

実は職場を離れようとするのと反対で、
震度4以上の地震があったときは職場に行くという業務命令があったため、
せっかく病気休暇をとって自宅にいたのに
原付バイクで海辺の学校に向かい、
津波に巻き込まれて亡くなった先生がいらっしゃいました。

ずいぶん時間がかかりましたけれど、
公務災害が認められました。

また、自分の子どもも大震災当時小学校に通っていたのですが、
担任の先生はご自分の子どもの安否も分からないのに、
すべての教え子の親が迎えに来るまでと
いつまでも教室に残り、子どもたちを励ましていらっしゃいました。

実際の教育現場は、このような教師の皆さんの
大変な思いで教え子を守っていたということが
リアルな話でした。
このことは、目撃者として
機会があれば、いつでも語りたいことです。


二点目は、どうしてわが子を優先しようと心の中で思ったことで
自責の念を覚えなくてはならないのでしょう。
ここが「ちゃんちゃらおかしい」というべきだと思いました。

心の中のことなんで、どうでもよいのです。
色々な雑念は、その人の人格とは無関係に
現れては消えているわけです。
思考というのは、まとまったものではなく、
こういうことを考えてはいけないと思うと
つまり責任感と正義感が強すぎると
「思ってはいけない」と感じる思考に意識が向かうだけなのです。

大事なことは
自分の行動、言動が、他者にどう伝わるか
それなのだと思うのです。
亜哉子は、その場に思いとどまったのだから
どんな思考が頭の中にあったからと言って
何も問題なしで良いと私は思います。
悩むことではない。

それよりも、芥川龍之介の杜子春ではないですが、
我が子の安否を気遣わないということこそ、
後々後悔することであってほしい
そのくらいに私は思います。

教師の子どもの立場なら
そう思うと思います。

鈴木京香さんの演技が圧巻だったため
そして脚本に共感が持てたため
敢えて「文句」を言わせてもらった次第です。

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