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【緊急】文部科学省の令和3年の自死対策 コロナも令和2年の統計結果も関係ないまとめではないのか。つまり実効性に疑問を払しょくできない。 [自死(自殺)・不明死、葛藤]

令和3年度 児童生徒の自殺予防に関する調査研究協力者会議 審議のまとめ

文部科学省の審議会が令和3年のまとめ報告を令和3年6月に行いました。
https://www.mext.go.jp/content/20210629-mxt_jidou02-000014544_002.pdf

この点について読み込んでメモをする必要があったので、ついでにブログにして保存することにしました。

文部科学省に児童生徒の自殺予防に関する調査研究協力者会議という審議会があるようで、毎年一度審議のまとめを発表しているようです。令和3年度は、5月7日に第1回会議があり、6月25日に第2回会議があったとのことです。いずれもweb会議だったそうです。そして、6月に、資料を除いて30頁の審議のまとめが発表されました。二回のweb会議で誰がどうやってまとめたのかたいそう興味のあるところです。

(6頁)同会議は、まず、令和2年の児童生徒の自死に関する統計を確認しています。子どもの自死は増えています。特に高校生女子は、80人から140人に増大しています。小学生女子も5人から10人に増加しています。小学生の自死が少ないにもかかわらず100%増ですから、人数が5名だとしても本来大問題とするべきですが、特に言及はありませんでした。警察が調査した自死の理由を分析しています。まとめとしては、うつ病を含む精神疾患の影響の割合が増えたことを多く指摘しています。高校生では、入試以外の進路の悩みが、学業不振、病気の悩みが上位を占めたそうです。ここで注意するべきは家庭問題を理由とする自死が増えたという事情が報告されていないということです。また、どうして精神疾患にり患したかということは考察されていないということも留意しておく必要がありそうです。このため、対策としては、論理的には進路の悩みと健康状態の悩みにどう対応するかということが議論されるはずだと述べておきます。

(9頁)次に、コロナ禍の家庭環境の変化について、統計の直後に分析しています。先ず、進路問題や健康問題についての分析が先になされるべきと思われますが、なぜか家庭問題が第一に分析されているところも留意が必要です。
 ここでは、在宅ワークのために父親がリビングなどを占拠し、「家中に声をとどろかせて」オンライン会議をしていた、家族は息をひそめて過ごしていた、母親は家族全員分の食事の用意などをして自分の時間が無くなっただろうという、根拠を示さない推測をしています。さらには一世帯当たりの酒量が増えている家計調査を示し、「酒を飲めば酩酊するはずだ、酩酊すれば声が大きくなり、感情の制御も難しくなり、家族間の衝突が多くなった」かのような文章が続きます。子どもたちはこの問題から遠ざかるためにスマホ、ゲーム、動画干渉に依存し、親の干渉を呼ぶという悪循環が起きて、家庭が居心地の良い場所ではなくなった可能性は否めないとしています。このような出来事があったということは推測にすぎません。また、自死者の家族問題がこういう問題であったという調査も全く示されていません。
 なぜこのような推測と決めつけの話を原因論の冒頭で行うのか私には理解できません。

(9頁)そして、学校環境の変化について言及がなされています。そこでは、運動会や文化祭、遠足や修学旅行などの行事の中止、部活動や合唱コンクールの中止や延期が冒頭に上げられ、次に友人や学級担任などの交流が亡くなったことを指摘して、これを環境の変化というようです。加えて、カウンセリングの相談が難しくなったというのです。これが児童生徒の自死予防を増加させてしまったというのです。しかも、そのことによって、むしろ日常の学校生活やカウンセリングが自死予防に効果があったことを証明しているというのです。
 現実の児童生徒の自死の原因について、詳しく調査をしたという話がないままの自画自賛が続いているようです。はたして、カウンセリングなどがどの程度の自死予防に貢献したのか、その論理的確からしさのない我田引水の感想文に過ぎないと思うのは歪んだ味方でしょうか。

(10頁) 次に児童生徒の自死の原因としてうつ病とあるが警察官の調査によるものでうのみにすることができないという指摘は正当だと思います。また、精神科の専門治療につなげるだけでは児童生徒の自殺予防としては十分とは言えない可能性があるとの指摘があり、この点は賛意を示します。しかし、ではどうするかということで、「地域の保健業績感や児童福祉機関、あるいは、民間の社会資源とも連携した支援が必要であるともいえる。」これが具体的に何を意味するのかについては、この時点では不明です。また、どうしてそれらの連携が有効なのかについてもわかりません。やや唐突な印象を受けます。但し、学校と精神科だけで抱え込んではだめだということは賛意を示します。

そして課題に移るのです。つまり、原因として増えている、入試以外の進路についての自死の理由については全く考慮されていないというところに注意していただきたいと思います。確かに5月に始まった会議で6月にまとめたというのであれば審議期間が短いと言えるのですが、どうしてそんな短い審議機関でまとめを出さなければならないのかについては理解が及びません。

(11頁) コロナ禍の社会変化に対応した児童生徒の自殺予防に係る課題
と題された論述が次に展開されます。
 どうしても気になることが、常に不十分、原因を作っているのが家庭で、学校は支援を補充する場所、子どもを支える「プラットフォーム」だという論法にあります。学校が原因で自死リスクが高まるという観点が全くありません。いかに文部科学省の審議会だとは言え、「指導死」という言葉もポピュラーになっている現在、そのような視点が全くないことは奇異であり、科学的分析とは遠い分析がなされているような印象を受けてしまいます。先ず、子どもを守るのか、学校を守るのか、鼎の軽重を見せてほしいところです。プラットフォームの意味が分かりにくいのですが、どうやら基盤という意味で使っているようです。子どもを支える基盤、基礎が学校にあるという考えに立っているようで、国民の意識との乖離がないかどうか検証するべきだと思いました。
 そしてSOSの出し方教育を含む自殺予防教育が必要だというのです。これではコロナはあまり関係なく、コロナ前からの行政の主張を繰り返しているだけだと私は思います。

(11頁)コロナ禍で児童生徒の危険を支援につなぐ必要があるとして、そのためには子どもの援助希求を求めることが重要などしながらも、追い込まれた人間心理としては援助を求める行為は厳しいという意見には賛成です。ではどうするかということなのですが、日々の健康観察、相談体制、そしてアンケートとのことです。これは従来から学校現場では行っていると思っているようなので、具体的に何が足りなくてどうすればよいのかということを指摘しなければ、「もっとがんばれ」と言っていることに等しいと思います。その上で、SOSを表現しやすいツールの開発や表現されたSOSを支援につなぐ体制の強化が対応策だと言っています。自らSOSを発することが心理的に難しいと述べていながら、難しいことをどうやって克服するかを示さずにもっと頑張れということで終わりにしているような気がします。

(12頁)SOSを把握した場合の体制が論じられていますが、一言で言って連携をしろということに尽きるようです。それは間違いないとは思いますが、現状で連携していたのかいないのか、不十分であればどこがまずかったのか、そして具体的にどうすれば連携できるのかについては一切言及がありません。つまり、また頑張って連携しろということなのでしょう。とにかく学校側の反省は全く論述されていないと言ってよいでしょう。
 そして、家族に問題がある場合もあるので、家族の機能を代替する方法を考えろと言っています。具体的には児童相談所の保護なのでしょう。学校に問題がある場合は一切想定されていません。

(13頁) 第2章 コロナ禍における児童生徒の自殺予防等のために必要な今後の施策がここから始まります。具体的に見ていきましょう。

1)各人がかけがえのない個人としてともに尊重し合いながら生きていくことについての意識の涵養等に資する教育又は啓発
  自尊心を向上させろというのです。文部科学省は自尊心とか自己有用感ということが大好きなようですが、もうこういう言葉に頼ることは止めるべきです。どうして子どもが自尊心が低いのか、その原因を突き止めて改善することこそが大切のはずです。環境をそのままにして自尊心だけを高めろと言っても私には無理な話だと感じられます。具体的には心理プログラムを実践しろと言っています。教育の在り方についての充実については放棄し、心理プログラムでつじつまを合わせろと言うように聞こえてなりません。

2)困難な事態、強い心理的負担を受けた場合等における対処の仕方をみにつける等のための教育又は啓発
 子どもに対して、一般的に強い心理的負担を受けた場合の対処の仕方を身に着けされるという施策は無謀としか言いようがありません。こんなことをするよりも、教師一人一人が、子どもに信頼される方法を身につける方がよほど実践的だと思うのです。しかし、この審議会は学校に対する反省が全く見られませんので、教師に問題があったというアプローチを拒否するようです。あくまでもSOSを出さない子どもと、家族に問題があるというアプローチで児童生徒の自死を減らすことができると考えているようです。

3)心の健康の保持に係る教育または啓発
  祖の教育とは何かと言うと「こころの不調や精神疾患についての知識を得ること、病気を予防したり、自分のこころの不調に気付いて周りの大人や友達、専門相談機関などに相談したりできる力をつけていくこと」だそうです。
 先ほど追い詰められた者が、自ら援助を求めることは非常に難しいとした指摘をした同じ会議が言っていることとは到底理解できません。矛盾していると言ってよいと思います。

児童生徒に対する働きかけは以上となるようです。

(14頁)そして体制整備を施策としようとするようです。
プログラムとして、「学級の一員としての自覚や自信の獲得や、互いを認めあえる人間関係の構築」ということについては大賛成です。ただ、このプログラムを実施すれば、学校現場の負担軽減に繋がると考えられるという見解は学校現場とはだいぶ乖離していると思いますが、いかがでしょう。

そしてSOSの出し方教育を含む自殺予防教育プログラムの構成要素の明示がなされます。具体的に引用しましょう。
①早期の問題認識(心の危機への気づき)
・チェックリストなどを用いて自身のこころの状態へ気づく。
・心の危機につながる出来事、状況を知る
・心の危機への対処方法を考える。
②援助希求的態度の促進
・心の危機への対処方法として、他者に援助を求めることの重要性を知る
・友人、教員、家族、親族の他、地域の相談機関など、相談先について知る。
・友人の危機に気づいたときの対応方法、き(気づいて)、よ(よりそって)、う(受け止めて)、し(信頼できる大人に)、つ(つなぐ)について知る。
いずれにしても子どもに自分を守らせようとしている姿勢は鮮明です。そんな都合世の良い自殺予防教育プログラムというものが文部科学省では用意しているのかもしれません。いずれにしても自ら援助を求めることは非常に難しいとした指摘した態度とは別人格だと思います。②のひらがなをつなぐと教室という言葉になりますが、そこまでして話すほどの促進方法なのか賛同しかねます。むしろ信頼できる大人を作るということが前向きだと思います。
私の独自の考えかもしれませんが、プログラムの作成が可能となったとしても効果は極めて限定的だと思います。自ら援助を求めることは非常に難しいとした指摘の論理的帰結だからです。

(15頁)心の健康の保持に係る教育の実施時間の確保
一学期あたりに2,3回の時間を確保してSOSの出し方教育を行うそうです。日常的なクラス指導の中に組み入れていくということも検討していただきたいです。

こころの健康の保持に係る教育の実施に関するマンパワーの確保
スクールカウンセラーの活用が唱えられています。おそらく理想的な経験も知識も、技術も豊かな心理士が十分に確保されているという前提なのだろうと思います。

(15頁)ICTの効果的な活用
結局ネットワークと端末の整備のことらしいです。こういう審議会のまとめでありながらICTとはなにかということも記載されていません。SNS相談などを行えと言っているようです。ずいぶん過大な評価をしていて、デメリットについて考慮がなされていないものだなあと感心することしきりです。現状分析とは全く関係がなく、唐突にICTが出てきたなと感じます。そう言っておきながら、まず導入してからなのでしょう。活用のメリットデメリットについて、丁寧な検討が必要だとしています。デメリットを検討しないで導入だけは呼びかけるということなのでしょうか。理解がなかなか難しいところです。

(17頁)関係機関等の連携体制の構築
協力体制を保護者、地域の関係機関との間で(学校は)築く必要があるということはそのとおりでしょう。奇妙なことは自死の原因の上位3が学業不振、進路についての悩み、親子関係の不和だとしていながら、家庭の問題をどのように解決するかという文脈になっていることでしょう。連携が大切なことは、学校の反省を促す意味でも必要だと思われます。

以上が第Ⅰ部でした。
第Ⅱ部はSOSの出し方教育を含めた自殺予防教育の在り方とのことです。
(20頁)これまでの取り組みが記載されています。
(21頁)SOSの出し方教育の在り方
まあ、色々書いてあります。児童生徒の自死が無くなるように、個別事案に応じて必要なことはすべてやるべきだと思われますが、なぜか大きくSOSの出し方教育という縛りがあり、これに該当しない教育は認められず、その基盤や環境整備として位置づけられなければならないというような説明がなされています。仮にSOSの出し方教育が完璧に自死予防に効果的な方法で、それ以外はむしろ弊害が大きいというならばこういう議論は意味があるとは思いますが。なんにせよ、大人ができないことを、いかに教育とは言えできるようにはならないのではないかと悲観的な感想が首をもたげています。これは私だけが言っているのではなく、協力者会議が同じような意見を言っているようです。(26頁)私は、この懸念に概ね同感です。
つまり、このまとめ文書の名義人が懸念を持っているのにもかかわらず、強引に推し進めようとしているということです。誰がこのまとめを作成しているのか、訳が分からなくなります。
(28頁)学校の施策で留意が必要なものとして
・関係者の合意形成
・適切な教育内容
・ハイリスクの子どものフォローアップ
これらはその通りだと思います。ただ、相変わらず、家族が子どものストレッサーであり、学校はフォローをする組織であるという姿勢はあっぱれなほど一貫しています。

どうか、私の歪んだ見方ではなく実物をご一読ください。
歪んだ見方とは、結果としてコロナとか、令和2年の統計とかとはあまり関係のないところで議論をして、原因分析を科学的に行わないで従来の対策を繰り返し主張しているという感想を払しょくできないということです。

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