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厚労省主催過労死防止シンポ青森で、お話してきました。過労死を止める方法として家族とともに幸せになるという価値観を導入すること [労災事件]


2021年11月24日、青森市で厚生労働省主催の過労死等防止対策推進シンポジウムが開催され、「過労死と家族」というテーマで基調講演を行いました。その内容について記録したいと思います。

当日は、雪が降っている寒い夜で、コロナ禍ということもあったのですが、大きな会場でコロナ対策の間隔をあけていたとはいえ、かなりの人数の方々が参加されていました。企画推進をされているプロセスユニークの方々、地元の青森県社会保障推進協議会の方々、労働基準局の方々など関係者のご努力と関心の高さに心より敬意を表します。
青森県は過労死防止に熱心で、大学や高校から、毎年のように呼ばれて、お話をしています。

さて、私は、呼んでいただき、お話をさせていただくと、感謝の気持ちでいっぱいになります。我々過労死弁護団は、この世から過労死を失くして弁護団を解散することが悲願なのです。どんなに労災認定がとれても、請求が認められる判決がもらえても、心に引っかかるものがあるのが過労死事件です。それは最初は、認定取れました、それも逆転で認定となりましたという報告をすると、私も興奮しているし、ご遺族も喜んでいただけるのです。でも、しばらくすると、亡くなった人は帰ってこない、あるいはうつ病の方は治らないということがあり、喜んでばかりもいられないという思いがあります。なんとしても、過労死は予防しなければならないという気持ちが強くなります。だから、予防のお話をさせていただくということは、本当にありがたいことなのです。

今回は、「過労死と家族」というテーマとしました。過労死予防とは何なのかこのことをご一緒に考えていただきたくて、私なりの回答を用意して臨みました。

先ずは過労死とは何かということについて説明をしなければなりません。その中で、過労死は、気が付かないうちに発症して亡くなってしまうということをお話ししました。心臓の血管、脳の血管が詰まったり、破裂したりして心臓や脳の活動が止まったり、精神疾患にかかり自死をとどめることができないという特徴をお話ししました。自動車のガソリンのメーターのように、自分の危険性がわかれば対応も取れるのですが、そうはいかない。私の担当した自死事件の統計を取ったことがあり、16件中14件が、当日、または前日就労していたということを紹介しました。突然死がやってくる。誰しもその日倒れるということがわかっていたら、仕事にはいかないでしょうけれど、それができないのが過労死だということが実感です。

過労死の民間労働者の死亡についての労災認定件数の推移をみました。但し、これだけが過労死ではないということも、説明しました。2か月前、公務員の事例ですが、再審査請求と言って、一度申請してだめで、異議申し立てをしてダメで、再度の異議申し立てをしてようやく認められた事案でした。最初の申請で断念してしまえば認められなかったわけです。これはいくつか理由があって、このケースでは、認定する側が、亡くなった方の仕事の内容がよくわからず、数字ばかりに着目していたということが理由の一つでした。このギャップを埋めるということが弁護士の仕事でもあると考えています。
認定件数は少なくなっています。過労死防止法の効果もあるのでしょうけれど、もっともっと減少させなければなりません。

そして過重労働の典型の長時間労働についてお話ししました。長時間労働は週40時間と定めた労働基準法の制限を超えた時間の合計で判断します。元々は週48時間でしたが、後に40時間に短縮されたこと、戦後直後に制定された法律ですがこのように労働時間を定めたのは「早死にしないため」と言う松岡三郎先生の教科書を引用してお話ししました。そして月間100時間の残業時間のサンプルを示し、案外簡単に100時間の残業が可能になるということを示しました。

長時間労働が過重労働となり、過労死に繋がるのは、睡眠不足を招くからであり、まとまって6時間から7時間の睡眠時間は必要だということを説明しました。

そうすると過労死を予防するためには、長時間労働をせずに睡眠時間を確保するということが鉄則になるはずです。しかし、それができない。会社からの実質的な残業の強制という事情も確かにありますが、労働者側の事情として、
責任感が強い
能力が高い
公的な仕事に価値観をおいてしまう
というものをあげさせていただきました。

過労死防止法制定にあたって、早期制定の地方議会決議が次々となされました。私の宮城県議会でも決議が全会一致で採択されました。
その中では、過労死は、社会的損失でもあるということが述べられています。社会にとって職場にとってとても有益な方が亡くなってしまうということに着目してこのような内容も入れられています。

私は、過労死や労災の事件を多く担当していますが、離婚事件や親子の事件も多く担当しています。そういうことからの持論ですが、家族という仲間の単位をもっと大事にして、強化する必要があると考えています。過労死予防も、この家族という価値観を広めることによって効果が上がるのではないかということが今回のお話のテーマでした。

第1に、家族のために死なないということです。
親を過労死で亡くしてしばらくすると子どもに異変が生じることを見てきました。母親が仕事が忙しく病気の手当てをしないために、急激に悪化して亡くなったケースでは、お子さんは自分の母親は自分よりも仕事をとったのだという観念にとらわれて、家庭内暴力が始まり不登校となってしまいました。父親が過労死して、母親の再婚相手が現れたころ、それまで何の問題もなかったお子さんが学校から呼び出されるようになってしまいました。父親が自死されて、表面的には普段と変わりのない生活をしていたのだけれど突然重篤なパニック障害が起きてしまい、学校を退学したお子さんもいます。
子どもはどうしても年齢が低いと自己中心的に物事を考えることしかできませんので、自分が良い子ではなかったからお父さんに会えないんだと考える傾向があるということも、東海林智さんの「15歳からの労働組合入門」の一節を紹介しました。このくだりは、どうしても涙で声が詰まってしまいます。

第2に、では死ななければ良いのかという問題があるということです。
長時間労働は、家族と過ごす時間が無くなるということです。父親でも母親でもどちらでも手料理を子どもに食べさせるということが、本来的には家族のコミュニケーションだと思うのですが、子どもがスーパーの総菜やインスタント食品を食べさせるということを悔やんでいる学校の先生たちの調査結果を紹介しました。
また、パワハラなど不条理な職場での扱いが、知らず知らずのうちに家庭に持ち込まれて、離婚原因になったり、子どもの自尊心低下につながるということを説明しました。そういった自分が大切にされていない時間を過ごしていると、本来大切にしなければならない家族も大切にできなくなるという怖さを説明しました。

ここでいう家族は人それぞれで良いと思います。必ずしも夫婦と子どもを単位としていなくても、一緒に住んでいなくても、あるいは亡くなっていても、あるいは血のつながりが無くても、ひとはそれぞれ、変えるべき人間関係が必要だと思っています。そういう人を大切にできなくなってしまうそれは怖いことだと思います。結局は、自分の帰るべき場所がなくなってしまう。それは紛れもなく不幸なのではないでしょうか。

先ほど挙げた責任感が強い、能力があるという過労死をするタイプの真面目な方たちは、仕事をセーブしろと言われても、あまり効果がないと思います。仕事の時間を削って、家族と一緒に過ごす時間を大切にするという新しい価値観を導入しなければ、どうしても仕事を優先してしまうということが実感です。

家族を大切にするという価値観は、これは国も提案しているところです。ズバリ働き方改革がこれだと思います。政策としては具体的に必要な介護と育児が強調されていますが、これは政策ですから当然です。その先の、家族を大切にするという価値観の導入を職場でも活かしていくということは、われわれ国民が国からバトンを受けて行うことではないでしょうか。

では、どういう風に職場で活かすかということです。私は、同僚、部下、上司にも家族がいるということを意識することが効果が上がるように思われます。人材なんて言葉があるように、とかく労働力の人間性が考慮されない風潮があると思われます。その人を人間として扱うということの一つに、家族を持っている人間なのだということを意識するということはとても大切なことだと思われます。
それから家族を大切にするように
同僚の心情にも共感できるような人間関係作りをし
弱い者をかばうという職場の気風を作り
批判ではなく提案する職場環境
相手の失敗を許すという許容性
意見が対立しても仲間であることには変わらないという考え
こういう職場づくりをすることで、パワハラがあっても、「今のはひどいよね。」の一言もでない人間関係を変える必要があると思います。過労自死が起きる現場は、パワハラを受けた人を心配している人がいないわけではないのですが、その一言がないという特徴があるように感じています。
つまり、職場は単なる人材が同一場所にいるという意味あいではなく、仲間でありチームプレイをする場であるという転換が求められていると思います。私は労務管理の観点からも、実はそういう職場転換が生産力をあげているという実例を見てきています。これが働き方改革だと思っています。

これは家族でも一緒です。家族から常に評価の対象となり、批判の対象となったら、子どもも大人も家に帰りたいとだんだん思わなくなると思います。そのままで家族なんだ。無理をしなくても良いのだという家族作りが子どもの自尊感情を高めて、夫婦の安定した関係を保つことができると思っています。

過労死予防とは何かということを冒頭申し上げました。
私は、それは、大真面目で大人たちが幸せとは何かということを考えることだと思います。その答えの一つとして、家族を安心させる家庭を作ることであると思います。そのためにも、長時間労働や不条理なパワハラなどの扱いを撲滅する必要性があると思います。そして、根幹は子どもたちの健全な成長です。


以上が私の1時間足らずのお話の内容でした。
お気遣いいただき、講演が終わって帰らせていただきました。シンポジウムが終わってからの帰路となると、終電が終わって帰れない可能性もありました。
てんぱるというわけでもなく異様な高揚感が残っていました。唯一開いていたキオスクで買ったハイボールの酔いが進むにつれて、涙が止まらなくなりました。自分でも驚くほど、泣くことを欲しているような感じでした。私の担当した過労死事件の記憶、ご遺族の様子の記憶が自然と湧きあがっていたようです。具体的な場面というわけではありません。私は、特に自死事件は、関係者のお話しを徹底的に聴取し、嫌がられることもあります。しかし、その人の人となり、そしてその人の会社の様子、ご家庭の様子などから、亡くなられた方の自死に追い込まれた心情に、理屈ではなく再体験するような感覚が沸き上がったとき、なぜその方が過労で自死したのかということをうまく説明できるようになり、その体験がリアルであればあるほど、良い結果となっています。おそらくその再体験の感覚、あるいはお子さん方の自分を守ろうとする悲鳴の感覚が、自覚はしていませんが講演中によみがえっていたのだと思います。泣き続けることによって、感情が整理されたのだと思います。泣くことも大切だし、そのためには少しばかり?のアルコールも必要なものだと感じた次第です。


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