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業績をアップさせる指導になるか、生産性を低めてパワハラになるか。教え方がわからない時に行う指導方法とは。 [労務管理・労働環境]




「俺は教えるべきことを教えた。あとは自分で考えろ。」
ということは新入社員に対するパワハラになることが多いです。

新入社員は、考えても分からなくて無駄に何日も立ち止まり
苦しみ続けて仕事がいやになってしまいます。
これ、「そんな奴なら使えないから会社にいらない。」という人がいますが、
苦しむ人は、真面目に仕事をしようとしている人です。
とりあえず給料もらえばいいやという人は
自分で考えることに見切りをつけて
誰かにやってもらうか、
頭を下げてできませんでしたとヘロっと言えるのです。

真面目で、戦力になる人間に、手かせ足かせをはめるようなことをして
生産力が向上するわけありません。

「なんでこんなことができないんだ。」
「前に説明しただろう。」
という言葉ばかり言う上司は、自分の無能を宣伝しているようなものです。

なぜできないかを考えるのは上司の仕事だからです。
指導とは、客観的に「必要の範囲」というものがあるわけではなく
相手に合わせて行う必要があります。
相手がわからなければ、指導としては不十分です。
社会は厳しいということを覚えましょう。

「なぜできないかわからないこと」には理由があります。

「こんな知識社会常識だろう。知っていて当たり前だ。
この知識があれば、解決方法を考えることはできるだろう。」
という考えが正しいものだと思っているのでしょう。
しかし、これは間違いです。

先ず、知識は、ひとそれぞれで、興味のある得意分野もあれば
苦手分野もあるというのが当然です。

また、知識と知識を組み合わせること、つなぐことは
実は思考というよりも
知識を組み合わせる、その組み合わせ方の知識
という側面があります。
文系選択者にはわかりづらいことかもしれませんが、
これが真実です。

組み合わせたことのない人間は、いかに必要な知識があっても
組み合わせることは、ほとんど不可能でしょう。

業務というものは、
その業務を反復継続して行い、特別な技術、知識を習得するから
収入を得ることができるのです。
誰でもできることをやって収入が上がると思っている上司は
社会の厳しさを知りません。

この組み合わせの知識は、反復継続して組み合わせを行うことによって
効率よく習得することができます。
初期の指導とは、反復継続して作業をやらせるということであって
知識もないのに組み合わせを考えさせるということは
極めて非効率で、時間がもったいないということが科学です。

また、無能な上司は
自分ができなかったときのことを忘れています。
自分がそのような知識があったのか
知識を組み合わせることができたのか
おそらくできなかったことを忘れているのです。

名人と言われる人ほどこれは忘れてしまいます。
というか初めから体験していない場合もあります。

尺八のある大師範は、子どものときに尺八を初めて口に当てたところ
初めから尺八を吹けたというのです。
おそらく99パーセントの人は
尺八の音を鳴らすまでに多くの月日を費やしていると思います。

この大師範にとっては、尺八の音の出し方を教えるということは
なかなか難しいことなのだと思います。

まあ、一般の上司は、色々先輩から援助をしてもらって
仕事を覚えているわけですが
それを忘れているわけです。

尺八など楽器も同じで
どんなに才能のない演奏家でも
楽器は吹けるようになることがあり
そして一度吹けるようになると
どうしてあの時音が鳴らなかったのだろうか
ということがわからなくなることが一般的です。
というか
そんなことを考えることもそれほどいないわけです。

この上司も、この仕事を続けていくのであれば
懇切丁寧に教えることは、自分のキャリアアップにつながるのです。
新人が何がわからないのか、
知識不足か、知識の組み合わせ不足か
どうして知識の組み合わせがわからないのか
どう教えたらわかりやすいか
そういうことを考えながら教えることによって
つまり言葉に出して説明することによって
なんとなくやっていた自分の作業も
原理や目的を意識するようになれるし
そうなれば応用を利かせることもできるようになるからです。

そうして、上司としてのスキルがアップすれば
顧客に対するスキルもアップします。
社内での人間関係も良好になっていくわけです。
人にものを教えるということはそういうことです。

さらに、懇切丁寧に指導された部下は
自分が指導するときに、この経験をまねすればよいのですから
会社は永続していきます。

これを、こわもてで接して、厳しいことばかり言って
部下に緊張させるような指導をしていたら
緊張しているのですから、吸収も悪くなるだけです。
非効率ここに極まれりという感じです。

そして真面目で責任感がある人間から
やめたり、体調不良になっていく
こういうことなんです。

それでも仕事は日々変化します。
百戦錬磨の上司でも教える方法がわからない場面も出てきます。

教え方がわからない。というよりも自分でもわからない。
分からないということを部下に言うのは恥ずかしい。
上司の沽券にかかわる。
なんてことを気にする上司がパワハラをするような印象があります。
自分の立場を守ることに汲々としている人は
会社全体の立場とか、真っ当な対応というようなことを
気にしなくなってしまいます。

こういうことが許される会社は
会社全体が事なかれ主義に陥ってしまい、
自分の立場を守れるのであれば
会社が少々損をしてもかまわない
という風潮が蔓延していきます。

言われた通りのことをやっただけで
どうして自分の評価が下がるんだ
等と本気で考えてしまうわけです。
これでは人を相手にした仕事はできません。

では、どうするのか。

1 わからないことを認める。
これが第1です。
これが無ければ、次に続く得難いチャンスとなりません。
むしろこれができれば上司としては一人前です。

「俺がわからなければ、誰もわからない」
こういう発想に立てば何でもないことです。
この発想に立つためには
勉強、実践経験、そしていくばくかの図々しさが必要です。

新人は上司が「俺も分からない」ということで救われます。
真面目で責任感の強い人間ほど救われます。
「わからない時があって良いんだ
わからないと言っても良いのだ。」
ということを学ぶことは貴重です。

2 一緒に考える。
これは、部下にとって貴重な体験です。

なにせ部下は、どう考えて良いかわからないのですから
上司の思考の流れ、知識の組み合わせ方を勉強できるということで
すぐに実践に役立つ勉強になります。

わざとわからないふりして一緒に考えるという作業を
推奨したいくらいです。

経験不足で役に立たない部下との会議でも
上司にとってとても役に立ち
解決に向けて一人で悩むよりもよほど役に立ちます。

普通考えと話の順番については
脳で考えて、考えたことを言葉にする
と思われていると思います。

ところが必ずしもそうではないようです。
まさにこのブログでいつも感じていることなのですが、
言葉にすることによって、
考えがひらめくことがとても多いのです。

言葉にしなければ、そのことを意識しないのでしょう。
あるいは、言葉にすることによって
言葉にする前には思いつかなかった
言葉の意味だったり、その言葉から連想することだったり
そういうことが広がっていき
新しい思考が可能になるのだろうと思います。
詳しくはビゴツキーという人の文献をあたってください。

頭の中の言葉と口に出した言葉は別物なのでしょう。

2 それでも分からなかったとき

どんどん部下の経験値が上がっていくわけですが、
上司が相談してもわからない時どうするか。

同僚や自分の上司に聞いてみるということをするわけです。

これとても大事です。
先ほども言いましたが、考えるということは
知識をつなぎ合わせるという知識が必要だと言いました。

そのつなぎ方がわからない人がいたとしても
そのつなぎ方をわかる人もいるかもしれない。
そうだとすると、案外簡単に答えが出てくるかもしれません。

その課題を解決できるか否かというのは
必ずしもその人の能力と関係があるわけではないのです。
経験の違いというより、経験した分野はみんな違うわけです。
だからこそ集団で仕事をする意味があるというものです。

今に日本の労務管理は
こういう当たり前の原理で仕事ができないような状態に
労働者一人一人を追い込んでいるわけで
これでは生産性が上がらないのは当然です。

また、他者に相談することを部下が覚えるということも大事ですが、
自分の仕事の状況を仲間に伝えるということも大切なことです。
しょっちゅうこういうことをやるわけには行きませんが、
考えても分からなかったという内容であれば
ある程度の人数で共有することはとても有益です。

こういう業種を超えてしのぎを削っている状態のときに
成果主義的賃金体系なんて余裕のある個人プレーを推奨する労務政策なんて
誰が従うのだろうと不思議でたまりません。
それをすると安心するというおまじないみたいなものなのでしょうか。

3 最終的に分からなかったとき

誰に聞いてもわからない。考えてもわからない。
それを会社も知っている。
ということになれば、
課題を解決できないという結論を認めることになります。

それを認めて始めて
次善の策を考えられるわけです。

この事後処理ということも
とても大切なことです。
最も高度な仕事かもしれません。





ここで大切なことこそ、
別の同僚に教え方を援助してもらうということです。
ユーチューブチャンネルを複数閲覧するということと一緒です。
自分が忘れていたことを覚えていたり、
画期的な教え方を知っていたり、
思わぬ人が思わぬ指導をすることがあるわけです。

こうして協力し合って結果を出すということを教える事こそ
本当にするべき指導だと思います。



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