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人は追いつめられると感謝の気持ちが持てなくなり、世話になっている人を逆に攻撃し、自らを追い込んでいくことを起こしやすい理由。期待感の増大と落胆の相関関係。 [進化心理学、生理学、対人関係学]



今回の記事は、次回の記事の前振りです。次回の記事はこれを始めて説明すると長くなるので、この部分だけ予め説明しておこうというものです。

今回は、認知症、いじめ等被害者という事例をあげ、次回は夫婦問題を取り上げるという流れです。

認知症によくある症状として「ものとられ妄想」というものがあります。
本当は自分が置き場所を忘れただけなのに、「嫁が私の通帳を盗んだ」とか「財布を隠された」とか訴えて収拾がつかなくなるということです。
少し突っ込んで話を聞くと、元々息子の妻に不信感があったわけではなく、むしろ息子の妻は、かなりいろいろご苦労されて本人の世話をしていることがほとんどのようです。お嫁さん本人は、絶句し、今までの自分の苦労はなんだったのだろうと、それは落胆するわけです。しかし、認知症のご本人も自分が攻撃されたと本気で考えて切迫感があり、悲壮感もあるようです。

これはよくあることです。原因について思い当たることがあるので説明を試みます。献身的に介護している方にとっては気休めにもならないことかもしれません。納得はゆかないとは思いますが、こういうことかと腹に落としていただければ幸いです。

財布や通帳をなくした本人は、元々不安の塊の中で日常を過ごしています。本当はもうすでに他人に財産を管理してもらっていますから、財布や通帳が目の前になくても何も変わらないことも多いのですが、それ以前の習慣として財布や通帳が自分が生きていくために大切なものだという考えが残っているわけです。なくしたら困ってしまうということは消えません。ところが、通帳や財布を見て安心したいとき(不安が募ったときにこそ安心したくなります。)、それがどこを探してもないのです。おそらく不安がすでに大きくなりすぎているため、合理的な探し方もできなくなっているし、別の場所で見つけたとしてもそれが探していた通帳や財布だと認識することが困難な場合もあるでしょう。ますます不安が高まって収拾がつかなくなります。

こういう不安の極限にある場合、つまり心理的に追い込まれたとき、この方の要求は、既に財布や通帳を「見て安心したい」ということから、自分の「今抱いている不安を解消したい」という方向に偏っていっているのではないでしょうか。一般に私たちも、自分で不安が解決できない場合は、他人に解決してほしいという気持ちが強くなります。そんな時誰に助けてもらいたいと思うでしょうか。自分が助けてもらえるのではないかと期待する人です。では誰に期待するでしょうか。これが一番期待できる人ですから、自分が世話になっており、自分がしてほしいことをやってくれているという実績のある人ということになります。これが夫の妻ということになることが多いわけです。自分の子どもには期待できないということが多いようです。

息子の妻に、安心させてほしいと期待しているわけです。しかし、そういわれても、姑とはいっても他人の財布や通帳がどこにあるかなんてわかりません。加えて、既に、疑われているような扱いもされ始めているわけです。なんとも対処しようがありません。

姑からすれば、息子の嫁が頼りの綱だったわけですから、その嫁がわからない、期待できないことが分かれば、通常は絶望して落胆するわけです。しかしながら、息子の妻が近くいるからという理由で、あるいは息子の妻が反撃をしないことをよいことに、自分の不安を「怒るという方法」で解決しようとしてしまうということなのだと思います。

不安が怒りに転化する理由は以下の通りです。
不安の解決方法は怒りを持って戦うことか、恐れを抱いて逃げることです。そうやって危険をなくすということが生きる仕組みです。どちらかは瞬時に無意識、無自覚に選んでしまいます。これはかなわないなと認識できれば、逃げ出すわけです。逆に相手が自分を攻撃しないと認識していれば怒りの反応を起こしてしまいます。子どもが自分の要求を親が受け入れないときにかんしゃくを起こすこととよく似ています。共通項は、自分勝手な相手に対する期待を持ち、相手がその期待をかなえてくれないことを原因として、怒りを爆発させるということでしょうね。

だから、収拾のつかない怒りは、一歩間違えば、深刻な恐怖、萎縮、絶望に代わっていたかもしれないという危険な状態を示しているわけです。

いじめの事例も似たような現象を必ずと言ってよいほど見聞きします。いじめ相談を受けて、事情を聴いていると、大勢の中で勇気をもって手を差し伸べてくれる人が必ずいるようなのです。それでも本人の口からは、「誰も自分を助けてくれようとしない。」という訴えを聞くことになります。「あれ?でも、さっきあなた自身が、この人が自分に味方したということを言ったのではないの?」と尋ねると、その問いについてはあまり理解ができないようなのです。事実は記憶しているものの、味方になってもらったという評価ができないようです。おそらく、心理的に追い込まれすぎているため、自分の苦境を解消してもらいたいという期待が極限まで高くなっていて、次の瞬間自分がクラスから受け入れられるような行動をしない限り、味方であると評価できなくなっているような印象を受けました。

つまり、人の立場によって、「援助があったか否か」という評価が変わってしまうのです。集団の中で無視をされていたり、馬鹿にされていたりしている場合、それでもクラスの中で公然と親切にすることは、第三者である私から見れば、とても勇気のある行動だと感心してしまいます。しかし、いじめられている本人からすれば、自分の苦境をとにかく終わりにしてほしいですから、それに見合う行動を期待してしまいます。その期待に達しない場合は、自分の要求をかなえてくれていないわけですから、感謝の気持ちが起きないのです。心理的に追い込まれるということはそういうことなのでしょう。

わたしも、同じ仲間だと思っていた人から、理由がわからない攻撃を一方的にされていたということに気が付いた時があります。私の知らないところで批判がなされていたようです。その人に対して怒りを持つというより、どうしてその人の周囲の人はその人をたしなめてくれないのだろうという気持ちになりました。かなり精神的に危険な状態に私はなっていました。そういう時、その加害者ではなく、加害者の周囲にいる人に期待をしてしまい、周囲の人に怒りを持ってしまったことに気が付いたことがあります。

そしてこの追い込まれている時に、不適切な第三者の関与が入ってしまうと、取り返しのつかないことになるだろうなと思います。誰も味方がいないという被害者の自分の立場の認識を、第三者が肯定してしまい、被害者は危機感を絶対的なものとして感じてしまうでしょう。解決の展望がないということを結果的には宣告しているようなものです。そうやって、被害者の怒りをあおること、不安をあおることを始めてしまうと、被害者は、ますますさらに自分の置かれている環境が悪く、救いようのないものだと感じてしまいます。激しく落ち込み立ち直れなくなってしまうか、誰彼構わず怒りを放出してしまうかという極限的な状態に追い込まれてしまいます。現在の苦境から、第一希望の解決方法が直ちにかなえられることはないかもしれないけれど、希望の道がある。思っているよりはそんなに悪い状態でもなく、あなたのことを考えてくれている人もいる。この人とうまく付き合うことによって事態が打開できるかもしれない。というような戦略を立てた方がよほど良いような気がします。実際そういう戦略で、不登校が長期化することを回避して、進学をすることができて、社会適応をしているお子さん方もいらっしゃいます。ある学校では教頭先生が献身的にご指導されたというケースもありましたし、ある学校では保護者同士が事態打開に向けて協力し合ったというケースもあり、そういうご報告をいただくことはとてもうれしいことです。攻撃的な感情を助長していたのでは、このような解決は不可能だったはずです。周囲を攻撃することによって、さらに孤立を深めた方々もいらっしゃいます。

逆行として考えられることは、例えば献身的に毎日指導に来てくださった教頭先生に対して、期待が高まってきますから、不安を解消してほしいという期待も高まるわけです。その感情を爆発させて、「なぜうちの子は学校に行けず、いじめた方は学校に行っているんだ。」みたいな攻撃をしたら、さすがにご指導に訪れることをやめるかもしれません。人間ですからね。

さて、結論部分に入るのですが、
自分がこの人のために努力をして尽くしているにもかかわらず、どうしてこの人は自分を攻撃しているのだろうと、人間としては極めてショックな場面に遭遇したとします。
その人がまず行うべきは、自分がショックを受ける前に、「相手が心理的に追いこめられている事情があるのではないか」と想像してみることなのだと思います。そして、よほど困っているときに、自分がその人とどのような関係にあったか、もしかしたら「自分がその人から期待をされるような立場にあったのではないか」ということを考えてみることです。

自分が期待されているから、攻撃を受けても仕方がないのかと我慢する必要はありません。親子とか家族という事情がないのであれば、率直に怒りを受ける理由はないことを告げるべきだと思います。結局その方がその人の利益になることですし、その人を認知症の方とか子ども扱いしないことになるのだろうと思います。そういう人とかかわりを持たなくなることもやむを得ないでしょう。

但し、夫婦や家族になると、少し違ってくる。こういうことを次回延べたいと思っているところなのです。

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