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【正義よりも命。特に子どもたちの命】「憲法9条を守る」ことよりも大事なこと 戦わずして勝つことが何よりも追及しなければならないことだということ [弁護士会 民主主義 人権]

 

憲法9条があろうとなかろうと、改正されようとされまいと
軍事力を持とうと持つまいと共通して考えなければならないことが
あると思います。

それは、戦わないで勝つことが最上であるということと
戦う以上、相手を知り己を知らなければ
自国が滅びる危険があるということです。
これは東アジア共通の、戦うにあたっての知恵だと思っています。

たとえ憲法9条の文言を温存したとしても
他国の争いをいいことに
一方当事国を挑発して、恨みを買い
戦争を仕掛けられるとか、軍事行動を起こされてしまっては
憲法9条が絵に描いた餅になってしまいます。

たとえそこそこの軍事力を持ったとしても
相手は一国とは限りません。
相手の軍事力がどの程度のものかということを知らず、
また、どの国がどのような利益に基づいて参戦してくるか
そういうシミュレーションもできないで
やみくもに軍備にお金を使ったとしても
ただただ危険な戦いになるでしょう。

また、国が勝つか負けるかということばかりを言う人がいますが、
「国」が勝っても、何十万、何百万人の人が死ぬわけです。
死んだ人にとっては、わけのわからない「国」が生き残っても
あまり意味のあることではありませんね。

大人が自分で、その愚かな戦いを選んで死ぬ分には仕方がないかもしれません。
しかし、そこで犠牲になるのは子どもたちや自分の意見を表明できない人たちも同じなのです。

私は、自分以上に自分の家族や友人たちが死ぬことが怖いです。

私の友人の自衛官たちが命を落とすことも恐ろしいです。

自分家族をの家族を愛し、隣人たちを愛するから
自分の町を愛するし、自分の国を愛するわけです。
私は愛国者です。

現代政治は科学的に行われなければなりません。
科学的というのは、今何を議論するべきかということを
一番に大切にすることです。

今他国で戦争が行われているときに議論することは
どうやって戦争を終わりにするかということのはずです。
それが唯一の正義の議論です。

また、日本が攻め込まれたらどうするかということではなく、
「日本が攻め込まれないようにするためにどうするか」
ということのはずです。

つまり「どう戦うか」ではなく
「どう戦わないか」ということを議論するべきです。
いかにして、子どもたちをはじめとする国民の命を守るか
犠牲者を作らないかということです。

犠牲者を生まないために、戦わないで勝つためにどうするか
そのために憲法9条を改正して軍事力を持つということも選択肢でしょうし、
現状を踏まえると憲法9条を維持して軍事力を持たないということも選択肢でしょう。
今日はどちらかを選ぶということを議論するつもりはありません。

それより大切なことは、
「戦わずして勝つ」ということを追及することこそが、
国の最大の責務であるということを確認することと

口では憲法9条を維持すると言いながら
戦わないで勝つことを追及せずに
攻め込まれたらどう戦うかということの議論は
侵略国の侵略を、指をくわえて見守ったあとに
敗戦処理をどのようにするかという議論であり、
国民の命をかえりみない欺瞞であるということを
考えていただきたいということでした。



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