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思い込みDVによる子の連れ去りから子どもとの面会交流ができるようになる行動 [家事]



先日の法律相談会で、連れ去り事例の相談がありました。普通の相談会では、連れ去り事例が結構ポピュラーになっているということを知らない人が多いです。相談する人が誰もいなくて、自分だけでいろいろ考えていらっしゃったようです。

この事例は典型的な思い込みDV(夫からのDVは無いけれど、体調からくる理由のない不安、子に障害があるという等のストレスの継続、そして「あなたは悪くない。それ夫のDVだ。」の寄り添いを典型としたDV相談という洗脳により、自分の不安や苦しさは夫に原因があると思い込むパターン。離婚調停などを申し立てるが、具体的な離婚理由を述べることができず、これまでの積み重ねだなどと抽象的な理由しか述べられない。)のパターンでした。

初めは、夫もありもしないDVとか精神的虐待だとか言われて戸惑っていたのですが、もしかしたら自分にも原因があるのではないかと内省を深められていました。

私は「素晴らしい。」を連発するだけで、大体事足りていました。その他には、こういう事象は現在増えていること、
・ どちらが良い、どちらが悪いという問題提起は解決を導かない不毛な問題提起であること
・ どんな状況でも家族だから、家族全体が今より幸せになるためにはどうしたらよいかという視点で考えること
・ 原因のない不安、あるいは考えても仕方がないストレスを、一番頼りにしている人に解決してほしいと思っているから、解決できない不安を一番頼りにしているあなたを攻撃するという形で解消しようとしている
・ だから、妻の不安を解消するということを第一に考えること
等という一般論を述べて相談を終わりました。

おそらく、彼は、対立的な不毛な論議をしないで、家族全体の利益を言い続けることができ、離婚調停も暖簾に腕押し作戦で、案外うまくいくかもしれません。

思い込みDVの場合は、家族再生が可能であるはずなのですが、うまくいかないことも多いです。特に妻側の不安が病的な状態まで高まっていると、面会交流さえも困難になります。病的な状態とは、調停でも話し合いにならず、感情むき出しで泣き叫ぶような場合が典型ですが、調停委員も辟易してしまう場合が少数ながらあります。

それでも、最近は、別居親である夫にも多少問題があると思われる事例でも、面会交流自体は実施されることが多くなっています。
そして、少しずつ面会交流の時間と自由度が上がっていくことがむしろ多数派になっているようです。

面会交流ができる場合は、上述の4つの・を実践する場合ということになります。これができない場合でも、東北地方は、同居親の代理人も子の利益を考えて面会交流を積極的に本人に提案し、むしろ同居親の代理人が面会交流に立ち会って実施を実現するという場合も増えてきているようです。これは、ラッキーな場合、他力本願的な場合ですので、四角四面な代理人が同居親についている場合でも、代理人を飛ばして本人に働きかけていくことで面会交流を実現していただきたいものです。

さて、おそらく一番問題となるのは、どういう場合が4つの中黒と正反対の行動をしているということになるのかということがわかりにくいということになると思います。

これから説明することは面会交流が実現し、徐々に拡充していくための、これまでの実務上見られた傾向についてのお話です。私の道徳的価値観を示したものではなく、あくまでもこのような行動をするとうまくいくことが多いということを示している実務的な報告です。

うまくいかない典型的な場合は
正義感を全開にしている場合です。

連れ去った方が違法であり、誘拐だ。だから会わせるべきだ。
ということを相手方、裁判所、あるいは自分の代理人に強く主張する人です。

どうしてこれがだめかと言うと
正義感を主張するとどうしても攻撃的感情を伴います。被害感情も当然あるので、さらに攻撃的感情は募ってしまいます。そうすると
調停委員などは、このような感情的な人を子どもたちに会わせても良いものか、無事に終わるのだろうか、何か良からぬことが起きるのではないだろうか
と勝手に思ってしまいます。

だから面会交流を断念しろとは言わないでしょうが、例えばあと一歩のところの説得をしないとか、短い時間の面会交流で我慢するべきだとか、極めて実務的な問題が生じてしまいます。

また、少しの譲歩で多くのリターンが取れる場合なども、正義感が勝ってしまい駆け引きができないとか、一度決まった面会の条件を拡大していくというような融通が利く対応ができない、あるいは100%望み通りでないと合意しないために、結局面会が実現しないということが起きてしまう可能性が高いからです。

そして面会の調停と離婚の調停が並行している場合が多いと思うのですが、そのような硬直な態度、相手を許さない態度というものが、実は連れ去りという被害を受けたために起きた精神的変化であることが多いのですが、事情を知らない調停委員からは、同居中も同じような態度で妻を心理的に圧迫していたのだろうと思われてしまうという決定的な問題もあります。

自分は正義感や被害意識が前面に出ていないと思われる方も、人間はこのような理不尽な思いをしたときに、正義感や被害意識に基づく感情が優位になるものだと思い、くれぐれもそう思われない言動を心掛けるべきです。

中にはそれでも自分は間違っていないということを主張し、態度を改めない方もいらっしゃいます。おそらく裁判所は、法に基づいて自分に有利な判断をするはずだという根拠のない誤解と言いますか、あくまでそうあってほしいという希望を抱いているのだと思います。そうではないことは、これまでの同種事例でサンプルが山ほどあるので、幻想を捨てて結果を出す行動をするべきだと私は思います。

また、被害意識があると、自分を守ろうとしてしまいます。思い込みDVの連れ去り妻の方も基本は不安、被害感情があり、子どもの利益などを考えずに、自分だけを守ろうとしているわけです。
これが別居親の方も、似たような行動をする場合があります。「自分が子どもに会いたい」ということは当然ですが、裁判では「子どもを親である自分に会わせるべきだ」という言い方が説得力を持つわけです。被害意識があると、全く行動原理が連れ去り妻と同じになってしまいます。これでは、第三者機関はこちらの見方をしてくれません。現状維持を打破しようとする景気が生まれないのです。

子ども利益を考え、同居親の不利益を最小限にして、家族全体の利益を考えるという視点で提案をしていくことが最も効果的な提案です。

思い込みDVの場合は、法的には別居夫に違法性や責任が無い場合がほとんどと言ってよいでしょう。だから、同居妻が自分を攻撃してくることにはただ腹が立ったり、困惑をしたりするわけです。しかし、本当は自分の精神不安や焦燥感は一番頼りにしていた夫に解決してもらいたいと思っていることも圧倒的多数です。精神科医でもカウンセラーでもない夫が妻を安心させることは至難の技だと思うことが通常だと思います。

しかし、愛する人(当時)の不安を少しでも取り除こうとしなかったというところに、内省を深めて、それを相手に示すということができれば、連れ去り妻も少しは安心してくるわけです。生き方の問題なのでどうしろこうしろとは言えませんが、現実問題として、相手を責めてばかりいないで、相手の不安を理解しようとすることが面会交流を実現して、拡充していくポイントになっています。それを本人ができなくても、代理人がそれを示し、本人がその提案に後から納得するという形も当然ありです。

思い込みDVは、夫に原因があるよりも、妻の体調面などからの理由のない不安が根本原因となっています。しかし、家族である以上、家族の不安や苦しみは少しでも緩和させてあげたいと思うものではないでしょうか。「自分は悪くない。」というところで頑張っていないで、不安を少しでも解消してあげることが後々良い効果を生むわけです。
これまでくどくどとこのブログで言ってきましたが、まとめると
・ 尊敬、尊重を示す
・ 感謝を示す
・ 謝罪をこまめに示す
ということです。肝心なことは尊敬の気持ち、感謝の気持ち、謝罪の気持ちではなく、言葉であり動作だということです。少年の心に固執せずに、一歩上からふるまうということになろうかと思います。
わざとらしいとか空々しいなどということは気にすることではありません。

特に感謝ができない人が目につきます。
極端な事例としては、同居妻を説得してくれて面会を実現してくれる相手方代理人に感謝できない人は、面会交流が実現しても継続しないことが多いようです。調停や裁判の中で嫌なことを言われるとか、あなた以上に正義感の塊で頓珍漢なふるまいをしている場合も確かにあります。また、どちらかと言えば、あなたの利益のために面会交流を実現するというよりも、それは連れ去り妻の利益を考えていることは当然です。それより、子どもをもう一人の親の愛情を実感してもらうというために、つまりあなたのお子さんのために面会交流を実現させようとしている人に対して、親として感謝を示せないということは深刻な状態だと思って間違いがないです。

ただ、被害感情が高まりすぎると、自分のために他人が行動をすることが当たり前だという気持ちになることがあるようです。
くれぐれもご注意ください。



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