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不安と高齢者の万引き 不可解な犯行動機の背景としての不安(孤立) 「ストレス解放のための万引き・むしゃくしゃしてやった万引き」とは突き詰めるとどういうことなのか 不安シリーズ4 [進化心理学、生理学、対人関係学]



万引きという犯罪類型が、実はその動機などについてなかなか解明しがたい類型であるということについて、このブログで何度も取り上げています。特に高齢者の万引きについては、不可解なものが多いので、情状弁護にも苦労します。もし、それなりに理由がはっきりして、対策が立てられて、対策の確実性がそれなりに証明されれば、何よりもご本人が二度と万引きをしないで済みますし、有利な量刑になるとか、再度の執行猶予がつくこともあるので、弁護士としても本当はやりがいのある分野なのです。一般的な予防にも役に立てることでしょう。

特にこれまで犯罪の経験がなく、普通に生活している人が行う犯罪ということもあり、社会復帰もしやすいのです。しかし、原因がはっきりせず、有効な対策が立てられない場合に、何度でも繰り返す犯罪という特徴もあり、懲役刑まで行き着くことになります。弁護士が果たすべき役割というものも本当は大きい犯罪類型だと私は思っています。

第1回の万引き事案こそ、十分に経験のある弁護士を探し出して、根本的解決を図らなくてはならないと私は思っています。

再犯防止の手立てを講じるという観点から高齢者の万引きを見ると、これほどやっかいなことはありません。

先ず、きちんと窃盗は悪いことだし、万引きも窃盗であるという自覚があります。
犯罪歴もなく、まっとうな暮らしをしていて、それなりに社会的役割を果たしている方々です。
その商品を万引きしなくてはならないほど経済的に圧迫されているわけでもありません。
多くは、まじめで、責任感が強く、そして働き者です。ある程度の年配の方でダブルワークをしていた人もいました。

では「なぜ万引きを止められなかったのか。」
ここがよくわかりません。ご自分でもよくわかりません。

これまでのこのブログで述べてきた研究の通り、孤立というワードが当てはまるケースはとても多いです。しかし、「孤立だとどうして万引きをするのか」については実際はよくわかりません。しかし、そのメカニズムがわからなくても、弁護士の仕事として、家族に頑張ってもらい、あるいは本人が考えを改めてもらい、孤立を解消する中で再度の万引きを行わないということをある程度成功してきました。再犯防止の対策としてはそれでよいようです。

ただ、孤立とは必ずしも言えない客観的人間関係の中で、一人で問題を抱え込んでいたという例もありました。何でもかんでも孤立に結び付ける必要はないのですが、「ある意味の孤立」を感じていたととらえて、家族のきずなをもっと強く感じてもらう方法をとりうまくいったという事例もありました。

その言葉が文字通りしっくりくるかどうか自信が無いのですが、そこに不安という概念、不安解消行動という原理を絡ませてみるとヒントになるかもしれないと思いました。

考えてみると、対人関係学の立場では、「孤立」と「不安」は同じことでした。つまり、「人間は群れを作って仲間の中で暮らしたいという根源的要求」を持っていて、これが満たされない場合、つまり「孤立している場合」と、「いずれ群れから離脱させられてしまうのではないかという不安」を感じる場合に、群れに入ろうとしたり、自分の行動を修正して群れにとどまろうとするということを提唱していたのでした。最初の群れを形成したい生き物だと言い始めたのは認知心理学者のバウ・マイスターです。

そうだとすれば、「孤立しているとき」も、「群れの仲間から低評価を受けて離脱の不安を感じているとき」も、根本は同じ不安を感じていて、不安を解消しようと強く願い、不安を解消する行動をとって不安を解消するという流れは同じであるはずです。そして、不安を解消する手段が無ければ、つまり孤立を解消する手段が無ければ、(それを感じ続けることが人間はできない、耐えられないのだから、)「それを感じないようにしようとする」ほかないわけです。誰か八つ当たりができる相手がいたら攻撃をすることによって、不安をしばしば感じなくするということができますが、そういう相手もいないから孤立や不安を感じるのでしょう。

また、不安や孤立を感じ続けると、「思考力が低下」してしまいます。複雑な思考ができなくなります。物事を二者択一的に考えたり、他人の気持ちに共感をできなくなったり、あるいは将来的な見通しを持ちにくくなったりするようです。今さえよければ、後先考えずに不安を感じにくくなれればそれでいいというような刹那的な考えでの行動をしたり、自分の行動を制御できなくなったりするという特徴が表れてきます。そして、合理的な解決ができないだろうという悲観的な考えが支配的になるようです。

この考えを二つに分けると、一つは不安や孤立を感じない状態を作りたいという志向性の問題と、もう一つは不安や孤立の持続による思考力の低下と分けられると思います。これまでどちらかというと後者を重視してものを考えていたような気がしますが、前者も影響を与えているのかもしれません。考えてみましょう。

考える補助線として、万引きをまさにしている状態では、完全に思考力は低下しています。不思議な話ですが、警備員などに見つからないようにしようという気持ちはあるのですが、表情や動作があからさまに不審で、顔にこれから万引きするよと書いているようなものであることが多いです(警察の捜査による証拠から)。当然見つかったらどうしようなんて先のことは考えていません。万引きをして換金して生活するという職業的な万引きはまた違うのですが、高齢者の万引きの場合は、初めて舞台に上がり満員のお客さんから見られている俳優のようにカーっと舞い上がった状態で、そのものを盗るということしか考えられなくなっているようです。そして、途中でやっぱりやめようというきっかけが入りにくい精神状態のようなのです。

そして、孤立や不安が持続しているからと言って、必ずしもしょっちゅう万引きをしているわけではありません。何かスイッチが入ってしまうと、静かな錯乱状態のような心理状態になって万引をしてしまうわけです。どこにそのスイッチがあるかということが一番知りたいことなのです。

そして、自分がやっていることが窃盗という悪いことであり、人に迷惑をかけることであり、発覚すると逮捕されて刑務所に入れられる可能性のある重大なことで、本来思いとどまらなければならないことだということがわかっていながら、それらの理解が犯罪を思いとどまるために役に立たなくなってしまうということなのです。

また、決して何らかの精神疾患があるわけではなく、普段は日常行動を自分でコントロールして平穏に暮らしている一般の人なのです。

背景として孤立や不安を解消する、これが原動力の一つになっていることは間違いないので、根本的な対策としてはこれがあることは間違いなさそうです。しかし、これ等の原動力があっても、万引きに踏み切る引き金がどこにあるのか。

もう一つの補助線としては、商品を見てとっさに万引きを思いつくというよりは、少し前の段階から万引きのことが頭に浮かんでいることが多いようだということです。一番早いケースでは、家を出るときに万引きをしようというアイデアがあったというケースでした。このケースは、万引きがすでに繰り返されていたケースで、それまではたまたま発覚しなかったケースのようです。

多くは店に入るころに万引きを漠然と考えていたということのようでした。

一つの可能性としては、一度、結果として万引きをしてしまったということの記憶が悪さをしている可能性があると思います。つまり、万引きなど考えもしないで普通に買い物をしたつもりだったのに、うっかり買い物かごにレジを通さない商品があったという場合です。故意が無くて商品を手にしたのですから、窃盗は成立しませんが、返しに行くにも万引きを疑われそうだと思い、そのまま返さないという体験をしたとします。ずぼらな人であれば、いつしかそれを忘れてしまうのですが、まじめで責任感が強い人であると、悪いことをした、不道徳なことをした、違法なことをしたということで、事後的であっても強い緊張感に襲われるようです。その時、慢性的な不安の原因である、家族が死ぬなり独立するなりしていて孤立である自分の不遇に対する孤立感、不安感を忘れてしまったという体験があり、元々の嫌な不安を解消したということを学習してしまう可能性がありそうです。不安解消行動は合理的な行動ではなく、これまで見てきたように、アルコールの過量摂取をしたり、冷静に考えた場合はとても信じることができない宗教を信じてしまったり、突拍子もない行動を行い、そして繰り返してしまうというところに特徴がありました。元々の不安を忘れることができたという学習は、同じことを繰り返す要因になるとしても不思議ではないように私は感じました。

もう一つは、仮想万引きです。もしここで私がこの商品を万引きしたらこっぴどく叱られるかもしれない、しかし見つからないで万引きできるかもしれないという奇妙な緊張感を感じたときに、これまでの背景的な不安、孤立感を忘れるという解放感を感じるという可能性があるように思います。

よく警察官が作成した事情聴取報告書には、ストレス解放のためとか、モヤモヤしている気分を晴らすために万引きをしたという表現が記載されています。私は、これは、マニュアル通りの表現なのだろうとにらんでいたのですが、もしかしたら万引き行為者の中には自分の深層心理を分析して比較的正しく表現していたのかもしれません。要するに背景としての孤立、不安という持続的かつ慢性的なストレスこそが、解消要求を募らせている対象であり、その背景的なストレスさえ解消できれば、その手段は何でもよいという心理になっているのであれば、ストレスを「万引きという犯罪を行っている緊張感」を持つことによって感じなくさせるということがありうるのかもしれないということです。要するにそれだけ、慢性的持続的に孤立感や不安が積もり積もっているということなのかもしれません。

「ゲーム感覚」という言葉もよくつかわれます。ゲーム感覚というと軽く聞こえてしまいますが、こういう問題だとすると結構闇が深い問題なのです。冷静に考えれば、その人は人生をかけてゲームをしているわけです。かなり、その人の人生が、その人の中で安っぽく、薄っぺらいものとして扱われているとは言えないでしょうか。

従って、万引きをする場合は、それが悪いことだということがわからなくなってやってしまうというのではなく、悪いことだ犯罪だやってはいけないことだとわかっていることだからこそその行為の時に強烈なストレス負荷がかかって、逆に背景的な孤立や不安を感じなくすることができるのだということになるのかもしれません。

本来、このタイプの万引きは、厳密に言うと自由意思で行っているわけではないとは思います。不安解消、孤立解消、慢性的持続的ストレス解消で、人間としてはそれを避けることを止めることができない事情があると思っています。しかし、店側には何の責任もないことです。犯罪が成立しないということは刑事政策的にはできないことです。だから、万引きは、初回に、必ず背景となる不安を突き止めて、合理的に背景つぶしをしなければなりません。本来的にまじめな人たちに、自分の行った万引き行為によって経済的にも精神的にも多大な損害を与える具体的な人間がいるということを理解してもらうことが必要なことなのです。

万引きの背景的な不安や孤立感、その他の持続的なストレス要因が解決されなければ、一度やってしまって不安解消を楽手してしまった以上万引きは繰り返されやすくなっています。万引きが繰り返される事情も、不安解消に伴う依存的な要因があると、この意味で言えると思います。くれぐれも、もう大丈夫だろうという安易な見通しを持たないことが何よりも大切です。

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