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形を変えて生き続ける優生保護思想、精神的不安定な女性に対する差別 母子分離よりも支援こそが必要なのではないか。平成元年から令和2年で40倍に増加する親子分離(児童福祉法28条)申立 [家事]



現在、各地で旧優生保護法によって不妊手術をされた人たちが国を相手取って裁判を起こしています。

旧名称優生保護法は、現在は母体保護法と名称が変更されています。旧優生保護法には統合失調症や躁うつ病をはじめとして障害のある方に同意なしに不妊手術ができる制度が盛り込まれていました。この制度は1996年まで存続していました。

優生思想というのは、人間を優秀な人間とそうではない人間と区分して優秀だと評価した人間の遺伝子だけを残すようにしようとするものです。否定的に評価した人の遺伝子を有する人間については、子孫を作らせないということです。
優生思想は、優秀だと評価された人間は人間らしく生きることが許され、劣等だと評価された人間は人間らしく生きることを否定されることだという言い方もできると思います。

旧優生保護法の不同意不妊手術については、否定的価値評価が確定していると言ってもよいでしょう。人権侵害であることを疑う声は聞こえてきません。裁判で負ける場合は古い話だからいまさら権利を主張できないという時効制度のためであるようです。

しかし、命にはかかわらないけれども、精神疾患があるとか精神不安定な人が、人間らしく生きることを否定されるということは続いているのではないかということを、弁護士をしていると感じることがあります。しかも、その人間否定をしているのが地方公共団体や裁判所であり、それが急激に拡大されており、今後もさらに拡大していくのではないかということについてお話しさせてください。

実の親から子どもを分離して、養護施設や里親に委託して育てさせるということが、児童相談所所長の申し立てと家庭裁判所の承認によって可能となる、児童福祉法28条(1項)申立というものがあります。
子どもが18歳になるまで(高校卒業まで)親子の面会すらできない場合も多く、諸事情によって親子が二度と会えなくなる危険もあります。少なくとも何年も親子として一緒に暮らせない状態が生まれます。

もちろん、親にとって、我が子と一緒に暮らせないどころか、会いたくても会えないということになるのですから、生きながら地獄を見るようなものです。実際に精神に異常をきたす事例もあります。

子どもにとっても、悪い影響が生まれます。なぜならならば、自分の親が
子どもを育てる能力が無い人間だ
子どもがこの親といたらだめになる
と、公的機関によって評価されたということにいずれ気が付くことになるからです。

そのような評価をされた子どもも一時はそんな親は自分とは違う人間だと、親を否定して合理化をするかもしれません。しかし、時期が来て自分とは何だろうと考え出す思春期後半ころからは、自分はそのように否定評価をされた親の子どもだというふうに受け止めてしまい、また自分は実の親を否定し軽蔑したのだと思い、混乱してしまう可能性があります。親が面会すらもあきらめてしまえば、自分は親から見放された人間だと思うかもしれません。いずれにしても、自己評価の低下等の発達上の負の問題が生じかねないことは間違いありません。

もちろん、そのような負の事情を考慮してもなお、親から子どもを離さなければならない場合もあります。親から虐待やネグレクトで命を奪われる可能性の高い場合や一生消えない屈辱感や疎外を受け続けているような場合は、放っておけば命が無くなるし、取り返しのつかない人格形成がなされてしまいますから、親子分離に伴う自己評価が低下するどころの問題でもなくなるでしょう。

だから子どもを親から隔離する制度が必要な場面ももちろんあるわけです。

問題はどちらにしても子どもに深刻な問題が生じる可能性があるために、施設入所などの是非は、くれぐれも慎重に判断するべきだということです。

実際にこれまでの判例からは、非道ともいえるような恐ろしい虐待事例、人間扱いをしていないというような事例に対して施設入所を承認した例も多くある一方、多少の虐待が認められ、親から引き離して施設入所した方が快適(今よりはまし)かもしれないという事例でも、引き離すことによって生じる子どもへのマイナス影響を考慮して承認をしなかった裁判例も少なくありません。

これまでの判例は、引き離すメリットとデメリット双方をきちんと悩んで決断してきたということがうかがわれるのです。ところが、近年これらが疑われる事情が統計上からもみえてきています。

司法統計によると、施設入所などの児童相談所長の申し立ては、平成元年は1年間に14件でした。年々徐々に増加して平成29年には288件になっているのです。平成30年には目黒事件が、平成31年には野田事件が起きています。申立件数も平成30年は379件、令和元年493件、令和2年481件と、平成元年の40倍に達しています。

ちなみにこの申立は、昭和30年は6件、昭和40年は9件、昭和50年は22件、昭和60年は36件でした。

申立件数ではなく、裁判所が1年間に何らかの形で事件を終局(認容、棄却、取り下げ等)した件数は以下の通りです。前年に申し立てられて、翌年終局すると、翌年のカウントになりますので、申立件数を超えて認容することがあり得ます。
平成元年は、終局10件、うち認容3件 認容率30% つまり7件は棄却ないし取り下げなどで褶曲したということです。
平成7年は、終局43件、認容18件 認容率42%
平成8年から平成17年の10年間は認容率が概ね7割を維持し、
平成17年の終局195件、認容141件と事件数の増加傾向が見られます。

平成18年 終局205件認容170件で、認容率83%
認容率80%越えは平成24年まで続き
平成24年 終局295件、認容244件 認容率83%となります。

その後は認容率が概ね70%台となりますが件数が増加します。
平成30年 終局347件 認容266件 認容率77%
平成31年 終局434件 認容338件 認容率78%
令和2年  終局531件 認容398件 認容率75%

どうしてこんなに右肩上がりで、親子引き離しの28条1項申立が増加し、認容件数も増加していったのでしょう。これだけの数の親子が地方自治体と裁判所によって分離させられており、さらに増加の傾向がみられるのです。

あくまでも感覚的なことなのですが、わたしには虐待事例が増えたというわけではないような気がしているのです。明白な虐待例、攻撃的虐待例として、目黒事件や野田事件があるにしても、平成元年から比べても40倍に増える理由も思い当たらないのです。

ここから先は、統計的な資料が無く、私の担当事件、相談事例等、私が知りえた事情から考えたいわば主観的な分析ですので、ご注意願います。

それではどういう理由で、児童相談所による親子分離の申立件数が増え、認容件数も増えて行ったのでしょうか。
私は、一つには、法律上の文言が変わらないのに、親の子に対する扱いについての評価が、ここ30年くらいで急激に変わったのではないかとにらんでいます。
つまり、それまでは子どもの福祉を著しく害するとは思えなかったことが、著しく害すると評価するように変わったということです。

・ 先ず、これまで以上に何らかの児童虐待対処政策をすることが必要であるという認識が確立し、それは親子分離であると直結して考えられている。またこれは行政サービスなので、多く行えば行うほど自治体が仕事をしている、児童虐待に取り組んでいるという評価を受けるようになっている。
・ このため、児童の福祉を害する危険があれば、法律の必要とする「著しく」害する危険が無いと判断されてきたケースであっても親子分離が可能であれば親子分離を行うべきだということになる。認容されない申立てをしても非難されるだけだから、認容されるようしなくてはならない。
・ その結果、子どもが親から分離されることのデメリットを考慮しなくなった。否定的側面ばかりをクローズアップしていく。
・ どんな事情でも、最悪の危険に結び付けて評価されるようになった。例えば、半日子育てを放棄してスマホを見ていても、数日間子どもに食事をさせないで餓死する危険があるネグレクトであると評価され、ネグレクトは命の危険があると短絡して評価する。

こういう大きな流れがあるように感じられるのです。
そして、最悪の危険に結び付けて考えられる典型が精神疾患であり、その精神疾患の危険な行動としてはネグレクトが使われるようです。

実際の相談例や担当例では、うつ病等による易疲労や意欲低下によって、部屋の片付けができない状態をとらえて、不衛生、栄養不足として、ネグレクトだから児童虐待だといわれたという事例が多いような気がしています。

これをお読みの方の中には、子どもが栄養面や衛生面でよくない状態にあるならば、施設などに預けた方が良いのではないかというご感想を持たれる方はいらっしゃると思います。

ただ、少し考えていただきたいのは、もしこれが精神疾患ではなく、難病や事故によって、身の回りのことが十分にできなくなったのだとすればどうでしょうか。それでも、子どもを親から分離して施設に預けるべきだという考えもありうるかもしれません。ただ一番重要な視点は、必ずしも施設に預けるか預けないかという二者択一ではないということです。例えば、親御さんの障害の程度によっては、介護サービスなどがあれば、親子分離までは必要が無いという場合もありうるのだと思うのです。子どもにとって親子分離は否定的影響が生じる可能性があるのにそれが考量されていないということは、子の福祉のための親子分離ではなく別の意図があることになってしまいます。

そもそも精神疾患というのは程度のある概念です。精神疾患の診断名が付けられても、会社に言って仕事をして家庭生活を営むことができる人から、放っておくと危険な状態になるからきちんと管理をしなければならない人等、その中間的な人々、実に様々です。また、本当の病気というよりは、出産後のホルモンバランスの変化によって、症状が一時的に講じている人もいます。
しかし、多少埃っぽい部屋だけどいるだけで病気になるほどではないという場合もネグレクト、精神障害として扱われるようです。

ひとたび精神疾患となれば、子どもを育てることができない
というわけでは決してありません。

 それにもかかわらず、立派な家事をしていない ⇒ ネグレクトがある。
⇒ ネグレクトは子どもの命が奪われる可能性がある。
⇒ ネグレクトをしている親は精神疾患の診断を受けたことがある。
⇒ 精神疾患者はネグレクトによって子どもの命を奪う危険がある。

こういう跳躍した発想をしているように思われるのです。

 もし同じことをしていても、同じ程度に家の片づけや掃除をしていなくても、その親に精神疾患の診断が無ければおよそ親子分離などが申し立てられる恐れはないでしょう。

 そうだとすると、親子分離をするべきだという理由の核心は、端的に「およそ精神疾患の人は、子育てができない。させるべきではない。」という差別があるのではないでしょうか。おそらくそういう流れの思考の人は、自分が障害者差別をしているという自覚は無いのだと思います。ただ、親子分離の件数を増やそうとしている人たちがいるとすれば、対象の親に精神障害との診断が下されたことがあると施設入所となりやすいとホッとしてしまう人も中に入るのではないでしょうか。

そして裁判所も、もっともらしい理由を挙げて施設入所を承認していながら、内実はその人に精神疾患があるということだけから、親に危険性があると無意識に判断しているということは無いでしょうか。

 もし、優生保護思想による不妊手術は人権侵害で違法だけれど、精神疾患がある人の子育てに不具合があるならば子どもは産んでもよいけれど、子育てはさせない、子どもとは会わせないというのであれば、それは端的に障害者差別だと思います。優生保護思想の否定とは一貫した考えではないと思います。産まないことも産んでから取り上げられることもどちらも生き地獄だと思うからです。また、子どもは親だけが育てるものではなく、社会が子育てに参加するものだという視点が欠落しています。どのような保護、援助をするかという議論より先に、子を取り上げてしまうということならば、それは人間らしく生きることよりも行政効率を優先しているに外なりません。

 最近お釈迦様のこの言葉を良く引用するのですが、倒れることは人間にはつきものであるから人間の評価を左右しない。倒れても起き上がることができるかどうかが人間の価値を示しているということです。
 差別をしてしまうことは、無知が原因で無意識の感覚であることが多いですからある程度は仕方がないことなのだと思います。しかし、差別だと指摘を受けたら、行為を修正するということができることが人間としての価値なのだと私は思います。

 施設入所の申し立ては、審判構造が複雑ということもあります。
・ また申し立てから審判開始までが短い期間であるために弁護士を探そうという発想すら持てなくて、準備もできないで自分ひとりで審判を受ける場合が多いようです。
・ このため、事案の問題よりも審判の仕方がわからなくて裁判所の承認が下りるケースも多いのではないでしょうか。
・ このように、申立がそのまま特に検討されもせずに認容されてしまう状態が続くと、裁判官や調査官にも申立は認容されるものだという発想を持ってしまう人たちも多くなるのかもしれません。
・ そうするといざ弁護士が正論を主張しようとしても、初めから申立ては認容するものだという意識となってしまい、論理性もなく調査結果と関連性もない事実を理由に認容される傾向が、弁護士が代理人になっても止めようがなくなるかもしれません。
それでも、認容率が70%代を推移しているということは、一種の行政裁判でありながら、極めて低い認容率だということになります。また、一時期80%だった認容率が下がったということは、無茶な申し立てに裁判所が気が付いたということで矛盾しないように思われます。

但し、一部の調査官が、自分の職務を全うするからこそ、低い認容率となっているのです。実態からすれば、まだまだ高すぎる認容率ではないかということが実務的感想です。

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