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夫婦間紛争に見る同居中の夫婦の典型的な行き違い 1 買い物編 [家事]


離婚事件など夫婦間紛争によく表れる男女の行き違いについて紹介します。少し極端にして説明しています。女性だから、男性だから必ずこうなるというものではありません。どちらが正しいとか優れているという話ではないことも読めばお分かりになると思います。双方が相手の行動にイラっときたときに、「もしかしてこういうことかもしれない」と理解して、暖かく見守ることができればという思いで書いています。

1 買い物編
<夫の不満>
 妻は、店に行くと、無計画に入り口から店内を無駄にくまなく歩く。それほど必要でもないものを、「安くなっていたから」、「最後の一つだから」ということで買ってしまう。買った後で家での置く場所を考えない。食べ物を腐らせてしまう。また、本当に必要なものを買う時間、吟味する時間が無くなってしまう。入口の商品に目が行ってしまって、目的の売り場になかなかたどり着かない。どうしてさっさと買い物を済ませて次の場所に移動できないのだろう。段取りができない。

<夫の不満の理由>
 買い物というのは、ある商品、あるいは、用途に適した商品を買う行為である。何か他の物を見ることをしてはならないとは言わないが、先ず目的の商品を購入してから他の商品を見るならわかるが、あまりにも無計画に行動してしまう。これでは時間を無駄にするし、計画の無かったものを買ってしまうとお金も無駄になってしまう。何よりも目的の商品を選ぶ時間が少なくなってしまい、何のためにわざわざ店まで来たのかわからなくなる。

<夫がこういうことを言うときの妻の反応>

おそらくですけれど、妻たちは、頭では夫の主張はわかるのですが、決してその通りにしようとは思わないでしょう。

「言っていることはわかるけれど、賛成はできない。」

という態度を示されることが多いのではないでしょうか。典型的な男女の行動目的の違いが表れているところだと思います。

男性は商品の購入という結果に向かって行動しているのですが、極端に言えば女性は店内を見て回るということ自体に楽しみを見出しているようです。言い方を変えたら、男性はその店にいることはそれほど楽しいわけではなく必要があるからその店にいるということになります。女性はその店にいる時間自体も楽しもうという傾向があるようです。いろいろな商品があるのを見ること、お得な商品を手に入れてお得な気分になりたいこと、商品を見ながらあれこれ評価したいこと等、その時間を楽しもうとしているようです。だから、せっかくこのように楽しいところに来たのに、どうして機械的な行動をしなくてはならないのか夫の主張が不思議でなりません。せっかちな人だ、心の余裕のない人だということになりそうです。

買いすぎたり、いらないものを買ったとしても、全く使えないようなガラクタ(夫の趣味に使う高価なグッズ)を買ったりしているわけではないですから、自分の行動がそれほど悪いことだとは思っていないようです。買いすぎて野菜などがダメになったとしても、経費の範囲であり、仕方のないことだくらいに考えているようです。つまり、商品は無駄だが、買った行為自体は、レジャーだとかストレス発散だとか、役に立つ行為だったという評価になるようです。

子どもが生まれる前ならば、夫も見て見ぬふりをしたりしているのですが、子どもが生まれた後であると、子どもが腐ったもの、カビの生えたものを食べてしまう危険があって、妻の食品ロスにはますます不寛容になってしまうようです。

<一つの提案>
夫が、買い物の目的が商品購入が90%だと考えていても、妻が95%がその時間を楽しもうとしているならば、買い物がそういうものだと割り切ることが平和な家庭を作るコツかもしれません。旅行に行ったり、テーマパークに行ったり、スポーツや音楽の鑑賞をするよりも安くつくわけですから、多少無駄があってもプラマイで言えばプラスになると考えることもできるかもしれません。無駄を責めないで、当初の目的の買い物をすることを夫が忘れずにいて、「うん、そろそろあの商品を見に行かなくちゃね。」と優しく言えれば、しっかり者で頼りがいがあると言われるわけです。

それから不思議なことは、紛争になるご夫婦は、買い物中一緒に行動する確率が高いようです。時間を決めて別行動をするという約束をして、妻があれこれ品定めをしている間、夫がベンチでくつろいだり本を読んだりすると、そばで文句を言われるよりは、妻は心行くまで品定めを楽しむことができるから、双方ストレスにならないということもあるようです。「楽しかった」と妻が言えば、「それはよかったね」と言っておけば円満な家庭が実現するわけです。

また、程度の問題はありますが、賞味期限切れの食材は、多くのご家庭で発生してしまいます。確かに無駄です。しかし、それは必要悪ないし経費として考えるべきなのでしょう。「こういうことあるよね」と言って双方が感情的にならず、静かにゴミ箱に入れることと、目くじらを立てて無駄になったことをなじることで、どちらが将来の無駄の再発を防止できるでしょうか。おそらく、無駄を出した責任が妻にあり今後このような無駄を作るなというよりも、優しく処理した方が、将来に向けての無駄は防止できるのではないでしょうか。「改善アドバイスのパラドクス」という感じでしょうか。こうするべきだからこうしろとアドバイスするよりも、「わたしたち」が無駄を作ったから、寂しく捨てるほうが、無駄を作らないモチベーションが上がるということです。改善提案は、妻に限らず、結論を押し付ける指図であるように受け止められることが多いので、それ自体がストレスになってしまいます。肝心の「何をするべきか」ということが記憶に定着しないという副作用を起こしがちです。だから、改善をアドバイスをした方が改善が進まないという矛盾が生まれるわけです。


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