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労災実務上の疑問 パワハラ環境で頑張って長期間仕事を続けた挙句力尽きてうつ病を発症した方が労災になりにくいというのは不合理ではないか [労災事件]



医学の問題ではないのです。賠償学というか労災実務の問題です。

メンタルの労災の場合、労災(公務災害)認定がなされるためには、原則として
1 発症前6か月間にストレスフルの出来事があること
2 その出来事がそれ一つだけで一定水準を超えた強度があること
が必要とされています。

1の結果、1年前におきた水準を超えた出来事や、出来事や3年前から続く出来事があっても、労災にはならないことが多いのです。どういう理屈かというと、そのストレスの原因が半年以上続いているのに精神疾患を発症しないならば、それは精神疾患を発症させるような強いストレッサーではないというのです。

2の結果、それ自体が水準を超えた出来事ではないとしても、執拗に繰り返されても、なかなか労災認定されないということも起きてしまいます。例えば、部署全体の中で、その人以外はみんな打ち解けて気軽に話しているのに、その人にだけはよそよそしく他人行儀な扱いをして、ときどき嫌味が言われるというような場合も精神的に病んでも労災にはなりにくいのです。

でも、「ハラスメント」という言葉は、「小さな攻撃を執拗に繰り返すこと」という意味なのです。そして、実際に職場の問題で精神的に大きなダメージを受けるのは、このようにそれ一つ一つは水準を超えない仲間外れ等の継続ではないでしょうか。パワーハラスメントという言葉は形容矛盾があります。本来ただの犯罪、侮辱罪、名誉棄損、脅迫罪、恐喝罪、場合によれば暴行傷害罪で、ハラスメントとは言わないものです。この結果、日本の労災実務では、正確な意味でのハラスメントは労災認定の対象外となりかねない事態となっています。

さて、1の問題に戻りましょう。

聴覚障害のある方で、上司から再三にわたり、聞こえないことを言い訳にするなというような扱いを受け続けました。その結果うつ病を発症したのですが、うつ病のためにすぐに労災申請をすることができず、発症から数年後にようやく災害申請をしました。時間が経過していたことと、日常業務においてパワハラの記録や録音を録ってなかったため、いつどういうことを言われたか、どういう扱いを受けたかという詳細ははっきりしなくなっていました。でも、その上司は、自分が何回かそういうことを言ったし、そういう扱いをした、また聴覚障害のことを知らなかったためまじめに仕事をしていないだけだと思って気合を入れた(強く叱責した)ということを認めているのです。

敵意とハラスメントの存在自体は認めていることになります。

ところが、裁判所は、その上司と同じ職場にいたのが4年間であること、いつどういうことを言われたか証拠がないために、4年という長い期間の中で起きたと扱うしかない。だからそれほど頻繁に障害を理由に注意をしたわけではないということで、うつ病になるほどの強い水準のある嫌がらせとは言えないと認定してしまいました。

事件から10年以上を経て裁判になったのですが、私は聴覚障害の方と時間をかけてじっくり話し込んで、直接ではないけれど客観的な状況証拠があるということで、それは8カ月の中で起きたことだと証明したつもりでしたが、その信ぴょう性については言及されないまま否定だけがされました。

しかし、4年間そういうことが続いたとしたら「どうなのよ」ということを考えてみました。

4年間、本当は聴覚障害のために本当に聞こえなかったし、聞こえなかったことにさえも気が付かなかったのに、やる気がないと思われて叱責され続けたのです。

これはかなりきついことではないでしょうか。

本人は、どうして自分が叱責されるのかわからないために、自分の脳に欠陥があるのではないかと思い、MRI検査を受けに行ったり、知能検査まで受けていたようです。検査の結果は何も問題はありませんでした。彼は聴覚に障害があっただけでした。そもそも自分が悪いから上司から叱責されるというのは「自責の念」であり、うつ病の症状ととらえるべきだったのかもしれません。とにかく叱責から逃れるために方法を模索して、万策尽きて自分が悪いからだということで自分を納得させようとしていたわけです。自分が悪いということで、「原因はある。理由なく叱責されているわけではない。だから解決方法があるのだ。」ということを無意識に感じようとして、絶望から自分を守ろうとするようです。これは、幼児にもよく見られる防衛機制です。

そこまで追い込まれたことには間違いないと思うのです。また、「自責の念」も叱責に対する対応、防衛機制として起きているのですから、ストレッサーは上司の叱責であったことも間違いないと思います。また、上司は、引継ぎを受けていないので労働者の障害がどういうものかわからない。聞こえないふりをしていると思ったし、真面目に仕事をやっていないと思って注意したというのです。それでも、叱責の程度が頻繁とは認められないということで労災とは認められなかったのです。

私はこの上司の無知による叱責は、被害者に聴覚障害があることによって仕事がうまくできなかったことを叱責したのですから、本人にとって初めから不可能であることを否定評価したということになると考えています。知らなかったとはいえ、本人からすれば差別を受けていたという感情を持っていることになります。自分のできないことをできなかったために他の人間がいる職場の中で叱責されたという本人の視点が重要です。

また、この裁判は、上司に対して損害賠償を請求した裁判ではありません。仕事が原因でうつ病になったということから労働災害であると認定してほしいという裁判です。責任があるとすれば、障害者だとわかっていながら雇用した会社なのに、障害者が差別的な対応とられないための措置、障害の内容、程度についての共通理解を図るということを行わなかったということが一番の問題です。

私は差別をうけること自体が水準を超えた強度のあるストレスを受けたということになると思うのですが、裁判所は数年間で数度、馬鹿とか卑怯者とか、一度教えたことを理解しないのはまじめに仕事に取り組んでいないからだとか、(聞こえないために仕方がないのに)同じ間違いを繰り返すことは馬鹿と言われても仕方がない等と言われても、それほど水準を超えた強度のあるストレッサーにはならないというのです。

要するに裁判所や認定機関は、ストレッサーというのは一回限りの音に聞こえるもの、目に見えるものということでしか把握していないということです。しかし、音に聞こえる叱責や目に見える行動、表情だけがハラスメントではないということは働いている誰もが知っていることだと思います。

自分だけがしょっちゅう叱責されている。自分が何かすると嫌な顔をされる、舌打ちをされる。あるいは自分だけが存在に扱われて、職場のお荷物のように扱われるということ、仲間の輪に混ざらしてもらえないということが、とてもつらいことであることは多くの人たちが経験しているでしょう。

職場だけでなく、家庭であったり、学校であったり、地域であったり、ママ友であったり、色々なところで孤立している人がいるはずです。
そのことで精神的に大きなダメージが加わるということを真正面から認めなければ、現代日本はだめになるとさえ私は感じています。

しかし、この聴覚障害の方だけではなく、多くの叱責されている方は、自分が不合理に叱責されているということに最初は気が付きません。自分がパワハラを受けているということに気が付かないのです。同じように自分がDVを受けているとか、自分がいじめを受けているということに気が付きません。本能的に、人間は、人間関係から追放されないようにしようとしてしまうようです。このため理由がわからない攻撃を受けると、自分が悪いからではないかと自分の行動を修正しようとします。

パワハラを受けていることに気が付かない期間は、ただ苦しいだけです。そして何とか受け入れられるようにしようと努力をして希望を持ち続けていますから、何とか持ちこたえているようです。しかし、前回の記事でも述べたように、ある日ある時、自分が自分では解決できないことで責められているということに気が付き、持ちこたえることができなくなり精神疾患を発症するようです。

気が付いた時から、遡って、今まで受けていたことは業務上必要な指導ではなくて、単なる自分に対する攻撃だと、世界の色が変わってしまうそうです。一気に解決する方法がないことに気が付いて絶望に落ちるということらしいです。

だから気が付く前と気が付いた後では、上司がしている行為は代わりません。気が付く前の長い期間に強靭な精神力で持ちこたえた人は労災認定がされません。半年で持ちこたえることができなくなった人だけが労災認定される。

こんな不合理が現実に起きていると私は訴えたいのです。

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