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人間の欲求の階層 マズローの人間観によせて 2種類の欲求の様々な側面ではないかということ(「カウンセリングの話」シリーズ2) [進化心理学、生理学、対人関係学]



前回のY理論に対する疑問より早く疑問が大きくなっていったのがマズローの人間観です。疑問と言っても、マズロー以前はこのようなことを述べる人はいなかったわけですし、大きな功績であり、とても重要な学説であることは待合ありません。要するに、知名度のあるマズローの学説と比較することで自分の考えをわかりやすく伝えようとしているだけのことです。

さて
マズローの人間観とは、「人間は生まれながらにして、より成長しよう、自分の持てるものを最高に発揮しようという動機付けを持つ存在である」というものだそうです。

そして従来の心理学は、人間の足りないところや欠けたところの研究を中心に発達しており、人間に何が不足するとどんな風に障害が起きるのかということが主の関心事であった。その典型が精神分析であると主張し、

これからの心理学の研究課題として重要な側面は、人間がより成長しようとする存在であり人間存在そのものをもっと積極的に、可能性に身と他者として見ることである。
と平木先生はおっしゃっております。

さらに、マズローは人間の欲求は階層になっているとし
第1に、生理的欲求があり、性欲や飢え乾きを癒す欲求
これが満たされて
第2に、安全の欲求、保護されたい、雨風をしのぎたいという欲求が生まれ、
第3に、所属と愛の欲求が生まれ、集団に帰属したい、友情や愛を分かち合いたいとなり、
第4に、承認の欲求が生まれ、人から尊敬されて、自尊心を持ちたいと思い、
第5に、自己実現の要求がわき、可能性の実現、指名の達成という欲求が起きるとされています。

これまで私は、人間が自己実現を求める存在だというマズローの人間観には賛成していて、5つの欲求があることもその通りだけど階層の順番が違うのではないかという違和感を持っていた程度でした。

マズローの理論は実際のカウンセリングのベースになるもので、マズローの人間観も実際のカウンセリングをする場合を念頭に置いて論じられていて、その意味では優れたメリットを持つ考え方だと思います。その意味で反対をするわけではありません。価値観としても魅力がある考え方だとも思っています。

説明の便宜のために、人間の欲求の階層について対人関係学の意見から先にお話しします。

対人関係学は、マズローの5段階の関係は賛成できません。
対人関係学である人間の欲求(ニーズ)は、
1 身体生命の安全の欲求
2 対人関係的な安定帰属の欲求
の二つの柱の欲求を持つということです。

そして、マズローの言う各欲求は階層になっているのではなく、それぞれ1と2の内容、あるいは派生的欲求だということを主張しています。
1の身体生命の安全の欲求の内容がマズローの生理的欲求(第1段階)、安全の欲求(第2段階)
2の対人関係的な安定帰属の欲求の内容が、所属と愛の欲求(第3段階)、承認の欲求(第4段階)、自己実現の欲求(第5段階)だということです。

1の身体生命の安全の欲求は、人間に限らず、動物全般に見られる欲求です。動物として生きるということはこういうことだということです
2の対人関係的な安定帰属の欲求は、人間における群れ形成の方法というものであり、群れを作る動物に共通の点はありますが、やはり人間において特徴的な欲求と言ってよいと思います。

自分の群れに安心して帰属し続けたいという欲求があり、その状態が尊重されているということです。他者から尊敬されれば安定帰属が図られますし、友情や愛をわかちあえればそれ安定帰属をしている状態ともいえますし、安定帰属の保障にもなるでしょう。自尊心をもって生きることができるということは、実は群れに安定して帰属している自分の状態を感じているということに他ならないと考えています。また、自己実現についても、基本的には群れに安定的に帰属することを目的としています。

もっとも、私たちの意識としては、群れに安定して帰属したい、だから群れに役に立ちたいと考えているわけではありません。群れのために役に立ちたい、尊敬されたい、能力を発揮したいという心があったため、群れに帰属しようとする行動傾向が生まれ、人間が群れを形成し、生き延びてきたという関係にあるのだと思います。

この自己実現については、人間の個体それぞれの社会性によって意味合いが異なってくると思います。つまり、個体の社会性がせいぜい家族の範囲にとどまる場合は、自己実現と言っても家族との関係での自分の在り方にとどまるでしょう。個体の社会性が、家族を飛び越えて、社会や国家と自分の関係を意識づけて行けば、自己実現は社会的立場や国家的立場の実現、それほどの規模の何らかの発明や学問的到達、あるいはスポーツや芸能の到達ということを意識するようになるのだと思います。

文明が発達し、情報や交通が発展していく中で、この社会性を広げる圧力が強くなっていったように思われます。多くの人が社会的に成功をすることに価値を置くことに疑問を持たなくなったように思われます。私は最近このことに強く疑問を抱くようになりました。家内安全を第一目標に生きることの何が悪いのかということです。もっとも私が歳をとったということもあります。若いときは無鉄砲に社会性を広げていたようにも思われ、その反省の意味もあることは認めざるを得ません。

こう考えると、従来の心理学とマズローの言うこれからの心理学はそれほど違うものではないのではないかと感じてしまうわけです。人間のかけたところや過剰な環境に対する不適応を修正し、不安や焦燥感を解消し、自分の群れの中で尊重しあい相互に助け合い、安心して生活するということが、人間の目標であるべきであり、他者の援助の対象の範囲ということにはならないでしょうか。

社会性を広げた自己実現は、他者が誘導する話ではない
そう思っています。

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