SSブログ

カウンセリング技術を弁護士技術に応用する 相談者の何を理解するのか、どう理解するのか、行うべき共感とはどういうものか(「カウンセリングの話」シリーズ4) [進化心理学、生理学、対人関係学]


1 準拠枠(本当に言いたいこと)

カウンセリングは相手の本当に言いたいことを理解することから始まるそうです。しかし、他者の相談を受ける場合に、何が本当に言いたいことかを理解することはとても難しいことです。

相手の本当に言いたいことを理解することが難しくなる理由はいくつかあります。

ミスリードの理由の1は、相手の使う言葉の意味が自分の使う言葉の意味と同じではないということです。「悲しい」、「痛い」、「おかしい」という基本的な言葉であっても、相手の使っている内容と自分が使っている内容とは厳密に言えばだいぶ違うことがあります。

それにもかかわらず、相手の言葉と自分の言葉の字面が同じだからといって、相手は自分が使う言葉の意味で使っているのだと考えてしまうことは早とちりになってしまいます。

だから言葉だけをうのみにせずに、様々な話を聞きながら相手が本当に言いたいことをすり合わせていく作業が第一に必要ということになります。

例えば相手が、誰かを「怖い」とか「憎い」とか言っても、その言葉を発するに至った経緯を丹念に聴いていくと、実は相手が好きで好きでたまらないのに、相手が自分に対して十分に配慮してくれない、それを本人は自覚しておらず、焦燥感や失望という経緯の結果である感情表現だけをうのみにしてしまい、相手との決別、相手への報復が必要だと考えてしまい。本当に言いたいことと逆方向の行為を勧めたりしてしまうわけです。

私は、裁判を引き受けるにあたって、依頼される方と本当は何を望んでいるのかということを徹底的に話し合い、理解するために質問をして、あるいは場合分けをして、きっちりと文字で目標を確認することが多いです。

本当に言いたいことは何か、それはその出来事があった時言いたかったこと、現在私と対面して言いたいこと、そして私が仕事をした後の将来においてもその言いたいことを維持してよいのか、あるいはその行動をしたことで取り返しのつかない事態にならないかということまで含めて、特に裁判のご依頼を受ける場合は検討する必要があると思っています。

また、そのような目標に限らず依頼者が本当に言いたいことを、こちらも理解しないと、結局相手方にも裁判官にも伝わりません。つまり仕事にならないわけです。本当に言いたいことを最初に吟味することは弁護士においてもとても重要なことになることが多いです。

また、そのためには、紛争に至る経過表を相談者、依頼者に作成していただきます。何年何月何日のことかということよりも、物が起きた順番を間違いなく並べることが大切です。

これはカウンセリングにおいては、紛争(結実因子)に至る準備段階でどのようなことがあったか、紛争はどのようにして結実したかを理解するために重要です。この点を理解すると柔軟で迅速な解決にもつながります。カウンセリングにおいてはこの準備段階よりさらにさかのぼって、本人の素質まで考慮するようですが、弁護士の場合はそこまで立ち入る必要はないですし、自分に立ち入る能力があるか警戒をするべきだと思います。

こういったことが、平木先生の本では「カウンセリング理論の前提」として論じられています。

そして、「カウンセリング理論」が説明されているのですが、弁護士はカウンセリングをするわけではありませんので、あまり関係が無いので、省略して次に書かれている「カウンセラーの資格と訓練」の話に飛び移ることにします。

2 共感、ありのままの自分、受容

平木先生は、ロジャーズの「カウンセリングに必要にして十分な3条件」について説明されています。これは弁護士業務においてもとても参考になります。

①が共感的理解です。なかなか説明にご苦労されています。頭で相手に理解することでもなく、相手に取り込まれて理解するでもない等という説明があります。例えばどういうことだということであれば多少わかりやすいのですが、そのたとえはわかるけれど、結局どういうことか難しいところです。

少し平木先生のご説明とは離れるかもしれませんが、ここは2年前にこのブログで書いたボールブルームの反共感論を参考にした方が早いと思います。

<私のブログ記事引用開始>
共感には二種類あるというので。
「情動的共感」と「認知的共感」です。

情動的共感とは
その人が感じているであろう感覚を「追体験」してその人のために何かをしようとする感覚です。
認知的共感とは、
「他者が何を考えているのか、何がその人を怒らせたのか、他者が何を快く感じるのか、その人にとって何が恥辱的で何が誇らしいのかを理解する能力」
としています。

そして、
「他者の快や苦を自分でも感じようと努めている自分に気づいたら、その行為はやめるべきだ。その種の共感力の行使は、時に満足を与えることもあるが、ものごとを改善する手段としては不適切であり、誤った判断や悪い結果を生みやすい。それよりも距離を置いた思いやりや親切心に依拠しつつ、理性の力や費用対効果分析を行使したほうがはるかによい。」と結論付けています。
<私のブログ記事引用終わり>

認知的共感をすべきだということですが、その人の背景を良く考察した上で、自分が同じ準備段階を経てその人と同じことを経験したらどのように感じ、何を言いたいかということを考えるということだと思います。

ロジャーズのカウンセリングに必要にして十分な3条件の②は自己同一性です。人間はともすると、現実の自分ではなく理想の自分としてふるまいたかったり、理想の自分とのギャップに悩んだりするわけです。まずカウンセラーは、ありのままの自分としてクライアントと向き合うべきだということになります。そして、クライアントの二つの自分の不一致も認めていくことが大切なのかもしれません。

3条件の③は人間の尊厳に対する気持ち、クライアントに対する尊重、受容、配慮の気持ちを持つことです。これが無ければカウンセラーはクライアントを自分の思い通りに動かしたくなるそうです。

弁護士の仕事をしていて思い当たることがあります。私のところに、夫に対する不満を相談に来られた方がいました。その方は私のところに来る前に、弁護士やカウンセラーに何人か相談したそうです。そうしたら、全員が全員離婚を勧めたそうです。私と会って、ようやく離婚を勧めない人と相談できたとホッとされていました。そりゃあそうです。その人は夫婦関係を良くしたいということで相談をしていたわけですから、離婚を勧めるというのは私には理解できません。

おそらく、自分の得意分野で仕事をしようという考えの人ばかりだったのだと思います。これは、相談者の尊厳に対する配慮が無くなってしまっていることで、相手の人生に対しての畏敬の念が全く感じられません。大変恐ろしく感じました。

そして3のクライアントを尊重、尊敬、ありのままを受容するためには、カウンセラーは自分自身を好きになることが必要だというのです。自分自身を好きになるということも、それがどういうことか私にはよくわからないところもあります。ただ、自分の仕事を好きでやっているということがその回答の一つかなという気がします。仕事は好きではないけれどお金のためにやっているというのでは、お金の取れる方法で、無難な方法で仕事をしようと思ってしまうかもしれません。人の役に立っているということが好きだという形での仕事が、仕事として理想なのかもしれません。

相談が必要な方と接する場合の心構えとして、平木先生の「カウンセリングの話」は何度も読み直すべきです。その時の自分のスキルの程度に合わせて理解が変わるし、さらなる高みを目指すことができるようになります。ただ、カウンセラーや臨床心理士と弁護士の仕事は違うし、方向性も異なるということはきちんと前提として理解しなければなりません。弁護士は依頼者の心理状態を修正するのではなく、依頼者の相手のある仕事なのだということを忘れてはならないと思います。また、その相手にも尊厳があり、人権があるということが後景に追いやられたのでは「弁護士としての」仕事にならないと思っています。

nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。