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「悪口を言われた」と思う気持ちは群れを作るために人間が持っている通常のシステム その先の攻撃の原因 (津山事件との比較をしていますので閲覧ご注意です。) [刑事事件]

先日、長野県で4名の方が命を奪われた事件がありました。報道によりますと、犯人は、動機として「悪口を言われたと思った」ことを上げていると言います。犯罪史に興味がある人ならば、津山事件を連想する方も多いと思います。1938年に岡山県であった33人殺人事件です。これは松本清張氏も調査をしていて作品として発表をしています。

悪口を言われたと思ったという場合、被害妄想という精神異常による犯行だと結び付けて考える人も多いかもしれませんが、この「悪口を言われたと思う」というその気持ち(あるいは妄想)は、人間ならば誰しも多かれ少なかれ発動される感情で、この感情があったからこそ群れを作って生き延びてきた大切な感情でして、人間としては基本的な感情だと思うのです。

アフリカのサバンナで30人ほどの群れを作って狩猟生活をしていると考えてください。
せっかく苦労してとったうさぎを一人で多く食べてしまって、他の人から冷たい目で見られているとします。はっと気が付いて、自分はかなり仲間から評価が下がってしまった(まだ言葉のない時代ですから悪口を言われるとは思わないのです。)と感じる心を持つわけです。これはまずいと思い、夕暮れの中別の動物を自力でとってきて評判を回復させたり、それができなければ次に狩りをした時に自分だけ食べないということで、償いをするわけです。それで評判を回復させようとする。このための行動原理になるのが、現代的に言えば「悪口を言われたと思った」の人間らしい効果なのです。

人間は動物として腹いっぱい食べたいと感じる本能があると同時に、群れを作る動物として仲間の中で評価を落としたくないという本能もあるということです。

仲間内の低評価が気にならないならば、自己中心的な行為をする歯止めが無くなってしまい、群れがまとまらなくなってしまいます。群れを作らなくなり、人間は簡単に肉食獣に食べられてしまい、またエサも確保できず死滅してしまったのではないでしょうか。

だから、言葉としては「他人から悪口を言われたと思った。」と言ったとしても、実際に他人が悪口を言わないことが多いし、仮に悪口を言っていたとしても本人までは伝わっていないことがほとんどだと思います。
「悪口を言われていたと思った」という場合は、実際にその他者から悪口を言われていたかどうかではなく、自分が他者から悪口を言われるような状態にあるという自覚が、不安や焦燥感と言った嫌な気持ちの核心だということになります。

それだけ人間が孤立を本能的に嫌っているということを意味しているのだと思います。孤立を嫌う心というシステムがあったために、群れを作ることができたというわけです。

そうすると、群れの中で群れの仲間として扱われない事情があると、自然と「悪口を言われている」と感じるわけです。一番の事情になることは、自分が群れの役に立っていないと感じることです。

津山事件の場合は、犯人は結核を患い農作業を禁じられていた時期がありました。学校の成績は結局よかったのですが、結核が原因で、丙種合格となり(健康状態が悪く兵隊として任務に就けない)ました。小さな集落で、農業も従事できず、兵隊にも採用されないということは、当時の日本の狭い集落の中では、とても肩身が狭い状態だったと思います。自分には能力があるのに、自分の能力によって他者から評価されないということは、不条理を感じていたかもしれません。何らかの方法で見返してやりたいといつも思っていたことでしょう。しかし、日本の山村の価値観は農業か兵隊かいずれかで名を上げるしかない極端に価値観が偏っていたため、それは実現不可能な望みだったのだと思います。

津山事件の犯人は散弾銃を入手し、それを売却してさらに性能の良い兵器を入手してしまいます。偏った公的な価値観で他者の中での自分の地位を回復できなければ、実力で自分の地位を高めようとしてしまったとはいえないでしょうか。結局、犯人は、ある日、散弾銃を持って集落の人たちを襲い、結局一晩で33人を死亡させ、自殺しました。

自分を見下していた(と感じていた)人々を射殺することで、自分が他者の命運を握っているという意識を持ったのかもしれません。自分を無いものにしないとでもいうような歪んだ願望の発露だと思います。

注目するべきことは、ある家庭では、必死に命乞いをする人がいたようです。そうしたら犯人は、「そんなに死にたくないのか」というようなことを言って、その家の人だけ発砲しなかったそうです。自分が命乞いをされるということで、その人間の命運を自分が握っていると感じ、殺さなくても自分の低評価が回復したと感じたのかもしれません。このエピソードは実際はもっといろいろな情報があり、犯行の本質の一つが垣間見えるような気がしています。松本清張氏の作品でも取り上げられていたと思います。

津山事件は、被害集落は全体の戸数は少ないのですが、当時の農村特有の地理環境である家と家との距離が離れているし、まだ電話も普及していない時代です。一件で襲撃があったとしても、それが他の家には知られにくいという事情がありました。また、警察が到着するまで相当時間がかかるという交通事情もありましたので、33人の殺害が可能となってしまいました。

今回の事件では、直ちに警察官が駆け付けました。殉職されるという悲痛な結果になりましたが、それ以上の犯行の拡大が抑止されたという大きな効果があったと思います。近隣との間が密な分だけ、警察官が駆け付けなければ、被害はさらに拡大していたかもしれません。ご冥福をお祈りすると同時に敬意を表したいと思います。

さて、津山事件の当時(昭和13年)の情報量と、インターネットの普及した現代の情報量は比較にならないほど膨大なものになっており、価値観の多様性ということも言われています。どうして、同じような無差別殺人が起きたのでしょうか。

真実は今後の捜査にかかっているとは思います。ただ、仮説として、
1)実は社会の価値観は昭和13年とそれほど変わっていないのではないか
2)現実の自分に対する評価者として想定できた人間が家族と犠牲にあわれた近所の人しかいなかった

現代社会では職業は無数にあるのですが、やはり他者とコミュニケーションを取らなければ仕事にならないし、その傾向は強く、またインターネット対応など特殊化しているのかもしれません。求められるコミュニケーションが苦手な人にとっては、昭和13年の結核患者と同じように働くことにかけては致命的な問題になっているのかもしれません。また、その人の状態に合わせた職業の選択肢が極端に少なすぎるのかもしれません。そういう発想自体が社会にないことも昭和13年と同じ状態なのかもしれません。

また、職業に限らず、多様なコミュニケーションスキルの状態に合わせた他者とのかかわりの方法という選択肢も少なすぎるのかもしれません。

いずれにしてもお二人の女性が不条理にも命を奪われました。どんなにか怖かったことでしょうか。ご冥福をお祈りするしかできません。

もっとも今回の事件については、本人独自の個別的問題点があったことも当然あると思います。

ただ、心配なことは、昭和13年の男子にとって兵隊になれないというスティグマを押されることの弊害以上に、コミュニケーションが取れないために社会から孤立している人間の人数は膨大な数に上っているということです。そして本当は、誰かにとって都合の良い人間のタイプということにすぎないのに、そのタイプになっていないということがあたかも人間にとって致命的に劣っていると評価されると思わされている人たちもたくさんいることだと思います。

その人たちを社会的に「自分は悪口を言われていると思う」状態に放置し続けるならば、当然ながら一見不条理な事件(被害者にとっては不条理ではない事件は無いにしても)は、減少する要素がないということが言えると思います。

予防の観点からは厳罰化は無意味です。少なくとも犯行時は、警察も恐れていないし、刑罰を受けることも恐れていないし、死ぬことすらそれほど脅威にはなっていないと思われる事例が多くなってきているからです。そこまで考えて犯行を実行しているわけではないようなのです。

ヒューマニズムとかきれいごとの問題ではもはやなくなっていると思います。いつどこで自分や自分の家族が被害者になるかわからない世の中だという現状認識からの出発が必要な状況になってしまっていると思うのです。

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