嘘から出た実(まこと) アイドル礼賛 [故事、ことわざ、熟語対人関係学]
日ごろ、家族や仲間に対して笑顔をキープするようにお話をしています。
おかしくもないのに笑えないとか、気恥ずかしさがあって笑顔が作れない。
怒りの感情があるのに笑顔が作れない。相手がどのように対応してくるか分からないので緊張して笑顔になれない。笑顔を作るのが億劫だ。
という、これは実は私の実践上の言い訳ですが、こうお考えの方が多いかもしれません。笑顔の作り方ということはあまり教えてくれる人がいません。
結局同じことをするのですが、重点の置き方としては
欧米系の人間であれば、口角を上げるという作業をしますし、
日本人の場合は、頬を上げて目を細めるという形を作るようです。
これでよいのです。
「それじゃあ、嘘をつくのではないか。」、「作り笑顔ってわかられてしまうのではないか。」ということを心配される方がいらっしゃいます。
ただ、それは子どもの論理です。
感情を持つとか、心の中でどう考えるということは大人も子どもも自由ですし、これ自体はどうすることもできません。
しかし、子どもと違って大人は、自分のために感情をあらわすのではなく、相手のために感情を表して見せるもののような気がするのです。
確かに子どもであれば、泣くとか、怒るとか、「自分の感情、置かれている状態がこうですよ。」といって、大人に環境の改善をしてもらう立場ですから、感情をそのまま表現するべきなのだと思います。
しかし、大人の場合、特に人間関係をまとめる側の立場の者は、人間関係の状態をよくするために、相手に安心感を与えるために、表情を見せるものなのだと思います。きついこともありますが、これが優しさなのだと思います。
だから、嘘ではなく、優しさなのです。
作り笑顔がわかられてもデメリットはありません。作り笑顔をする努力を認めてくれるということがあっても、不快にさせるということはないでしょう。
また、相手の良いところを探してでも指摘するという方針を立てることが多いのですが、笑顔を作っているとそういう話をしようと自然になっていくような気がします。
笑顔を作って、相手がいることを歓迎し、相手に感謝の気持ちを表すということは、敵対心が無いということの何よりの方法なのだと思います。人間は言葉の無い時代から群れを作っていましたから、言葉以外での伝達方法は、この本能に働きかけるから強くアッピールするのだと思います。
そうして笑顔を作っているうちに、心(感情)も変化して、相手を思いやる気持ち、相手の行動に寛容になる行動パターンも出てきてしまうのだと思います。形から入るというわけです。嘘から出た実と言えなくもないかもしれません(嘘ではないと言っておきながら申し訳ない)。
笑顔を作ることが尊いこと、尊敬に値することだと感じたのは、大学生の頃です。かなり前ですね。当時私は、フォーク小僧からロック小僧、時々ジャズ喫茶小僧と渡り歩いていました。テレビの歌番組もよく見ていたのですが(実家にいるとき)、いつも笑顔のアイドルっていたじゃないですか。いわゆる80年代アイドルですかね。最初は、作り笑顔だろうと価値を感じなかったのですが、いつでも笑顔ということはすごいことなのではないかと気が付いたのです。自分がまだ精神的に子どもでしたから、ありのままの生まれたまんまの感情表出をしていたのですが、それで失敗もあったのかもしれません。安定して笑顔でいるアイドルの一人に、これはすごいことなのではないかと注目しだしました。当時は、レンタルレコード屋というのがあって、そこでレコードを借りてはカセットテープに録音して聞いていたわけです。それからパチンコの景品ですね。
その後そのアイドルはアーティスト指向となりました。映像を拝見する機会は減りましたがアルバムだけは聞き続けました。アイドル時代後期の難しい楽曲(いじめのような難解なメロディー)をニコニコ明るく歌いこなす歌唱にも脱帽していました。私のアイドル感は、尊敬をする的です。
令和の時代では、アイドルの笑顔戦略は基本的には維持されているようです。ファン(最近はオタというらしい)のニーズが笑顔の持つ効果にあることも変わっていないのでしょう。
おそらく人類において、笑顔の効果、ニーズも普遍的なのものなのだろうと思います。この本能を素直に使って人間関係を良好しない理由は無いと思われます。
アイドルに学びましょう。
2024-12-05 10:20
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