自覚できない自分の小さな怒りに警戒しよう [家事]
家庭内のモラルハラスメントということが話題になっています。元々のモラルハラスメントという言葉を作ったのはマリー=フランス・イルゴイエンヌという精神科医です。彼女の述べていたモラルハラスメントは、自己愛性パーソナリティ障害を背景とした強烈なものでした。それに比べると現代のモラルハラスメントの使われ方は、はだいぶかけ離れていて、軽微な事象まで含むように言葉の意味が変容・拡大しています。
程度が軽いにもかかわらず、その評価はイルゴイエンヌのモラルハラスメントと同程度の悪という評価が行われているように感じます。
おそらく、一般のご家庭で、配偶者の一方が他方の言動に不満があり、適当な解決方法が見つからないままこれを蓄積しているということが多くあるのだと思います。その不満を解消するための言葉として、モラルハラスメントという言葉が広く受け入れられてしまった結果なのだと思われます。また、イルゴイエンヌの著作を理解しないまま、この言葉だけを借りてくるような書籍もかなりありました。言葉の変容を起こす人たちがいたわけです。だから離婚理由の中で、「自分はモラルハラスメントを受けていた」、「精神的虐待を受けていた」という主張が増えているのではないでしょうか。
ただ、夫婦とはいえ、人間二人、育った環境も違うわけです。一緒に暮らしていれば、何らかの感覚の相違や行動パターンへの違和感などがあるのは当たり前のことです。自分の言ったこと、言わないけれど抱いていた感情等すべてを受け入れなければモラルハラスメントだというような主張が多くなっています。おそらく、それが無茶のことだという自覚がなく、当然にそれは悪だと感じているようです。
ただ、それでも家族再生を目指す人たちにとっては、モラルハラスメントや精神的虐待という抽象的主張であっても、それは再生のヒントになりうる貴重な手掛かりになります。
特に具体的エピソードの主張がなく、「長年の積み重ね」だとか「毎日のように否定されてきた」等という主張があり、かつ、言われた方に身に覚えがない場合に何が起きているかということについては、事例が蓄積してきました。
第1の要因として、モラルハラスメントを感じている側の人間(多くは妻なので、今後「妻」と言います。)が、相手(今後夫と言います。)からの評価を気にしすぎていて、自分に対する評価が下がることに不安を抱いていることがあげられます。その多くが思い込みDVで、その様な不安を感じやすい、体調や精神状態、あるいは過去又は現在の人間関係という環境に主として起因するものです。中には夫を好きすぎて、嫌われるのが怖いという人もいました。
第2の要因として、その様に敏感になっている妻に対して夫が相応の配慮をしていないことが要因となるようです。但し、現代は、昭和の虐待夫というのはごく例外的であり実務上はあまりないというのが、狭い範囲ですが私が聞いた範囲での弁護士のコンセンサスです。
ただ、よくよく事例を見ていくと、夫が怒っているとか、攻撃的感情があるわけではないのに、妻の側で自分が否定されていると感じる事情というのがあるようなのです。
例えば妻が、「こうしたいな」、「ああなると良いな」とお気持ちを表明して、それが何らかの道徳に反するとか、常識に反するとか、合理性がない等の夫のセンサーが反応してしまうと、即時にたしなめるとか、否定したりしているということが実際にはあるようです。夫としては当然のことをあえて言葉にしているというような感覚なので、それが相手に不快な思いをさせているということに全く気が付きません。また、道徳や正義に反すると思うと、本能的にそれを指摘するときには怒りが混じっているようなのです。少なくとも言われた方から見たら、「夫から感情的な言動で自分という人格が否定された。」と感じるようです。
しかし、自分の価値観を夫に押し付けることができず、正義とか合理性とか言われてしまうと、反論することができないため、ただ不満が蓄積していって、持て余すくらい大きなものになっているようなのです。
結論だけを言いますと、道徳とか、正義とか、常識というのは、他人同士を規律するツールです。家族の中では、相手の感情を尊重することが主であると思われます。また、合理性とか省エネなんて言うのも、目的を一つにする集団がその目的を果たす文脈でだけ基準にするべきことなのです。
だから、あらかじめ、道徳とか正義とか、常識を相手に言おうとしていると意識したら、それを言わないとか、冗談半分にごまかしながら言うとか、笑顔で「別に非難するつもりはないけれど」とか、それが正しいツールであると思わないようにしようとする、生じやすいエラーを予め意識しておくことが肝心なことなのだと思います。
2024-12-18 14:55
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