「ほんとは誰だっていつだって不安だよ」 他人をうらやましく思うことが実は間違っているということの意味 人間とは [進化心理学、生理学、対人関係学]
「ほんとは誰だっていつだって不安だよ」(児玉雨子「次々続々」より)
ご自分が紛争に巻き込まれていると、不幸の中にあると感じることは当然だと思います。特に、夫婦問題が生じ、子どもとも会えない、どこにいるかもわからないという場合はなおさらだと思います。
その中の何人かは、「自分は子どもとも会えないで一人ぼっちでいる。相手は両親や子どもと一緒に楽しくやっているのだろう。」と考えて、うらやましくというよりは怒りや恨みの感情が強くなっていらっしゃいます。
中には、街を歩いていて、何の悩みもなさそうに幸せにしている子ども連れなどを見ているだけで、怒りを覚えてしまうと打ち明けていただいた人もいらっしゃいました。
或いは、弁護士や医者や財界の偉い人、政治家は、私のような紛争に巻き込まれないでお金が入ってきて悩みが無いのだろうと思う人もいるようです。
こういった場合、ご自分が不幸な境遇にいるということはその通りですね。ただ、他人が何も心配事がなく幸せに暮らしていると考えることは、間違っていることが多いと思います。
人間は、概ね、「何の理由もなく不安を感じる生き物」ではないかと、これまで弁護士をやってきた経験から思っています。
私なりに勉強をすると、これは人間ばかりではなく、霊長目にある程度共通する性質のようです。
敬愛するロビン・ダンバー先生によると、猿がお互いに毛づくろいをするのは、お互いの不安を解消するために行っているとのことなのです。何か理由がなくても、相手の不安を鎮めるために毛づくろいをするわけです。アカゲザルの一種が、一日の大半を使って毛づくろいをしあっているということは有名な話です。
おそらく、大脳が発達すると、理由もなく不安を感じるようになってしまうのではないでしょうか。だから、一人でいることを嫌い、群れを作って暮らすのだと思います。群れの中で尊重されていると、漠然とした不安が起きにくい、安心できるという本能的行動で群れが形成されたのだと思います。
このような心が生まれたときは、生まれてから死ぬまで同じ群れにいて、他の群れと交流がほとんどなかった時代ですから、それでうまく言っていたのだと思います。文字通り世界が100人のムラだったというわけです。
ところが現代社会は、家族の他にもたくさんの群れの中で生活しています。学校や職場、友人関係、地域や国家、通りすがりの人、買い物するときで会う人、あるいはインターネット上の友達等です。そのすべてがうまくいけば、不安など感じないで生きていけるかもしれません。しかし、そのどこかで人間関係の不具合はつきものです。現代社会では群れを作っても不安がおさまりません。夫婦であっても、お互いの不安を解消するための方法を知らないまま、自分や子どもを守ろうとして、相手を攻撃してしまうわけです。人類の危機が拡大しているのが今の社会だと言えば極論でしょうか。
そう考えると、子どもを連れて別居した人も何も悩みなくのほほんと生きている人はいないわけです。多くの連れ去り親は、自分が連れ去り行為をしたことで、無自覚の人も多いですが、その自分の行為を理由に不安を感じています。
もちろん、孤独に陥った別居親の精神面に問題が生じることもよく見ていることですし、自死も多いことも肌で感じています。しかし、連れ去った方が精神的に破綻したり、自死に至ることも実際はあるのです。むしろ、元々あった漠然とした理由が連れ去りの原因になっている思い込みDVが圧倒的多数ですから、別居をしても離婚をしても、不安を抱く原因は除去されないので、それも当然のことなのだと思います。
医者や弁護士や政治家の方々、あるいは仕事で成功している方々も、積み残して先延ばしをしている悩みのタネを多く抱えていることを見てきています。
たとえばSNSで華やかな行動を拡散する人たちも、当然のことながら本当の悩みは隠しています。華やかな部分だけ切り抜いてアッピールするのがSNSです。あのSNS記事のようなことだけが日常というわけではありません。それはみんな知っていることだと思います。
だから、他人の切り取られた瞬間だけをみて、うらやましいと思うことは意味の無いことなのだと思います。
他人をうらやましく思うことをやめて、自分がその人と一緒にいて安心できる人に対して、優しい言葉をかけて笑顔にすることを考えた方が、自分も幸せになる最強の行動なのだと思っているところでした。
2024-12-23 11:01
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