家族の機能①「機能不全家族」から家族の機能を考えてみる [進化心理学、生理学、対人関係学]
12月の私の業務のテーマが機能不全家族とでもいうように、家族の在り方に関連する相談を多く受けました。私の仕事(依頼、相談)は、同時期にテーマが重なることが多くあります。
それで、西尾和美さんの「機能不全家族」(講談社)を読んでみました。
西尾さんの定義は、「機能不全の親」とはということで、「子どもに安全と保護を与えられない、子どもの人格を尊重できない、子どものもって生まれた気質や個性を受け入れられない、適当な規律と愛情を与えることができない親のこと」というものでした。
本質をズバリついた定義だと思います。
これに対して一般的に機能不全家族とは、家族の機能を果たせない家族ということで、暴力や精神的虐待、犯罪やアルコールや薬物依存のある家族と定義されています。
西尾さんは、子どもの立場から親子関係に焦点を当てています。子どもではなくても、夫婦に置き換えても通用する定義だと思います。
「夫または妻が、相手に対して、安全と保護を与えられない、相手の人格を尊重できない、相手の持って生まれた気質や個性を受け入れられない、適当な規律と愛情を与えることができないこと」と置き換えてみても、通用する定義です。
そうすると、家族の機能とは、安全と保護を与えるところにあるということになりそうです。その具体的方法について、西尾さんの「機能不全家族」には丁寧に記載されていますので、家族問題で悩まれている方は、専門家に相談するのも良いですが、その効率を上げるためにもこの本をお読みになることをお勧めします。
ところで、どうして、家族は、自分以外の家族という他人に対して安全と保護を与えなければならないのでしょうか。自分ひとりが生きるのに一杯いっぱいの状態で、自分以外に配慮することなどできるでしょうか。
結論から言うと、「それが人間だ」ということなのかもしれないと思っています。
今年の正月は、3日くらい、これまでに記憶がないくらい無為に過ごしていました。タイミング的に家族と離れて一人で過ごしていました。年末に珍しく超人的な忙しさがあったことの反動もありました。日付も曜日も無茶苦茶になっていました。具体的に何がどうだというわけではないのですが、これではいけないと思い、職場に行き、届いていた機能不全家族を読み、頭を動かし始めてこれを書いているわけです。
人間が家族を作る理由がここにあるというか、人間が生きるということは家族の役に立とうとするということにあるという一つのアイデアを改めて見つめ直そうと思いました。
いつものことなのですが、「何のために家族を作ったか」という問題提起は間違っていて、「家族という人間関係を作ったから人間は生き延びてきたのだと、でもそれはどういう点が有利だったのか」ということが本当の問題提起です。
家族を作らない動物がほとんどです。それは家族を作らなくても子孫を作り続けることができたからなのです。もっとも子孫を作ろうとさえしないで生き延びようとしていただけのことですが、生き延びなければ現在われわれがその生き物の存在を目にすることが無いというだけの話です。
もっとも、家族と言っても「夫婦を中心とした家族」が一般的になるのは、つい最近のことです。何をもって一般的というかは難しいところですが、3世代同居が都市部だけでなく多くの地域で少数派になった時期と言えば、早くても第二次世界大戦後というべきであろうと思います。
夫婦が同居することさえ、日本では8世紀ころまでは成立していないようです。もっともこれは文献が残っている貴族社会の中の話です。第2次世界大戦前まで多くの人口を絞めていた農村部の家族の在り方はあまり信用できる文献が無いようです。一応同様だと考えておきます。
さらに農耕社会が起きる、約1~2万年前までは、家族は必ずしも血縁を基盤としていなかったようです。これだと「家族」という名称とは少し違うかもしれません。大体200万年くらい前からこのような小集団でヒトは生きてきたようです。
この小集団をどのように定義づけるか。ちょっと難しいのですが、「狩りなどで日中別々に行動しても、日暮れ頃までには帰ってきて寝食を共にする小集団であって、構成員に変化が乏しい集団(つまりいつメン)」ということは言えるでしょう。
その小集団をどのような関係者と構成するかについては時代によって異なっているけれども、人が人として成立したころからこのような少集団を構成して人は生き続けてきた、生き続けることができた、生きることにおいて有効だったということだけは言えるのでしょう。
2025-01-08 11:57
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