相手を傷つける言葉を言う時は、言う方は気が付きにくいこと 自分をくすぐってもくすぐったくないわけ [家事]
夫婦の間で相手が傷つく言動のパターンがあります。夫婦だけでなく人間関係全般なのでしょうけれど、今回は夫婦の問題としてお話しします。職場やネット炎上なども同じ原理だと思います。
ちょっと前にこのブログで「余計な一言」のお話をして、何が人間関係で損をする一言なのかと言うと、「言われた相手が、自分が低評価されたと感じる言葉」ということをお話ししました。しかし、そういう言葉、つまり相手を傷つける言葉、不快にする言葉を発する時は、なかなか自分の言動で相手を傷つけているということに気が付かないものです。今回は事件に合わられた言葉に着目してお話しします。
相手を傷つけるかもしれないということに気が付かないことには理由があります。これは、他人にくすぐられたらくすぐったくてたまらないけれど自分でくすぐってもくすぐったくないことと同じだと思います。どうして自分でくすぐってもくすぐったくないかというと、自分のくすぐる行動は、行動する前から予測がつかないからだそうです。他人からくすぐられる場合は、くすぐられることがわかっても具体的な予想がつかないので、くすぐったくなるとのことでした。
発言も同じで、発言の直前コンマ何秒前は、相手に対して悪意がなく、せいぜいイライラしているだけで、「それほど大したことをこれから言うわけではない。」とわかって言いだすわけです。だから攻撃したという自覚を持てないのです。くすぐりで言えばくすぐったくないことと同じです。
ところが、言われた相手は、言葉を出されてから初めて言葉を受け止めるわけです。自分が少しでも否定されてしまうと、自分を低評価しているからそのような言葉を口に出すのだろうと思うことが多くなってしまいます。
事件に現れた言葉
「非常識だろう。」、「そんなことも知らないのか?」、「大丈夫か?」、「どうしてわかんないんだ。」、「がっかりしたよ。」、「子どもだってわかることだろう。」、「ちょっとは頭を使え。」、「ショックだよ。」、「信じられない。」、「使えない。」、
もっとひどい言葉も想定できますが、そこまでひどい言葉はそうめったに発言されていないようです。明らかに悪意がある言葉なのでここでは割愛します。
事件に現れた動作
舌打ち、ため息、眉間のしわ、大きな声、乱暴な言葉遣い、両手をあげてお手上げを示す。
こういう言葉を言われ続けると、自分は相手から低評価を受けていると思い込むようになります。そこから先は、個性に関わらず、自分が子の人間関係から追放される不安が自動的に大きくなっていきます。その人と一緒にいることが息苦しくなっています。
こういう言動をする人は、そこまで考えて言ったつもりはないことが多いでしょう。その人の人格を非難したのではなく、行為の誤りを指摘したと思っているわけです。しかし、言われた方はこのように打撃を受ける危険が強いのです。「顔も見たくない、一緒の空気を吸いたくない。」、街で似た人を見ると凍り付いてしまう。ということになりかねません。
そしてこういう言動に傷つくパターンとして多いのは、発言者が、相手に対して一方的にハードルを設定していて、その設定を超えないことを指摘しているパターンです。わかりやすいかどうか自信がありませんが、たとえばレベル7に達するような行動を一方的に期待しているのです。ところが、言われる方は、そこまでやらなくてはならないという自覚はありません。何ら約束をしているわけでもなければ、そのようなことをしなくてはならないという社会的なコンセンサスも無く、各ご家庭で決めて、各ご家庭なりにやればよいことなのにも関わらずです。レベル7でなくても、レベル3でも2でも良いことが多く、「なんなら」やらなくても良いことを、レベル7でなければだめだと思い込んで相手を否定評価する言動をしてしまうのです。
発言者は常識だと思っていることでも、第三者から見れば「そうかなあ?」と思うことが良くあります。こうすることが合理的なのにしないからという風な弁解もよく聞くのですが、その合理性を追求することで失うものを考えれば、本当に合理的なのだろうかと思うことも多いです。
最悪なのは、何を否定しているか分からないことです。何だか分からないけれど否定評価されているということは大変気持ちが悪いことです。
私もそうですが、自分の言葉を点検した方が良いと思うのですが、それほど強い気持ちで言っていないので、言った方は忘れてしまうということもよくあることです。結構困ってしまいますね。誰か第三者が点検できれば良いのですが、両親と一緒に生活する人も少ないので、なかなか難しいということが実際かもしれません。
2025-02-07 10:23
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