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1から10まで夫を嫌いにならないために4 (すれ違いの原因と話し方、聞き方) [家事]

7 夫とのすれ違いを招く事情

 ⅰ)一緒にいる時間

   夫が単身赴任だとか、いつも遅くまで残業をしていて日曜日は昼過ぎまで寝ているようであると、だんだん仲間という意識が失われていきます。夫よりも一緒にいる時間が多い友人などの方に仲間意識が芽生えてしまうこともあるでしょう。これは危険です。もし、平日に会話をする機会がないのであれば、一緒にいる時間を大切にしなければなりません。尊重ということを、積極的に意識して行動することが必要となります。外食に行くとか、子どもと一緒に出掛けるとか、相手の体調を考慮しながら楽しいことを企画するとよいでしょう。

   忙しすぎるということは、しばしば離婚の原因になるということがリアルな真実です。家に帰ってきても不機嫌な顔をしていたら、最初は遠慮して、だんだん怖くて、あるいはこちらも怒りを感じて、どんどん疎遠になっていきます。
   これが毎日深夜に帰宅ということになれば過労死などの原因にもなります。過労死のパンフレットや対人関係学のページを見て、また夫にも見せて、心配しているんだということをはっきり言うべきです。

   何を一緒にやるかについては、あなたがやりたいことを主張するべきです。夫は妻が喜んでいるところを見て、「役割感」を満足させるものです。あなたが楽しいと思うこと、きっと喜ぶだろうと思うことを実現してもらうことは、夫にとって満足感を与えるのですから、気にするなんておかしいということになります。

 ⅱ)実家との距離

   実家との距離も気を付けるべきです。実家は、何もとりつくろわなくてもいい空間なので、安心できます。居心地が良いわけです。若い二人なら経済力も大きな差があるかもしれません。また二人ならば気にしないことも、親は昔の価値観で介入してくることもあります。かといって、親をないがしろにする必要もなく、問題は距離感だということになります。「実家は最後の最後のとっておき」ということで、乱用することは避けるというくらいに考えた方が良いかもしれません。
  「子どもを連れて出て行かれた男性の特徴として、妻の実家との付き合いが極端に少ないという共通項があります。ほとんど面識がなければ、妻の親は夫を仲間だとは見ないでしょう。この点女性の方が如才なく付き合う能力があります。妻の実家と自宅との距離の問題がありましょうが、1年に1回は夫も妻の実家に顔を出し、先祖のお墓参りなどをするということが大切だと思います。できれば、自分の実家、妻の実家という観点を捨てて、私たちの実家という感覚を持つことがベストです。感覚までは持てないことが普通ですので、そういう行動をするということで良いのだと思います。」
 
ⅲ)体調

   例えば、うつ病や産後うつになっても、本人は自分の状態を正しく認識できません。東日本大震災後、公務員や建設現場では、夫が過労死するほど働きすぎてうつ病になり、妻とのコミュニケーションが取れなくなることによって、妻の側が自分が尊重されていないという強い疎外感を持つようになり、離婚に発展しているケースが多発しています。この場合であっても、妻の側は、夫が自分に冷たいと感じて、自分が尊重されていないと思うのは無理もないことです。しかし、うつ病者は、表情を変えるのもおっくうだという状態になっています。すべてが無気力になるし、何をしても自分が否定されるという悲観的な思考に支配されています。これは離婚した後でも気が付かない場合が実際には多くあります。夫のうつ病は、隠れた離婚原因として多くあるようです。これは妻の方も同じです。うつ病や、産後うつ、甲状腺機能の異常からくるうつ状態等結構多く見られます。

   なんかうまくいかないと感じたら、あるいは今まで楽しかったことが楽しくないと感じたら、何もしない時間を作るということをお勧めします。できれば一週間くらいボーっとしている時間があると、だんだん自分の状況が見えてきます。あるいは、家族療法や弁証法的行動療法に基づくカウンセリングを受けるということも有効だと思います。特に一番下のお子さんを生んだ2年以内くらいに、自分ばかり損をしていると感じたときは要注意です。一種の産後うつかもしれません。そのような事例による離婚が大変多く見受けられます。

 ⅳ)経済

   離婚の原因が経済にあることはよく指摘されています。現代の労働環境は、老後まで安心して生活できるというものではありません。先のことを考えないようにして過ごしたりしています。なんらかの不安感を感じてしまうと、何事にも敏感になってしまうことがあります。もともとちょっぴり心配過ぎるように作られた人間がますます心配性になるわけですから、何もかもうまくゆかないと思うようになる危険もあるわけです。ただ、どうなのでしょう。よそはよそ。自分たちが楽しければそれでよいのです。工夫次第でいくらでもお金をかけずに楽しむことができるはずです。
   お金が足りなくなることはよくあることです。ここで夫に内緒で借金をしたり、光熱費を滞納したりすると大変苦しくなります。自分を守る気持ちが出てきてしまって、それが相手に対する攻撃に代わってしまうということはよくあることです。
   経済については、必ず夫と話し合いましょう。

   できれば、家計簿をつけることをお勧めします。いちいち書き込むのではなく、普通のノートを買ってきて、すべてのレシートをそれに張り付けるだけの家計簿だと長続きします。余裕ができれば、月当たりの集計をして、給料日まで半月だからあとどれくらい必要かということが分かるようになれば、かなり上級者だと思います。お金が不足しているのは仕方がない時もあります。そういうノートを見せれば、言い訳する必要もなくなって、結局はとても楽になります。

8 言いにくいことを言う技術

  ここまでで出てきているだけでも、「過労死をしないために仕事を辞めて」とか「残業しないで」とか、「お金が足りない」とか夫婦は避けて通れない深刻な話題を持っています。子どもの状態もなかなか言いにくいことの一つでしょう。あなたが算数が苦手だという自覚があるときに、子どもが算数で悪い点数を取ったら自分のせいかと思うかもしれません。しかし、むしろ、夫が算数が苦手だったら、もっと言いにくいかもしれません。
  子どものこと等、相手に早急に態度を改めてもらわなければならないことも実際には存在します。どう言えば良いのかがわからなくて、なかなか言い出せないうちに、ため込んでいって破綻寸前になることもあるでしょう。いくつか、言いにくいことを言う技術を考えましょう。

  まず、感覚として、相手を責めないということが大事だと思います。相手を責めるというのは、「あなたが間違っているから、皆迷惑をしている。だからこう改めて。」という言い方です。これではだめです。まずは、将来に向かって行動を改めればよいのですから、間違っているとか、劣っているとかそういうことは言う必要はありません。これを言うのは将来繰り返しをさせないというメリットを期待してということになりますが、間違っているという言葉を置かなくてもこと足りることが多いです。むしろ、「間違っていることをしない、正しいことをする」という行動原理から、「相手の嫌なことをしない。相手のしてほしいことをする。」という行動原理に改めてもらうように誘導するべきです。それが自分の首を絞めることにならない方法だと思います。

  相手を責めない、間違いだという価値評価をしないためには、何らかの問題点を相手の責任だという発想から、「夫婦というチームの不具合を修正する」という発想に転換することです。「私は、あなたがこのように間違っている。」という言い方から、「私たちは、こういう問題を抱えている。協力し合って修正しましょう。」という言い方がベターだと思うのです。

  次に言葉遣いですが、間違っているとか、だらしないとか、価値を込める言葉を使わない要するべきです。「あなたは仲間としてふさわしくない。」、「いずれ邪魔な存在になる。」ということを宣言しているようなものです。それが正しければ正しいほど、夫は傷つき、その痛みはすぐに怒りに転換するようになるでしょう。例えば、マンションのトイレなどで、立ったまま小便をするか座ってするかという最近ホットな話題があります。昭和の中期までは外にトイレがあり、大便用と小便用とほぼ必ず二種類用意されていましたが、マンションなどではスペースが限られていますから、そうはいきません。ここに問題の所在があるわけです。その時に、「兼用トイレは、座って用を足すのが正しい。あなたもそうしなければいけない。」という言い方は、大変まずいということになります。例えば「私たちのトイレが、飛び跳ねで、においが遺ったりしてしまう。お父さんだけが原因ではないと思うけれど、飛び跳ねって結構広い範囲になってしまうらしいの。」、それでも男は逆上するかもしれません。「じゃあいいよ。俺が掃除すればよいんだろう。」となれば、まあ良しとしてはいかがでしょうか。結構、洗剤とかブラシとか凝り始めたらそれでよいでしょう。
  大事なことは、相手を否定する言葉をなるべく使わないということ、価値を込めるとか、正しい、間違っているという評価を入れない。夫の問題なのではなく、私たちの問題として一段高みに立って言いだすということだと思います。

9 相手の話を聞く技術

  とりあえず、わけのわからないことを言い出すのが夫です。わけがわからない時に、話をさえぎること、聞こうとしない態度は、「お前は黙ってろ」という強烈なメッセージになってしまいます。最後まで我慢して相手を見ながら聞いて、「よくわからなかった。」という方がまだよいと思います。
  わけはわかるのだけれど、とても賛成できないということを言い出すのも男です。夫がニコニコして、「こんどさあ、キャンプ場で一泊してみよう。」とまだ赤ん坊がいるのに言いだしたりします。
  「バカじゃないの、そんなところで風邪でも引いたらどうするの。」と言いたくなるでしょう。それが正しいかもしれません。そういう場合でも、夫が何をしたいのか見極める必要があると思います。単に、夜中にいも煮でビールが飲みたいだけかもしれません。「キャンプで何をするの?」、「やっぱ、外で星空を見ながらいも煮をしてビールを飲みたいな?」と案の定言ってくるかもしれません。「それって素敵よね。私はバーベキューの方がいいな。」というかどうかはおいておきますが、「この子がもう少し大きくなって、からだが強くなったら、早速行きましょうね。」とでも応えておけば、「待ちきれないな。」、「あっという間よ。」と話が続く可能性も出てくるかもしれません。

  これは、将来子どもと付き合う時にとても有用な会話術です。まず否定するのではなく、共感できる部分にまず共感して見せるというテクニックです。あなたと同じことを考えているけれど、こういうところを考えるとこう修正するべきだということです。いも煮の例を挙げると、時期を修正するということになります。じゃあ、いずれ寝袋でカに顔を刺されに行かなければならないのかというと、大きくなったら子どもと父親で言ってもらえばよい話です。共感されたと思った相手は、仲間意識を高めていきます。
そうしないで、ストレートに否定ばかりしていくと、夫も子どもも、あなたに隠し事をするようになります。言っても否定されていたら、言いたくなくなりますよね。これはあなたにとって決定的に不利益です。

1から10まで夫を嫌いにならないために 3 (夫の育て方、夫婦愛の育み方) [家事]

4 夫を誘導する方法

  夫を変えるということはなかなか難しいです。特に、結婚後しばらくたって現れた夫の本性はなかなかなおりません。一番要領の悪いアプローチは、「ここをこう直せ」と結論を求めることです。相手が人間でなく、木か石なら動かすこともできます。しかし、意思のある人間ですから、結論だけを押し付けることはできないと考えるべきです。

  夫を変えるためには、代わってほしい方向に誘導することです。男性の本能を利用することが有効です。馬は群れの先頭に立ちたいという本能があるので競馬が成立します。餌がほしいという動物の本能を利用して調教することもできます。群れを作る動物は、群れの中で尊重されるということに喜びを感じて、誘導されているのではないかと思うのです。

  ここでのポイントは、男性と女性の違いをよく把握して、その特質を利用することだと思います。なにせ、夫婦はその家の中では、世界中の男性と世界中の女性の代表なのです。妻は、全女性を代表して夫と向き合うことができます。夫にとってはほかの女性はともかく、全女性の代表者である妻に貢献するべきなのです。
  私はこうしてほしいんだということをいう場合でも、「私はこうしてほしい。」というよりも、「女性はこういうことを求めているんだ。」とおおいばりで言う方が言いやすい場合があります。夫が、「いやこういう人もいる。」と言おうものなら、「例外的な存在は常にある。あくまでも代表は私だ。」と涼しい顔をしていればよいのです。ただ、あなたは全世界の女性の代表ですから、女性をおとしめないふるまいをする必要はあるわけです。

  男性は、法律、道徳、ルール、ややこしいことに都合のよいところだけの男女平等を掲げてきますが、それはよその世界のことで良いと思います。妻の方も、自分だけが特別だと悩むことはあまり意味のないことですので、そのためにも全世界の女性の代表者という感覚は必要な発想だと思います。

男は良い悪い、道徳等外的なルールに照らして行動をする傾向にあります。これに対して女性は相手の感情に価値をおいて行動する傾向にあります。それぞれメリットデメリットがあります。男性的考えのデメリットは、結局ルールに従って安心しているだけで、それで家族のみんなが幸せになる保証は何一つないということです。女性的発想のデメリットは、相手の気持ちを考えすぎて、ほかの人の気持ちまで考えられなくなるということが多いようです。小学校のいじめはリーダーが感情的なために優しい追随者が振り回されてしまい、いじめられる子の気持ちを考えないで起こることがあります。夫婦がうまく話し合って、物事を決めると、どちらのデメリットも回避することができるクリエイティブな体験をすることができるでしょう。

  自死も男性が女性に比べて圧倒的に多いです。この理由としては、男性は役割感を強く感じたいという傾向にあるからと言われています。男性は、自分が群れの役に立っているという実感を持つことによって群れから追放される不安を感じないですむという性質があるようです。だから、男性にとって「役立たず」とか、「能力がない」ということは、たまらなく不安を掻き立てられますので、禁句です。この不安は一瞬のうちに怒りや恨みに変化して現れます。女性に対しても言うべきではないことは当然のことですが、男性はその言葉によって瞬間的な殺意さえも生まれることがあるようです。ですから、逆に「頼りになる」という言葉は、男性の「役に立ちたい本能」を刺激します。誘導をする場合に強力な武器になるでしょう。「ありがとう」という言葉も、「役に立った感」を刺激して満足感を与え、次も役に立ちたいという気持ちを起こさせるでしょう。
  また、男性の「尊重されている感」を刺激する簡単な方法は食事です。一人だけ量を増やしたり、一品増やしたりすることで自尊心は高まります。ある地方では、婿養子に刺身一品多くつけるという風習があります。婿養子という疎外感を感じやすい状態を克服する知恵として永年にわたって実行されていることです。このように、男性に対しては難しく考えすぎないことが肝要です。

5 尊重されているサンプルを示して誘導する

  夫を誘導するもう一つの方法は、サンプルを示すということです。自分がやってほしいことを相手にするということですね。これは幼稚園の頃から言われていると思うのですが、あまり理由は説明されていないように思います。尊重されたことのない人は、相手をどのように尊重すればよいのかわからないのです。このために、自分が尊重されてうれしかったという体験をさせて、こうすればよいんだというサンプルを与えることが必要になります。まして、女性がどうやれば喜ぶかということを知らないわけですから、自分はこうされるとうれしいということを、相手に示し、まねさせるという戦略なのです。

  また、その時の言葉も大切です。
  「喜んでくれたら私もうれしい。」「うれしいならまたするね。」という言葉も、少しずつ染み込ませていきましょう。
  ただ、これは、あまり速攻を求めるべきではありません。少しずつ夫を育てていくという農業的感覚が必要です。

  この戦略によって、夫がうれしい行動に出たら、大げさに喜びましょう。それは意識しなくてもできるはずです。その行動がうれしいのではなく、作戦がまんまと成功したからうれしいのですから、してやったりという気持ちになるはずです。
  こういうことを言っていると、なにやら打算的に聞こえるかもしれません。しかし、これは妻だけの利益ではありません。夫婦が円満に続くことは、夫にとって最大の利益です。どんなに全国的に活躍している人だって、妻から愛想をつかされて出ていけば、全人格を否定されたというショックで抜け殻みたいになる可能性があるのです。生きていく喜びは、家族というチーム状態が良好であることに尽きる。そう確信して、大切に愛を育んでいきましょう。

 「夫側は、では自分が何をすればよいのかということをあれこれ考え始めます。それはそれで一歩前進なのです。ただ、決定的に欠けることは、妻に意見を求める、妻に決めてもらうという観点です。これは、単純に気が付かないだけのようです。一言アドバイスをすればわかってくれる男性が多いように思います。」

6 尊重しないということを辞めるのではなく尊重するということ

  女性も男性も、できれば、新婚のうちから、意識的に相手を尊重するということを始めるべきだと思います。そして、仲直りのルールなんかも早い段階ならばとんとん拍子に決めることができるでしょう。仲人に代わる相談機関等も見つけておくことと便利です。何か悪いことを改善するために意見を求めるのではなく、自分たちがうまくやっているということを仲人に言葉で話すことによって、改めて確認するためです。お互いが末永く一緒にいるということに最大限の価値を置き、それを時々意識することがうまくゆくための方法です。チームの状態を高めるということを共同で行うことが一体感を高めます。大人同士のパートナーという感じがしませんか。

  ところで、相手を尊重するということはどういうことでしょうか。それは、人間としての危険を感じる仕組みで述べました、追放の予感を感じさせないということです。人間はちょっぴり心配しがちになるということをお話ししましたが、このために何もしないでいると不安がむくむくと顔を出してきてしまいます。だから、尊重しない行動をとらないというよりも、尊重する行動をするという積極的な行動が必要です。

  では、何が尊重なのかということです。

人間としての不安の巻き戻しになります。追放の予感を感じさせる一つの事情に、自分の失敗、自分の欠点、自分の弱点などがあります。人はいろいろな弱点があります。例えば、掃除ができない、片付けができない、金銭管理が下手、子どもをあやすことが下手、色々ありますね。この点について、責めない、笑わない、批判しない、説教しない。こういう扱いをされると、安心しますよね。デリケートなところなので、「あなたは掃除が下手だから、私がやる。」とか、「あなたは食器洗っても洗い残しが必ずあるからやらないで」とかいうと傷つきます。上手にフォローしていく工夫が必要です。
  また、追放の予感は、「自分だけが損させられている」ということがあります。夫婦なので、思いっきり特別扱いをしても誰にも迷惑がかかりません。まずは、唐揚げを一個余計に夫にだけ配分しましょう。そんなことでよいんです。それをしない理由はあまりないと思います。

夫を1から10まで嫌いにならないために 2(ケンカの勧めと仲直りの方法と相談相手 ) [家事]


2 夫婦喧嘩は長続きの特効薬
  どんなに仲の良い夫婦でも、夫婦に喧嘩はつきものです。二人で遠慮をしているうちに、不満が積もっていき、それを小爆発させなければ、勢い大爆発までため込んでしまうことになります。それでは、致命的なケンカになりかねません。また、こういう我慢の日々は、相手を怒らせないようにしようということで、夫の顔色を窺う傾向を増加させてしまいます。

  むしろ、小爆発をさせて、仲直りをすることによって、「喧嘩をしてもそれで終わりにならない」という意識を持つことができます。そうすることによって、安心感が生まれてゆきます。些細なことでは壊れないという強固な仲間意識を持つことができるようになります。

  ただ、これは、仲直りの技術が必要です。
  夫婦喧嘩の仲直りの王道は、「なかったことにする」、これにつきます。喧嘩の最中は、頭に血が上っていますので、後先考えないで日ごろの不安をぶちまけます。冷静に考えれば、そんなことは言ってはいけないことも言ってしまいます。それを根に持ってしまうと、収拾がつかなくなります。(年齢を重ねると何を言われたかいちいち覚えていられなくなります。歳を取ることは素晴らしいところもあるのです。)

  さて、なかったことにすることにも方法があります。双方が気まずい思いをしています。大体は次の日の朝ということなのですが、まずは「おはよう」という挨拶です。挨拶を先にした方が大人の対応ということで称賛されるべきです。挨拶の目的あるいは効果は、なによりも「あなたに敵意はありませんよ。」というサインなのです。この敵意がないということを示すことがとても大事です。もちろん相手もあなたも、危害を加えようとはしていないでしょう。でも黙っているとわかりません。人間は、ちょっと心配しすぎるという性質があるということがポイントです。言葉を発して敵意のないことを示すことが、仲直りの第一歩ということになります。

  大事なことはまず挨拶。次は、昨日のことを蒸し返さない。前を見て生活を再開するということです。何事もないふりをして、今日の計画、今晩の夕食のメニューなどを話し合うことが良いでしょう。まさに、昨夜の喧嘩をなかったことにするわけです。あまり謝ることを重要視しないことです。夫婦喧嘩はどちらが悪いか決めるよりも、夫婦というチーム状態の不具合を修正するという発想に立ち返ってください。チームのどちらかが間違いを犯したならば、私たちが間違いを犯したということにとらえ直してください。

  仲直りの方法は、そのご夫婦独特なものになるでしょう。できるだけ簡単なことをお願いしてかなえてもらいましょう。これが仲直り、あるいは一時休戦のサインにすればよいのです。肩が凝りやすい人ならば、いつものように肩をもんでもらってもよいと思います。足や腰のマッサージもよいでしょう。背中をかいてももらってもよいのです。大事なことは、このサインを受け取ったら、どんなに怒りが持続しても、とにかく大人になって、そのことだけで良いのです。願いをかなえてあげましょう。これは夫婦のルールにするべきです。
  そして、願いをかなえてもらったら、かならず「ありがとう」と言いましょう。ありがとうというためにお願いするといっても過言ではありません。

  相手が修復行動に出た場合、「ごめんなさい」という言葉や態度が伴わなくても、頭を下げてきたことと同じですから、無条件に相手に感謝しましょう。本当はこちらからそうしなければならないのを先に相手が大人になってくれたということです。
  どうやら男性の方が、正義とか道理とかそういうことにこだわりやすい傾向があるように思われます。「俺は悪くないから謝らない」なんて子どもの兄弟げんかみたいなことを真顔で言います。しかし、そういうルールは、他人同士が共存するためにあるのです。家族同士の場合は、そういうルールよりも相手の気持ちを優先するべきだと思います。長続きするということに価値を置くべきです。「なかったことにする」ということはなかなかの荒わざですが、夫婦の在り方としては正しいと思います。
  将来を誓った二人です。ちっぽけな思想信条なんかは、いくらでも放棄してよいのではないでしょうか。ごく身近なかけがえのないパートナーの心情を大事にできない人が、法律だ道徳だといっても、本末転倒だと思ってもよいのではないかと考えています。

3 夫婦の危機を誰に相談するのか

  それでも仲直りは、いつでも有効となるわけではありません。また、喧嘩にならないで、冷戦状態が続くことも厄介です。こうなると、第三者の力を借りることが必要だということになります。
  しかし、なかなか誰に夫婦のことを相談すればよいかがわかりません。

<仲人の勧め>
  昔は、仲人夫婦という方がいて、危機が訪れれば一肌脱いでいただいていました。むしろ、危機が訪れる前に節目節目に夫婦そろって手土産を持って訪問することによって、危機が生まれないような防止の役割も果たしていたようです。結婚式のことを思い出して、初心に戻るという効果もあったようです。しかし、現代では仲人さんは頼まず、あっても形ばかりの存在で、披露宴以降会ってもいないということが多いようです。
  仲人の良いところは、夫婦を修復しようというところから発想が始まるところです。夫をコントロールできる、妻をなだめることができるという利点があります。妻にとっては、仲人の存在が安心の材料になるわけです。夫が暴力をふるうものなら、仲人さんに訴えてやるということが言えるということは強いです。夫は仲人さんの信用を失うと身近な社会的地位が失われかねないので効果があるわけです。

  仲人が夫婦であるということも利点があります。現代では、夫に対する不満を男性に聞いてもらいながら、変な関係になって、子どもを連れて出て行くということが少なくなく目にします。全くもって本末転倒です。このような事態を防止する観点からも、そういう意味で安全な人が大切です。そういう点、例えば対人関係学的弁護士などの事務所での相談も有効かもしれません。私も結構、結婚している人たちだけでなく、離婚後の仲人みたいなことをボランティアでやっております。

<インターネット、書籍、カウンセリング>

  現代はインターネットで検索することがはやっているようです。危険なことは、二つの危険、不安をあおるような記事が横行しているということです。どこまで親身になって、夫婦の仲を修正するかということには疑問があります。とにかく夫を攻撃して、妻の不満を拡大するだけの人たちは結構多くいるようです。
  まずは、このブログだったり、対人関係学のページだったり、家族の修復を優先するということを掲げていることを確認していただきたいと思います。心理療法でいえば、家族療法を掲げているカウンセリングは比較的信頼できるかもしれません。書籍であれば、水島広子先生の対人関係療法を読むことをお勧めします。比較的書店や図書館で手に取りやすいものですし、何よりもわかりやすい。お医者様が書かれたものですが、身近な例が記載されていて理解しやすいし、読んでいて面白いです。弁証法的行動療法も、お勧めできる理論なのですが、自分で読むよりもカウンセリングを受ける方が早いでしょう。

<家事紛争調整センター創設こそ現代的>
  本当は、国家予算で、家族の修復の相談を受ける機関があるべきだと私は思います。これまでは、舅姑がある程度機能していましたし、仲人さんも機能していましたからある程度自己責任ということでもよかったと思います。ところが、現代は、核家族が進み、仲人さんはいないという事情があります。昭和のころまでと違って終身雇用制という安定した経済基盤が崩壊しています。将来に対して不安を感じる要素が売り出したいくらいありすぎるわけです。家族が危機に陥り、危機から脱却できない事情が、昔に比較できないほど存在しています。公的な救済機関、相談機関があってしかるべきだと思います。
<警戒するべき支援者の見分け方>
  特に警戒したほうが良い支援者という類型があります。それは、一方が悪く、一方が正しいと断じる支援者です。特に夫婦の一方からだけ話を聞いてあなたは悪くないという人は、善意であっても夫婦の崩壊に導いています。どちらが良いとか、どちらが悪いということも、夫婦ではあまり意味のあることではありません。むしろ有害だと思います。正しくたって悪くたって、一生涯のパートナーなのです。悪いほうだけが行動を改めるということよりも、双方が夫婦というチーム状態に不具合があり、それを共同作業で修正するという発想の方が、修正も容易ですし、実行力もあります。



夫を1から10まで嫌いにならないために 1(生理的嫌悪とそのメカニズム) [家事]

(シリーズ開始にあたって:発表を待っていたのですが、  
 最近イレギュラーな出来事が多く、それに対応していたので、
 ずうっと温めていた状態が続いていました。
 これまで、夫側に向けていろいろ述べてきましたが、
 男はどうしても、自分は悪くない、悪意がないという
 文明かぶれしたようないいわけばかりするので、
 これは、賢明な女性にお願いするしかないかなと
 女性に向けて作ってみました。
 3回くらい続くと思います。
 緑の字は男性に向けています。)


序 夫を一から10まで嫌いになるとは

弁護士は、離婚事件に多く立ち会います。離婚の間際の状態は、とても苦しいものです。暴力がある事例、ない事例にかかわらず、妻は夫を生理的に受け付けなくなります。「同じ場所で同じ空気を吸うのがいや」、「街を歩いていて、夫と同じような背格好の男性を見ただけで、足がすくみ、息ができなくなった。」というすさまじいものです。とにかく逃げたくなります。こういう状態になってしまうと、離婚をして10年過ぎても、元夫が怖く、実際は元夫も元妻に干渉しようとすることなく生活をしているのですが、いつ自分のところに訪ねてくるかという不安が大きく、自分のことを探しているのではないかという恐怖を抱いている人も少なくありません。

これは、妻にとっても不幸な事態です。夫にとっても、訳が分からないうちに、自分の夫として、あるいは子どもの父親としての存在を全否定されていると受け止めてしまいますので、うつ病になったり、精神的混乱が収まらないために仕事を辞めたりして、不幸が拡大してしまいます。

何よりも、このような離婚後の高葛藤の両親のもとで、子どもたちは健全な成長を阻害され、自己評価が低下したり、幸せな結婚が困難になる場合もあります。極端な例では、思春期頃からリストカットや摂食障害を繰り返し、精神病院に入退院を繰り返すということも起こってしまいます。

離婚事例の多くが、最初の段階でのちょっとしたことのボタンの掛け違いではないかと思うことが多くあります。このボタンの掛け違いを防ぎ、ボタンがずれていることに気づくためのテキストというのは、なかなか無いようです。私なりの、長く続くための夫婦の秘訣について考えてみました。但し、理屈はわかっても、それを実践できるかは自分次第だということを、自分自身の経験からも痛切に感じているところではあります。

1 なぜ生理的嫌悪が起きるか

 序で述べた強烈な生理的嫌悪はどうして起きるのでしょうか。好きあって結婚して、子どもまでいるというのにです。おそらく、今幸せなあなたは、そんなことが自分に起きるわけがないと思っていることでしょう。ところが、今大変な状態にいる人たちも、さかのぼればあなたと同じ気持ちだったことと思います。

 生理的嫌悪が起きる理由は、人間として生きる仕組み、動物として生きる仕組みの二つの仕組みが組み合わさって起きています。

<人間として生きる仕組み>
 人間は群れを作る動物です。人間がチンパンジーの祖先と別れて800万年、他の原人と別れて20万年といわれています。実感としては想像ができない古い歴史があります。戦う能力も、逃げる能力も乏しい人間がこの長い歴史を経ても子孫を残すためには、群れを作ることが必要でした。群れを作る仕組みの一つとして、遺伝子の中に、自分が群れから追放されそうになることを感じる能力が受け継がれています。追放されそうになると、不安を感じて、自分の行動を修正して群れから追放されないようにするのです。これは、あたかも、目や耳で危険を感じて、命の不安を抱き、逃げるなどの行動を修正する仕組みとまったく一緒です。

 この群れから追放される不安を感じるきっかけは、夫から大事にされていない、夫婦という仲間として認められていないということを感じる相手方の言動がポイントです。馬鹿にされているように思う言動、乱暴にされていること、いやなことばかり押し付けられること、不平等などがあげられます。

 このようなことは、夫が妻を追放しようとしていなくても起きてしまいます。不安はあくまでも主観的なものですし、人間はちょっぴり心配になりすぎるようにできているようです。

「だから、夫側が、自分の妻を大事にしないという追放の行為がどれなのかということを探してもおそらく見つけることはできないでしょう。妻にこの不安を抱かせない一番の簡単な方法は、その逆を行うことです。つまり、妻を尊重し、こちらに敵意がないということを示し、妻を喜ばせようとする行動に積極的に出ることです。」

 このような不安が続いてしまうと、人間の心は疲れてしまいます。「もういいや」ということになってしまいます。そう思わないと深刻な事態が発生してしまいます。「もういいや」と思い始めると、夫を仲間として認識しなくなります。仲間ではない動物は、敵だと脳は勝手に判断するようになります。自分を応援したり、癒したりする仲間ではなく、自分に害を与える敵だと脳が判断するようになってしまいます。

<動物としての生きる仕組み>
 動物は、自分のことを自分で守ろうとします。草原をかけるシマウマも、近所の子犬も、ネズミもゴキブリも、自分で自分を守ろうとします。
 自分を守るためには、危険を感じるセンサーが働くことと、危険に対処する能力があることが前提となります。

 実際には危険がないにもかかわらず、危険を感じるセンサーが働かないことは、恐怖を産み出します。例えば目隠しされたり、音が聞こえなくなったりするだけで、危険がないにもかかわらず、危険が近づいているのではないかという恐怖を感じます。

 危険がないとしても、危険を回避する手段がないことも、同じように恐怖の対象です。身動きでき
ない状態に縛られたり、土管のような狭いところに閉じ込められたりしたら、それだけで恐怖を感じることでしょう。

 今申し上げたことは、すべて身体生命の不安です。これと同じことが群れから追放される不安にも当てはまります。
 自分のやることがすべて夫から否定されたりしたら、例えば料理を出しても舌打ちされたり、眉間にしわを寄せられたら、そしてどこをどうすればよいとも言わないで手も付けないとしたら、次にどうしたらよいかわからなくなりますよね。何か話していたら、逐一上げ足を取られるとか、注意され続けてもいやな気持になりますよね。こういうことが連続して起きるなら、そもそもパートナーとはならなかったでしょう。結婚したとたんに豹変する人もいますが、むしろ、少しずつ、少しずつ、自分の行動が否定されているという感覚が重なっていくことが危険です。

 だんだん、相手の顔色をうかがいながら行動するようになります。突然怒り出す相手の場合は、気を付けることができるのは相手の機嫌だけになってしまいます。こういう状態が固まると、自分の行動すべてを相手に支配されている感覚になります。ものすごく不自由で苦しい状態です。自分で自分の身を守れないという感覚は、危険がなくても危険を感じ続ける状態となり、慢性的に不安を抱いている状態ということになってしまいます。

<二つの仕組みの組み合わせ>
 二つの仕組みの組み合わせによって、夫が自分を支配する存在、つまり夫の存在が目隠しであり、手足を縛るロープということになります。この感覚が持続することによって、孤立無援感だったり、絶望感だったり、解決不能感を感じるようになります。もうこうなれば、PTSDの状態になってしまっていますから、夫が自分の生きる仕組みを奪う存在となり、恐怖ないし生理的嫌悪を抱かせる存在となります。

 このように暴力がなくても、生理的嫌悪を感じるものです。暴力がないから大丈夫とか、これだけ苦しいんだから暴力があるはずだということは、誤りです。そういう思考をする人たちは夫婦という群れについての理解ができていない何らかの理由があるのだと思います。

 また、この様に妻が支配されていると感じるのは、夫に必ずしも支配の意欲がない場合が多いのです。双方が、このメカニズムを理解して、それぞれの行為や感じ方を修正していく必要が出てきます。しかし、それは、理解が可能になってもなお、解決困難になってしまうことが少なくありません。

【宣伝】 過労死する前に仕事をやめる方法 心理学者のみた過労死防止の技術 過労死防止啓発シンポジウム宮城  [労災事件]

以下の要綱で厚生労働省主催の過労死防止啓発シンポジウムが行われます。

平成28年11月26日(土)13時半より4時前くらい
三越定禅寺通館6階エルパーク仙台 スタジオホール


心理学者と弁護士と遺族、労働者のコラボ研究の成果が発表されます。
これは、「おそらく」世界初でしょう。

精神的不調に気が付いて職場を退職した
2名の女性労働者の方々に全面協力をいただいて
東北大学大学院の新進気鋭の心理学者の先生2名と私とで、

彼女たちは、精神的不調にどうやって気が付いたか
彼女たちは、どうして退職に踏み切ったのか
ということを今年時間をかけて調査分析してきました。

この調査には、東北大学大学院若島先生の研究室の全面協力と
仙台弁護士会の自死PTの協力があり、
それぞれ、あるいは合同で検討を繰り返しました。

かなり、突っ込んだ研究成果が生まれました。

私の研究成果は小出しに、五月雨式に
このブログで発表しています。
以下が、まとめです。


人生に必要なものは、無駄な時間、何もしない時間 過労自死予防研究 survivor1
http://doihouritu.blog.so-net.ne.jp/2016-06-08

うつのかかり始めのサンプル(たとえば、自分が悪いからだと思って安心するとか)過労自死予防研究 Survivor2
http://doihouritu.blog.so-net.ne.jp/2016-06-08-1

自死予防の支援者に必要なこと 緩やかなつながりの意味 過労自死予防研究 survivor3
http://doihouritu.blog.so-net.ne.jp/2016-06-08-2

うつ病等の休職中の方の居場所を作りたい 過労自死予防研究survivor4
http://doihouritu.blog.so-net.ne.jp/2016-06-10

過労死リスクの高い人に、過労死予防の声は届かない 困難を認識しない啓発は効果が期待できない survivor
http://doihouritu.blog.so-net.ne.jp/2016-07-03

やり過ぎ、やり抜きすぎ症候群 過重労働からの離脱 survivor研究
http://doihouritu.blog.so-net.ne.jp/2016-07-15

過労死、過重労働でうつ病等にかからないために、他人軸から自分軸への切り替えが必要な人、必要な状態のサンプル付survivor6
http://doihouritu.blog.so-net.ne.jp/2016-09-26

うつ病患者は、家族に何を求めているか。逆に家族は本人に何を期待しているのか。survivor7 
http://doihouritu.blog.so-net.ne.jp/2016-09-28

【実務的過労死防止啓発】気を付けよう!これが過労死に誘導するキーワード。 
http://doihouritu.blog.so-net.ne.jp/2016-10-12

(途中でシリーズの番号の振り方を間違えてました。
 今、気が付きました。)

これは、弁護士から見た過労死職場からの離脱の方法です。

心理学者の観点からはまた別の角度からの分析結果が
わかりやすく(ここもプレシンポジウムを開いて練りました)
報告されます。

この報告と
会社のメンタルチェックに引っかかって
休職をさせられたと感じていた労働者が
主治医や産業医、会社に対して不信感を持ちながら
あるキーマンとの出会いによって快方に向かい
会社に復職しただけでなく、
復職の条件を労働者側から提示した事例も報告されます。

この条件は極めて興味深く、
うつ病休職後の復職の方法に
新しい提案ができることと思います。

二つの報告を受けて
本当に亡くなる前に職場をやめることができるのか、
職場をやめるためには何に、誰が気が付くことが可能なのか
元気でいるときこそ気を付けたり工夫したりすること
という
具体的な過労死しない方法が話し合われます。

それから、本研究に協力してくださったのは
二人の女性だけでなく、
うつ病の闘病で苦しんでいたり、
家族のうつ病に苦しんでいる人たちの意見が
豊富に反映されています。

うつ病の人たちが社会参加をする方法、条件も
示唆できると思います。
また、うつ病の患者さんの録音による発言も
用意されております。

手前味噌ですが
きわめて画期的な企画を
過労死・過労自死遺族の会東北希望の会に
企画していただきました。

全国で啓発シンポジウムは行われますが、
仙台は一味違います。

そして、さらに一味違う豪華ゲスト
あの遠野物語で有名のシンガーソングライター
あんべ光俊さんのミニライブが
今年も実現しました。

昨年もざわついていた会場に
あんべさんの遠野物語Ⅱが始まったとたん
会場がシーンと水を打ったように鎮まり
みんな彼の歌に集中した姿は
それ自体が感動的でした。

プロの生歌は、いろんなものを超えて
心を一つにさせるという体験をしました。

悲しみ、怒りを乗り越えて
暖かい気持ちで、一人一人が
過労死防止に取り組むにふさわしい企画となりました。
今年も期待しています。

最後に嬉しいお知らせです。

このような歴史的瞬間に立ち会え
自分や家族や友達を過労死で失くさない具体的な方法を知り
あんべ光俊さんのミニライブまで聞けて
なんと無料、予約不要です。

是非お誘いあわせの上お越しください。

【認定報告】20歳代前半消防士自死事案が、公務災害逆転認定(支部審査会) 死後のパワハラの問題 [労災事件]


消防署に配属されて3年目の若者が、
パワハラを原因としてうつ病に罹患し、自ら命を落としました。
大変痛ましい話です。

地方公務員災害補償基金宮城県支部長が
第1回の判断をするのですが(実質的には基金本部)、
その時は公務が原因ではないと認定されてしまいました。

わざわざ職員が私の事務所に公務外とする決定書を持ってきて、
「おっしゃりたいことはあるでしょうが、
法律の規定に従って判断されたものです。」
と言わなくてもよいことを言っていったことは忘れられません。
「さっさと紙だけ置いて帰りやがれ。」という態度がにじみ出たことと思います。

消防署の勤務は2交代制です。
午前8時に出勤すると翌日の8時まで24時間勤務です。
翌日は一日休みとなり、翌々日はまた24時間勤務となります。
間に公休は挟むのですが、このような調子です。

一応夜の10時ころから朝の5時くらいまでは仮眠時間となるのですが、
119番から出動指令を受けるために、
1時間から2時間、交代で電話番を行います。
この当番が朝の2時から3時だったら、
ご想像の通り眠ることはできません。

また、仮眠ですし、火事があったらすぐ出動しなければなりませんので、
みんな制服を着たまま仮眠しています。
消防署は過酷な勤務です。
昼間も消防、防災活動や、消火器具や消防車の点検、
署内の清掃などを徹底的に行います。
小学校や地域の防災教室を開いたりとかなり忙しくされています。

24時間一緒に行動する上司からパワハラを受けたら、
とてもじゃありませんが、防ぎようがありません。
また、叱責が深夜まで続いても、
上下関係がはっきりしているところですので、
誰も止めることができない状況にあるようです。

宮城県支部審査会(第三者委員会)は、
基金支部長の判断を覆し(実際は基金本部の判断)、
若者の自死は公務災害だと認定しました。

理由は、
遂行困難な仕事を与えて、質問しても全く教えない
家族のこと、個人的な事情を引き合いに出して叱責
机を蹴りながら叱責する等強圧的な態度をとった。
夜中の2時3時まで叱責された。等ということが
指導の範囲を逸脱した嫌がらせ、いじめを受けた等に該当する。
というものでした。

こんな明らかなパワハラなのに、
どうして基金支部長(実際は基金本部)は、
公務災害と認定しなかったのでしょう。

その理由として、まず挙げたいのは、
法律も通達も知らなかったということにあります。
行きあたりばったりの判断で、
なんとなくパワハラではないという
結論だけを持ってきたという感じです。

だから、非該当認定の時に、
「法律に従って適切に判断された」なんてことは言わなければ良いのです。
ニコニコ笑顔で、お帰りを促しましたが、はらわたは煮えくり返っていました。

もう一つの理由として、
消防署で起きた事件でありながら、
その責任の所在がある消防署の調査をなぞり書きしたということもあります。
それでも事実関係はある程度明らかになったのです。
ところが、「一度聞いてわからない方(被災公務員)が悪い」とか、
「2時3時まで机を蹴りながら叱責されても、
怒られるようなことをした方(被災公務員)が悪い」
とか、もうむちゃくちゃな認定でした。

これに対して地方公務員災害補償基金宮城県支部審査会は、
消防署内の調査は、身内をかばう意識があるということを看破して、
独自の調査に乗り出しました。極めて異例なことです。
その結果、上記認定をしてくれました。深く敬意を表します。

その上で、むしろ3カ月という長い期間パワハラを受け続けたことに
心を痛めていただきました。大変ありがたい認定です。

それにしても、山形県酒田市の事案といい、
消防署内のパワハラが明らかになってきています。
私たちの安全図るはずの消防署内で、パワハラが行われ、
うつ病により若い命が奪われているのです。
一度聞いたことを覚えない方が悪いということで、
消火活動をしているわけではないと思いたいです。

当該消防署は、同僚の命が失われていたにも関わらず、真摯に反省していません。
それが、報告書の内容に反映しています。
報告書の中で、各職員のアンケートのようなものが報告されています。
この中では、明らかなパワハラが行われていて
それを見ているにもかかわらずなかったことにしたり、
被災公務員自身に責任があるとか、
パワハラ上司をかばったりする職員が圧倒的多数だったのです。

中には、色々な事実関係を認めた回答をした職員の方もいました。
だから、本当は、パワハラの事実はみんな知っていたことなのです。
一人が見ていて残りは見ていないということはありえません。
それにもかかわらずかばう人が多数だった。
亡くなった原因を隠蔽しようとする力が働いていたことがはっきりしました。
それも一人一人の消防職員の問題です。
これでは、亡くなった後まで同僚から
パワハラを受けているようなものじゃないかと私は感じました。

報告書は消防署の仕事に不案内な市役所から出向してきた方が作成しました。
再発防止を考えるべき責任者が、職場のことを知らない人で、
かつ、うつ病についても自死についても全く知識のない人でした。
典型的なことはうつ病を発症させて3か月後に自死するということは、
当初のうつ病発症理由と自死は関係ないのではないかとか明記しているのです。

この内容は、遺族には事前に明かされませんでした。
手続きの中で突き止めたものです。
うつ病はなかなか治らないことも多いです。
特にパワハラの場合は長引くようです。
そして、うつ病に罹患中であれば自死の危険は高いのです。
これは、厚生労働省も基金も裁判所も全て共通理解です。

客観的な事件分析をしなければならない立場の人間が
このような知識不足による先入観があることを
あらわにした報告書だったわけです。
これも、一人の尊い命が失われたことに対する
緊張感のかけらもないことを示す事情だと思います。

消防署は、私を招いて、人権教室を開催するべきです。
体質を改めなければならないと思います。

本ブログ、および対人関係学の目的 [閑話休題]

昨日の記事は、自分自身の予想を上回る反響がありました。
少々恐縮です。

フェイスブックの方にもご意見いただきました。
フェイスブックのコメント欄というと、
なかなか柱主の意見に賛同しない意見というのは、
抵抗があって書きづらいものです。
(もっとも私の友人の名古屋の方と
 バンダナ親方は別ですが)

敢えてコメントをいただいたということは
こちらとしても、大変ありがたいことだと思っています。
例えば、
昨日の記事がどこまであっているかはともかく、
もう亡くなってしまったのだから、
今更書いても空しいだけではないか
というご意見を多く寄せられました。

そこで、今日の記事を書こうと思った次第です。
こういうきっかけとか、問題の所在については、
確かに書いているときは、なかなかそういうことに
気が付かないため大変ありがたいのです。
そういうところに気が付けば、
もっとわかりやすく書きようがあるので、
今回の記事に反映できなくても
次回以降に反映させていただくことになるし、
今日みたいにそれで一本作ることもあるわけです。

昨日の宇都宮事件については、
真実はわかりません。
DVがあったのかなかったのかについても、
私にはわかりません。

ただ、こういう構造で、こういうことが起きる可能性がある
ということは言えると思うのです。

亡くなった方が、特別な性格、人格で
例えばテレビの司会者のコメントのように
自己顕示欲が強くてこういう事件を起こした
とばかり決めつけてよいものか
という疑問があります。

一つには、子どもから引き離された父親が
自死をするケースが非常に多いということです。
自分の命を大切にできなくなっている状態ですから、
他人の命を大切にできなくなる状態と
隣り合わせにあるということに気が付くべきです。

焼身自殺をした父親に
子どもが巻き込まれて死亡したケースもありました。
報道では父親が子どもを道連れにしたとされていますが、
私の友人の番頭たま氏調べでは、
焼身自殺をしようとしている父親を助けようとして
小学生の子どもが結果として道連れになった
というのが目撃者の話だそうです。

自分の命を大切にできなくなる状態に
人を追い込まない方が良いに決まっています。

親が子から引き離されて自死が頻発するということは、
自死に至らないまでも、追い込まれて苦しんでいる人たちが
無数にいるということです。
死ななければ良いというものでもありません・

誰かの失敗、過ち、損害そういうものが
その人独特の、特殊な事情によって起きているなら
それはそれで終わりでよいでしょう。

しかし、そういうことは滅多にないと思います。
構造的な共通項があるならば、
繰り返される危険があると認識しなければならない
と思うのです。

「彼は誤っている」ということで終わりにしてしまうと
もしかしたら、同じ行動をとる人が出ることを
防ぐことができたのにみすみす許してしまうこともあるでしょう。

法律家は、人間の数々の誤り、損害、失敗に立ち会います。
それは、その人の偶然の事情を超えた共通項があるはずです。
そうだとすると、法律家は、
同じ誤り、損害、失敗を繰り返さないために、
予防を提案するべきだと思います。
二の轍を踏まないようにということです。

このブログ、対人関係学はそのためのものです。

もう一つ目的があるとすれば、
あなたと同じことで苦しんでいる人が多くいるということと
苦しみの原因はここにあるのではないかということを
提起することだと思います。
そうすることで救われたと言ってくれる方も
大勢いらっしゃいます。

そのための自死研究であり、
いじめ、過労死研究であり、
離婚研究であるわけです。
まさに私のテーマの事件だったので、
私しかこういうことは言わないだろうということでした。

蛇足になりますがもう一つ、
方法論として、誰が悪いとか
正しいから仕方がないという思考はとらないということです。

離婚問題であれば、
夫婦というチームの不具合として
チーム状態の修正方法を考える、

いじめ問題も
本質的には、学校というチームの不具合を修正する
きっかけになることを考えます。

犯罪関係についても、
個人に帰責するよりも
社会状態の不具合を修正するという発想に
たつように心がけております。

ご理解いただきますれば幸いです。

コメントをいただいた方々に心より感謝申し上げます。


宇都宮連続爆発自死 彼は何を言いたかったのか。冤罪DV。 [家事]

平成28年10月26日追記 貴重なコメントをいただきました。この追記をするきっかけを与えていただきありがとうございました。 本記事は、本件が冤罪DVであったと主張するものではありません。一般的に冤罪DVが存在し、構造的なものであることを指摘しています。そして、その構造によって、当事者が追い込まれていく危険があると思っています。本記事で批判している対象は、本人だけです。他の方の落ち度や悪意は一切考えていません。本人を批判する理由は文中のとおりです。

この記事は、彼を擁護するものではありません。
特に、罪もない人に傷害を負わせたことについては
正当化はできません。
それでも、弁護士は、
先ず、依頼者相談者が何を言いたいのか
それを理解することから始めなければなりません。
理解したうえで、それは認められないというか
一緒に頑張りましょうというかわかれるわけですが、
客観的事実の有無の判断の前に
本人がどう感じているかについて把握する必要があります。

1 爆発自死という手段

自死の手段として、自らの身体を激しく損傷させる
方法がとられることはなかったことではありません。

これまでは、焼身自殺が典型でした。
何か理不尽なことで、強大な力によって
自分が虐げられている場合に
抗議の意思を表明する手段として用いられるものです。

怒りの対象にまっすぐに向かっているのですが、
怒りの対象が強大すぎるため抵抗する方法がなく、
自らの死をもって抵抗するという、
絶望回避のための自死という矛盾をはらんだ行動
ということになります。

彼が、抱いていた憤りとは何か
考えていきたいと思います。

2 退職金の使い込みは可能か

彼は、自分の退職金が相当使い込まれて、
残った1500万円も、裁判所に差し押さえられた
と言っているようです。

夫の退職金の数千万円を
妻は自由に引き下ろせたのでしょうか。

先ず、子どもを連れて別居、離婚という事件に
私は数多くかかわっていますが、
多くの場合で、夫は妻に給料から銀行口座から
すべてを預けている場合が多いです。
妻は、銀行のキャッシュカードも、
夫の銀行口座から引き落とされるクレジットカードも
すべて持っているのです。

極端な事例が多く、妻は躊躇なく
夫の給料が入ったら、直ちに全額引き落とす
ということをやっています。
夫は、文句も言わず、労働の対価である賃金を
全て妻に委ねていることが多いのです。
だから妻が去った後、夫の口座には
わずか数百円しか残っていないことも珍しくなく、
カードキャッシングされていたり、
公共料金や電気光熱費、家賃などが
数か月分滞納されていることもよくあることです。

また、一般的に使い込みがある場合、
ギャンブルに使う場合
誰かに貢ぐ場合であれば、
金がいくらあっても、
砂漠の水蒸気のように消えていきます。

青森県のアニータ事件もそうですが、
ホストクラブで大金を貢いだということもあるでしょう。
祈祷師などに支払ったということもあります。
とにかく領収書が出ないということが共通項です。

一度に30万円から50万円くらいを引き落とし、
月に3,4回くらい渡す
1年間もあれば2,3千万円を貢ぐことはざらにありそうです。

3 子どもの精神障害と夫婦不和

子どもの精神障害が夫婦仲を悪くするということはよくあります。
どちらかが現実の困難さに負けてしまうということですが、
父親が逃げる場合も、母親が逃げる場合も実際にはあります。

治療方針をめぐって争いになるということも多いです。


但し、現代的な問題は、
子どもが小学校くらいで、発達障害と診断され、
妻が治療に積極的で、
夫が治療に消極的で、特に投薬は必要ないのではないか
ということで争いになることが多いようです。

古典的には、本件のように、
病気であることを認めない親と
病気であることを認めて治療をするべきだという親との
対立があることが多かったと思います。

4 統合失調症は父親だけを攻撃するか

統合失調症は、程度や病気の現れ方が千差万別で、
こういう症状だということがなかなか難しいのですが、
妄想、幻覚、幻聴が特徴です。

また、その中の一つのバリエーションとして、
何か自分に不都合なことが起きると
父親が操作していて起きている、
父親が自分を亡き者にしようとしているとして、
おびえたり、父親に攻撃的になる
という例はあります。

そのように感じてしまう背景は説明できますが、
そうだとしても、そう感じるメカニズムについては
やはり病的な問題だということにならざるを得ません。

5 措置入院とDV

措置入院は、法に定められていて、
精神疾患によって、
自分を傷つけたり、他人に害を与えたりする危険があると、
2名の指定医という特別の精神科医が診察をした場合に、
知事や政令指定都市の市長が、
精神病院に入院させて治療を行う措置をするという
行政処分です。

強制入院ですし、
凶暴性があれば隔離されるでしょうから、
親同士の間で措置入院を要請するかについては
意見が分かれることもあるでしょう。

いずれにしても、措置入院は、
2名の精神科医、保健所、知事という
何人もの人によって慎重に決められます。
父親一人の判断で進められることではありません。

この点が離婚訴訟などで争点になっているようですが、
どのような争いになっていたのでしょうか。

彼のブログでは、
措置入院が、彼の「不適切な対応」と認定されたと言っていますが、
それはどういうことでしょう。

措置入院が現実に行われるまで、
即ち、精神科医の診察が行われるまでが、
最も困難な壁があるのです。

家で暴れていたり、自死を図っている当事者を
なだめて保健所などに連れて行くということは
通常ありえません。
家族は手が付けられない家族に対して、
自分の身の安全に対する恐怖と同時に、
相手の行く末を心配します。
治るものなら治したい、
とも角も命の危険を回避したいという強い感情があります。

一つには、暴行罪や器物損壊罪ということで
警察出動を要請して、
協力を得て、保護なり逮捕をして身柄を確保して、
警察から保健所に通報して措置入院に進むことになります。

警察官が到着する以前に、暴れている患者さんを
取り押さえて暴れるのをやめさせる
飛び出していこうとする者を制止する
ということも
必要になるかもしれません。

刃物を取り上げたり、
外に飛び出そうとしたところを抑えたり、
抑える過程で転倒したりして
出血したり、痣を作ったり
ということは、実際に起きていることです。

それでも、仮に措置入院が行われたというのであれば、
自分を傷つけたり他人を害する危険があったということですから、
やむを得ない行動だといわれなければなりません。
本人または家族の命が危険を守ったことになるでしょう。

もし、この制圧行為をとらえてDVだと言われたら、
もし、警察官に通報したことをとらえてDVだと言われたら
もうどうすればよいかわからなくなってしまいます。
好きで家族を精神病院に入院させたいわけではないのに、
あたかも虐待として精神病院に入院させた等と言われた
と感じたら、理不尽を感じて強く憤るでしょう。

6 DVはそんなに簡単に認定されるか

実務に多く携わっている者の実感からすれば
簡単に認定されると思います。

女性保護が極めてゆがんだ形で浸透しているからです。
社会的な女性保護が浸透しないどころか
労働過程などで見返りもなく切り捨てられていることの反動だと思います。
派遣労働者をはじめとする低賃金不安定雇用の形態は
女性の社会進出を口実の一つとして作り出されてきたものです。
家庭の中での夫を、国家権力が攻撃して、
相談件数、保護件数、支援措置件数等統計的な増加を示して
留飲を下げさせているのではないかという懸念があります。

事実について極めてあいまいな妻の主張をもとに、
精神的虐待が認められてきています。

とにかく、DVだということを警察に相談さえすれば
自分の居場所を夫から隠してもらえ、
住民票の閲覧制限につながります。

何ら暴力をふるったことのない夫が
警察署に連行されて、
二度と暴力をふるいませんと誓約書を書くまで
帰されないというケースもありました。

枚挙にいとまはありません。

最大の問題は、被害者に寄り添うあまり、
不合理な扱いが横行しているのです。

被害者は混乱している、支配されている
だから多少の支離滅裂は仕方がない、
夫は加害者だから冷静なのは当たり前。
DV加害者はうそをつくから言い分を聞くべきではない。

ということで、
行政のDV認定の過程で夫は一切言い分を述べる機会もありません。

これらはアメリカのDV事例に基づいて
アメリカ人が行った研究をもとにしているようです。

母親に連れられて家を出た子どもが
父親の元に戻ってきた事例がありました。
子どもの健康保険証を母親が持っていったので、
区役所に相談に言ったところ
区役所の職員から、
「あなたとは話すことは何もない」
ということで、行政サービスを拒否された事例もありました。
健康保険証には妻の新しい住所が記載されているからです。
しかし、そのケースでは、住所は妻の実家ですし、
子どももそれを知っているのです。
隠す必要性も全くなかった事案でした。

こうやって冤罪DVは起きます。
子どもの不利益は考えようともしません。

裁判所も、こうやって、DVの支援措置がなされているとすれば
DVがあったという先入観が生まれるかもしれません。
また、本人訴訟ということになれば
木を見て森を見ないということが良く起きますから、
反論も有効ではなかったかもしれません。

さらに保護命令(退去命令、接近禁止命令)が下される裁判所の部署
にも大きな問題があります。
日頃仮処分を行っている部署が保護命令も担当します。
だから、本来民事訴訟法上の証明が必要であるにもかかわらず、
簡単な仮処分上の疎明だけで、保護処分という重大な不利益を伴う
処分を下している可能性があるように思われます。

仮処分なら後に本裁判で争うことができます。
ところが、保護命令には本裁判はありません。
二度と争うことができなくなります。

そうして、保護命令が出たところで、
離婚調停が始まります。
裁判官の訴訟指揮で、
保護命令が出ている事案だから警戒を厳重にということで、
警備員が増設されることになります。
裁判所庁舎中が、緊張感に包まれることになります。

調停委員も、自分自身の身の危険を感じています。
どうしたって、身構えることになるでしょう。
この中で弁護士がいないのであれば、完全にアウエイです。

弁護士がいなく身を守れないということであれば
冤罪は起こるべくして起きるわけです。
もっとも、この点について理解や経験のない弁護士であれば
プラスの要素は限られてしまうことになるかもしれません。

7 冤罪DV加害者の心理

彼も、妻側の主張が、全く理にかなっていないので
よもや自分が責任を問われることになるとは
思わなかったのでしょう。
弁護士を頼まなかった理由もここにあったようです。

しかし、何を主張して、どこを裏付けを提出するか
ということは、弁護士でも難しいです。
一般の方が行うことは至難の業です。

先ず、一般的に、家から去った妻の行方を探す際に
役所も警察署も一切協力してくれません。
心配だから探すのに、みんな何らかの悪さをするために
捜しているのだろうという先入観もあります。

住民票がとれないというあたりから、
どうも自分に対する態度が、
自分のこれまでの職場やボランティア団体で受けていた
他人からの接し方と違うなということに
気付き始めるでしょう。

妻子の行方を探すことを警察にやめさせられるあたりから
理不尽な感覚を受けるでしょう。
但し、警察官は、態度を表に出さず、
丁寧な言葉使いをすることが多いので、
まだピンと来ないかもしれません。

次は、保護命令です。
自分のうちなのに2カ月退去しろとか
妻子の半径何メートルに近づくなとか
全くもって無礼な内容が要求されています。

この時点では、まだこんなことは裁判所が
認めるわけがないという確信がありますので、
不安や怒りはあるでしょうが、追い込まれているわけではありません。

次々に事務的に裁判は流れていきます。
ご自分では大丈夫反論し尽くしたと思っていても、
保護命令はよほど弁護士が奮闘しない限り通るでしょう。
奮闘しても裁判体によっては通ってしまいます。
おそらく、傷害を受けた痣の写真とか
全治何日の診断書が添付されていますので、
一応の疎明はありとされてしまうからです。

こんなバカなということで、愕然とされると思います。
控訴をしながら離婚調停に応じることになります。
言葉づかいも、これまでの職場で受けていた言葉遣いや
ボランティア団体で受けていた言葉遣いとは
全く違います。
上から目線でのものの言いように聞こえたかもしれません。

自分のこれまでのキャリアが、すべて否定された感覚を持ったかもしれません。
家族に対する思いも否定されて、
暴力で人を支配しようとする人間として扱われると感じたかもしれません。

理不尽な妻や子と裁判所が一体となって
自分の全人格を否定しにかかっている
そういう感覚を受ける男性は多くいます。

これまでの自分の人生、
妻子のために給料をすべて渡して、
感謝されることだけを心の支えにして生きていた人生、
誰からも後ろ指を指されないで、
それ相応に尊敬もされ、尊重されていたキャリア
それが一気に否定された感覚を受けたかもしれません。

それも、理由を認識したうえで評価されたならいざしらず
お前は黙っていろと言われて、無理やり黙らされて
お前は悪だと決めつけられるわけです。
それは、出席していながら欠席裁判を受けるようなものでしょう。

しかも、強制執行がなされると、
自分を守る方法がないわけです。

きちんと裁判の対応をしなければ
長年連れ添った夫婦であれば、
1千万円単位の慰謝料が認容されることも
実際にあります。
高裁で10分の1以下に減額された事案もあります。

1500万円が認容されて差し押さえられることも
実際にあるわけです。

裁判は確定してしまえば、争う方法はありません。
家や車が惜しくて爆発させたわけではないと思います。
理不尽だと思う結果を受け入れられなかったのだと思います。

家や車の延長線上に
自分という人格の器があったのでしょう。

今回の自死は、周りを巻き込んだもので
正当化の要素はありません。
住民を不安に陥れた罪も大きいと思います。
許されることではありません。

ただ、今回のケースは、爆発という要素を除けば
初めてのことではありません。
周りを巻き込んだ焼身自殺のケースもありました。
自分の人格を否定されたという、子どもから引き離された事案です。

周りを巻き込まなくても
静かに死んでいった男たちも
あまりにも多すぎる状態です。

せめて、有効な反論の機会、
妻子の心情の正確な伝達と
納得行く説明の機会を確保してほしいと思います。

被害に遭われた方々には申し訳ないのですが、
むしろ再びみたび被害者を出さないためにも、
人格否定の結果を招く制度を見直すことこそが急務だと思います。

彼が特殊で、突出した人物ではなかったと
私は思っています。






【閲覧制限】先日の子殺しの新聞記事を読んでたまらなく嫌な気持ちになった人のためだけに [事務所生活]


【注意です】私が、何日か前の新聞の記事を読んで、ものすごく苦しく、凄惨な気持ちになりました。私自身がその気持ちを解消するために、自分のために作った全くのフィクションです。そのため、事実に基づいていませんし、具体的な事例を想定してのものでもありません。どうして凄惨な気持ちになったのか、どこに疑問を生じたのかが論理を超えて明らかになっていると思います。私と同じ気持ちで苦しんだ方にとっては役に立つと思います。しかし、うっかり読むと、また別の嫌な気持ちがわいてくる可能性がありますので、自己責任でどうぞ。

<子どもの父親の話>
 そうです。私です。前の妻が娘を殺したという話は知っています。私のところまで話を聞きに来るなんて、あなたも変わっていますね。なんせ私はDV男ですから。私のいうことなんか、誰も相手にしませんでした。悲しいですよ。自分の子どもですよ。当たり前じゃないですか。
DVったってね、生まれて間もない赤ん坊の前でタバコを吸っていたんですよ。腕をつかんでやめさせました。その時痣ができたようです。痣ができやすい体質なんですよ。それで、DVってことで、私が家に入っちゃいけないってことを裁判所に決められました。どうなっているんですか。子どもが心配で探していたら、たまたま近くにたどり着いたんでしょうね。突然警察官に取り囲まれてしまいました。警察署に連れていかれて、もう二度と暴力はふるいませんって誓約書を書かされましたよ。あなた、いやだって言えますか。このまま逮捕されるのかと思いましたよ。
 あいつは、あまり家事のことはしません。子どもが生まれて少ししてから極端に何もしなくなりました。私も子どもの面倒が大変なんだろうと思ったので、あまり言わないようにしてたんですよ。それでも、「自分ばかり損をしている気がする。」ってそんなことばかり言うようになりました。使い込みがわかって、いや大した金額ではないのですが、われわれの1か月の生活費を圧迫するには十分な金額でした。それでも怒らないようにしていたんです。
 そのうち、子どもの成長が遅いとか言い出して役所や病院なんかに連れて歩くようになりました。私には、そんなふうには見えなかったし、よそと比べなくてもいいじゃないかと言っていたのですが、納得しないようでした。「私の話を聞いてくれない。」ってよく言っていました。でも、しょっちゅうくよくよしたことを聞かされていたんですよ。何とか励まそうと私が言っても、いつも言葉を遮られたのは私の方でした。
離婚の時も、私の言うことなんて裁判所は聞いていませんでした。DV男だっていうことで、裁判所に警備員もたくさんいましたよ。不愉快ですよ。子どもは心配でしたが、とても私が引き取れる様子はありませんでした。「子どもは母親といることが幸せだ」とあの時言った人たちは、今どうやって責任とるんですかね。
 私もね、いつか子供に会えるかもしれないということが、あきらめながらもどこかにあったんでしょうね。あいつに殺されたと聞いて、怒りよりも、力がすべて吸い取られたようでね。
今日は、話を聞いてくれてありがとう。

<妻と娘と同居していた男性(妻の内縁の夫)の話>
 なんかさあ、俺が子どもを虐待していたようなことになっているんじゃん。それはちょっと納得行かないよ。女の子だからさ、それほどかまうのもなんとく遠慮してしまうということはあったけれど、俺なりにかまっていたと思うよ。なんか子どもがいることに不満をもって、俺がトイレに立てこもったり、ドアを壊したっていうけどさあ、そうじゃないよ。あいつが、いつもいつも後ろ向きなことばかり言っていたから、腹立ってさあ。あいつに腹立てていたんだよ。俺からすれば、子どものせい、俺のせいって、あいつばかり同情されているって感じだよ。例えばさあ、なんかわけわからないタイミングでかんしゃく起こして「この子のせいなんでしょ。」ってことばかり言ってくるから、そんなこと言っていないだろうって、そんなことの繰り返しでさあ。そういうの聞いてるとなんか俺が悪者にされているみたいで、切れちゃったことはあるよ。
 え?子どもの発育についての相談や離婚の相談を受けていたかって?まあ、愚痴みたいなことは確かに一緒に住む前から聞いていたような気がするけど、あんまり覚えていないな。女の愚痴って意味ないから、「うんうん」って聞き流す方なんで、俺。あんまり、ああしろ、こうしろってことは言っていないと思うよ。
 そうそう、嫌だったのはさ。かんしゃく起こして、俺が相手にしないと、子どもにあたることだよ。さも俺のせいで子どもにあたっているんだって言わんばかりさ。その中でも嫌だったのは、外に放り出して、「バイバイ」って鍵をかけるときにニヤッと笑うんだよ。子どもは泣いていたけれど、何回もそれやっているうちに、だんだん、死ぬ間際頃だよなあ、母親がニヤッと笑うのを見て、安心してニコって笑うようになっちゃったんだよ。一人でポツンと外に座っちゃってさ。そん時は、さすがにぞっとしてさあ。俺が子どもを中に入れたこともあるんだぜ。
 こんな話何かの役に立つの?

<女>
私は、男運も悪いけれど、人との関係はみんなだめだね。運がないっていうか。かわいそうでしょ。もちろん悪いことしたと思っているよ。自分の子どもだもの。
役所の関係?ああ、センターね。そうだよ、子どもだってどうしても欲しいってわけじゃあなかったんだよ。ちょっと夫の愚痴を言いに行ったらさあ。離婚をしなければ助けないって言われちゃってね。なんだかって、裁判手続きすれば慰謝料が高くなるなんて言われてやったけど、全然嘘。「ないところからはとれませんよ。」だって。かわいそうでしょ。そんで、子どもも連れてくることにいつの間にかなっちゃって。そのあと面倒見てくれるのかと思ったら、全然じゃない。あの人のところに転がり込むのも、子どもを育てなければならないんだものしょうがなかったのよ。子どものためよ、あくまでも。
でもね、皆さんにはお世話になったと思う。初めて私は認められたって気がしたよ。全部私が悪いんじゃないってはじめて言われた。前の夫は、掃除しないのも、子どもが発達障害なのも全部私のせいにしていたからね。そりゃあ、バッグを買ったよ。でも3万円もしないんだよ。きょうび、誰だって持っているよ。それで生活費がなくなるなんて、「それはあなたが悪いんじゃなくて、夫の稼ぎが悪い」と言われたときはスカッとしたわ。私は悪くないってさ。それが本当だろう?私がかわいそう過ぎたのよ。「お母さんが悲しい顔をしていたら、子どもだって幸せじゃないでしょう。子どもが幸せになるためにも離婚しましょう。」って言われたとき、ああそうなんだって思ったよ。魔法の言葉だね。
 こどもを亡くした時も、この子がいたのでは幸せになれないって思っていた。それは認める。この子さえいなければって。私が悪いわけじゃないって。あの日の夜も、「私が幸せじゃないとこの子も幸せじゃない」ってその言葉ばかりを頭の中で繰り返しながら、あの子と歩いていたことは覚えている。その後のことは本当のことを言うとあんまり覚えていない。正直な話。警察の方で、こうだったんだよねって言われて、私はそれにうなずいていたような気がする。

<対人関係学者>
あなたねえ、ありえないよ。生まれて数年も経っていないような幼児がね、自分を殺してもいいよなんて穏やかな心になるなんてことはないんだよ。ちょっと自分の頭で想像してみなよ。作り話に決まっているだろう。
わが子を殺そうってい時に、冷静に子どもを見ているなんて、それこそ鬼以下だよ。無我夢中になって、半狂乱になって殺したんだと思うよ。そう思いたいよ。だから、そんな死ぬ間際の子どもの様子を見てるはずないし、覚えているわけなんかないはずだよ。
そんな話をどうして作ったのかわからんね。そんなことで刑が軽くなるわけはないから、刑を軽くしようというより、もしかしたら、自責の念を緩めようとしたのかもしれないよね。
子どもが死ぬ意味がわからなかったって?そんなのわからなくても、痛いのは怖いだろう、わかるよ。あんた少しは自分で考えてから言えよ。
ああ、不愉快だよこんな話、ないと思うのだけれど、万が一その幼児が冷静に死を受け入れたとしたら、完璧な自死になっちゃうんだよ。要するに、生まれて数年足らずで、皆が可愛がられて育つ時期にだよ、自分には味方がだれ一人もいないという孤立感と、自分が生きていることで母親に迷惑がかかるという生きていることの負担感を感じていたことになるんだよ。それ以上に、自分の命をどうでもいいように感じていることになるよ。単純に怖いということすら感じなくなっていたことだよ。それだけ、毎日毎日虐待されていたことになってしまうわけだ。もう自分なんてどうでもいい存在だと思っちゃっているんだから、ありえないよ。
ない、絶対ない。なに、母親は覚えていないっていうの、そうだよ、それが真実でよいんじゃないの?
それにしてもよかったよなあ、記事にする前に私のとこ来て。そんないい加減な記事書いて恥さらすところだったんだよ。しっかりしろよ。確かに加害者支援は大切だし、より建設的だし、私も言っているよ。だけどね、支援ということとね、感情をダダ漏れで肯定することの違いをはっきりさせないとだめだよ。この事案、普通に考えれば、浮気相手とくっつくために夫を攻撃して子ども連れて浮気相手に走った事案じゃないか。加害者にまっとうな道の選択肢を与えることが必要だったんだよ。加害者に同情してはいけない事案であると思うよ。
それにしてもね、不思議なんだよね。いくら男と別れたくないからって言って、自分の子どもを手にかけるかねえ。子どもが嫌いでも執着はあるのが大多数だよねえ。なんか、子どもを否定してもいいような、そんな考えがどこからか彼女の頭の中に入り込んできたんじゃないかなと思うんだよ。入り込んでくるっていうのはさあ、自然には生まれない感情だからさあ。

<センター職員>
ええ、私たちは一言で言えば寄り添いをすることが仕事ですよ。もっともっと虐げられた女性たちに寄り添いをするべく、人数を大幅に増やしました。虐待を受けた女性は、自分が悪いという自責の念を持っていますから、「あなたは悪くないんだよ」ということを言って聞かせることが鉄則です。そうです、お母さんがニコニコしていなければ子どもたちは幸せになれません。辛い結婚ならば離婚するべきです。それが子どものためにもなるのですよ。それから先は、福祉の制度もありますから制度を紹介します。そういうことを、わからないんですよね。虐げられているのに、夫の気持ちを考えたり。
 そうですね。以前は入ったばかりの職員は、本当に虐待があったのか、本人の言っていることは信用できるのかなんてことを言って根掘り葉掘り尋ねたりするひとも前はいました。ベテラン職員に言わせると、それは寄り添っていないことです。虐待を受けている方は精神的に動揺もしていますから、脈絡のないことも言うものなんです。虐待している方は余裕がありますから、理路整然と話すでしょう。そこにごまかされてはなりません。ベテランになるとそういう寄り添わない態度はとりませんね。増員したといっても、そのあたりの研修はみっちり積んでいますから、本当に虐待はあったのとか、妻側にも悪いところがあるんじゃないのなんていう職員は一人もいませんよ。完璧に寄り添っています。夫は女を支配したがるものですから、夫から事情を聴くなんて無意味ですし、何より女性に寄り添っていないことになりますよ。妻は被害者なんです。20年かけてそういう制度を作ってきましたから私たち。
 子どもとお母さんの利益が衝突したらですって?お母さんが幸せになることを選択することが子どもの利益ですよ。ええ、全職員そう思っています。まずはお母さんが幸せになること、これが子どもにとっても幸せなんです。子どもを幸せにしたいならばお母さんが幸せになりなさいって言っています。繰り返しますけれど、そういう寄り添える職員が倍増していますよ。子どもたちにとっても役に立っているんです。



【報告】交通事故で過失割合0示談を実現した事例 保険会社は過失割合5割(被害者に対するモラルハラスメント)を主張 [交通事故]


事案
 私の依頼者は自動車を運転していました。
前方にバイクが走行していました。
三叉路が近づき、車線が右折レーンと直進レーンに分かれています。
前方赤進行であったため、依頼者はブレーキをかけて減速しながら、
右折レーンを走行していました。
バイクは直進レーンの依頼者よりやや前方を走行し、
やはり減速をして停止準備をしていました。

 ところが、依頼者がすっかり停止となろうとするその瞬間、
バイクが転倒してきて、依頼者の自動車に接触しました。
バイクの運転手は、幸い自動車と反対方向に放り出されていて
軽いけがで済みました。

バイクが転倒した理由は、
道路上に石があってよけようとしてよろけて転んだようです。
バイクから運転手が放り出された後で、
コントロールを失ったバイクが依頼者の自動車に接触したのです。

保険会社の対応

 依頼者は、当然修理費用10万円は、
相手方の保険会社から払われるだろうと思っていました。
ところが、保険会社は、調査会社の調査を踏まえて、
依頼者の方により落ち度があると言い出したのです。
停車しようとしたところに無人のバイクが一方的にぶつかってきたのにです。
 依頼者はわけがわからなくなり、私のところに相談に来ました。


私の活動
 まず、なぜ依頼者に過失があるのかについて
保険会社に問い合わせしました。
そうしたところ、車線変更時の事故なので、
判例タイムズの分類に合わせて6対4(4が依頼者)が基本で、
譲歩しても7:3が妥当だと言ってきたのです。

 これだと、依頼者の損害10万円、
バイクの損害も仮に10万円だとすると損害合計20万円。
その3割ですから6万円を依頼者負担することになります。
差引自分の修理代のうち4万円しか支払ってもらえないことになります。

 幸い依頼者は自動車保険の弁護士特約に加盟していたために、
弁護士を依頼しても損をしないで済みました。
 私は、判例タイムズの分類とこの事故とは
明らかに違うというやり取りをして、相手方も少し譲歩を見せだしました。
 依頼者も納得しませんが、私も納得しません。
この事故はもらい事故です。
被害者が被害を負担するということは道理に合いません。

 ここまで保険会社が強硬だった理由は、
どうやら、バイクの運転手の親が保険契約者で、
依頼者の落ち度も認めないと示談しないという
強い意向を持っているらしいということがわかり始めました。

 要するに、保険会社は無理を承知で主張してきているわけです。
罪のない依頼者に罪を着せようとしているようなものです。

 本来弁護士法で、弁護士以外のものが
民事紛争に介入して利益を得ることを禁止しています。
これの例外的な扱いで、保険会社が示談代行を許されているわけです。
私は、この例外を認めたことは誤りではないかと感じました。
もし弁護士ならば、いくら依頼者の意向が強くても、
法律的に無理な主張を通そうとするでしょうか。
そんな弁護士がいないと信じたいです。

保険会社は、保険契約者は保険料を払ってもらうお客さんですし、
その人が会社の代表者で会社の従業員の保険契約も事実上応援していただいたり、
会社の火災保険に加入していただいていたりすると、
なかなかその人の意向に反することをできないという事情はあります。
しかしそういうことで、示談内容が左右されることは、
やはりあってはならないのです。
被害を受けた被害者の気持ちは全く無視されて、
被害者に不利益を押し付けるのですから、
被害者にとっては強烈なモラルハラスメントです。

そうだとすると、示談代行という
制度に問題があるということになってしまいます。

 ただ、この保険会社の担当者の方はとても誠実な方で、
こちらの依頼事項に関しては迅速に誠実に対応してくださり、
真実探求にも協力していただきました。

最終的には、こちらの言い分に対する反論をあきらめて
少しでも過失割合を認めてほしいというそういう交渉をしてきました。

 これではらちが明かないということで、訴訟を提起しました。
10万円と4万円の争いということになりました。
それでも、依頼者にとってみれば、
事故の責任がないにもかかわらず責任を持たされることの屈辱、
保険料が今後上がってしまうのではないかという不安があります。

心の問題を解決するという
お金には代えられない利益があると判断したためです。

 裁判にしたところ、バイクの方も弁護士が受任しました。
 私は緊張しました。何を主張して争ってくるのだろう。
弁護士も、依頼者べったりで、
法を曲げた主張をするのだろうかという不安もありました。

 そうしたところ、事案を把握した相手方弁護士は、
過失割合については、こちらの主張を受け入れました。
さすが弁護士です。
代理人間ではとんとん拍子に合意が形成されていきました。
こちらの依頼者も合意内容に不満は全くない内容でした。
実際の示談所の取り交わしには時間がかかったのですが、
おそらく、保険会社、弁護士と共同してバイクの運転手の親を説得されていたのでしょう。

 こうして、依頼者の過失割合0の主張は実現しました。

交通事故の示談で不条理を感じたら、
あきらめずに、
共感をしてくれる弁護士を探すことをお勧めします。

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