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引きこもりの解消方法としてのグループワークあるいはポリフォニー [家事]

この11月は、あちこちでお話をしてきました。
教育関係、厚生労働関係、法務関係と
お役所関係の仕事が多かったのですが、
高校の同級生のガミガミさん(まったく温厚な方)からの
リクエストでいじめの問題についてお話したとき
彼から興味深いお話を聞きました。

この方のお話を対人関係学的なというか
今凝りまくっているオープンダイアローグの
対人関係学的解釈でお話しします。

小学校、中学校で学校に登校しなくなっている現象が
宮城県では多くあります。
ガミガミ氏も、この対応にあたっていたそうです。
なかなか効果が現れなかったようですが、
何件か成功例が出てきたそうです。

共通項があるという分析をしたところは
さすがに同級生です。

それは、
働きかける方が、
家族に対してあれこれ指導するのではなく、
こちらもどうしていいかわからないけれど、
「一緒に考えていきましょう。」
というアプローチだったというのです。

ピーンと共鳴してしまいました。

引きこもりとか、うつ状態の場合、
全く信頼関係がない大人が
直接子どもに話しかけても
あまり良いことはないと思います。

先ず、親との信頼関係を構築するということは
やむを得ない方針でしょう。

子どもが学校に行かないとなると
むしろ、親の方が焦燥感が強い場合も多いでしょう。
まず、親が落ち着くということは
一緒に住んでいる子どもの負担が軽減されることでしょう。

親の焦燥感を軽減するために
学校が子どもや親を批判しない
(例:ここが親として不十分だからここを改めてください)
不登校の不利益を強調しない
見捨てないという態度を示す
何とかなるんじゃないかという雰囲気を醸し出す。

ということがあげられますね。
一言で言えば、
「登校という結果を押し付けない。」ということであり、
登校する環境を作っていくということですね。

発想を変えるわけです。
不登校を解消するために有効な指示を出すのではなく、
不登校を解消するためには、
学校と家庭が共同チームを形成するという環境を作り出す
ということだと思います。

オープンダイアローグ的に言えば、
先生やカウンセラーがあれこれ指示指導をすることは
モノローグであり、
親が主役になる、
それぞれの意見を否定しあわない、
それぞれの意見の良いところを取り入れてみる
何とかなるんじゃないかという楽観的な姿勢を示す
というのがダイアローグではないかと思うわけです。

大事なことは、そこで出される提案ではなく
そこで形成されるている人間関係それ自体なのだということです。

子どもは、一方的な指導をするはずの学校が
自分の親と対話をして共同作業をしている
そういう人間関係に安心していくことになるでしょう。

学校と親とが形成する暖かい人間関係に
子どもが安心して入っていけば、
今度は主役が親から子どもに移行していくわけです。

ここでも、拙速はいけないということになるようです。
登校という結論を押し付けることが
せっかく形成されたダイアローグの関係が
モノローグになってしまい、
子どもは、「自分のことを自分で決められないという
動物全般が抱く不安感」で
圧迫を受けて行ってしまいます。

もし、子どもにクラスの友達がいれば、
このダイアローグの中に入って、
今学校で起きていることについて
報告をしてもらうことが良いと思います。

待ち受けるクラスの方も
久しぶりという態度をすることをやめるように話し合って、
昨日も登校してきたように
普通に受け入れられたらベストなのでしょう。

まずは、さりげなく「おはよう」と言いあうことなのでしょう。

これは、子どもだけでなく
PTAでもコンセンサスを形成しておくことが
望ましいと思います。
お互いさまということですからね。

登校のブランクを
責めない、笑わない、批判しない
ということも大切ですね。

そのうちなんとかなるだろう
というおおらかな対応が必要だと思います。