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座間9遺体事件の情報から、子どもたちの心を守るための対人関係学からの提案とお願い [自死(自殺)・不明死、葛藤]


今こそ、家族をはじめとする仲間に意識的に優しくしよう

1 子どもたちと私たち一般の方に向けて
2 報道機関に向けて
3 警察、検察、弁護士等刑事手続きご担当者に向けて

連日陰惨な情報が垂れ流しになっています。
座間の9遺体事件の衝撃のために、
アメリカで起きたテロや
少し前の高速道路上の事件やタイヤで親子がなくなった事件の
衝撃が薄れてしまうほどです。
この変化は情報の受け手に過ぎない私たちの
心にとっても極めて危険なことが起きていることを示しています。

どうして、自分と関係の無い人の出来事にも
嫌な気持ちになるのでしょう。
対人関係学的には理由のあることだと考えています。

少し説明すると
先ず、人間は、動物として、
危険が迫ってくることを五感で感じたら、
危ないと思って、避けたり、逃げたりします。
それだけでなく、
人間は、群れを作る動物として、
仲間が被害を受けたら、
危ないと思って、被害を受けないように工夫をします。

この時に人間の心の動きは、
被害を受けている仲間の苦しさや悲しさ、痛みを感じ、
(共鳴する、自分のこととして受け止めるわけです。)
危険が起きているという危機感を抱いて、
同じ被害にあわないようにしようと行動をするという仕組みです。

危機感は、危険回避のためのシステムです。
共鳴、共感は無意識に起きてしまう現象ですから
止めることができません。
人間の危険を回避する遺伝子に組み込まれた仕組みということになります。

だから、陰惨な事件を見ると、
無意識に、被害者や場合によっては加害者にも共感し、
とてつもなく嫌な気持ちになるわけです。

ところが、
そのむごさの程度が強すぎると、
共鳴、共感を心が持てあますことになります。
特に危険を回避する方法がない時には心があふれてしまいます。

先ず、拒否反応を示します。
知りたくない、見たくないという感じです。

次に、自分は同じ危険に会うことはないということを
何とか自分自身に思いこませて合理化したくなります。
その時の反応は、加害者が特殊な人間であるから、
加害者と同類の人間に自分は出会わないだろうと
思いたくなるものです。
加害者に対して感情的に反発をします。

さらには、被害者にも落ち度があるのではないか
ということを探し出します。
被害者が特殊な人間だから被害に遭った
自分は特殊な人間ではないから大丈夫ということです。
被害者に対して攻撃をする心理の一つの原因だと思います。

これらは、自分が同じ危険に会わないはずだと思い込みたいという
安心感を求めての無意識の反応であり、
生きるための仕組みです。

しかし、このような拒否反応や合理化で対処しきれないと
理由もなく、不安や恐怖が襲ってくることになります。
ここまでは、それでも、生きるための工夫ですから
まだ健全な要素が残ります。

そうでない場合としては、
心を慣らしてしまうという危険が
一番心配されるべきことだと思います。
つまり、
人間はそれほど大切にされるべき存在ではない
だから、
どんな酷いことがあっても、
それほど悪いことでも危険なことでもない
という感覚を獲得してしまうことです。

他人も、自分さえも、
無意識に存在価値を肯定できなくなっていきます。

他者を大事にしない、自分を大事にしないということから
犯罪が起きる環境、自死が起きる環境、
その他の社会病理が起きる環境が
熟成していってしまうと考えています。

直ちに模倣犯が起きるわけではありませんが、
このように人間を大事にしないということは
対人関係上の不具合である社会病理が起きやすくなる要因だと
考えています。

このような退廃や人格の荒廃から子どもたちや
自分たちを守るためにどうしたらよいか。
このことについて、提案します。

1 子どもたちと私たち一般の方に向けて

先ず、できる限り、事件報道を見ない、見せないこと
どうしても最近の報道は、事実の衝撃的な部分を
クローズアップして表現しようとする傾向があります。
とても危険な状態だと思います。
一つ一つが、受け手の心を傷つけているのに
注目を集めるために、ことさら刺激的な表現をしています。
いっそのこと、ニュースを見ないようにするということも
これ以上の攻撃を受けないために
緊急避難として必要かもしれません。

大人は嫌な気持ちがしますが、
子どもは感性が確立していなくて、
こういうことを含めて常識を形成してしまいますので、
特に注意が必要です。

次に、ニュースを見ないことにも限界がありますし、
起きた事実を否定してももはや意味がないでしょう。

事件報道による心の被害を0にするという発想から、
事件報道があっても、傷つかない心を作る
という発想に切り替えることも有効です。

この時、単純に被害を0にするとなると、
感じなくすることしか結局出てこず、
結局人格の荒廃が起きてしまうことは、
先ほど述べた通りです。
「メンタルを鍛える」ということを安直に考えないでください。

あくまでも0の先のプラスを目指さなければなりません。

これは簡単な理屈です。例えば、
何か熱いものに触って指をやけどした場合、
指も熱くなっています。
ここで0を目指すということは
36度のぬるま湯を指にあてることです。
36度が元々の体温だからです。

0の先のプラスを目指すということは、
0度近い冷水をやけどした指にあてることです。
むしろ冷やすことで、
やけどの治療をするということになります。

では、実際にはどうしたらよいか。

人間性を回復させる行為を意識的にするということです。
群れの中にいる安心感を獲得してもらうということです。
例えば、
誰かから、失敗を許される、不足をカバーしてもらう、
多少のことがあっても、仲間として尊重されている
という実感を持ってもらうことです。
人間は群れを作る動物ですから、
仲間の中で尊重されている自分が大事にされていると感じると
勝手に、安心感を獲得することができます。

具体的には、
だから、子どもたちのやらなければいけないこと
勉強だったり、片付けだったり、
少しだけ、報道が続いている間だけでも
厳しさを緩めてあげることを提案します。

また、良いところを言葉にして褒めるとか
ありがとう等という言葉を意識的に使い、
仲間の中で役に立っている存在である自分
という意識を持ってもらいましょう。

これは子どもに限らず
大人の間でも有効です。

また、仲間をケアするための行動は、
自分にとっても仲間の中で役割を果たしているという意識を持てますので、
自分にとっても人間性の荒廃に対抗する活動だということになります。

座間の報道で動揺をしているか、していないかにかかわらず、
有効な活動であると思います。
動揺が見えてからでは遅いと思います。

2 報道機関に向けて

あまり必要のない報道は行うべきではないでしょう。
衝撃度を競い合うことでの評価は今回ばかりはやめていただきたい。
人体損傷の内容や具体的な手段などは
いちいち報道することではないと思います。

今、国民の潜在的ニーズは
人間が信じられるということ、人間同士の協力がありがたいということ
そういう人間性を回復したいということにありますので、
そのようなニュースや番組を意識的に制作していただきたいと思います。

3 警察、検察、弁護士等刑事手続きご担当者に向けて

私は、犯罪は、行為者の持って生まれた条件から起きるのではなく、
行為者が置かれた環境が大きな要因であると感じています。
今回の事件が起きる背景というものが必ずあると思います。
どうか、その部分を掘り下げていただきたいと思います。

単に加害者に対する制裁ということばかりを考えていると
この犯罪に至る仕組みの分析が弱くなります。

刑事手続きの担当者とはいえ人間です。
おそらく、その背景を捜査していくうちに
今回の犯罪に準じた陰惨な事実に出くわすと思われます。
かなりの心理的負担となるでしょう。

しかし、その背景事情こそ、現実に起きていることだし、
今回の犯人以外の人も
その背景事情を体験しているかもしれません。
今回の犯罪予備軍がいるかもしれないことになります。

その背景事情をなくすことこそが
犯罪抑止の特効薬であると思います。
そのような観点から
事件を掘り下げていただきたく
お願い申し上げる次第です。

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