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ハロー効果 対人関係学が行動経済学・プロスペクト理論と出会う [故事、ことわざ、熟語対人関係学]


先日、某保健所主催の医療機関対象の講演会でお話してきました。

「人間は、エラーを犯すものである。
気が緩んでいたからとか、真剣さが足りなかったから
とかいう反省をしていたのではエラーは防げない。

ある状況の中で、人間は誰しもある傾向のエラーを犯しやすい
そういう自覚をもって、
その犯しやすいエラーを予め想定して事に当たることが
エラーを予防する有効な方法である。」

なんてことを言ってきたのでした。

そうしたら、その後の駅での時間調整で
行動経済学の本に出合いました。
全くの偶然です。
ノーベル経済学賞を何人か出しているというのです。

さすがに私はとは言いませんが、
対人関係学はノーベル賞をとれるだろうと思っていますから、
どれどれと手に取って拝見してみたのです。

そうしたら、私が今しがた話していた内容が
もっと明確に理論化されているではありませんか。
つまり、それまでの経済学は、
コンピューターの様に合理的な行動をする人間を想定して
理論が構築されているのですが、
行動経済学は、生身の人間の行動傾向を反映した
系統的エラーを組み込んだ
経済学を樹立しようとしているようなのです。

その日一冊「かくて行動経済学は生まれり」
マイケル・ルイス
次の日もう一冊「行動経済学の逆襲」
リチャード・セイラー(ノーベル経済学賞の経済学者)
そして、「ファストアンドスロー」 上・下
ダニエルカーネマン(ノーベル経済学賞受賞の心理学者)
と立て続けに買って読んでしまいました。

面白いです。入門として結果オーライだと思います。
このブログで特に断りがなくページ数を記入する場合は
ファストアンドスローハヤカワ文庫版です。

この本を読むと、対人関係学の先生筋の論者の文献が
多数引用されていて、それだけで驚くとともに納得します。
ロイ・バウマイスター、アントニオ・ダマシオ等々
親近感を持って読める理由がわかるような気がします。

第28章「悪い出来事」は、周辺部分を含めて
対人関係学の記述としても通用するではないですか。

では、もうすでに行動経済学があるから
対人関係学は用済みなのでしょうか。
ノーベル賞は取れないのでしょうか。

実は、行動経済学の本を読みながら、
その近似性に驚くとともに、
その違いもはっきりしてきました。

1 分野、視点の違い
  
行動経済学やプロスペクト理論は、
経済学に限らず、政策学や訴訟技術など
多くの分野で応用されています。

対人関係学は、主として自死予防に始まり、
犯罪予防、夫婦問題や子育て等の家庭内の人間関係の調整
職場のパワハラ予防や労務管理、クレーマー問題、
学校のいじめ予防や生徒のメンタルヘルス等という人間関係の調整等
対人関係的紛争の調整や予防が対象ということになります。
社会病理というエラーの予防に力点があるわけです。

また、刑事弁護や紛争学、弁護業務や相談業務
等でも考察をしているので、
それは行動経済学をもっと導入するべきだという視点も出てきました。

2 統計手法の有無

行動経済学は、統計的な実証、実験をもとにしている科学ですが、
対人関係学の最大のウィークポイントはここにあります。
理論科学と言えば聞こえが良いのですが、
受け手の方々が、「ああそうだな」と実感していただく
ということに頼っています。
そういう意味では、科学的手法が確立していないということを
自覚するべきでしょう。

3 人間観の違い

行動経済学はどちらかと言えば人間の行動という
表出されたものに力点を置きますが
対人関係学は、どちらかと言えば原理論理に
力点を置きます。
進化論的観点から見た考察なのですが、

人間の脳は、現代社会に合理的に対応するまでは
今だに進化を遂げていないということが前提です。
2,300万年は遅れているということです。
その頃の時代に最もよく合理的に対応するレベルであるからこそ、
現代社会では不具合や不合理をきたしている
それがヒューマンエラーの源だという考えです。

「ファストアンドスロー」に出てくる「システム1」が
特にそれだということなのです。
是非お読みください。

4 環境に対する見方

行動経済学は、ヒューマンエラーは環境よりも
人間であることから起きるものであるという傾向があり、
環境因を重視する立場を批判するようです。
対人関係学は、環境因を重視します。

環境因がヒューマンエラーを強めるという見方もしています。

以上の違いがあるので、まだノーベル賞受賞は間に合うと思っています。


それでは、具体的に「ハロー効果」について
対人関係学の解釈をお話して終わりにします。

ハロー効果とは、
ある人のすべてを自分の目で確かめてもいないことまで含めて
好ましく思う(または全部を嫌いになる)傾向
を言います(上巻149頁)。

確かにこれはよくあることで、
つい、あの人が言っているのだから確かだろうとか
あの人の選んだコースは私はとらないとか
芸能人や政治家を応援するパターンなのでしょう。

同じことを言っても
ある人は口汚くののしられ、
ある人は歓迎されるということがあります。
私はどちらかというとハロー効果の恩恵を受けているようです。
肝心なところでは逆に損をしているようですが。

さて、どうしてハロー効果が起きるのか
ということが対人関係学の独壇場なわけです。
それは、以下のように説明します。

「人間は、動物の一種ですから、
 危険に対する反応、危険回避がシステム上重大なものと
 位置づけられています。

 危険を感じた場合に、その危険を解消することが
 最大のテーマとなり、体のシステムが動き出します。
 これは、意識の変化より先に動き出すのです。

 人間の最大の脅威は人間ですから、
 見ず知らずの人を見た場合には、
 脅威、危険を感じます。

 人間も、この『危険を解消する』ということがテーマとなり、
 『危険を解消したい』ということが他のシステムを押しのけて
 最優先課題になるわけです。

 だから、見ず知らずの人間を見た場合には、
 『敵なのか味方なのか』ということが最優先課題になります。

 意識的な思考をする前にシステム1が瞬時に
 これまでの自分の記憶を総動員して、
 声、容姿、服装、匂い等の要素を照合し、
 敵か味方かを勝手に分けてしまうわけです。

 一度味方だと思うと、それはもう仲間ですから
 仲間の弱点や欠点などは補おうという傾向が意識に現れてきます。

 一度敵だと思うと危険人物ですから
 相手のすべてが自分を攻撃する表れだという意識になるわけです。

 まあ現代では、通常は見ず知らずの人と会う時は
 理性を働かせて、ニュートラルな状態に持っていって
 その人本位ということで観察しようとするのですが
 (システム2)
 人間の本能(またはシステム1)は
瞬時の区別をしたがるもののようです。

 もっとも、瞬時に敵を見抜かないと
 200万年前ですと自分や仲間がやられてしまいます。
 このころはとても合理的だったのです。

 ただ2,300万年に限らず
 現代でもその必要性が無いとは言えないのかもしれません。

 味方、仲間だと考えると危険が解消しますから
 目的が達成されます。

 敵だと考えると
 不安を解消するために攻撃したり、
 逃げ出したりすることによって不安を解消しようとするわけです。



 まあ、そう考えているんだけどなあということでしょうか。



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