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職場のイライラから家族に攻撃的になりかけたときは、うつになりかけた時。メモ [自死(自殺)・不明死、葛藤]

職場での人間関係が職場で完結せずに、
イライラなどが家庭に持ち込まれることが多くあります。

ちょっと壮大なテーマですので、
メモとしてアップします。

今のところの研究段階での途中経過として、
職場の人間関係がなぜ最悪自死までいってしまうのか
考えるべき要素をあげます。

<考えるべき要素>

1 職場(取引関係相手)に無意識に期待すること

先ず、労働者にとって会社は、
嫌な上司たちだとしても
無意識に、「自分を守るべき組織」あるいは
「自分を守ってもらいたい人々」
だと感じているようです。

はじめっから敵だと思えば、
ある意味何を言われても不愉快な思いをするだけで、
家庭への影響や、自分の精神状態への影響が
それほどではないでしょう。

パワハラ被害の本質はどうやら
仲間だと思っている人からの攻撃
いわゆる後ろから鉄砲を撃たれる
という感覚になることのようです。

パワハラ事件に怒ってばかりいると
こういうことが見えなくなります。
被害者である労働者は、
自分を大事にしてもらいたいという要求があるところに
逆の対応をされるので辛いということがあるようです。

2 カウンター
少し続けますと、カウンターが成立してしまう条件があります。

いつもに増して、より庇ってもらいたい
気持ちを分かってもらいたいと言うときに
逆に攻撃を受けたり、庇ってもらえない時も
心理的負担が大きいようです。

例えば、会社の中で、同僚から暴力を受けたとか、
取引先からあまりにも理不尽な扱いを受けた
というような場合は
無意識に会社に守ってもらいたいという気持ちになっているようです。

ところが、事情が分かっても
逆に労働者の方が上司から攻められたり、
理不尽なことをなかったことにされているのに
何も会社からの援助が無かったりした場合、
かなりきつい心持になります。

関数曲線の様にきれいには対応しないでしょうが、
理不尽なトラブルに巻き込まれて援助を希求するという
事情が強ければ強いほど
上司の扱いがそれほどひどくなくても
期待する援助が強いものですから
些細なことで傷つきやすくなるという関係にありそうです。

理不尽なトラブルがあるのに
会社が労働者に理不尽な責任転嫁をすると
とんでもなく重大な心理負荷になるという関係にあるようです。

3 逃げられない関係(継続する関係)

会社を辞めるという発想にはなりにくいです。
どうも、無意識の意思決定では、
会社という継続的な人間関係は離脱できない
という発想に支配されるようです。

苦しいからと言って、
では会社を辞めようかという発想は
自然発生的には出てこないとみるべきです。

現状に対しての反応である感情は、
このように無意識に生じるものであり、
現場、特に対人関係を変化させるということは
きわめて意識的に、第三者から提案されないと
なかなか検討すらできないということです。

<職場のイライラの構造>
そもそも、上司から嫌味を言われたり
不公平な扱いを受けたり
理不尽な叱責をされると
どうしてイライラするのでしょう。
また、イライラするということは
どのような状態なのでしょう。


職場で、パワーハラスメントを受けたり、
理不尽な扱いを受けると、

継続的な関係であり運命共同体の様に職場を考えていることからは、
ただ、自分がないがしろにされている。
逃げ場所が無く、さらさrて攻撃を受けている
という感覚を持つようです。

逃げられない、逃げないということから
恐怖という感覚になりにくいということを
頭に入れてください。

危険が近づいてくるという認識がありながら、
それから逃げようとすることができないという感覚です。

また、上司に対してキレることがなかなかできない。
そんなことしたら解雇されてしまいますし、
上司に対して、キレても良いんだ
という感覚を持つことはなかなかできないようです。

そうすると、怒ることもできない。

総じて犬が嫌いな人が、
敵意を見せた犬が吠えながらじわじわ近づいてくる
しかし、足を縛られていて動けない。
そんな感覚でしょうか。

対人関係上の危険に対する反応も全く同じです。

自分が上司の様子を見て、
仲間から攻撃されている、
仲間として扱われず無視される、
仲間の中で格下のように扱われる

ということを感じた場合、
やはり、危機感を感じます。

この危機感を解消しようと思うわけです。
でも逃げることも闘うこともできない。
危機感を抱いたままの状態、不安な状態が
職場の外に持ち越されることになります。

危険意識、不安の解消ができないことが
人間にとって極めて有害な状態のようです。

危険が迫ってきたら、何とか危険を回避したい
その方法として逃げたい、あるいは闘いたい
これは人間に限らない生き物の本能です。

危険を感じて、危険を受け入れるということでは
命がいくつあっても足りません。
危険があることが嫌だ、解消したい
そのために逃げる、闘う
という流れになるようです。

通常は、危険を感じると
直ちに行動に出ますので、
意識されないポイントですが、

危険を感じることと
解消行動をすることには
厳密にはタイムラグがあるようです。

さて、
逃げることも闘うこともできない場合
解消できない危険の感覚、不安が持続します。

そうすると、かなり過敏な精神状態ということになります。

傷を負って出血した後の傷口のようなものです。
通常は、かゆいとも思わない些細な刺激が
飛び上がるほどの痛みに感じます。

このように危機感のアイドリング状態にあるときは、
この危機感の解消を求めていますが、
突如として危機感を解放することはできません。

会社の建物から出たとたんに走りだしたり、
誰彼構わずにけんかをするわけにはいきません。

ただ敏感になっていますから、
道で肩がぶつかっただけで、
自分は馬鹿にされているのではないだろうか、
この人は自分を攻撃しようとしているのではないかと
感じやすくなるわけです。

相手が怖そうな場合は、そうでもないですが、
弱そうで勝てるということになると、
それをきっかけとして
職場で作られたイライラもぶつけてしまう
ということになるようです。

例えば会社で作られたイライラが80ポイントだとして、
肩が触れたということが5ポイントだとしても、
イライラを解放する時は85ポイントがまとめてぶつけられるというわけです。

ただ、理性が無くなるわけではないので、
滅多に、道を歩いているだけの人に絡むということはありません。

帰宅して、
子どもの些細なしぐさ、失敗が(5ポイント程度)
自分を攻撃している、馬鹿にしていると感じてしまい、
85ポイントを子どもにぶつけてしまうのです。

まあ、そこまで行かなくても
いつもなら聞き流しているような小言に対しても
自分を守ろうという無意識の反応が起きてしまい、
どうでも良いことでも、
「自分を守るためにはいい加減に済ませられない」
というイライラモードになるようです。

家族に対してイライラしていたり、攻撃的になっていたりする
実はそれが職場でのイライラ度の方が多いという場合、
大切なことは怒っているということではなく、
危機感を抱いているということです。

この危機感は、家族に八つ当たりして一時的に解消したとしても、
原因は会社の中で次の出勤日を待っていますから、
会社に行けばまたイライラが復活します。

解決できないのです。
また、怒ることができないという時間が
限りなく積み重ねられていくだけです。

そうすると、慢性的な危機感の持続は、
自分の身を守ることができないという感覚になっていき
絶望感に様子を変えていきます。
生きる意欲が失われていき、
活動が鈍くなるし、将来的なことも予測できなくなっていきます。
生きるための活動が全般的に停止していきます。

つまり、うつ状態となるでしょう。

必要以上の怒りの感情は
うつの危険がある状態を表していると思います。

以下また、メモ
うつは自分で気づくことはなかなか難しい
八つ当たりをしている自分に気付くことはまだできるかもしれない。
そういう場合に、自分を支える発想

1 いざとなればイライラ異を与える人間関係をやめることができる
  という自己暗示をかけ続ける。
  逃げ道を意識的に作るということです。

2 自分の別の仲間に優しくする
  例えば職場でイライラしたならば
  思いっきり家族のために奉仕をする。

  自分が優しくなれば、家族も優しくしてくれる、喜んでくれる
  役割感を持つことがだいぶ効果的のようです。

  家族に助けを求められれば良いのでしょうが
  男性の場合も女性の場合も
  なかなか難しいようです。

  特別扱いされることで役割感の喪失を予想してしまい、
  また、自分が家族からも格下として扱われるのではないかという
  不安をもつようになるようです。
  家族には、普通の状態として接してもらいたい
  という意識があるようです。

3 結構有効なことは、
  他人を気にしない人をサンプルとしてみることです。
 
  メジャーリーグで4番打者だった新庄さんが、
  日本ハム時代に優勝パレードをした時、
  一人だけ冬ソナの格好をして参加して
  監督から怒られたという話をしていました。

  怒られて気にしませんでしたかという質問に
  笑顔で
  まったく気にしませんでした。
  と豪快にお話になったところをみて、
  だいぶ救われたということがありました。

  ああ、それでもよい人もいるんだということが
  なぜか気持ちを溶かしてもらった
  そんな感覚でした。

  いろいろな無意識のドグマから解放される有効な方法として
  実際にそのような発想の元生きている人を見るということは、
  自分では同じ行動をとることができなくても
  ほっとして心の窓が開かれて、光が差すような気持ちになれました。

  メモ代わりに





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