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弁護士は、なぜ強姦事件を弁護するのか、弁護できるのか、何を弁護するのか [刑事事件]

特定の事件のことをコメントしているわけではありません。
また、性犯罪加害者の刑を軽くしようと思って書いているわけでもありません。

特定の事件を弁護士がコメントしないことには理由があります。
先ず、情報を持っていないということです。
情報を持っていないのに、
あの判決は不当だとか
あの弁護方針はおかしいとか
そういうことは言えないのです。

法的関与の方針決定をする場合、
事件や被害者、被告人の更生の方法
そのための弁護方針、
細かいことを言えば、当該裁判の裁判官の傾向
もろもろを考慮して決めますので、
実際に事件に関与しないとわかりません。

報道された情報があるのですが、
警察発表は一方的になりがちで、
悔しい思いを弁護士は何度も経験しています。

児童虐待で逮捕された男性は、
性的虐待の可能性もあると広く報道されてしまい
繰り返し全国ニュースで勤務先まで写されてしまいました。

後に民事系の裁判で、
性的虐待は母親の妄想の産物だという判決が出て、
刑事事件も偶発的なかすり傷であり虐待ではないとして
起訴さえされませんでした。

警察からも報道機関からも一言も謝罪もなく、
家庭のことで冤罪なのに、男性は職場から処分されました。

そういうことで、弁護士として事件を見る場合
報道が正確だとは初めから思っていません。

但し、もちろん家庭の中のオヤジとしては、
「こいつ許せねえ」等と息巻いているのですが、
弁護士としては「私は事情が分かりませんので」
というわけなのです。

さて、タイトルの、なぜ強姦事件を弁護するか

その前に、ネットで性犯罪の弁護士と検索すると
なぜか私の名前が出てくるらしいのですが、
性犯罪の被害の重大被害を語っているうちに
いつしか弁護側になっているのかもしれません。

一言、性犯罪は予後が悪いです。
例えば、幸い未遂であったとしても
雨の日に被害に遭われた方は、
雨が降るだけで、恐怖を感じ、
被害の時の感情がよみがえってしまう
それほど辛いことで、
その後の人生が台無しになるくらい
被害が甚大なのです。

よく、被害者にも落ち度があるなんていう人がいますが、
こういう人のこういう話が
被害者を孤立させ、罪悪感を植え付け、
益々被害を甚大にするのです。

確かに、被害にあわないように
夜遅く一人で歩かないようにしましょう
と言われ、これは真実だと思います。

しかし、これは、
夜遅く歩くと、「悪い奴が来て」被害にあってしまうから
歩かないようにしようという
予防のための論理です。

実際悪い奴に遭遇してしまったといっても
悪い奴は悪い奴であって、
被害者が悪くなるという論理はないのです。
訳知り顔で人を否定するなと強く言っておきます。

さて、そのような重大な犯罪ですが、
弁護士はなぜ弁護するのか。

一言でいってしまえば
それが弁護士の仕事だからです。

こういうと金のためにやるのかと思われがちですが、
ちょっと意味合いが違います。

法制度上、そのような役割のために
弁護士による弁護という制度が設けられている
ということが近いと思います。

このような法制度がない時に
コミュニティーから排除しなければコミュニティーが成り立たない場合、
どうやって排除をしたのかよくわかりませんが、
寄ってたかって、排除したのだと思います。
孤立させられて、石をぶつけられて
追い出されたか、殺されたか。
凄惨な排除だったのではないかと思います。

しかし、国家が成立し、文明が起こると
そのような野放図なリンチは行われなくなっていきます。
いろいろな建前を作りながら、
排除者の側の心理的負担を軽減していくのです。
納得の契機みたいなものもあるのでしょう。

犯罪者であっても、
人権を認め、防御権を認め、
できるだけ理性的な装いをつくるわけです。

社会秩序のために人を罰するわけですから
罰し方によって社会が殺伐になって行ったら
元も子もないからです。

犯罪者の言い分もよく聞いて、
決して無罪の人を罰せず、
仲間として尊重しよう
こういうのが文明の発達とされています。

だから犯罪者を孤立させない。
一人ぐらいは専門家を味方にしよう。
そうやって言い分をきちんと言わせよう。
国民も犯罪者も納得して罰することが
秩序維持にも有効だ
ということになります。

その役割を担うのが弁護士ということです。
ちなみに刑事裁判の弁護は弁護士しかできません。

研修所では、無罪弁護を中心に研修しますが、
私は、これは懐疑的です。
無罪弁護はもっとも大事な刑事弁護ですが、
弁護士の基本は、
犯罪者に寄り添う、悪い人の味方になること
だと思うからです。

犯罪者は、究極のマイノリティーです。
あからさまに悪い事件は、
社会の非難も大きく、
勢い、裁判所でも過酷な刑罰が科される傾向にあります。
完全に孤立しているわけです。

弁護士は、その普通のというか自然の
人間の感情の前に立ちふさがり、
人類の近代、文明を守ろうとする仕事
ということになります。

それは弁護士しかできません。

なぜ弁護できるのか。

じゃあ、無理して弁護をしているのか
と言われると、そうでもないというのが本音です。

確かに、被疑者、被告人の方と会うまでは、
どんな犯罪が行われ、どんな被害を受けた人がいる
という基本情報しかありませんので、
初対面の前は、どんな悪い人を弁護するのかと
緊張をしています。
しかし、実際に顔をあわせると
拍子抜けするほど普通の人ということが殆どです。

そうやって、プラスチックの板越しに話をしていると
益々、どこにでもいる人だなあという感覚が強くなります。
私は20年以上もこんな感じです。

だんだんと、生まれながらの犯罪者という人はいない
犯罪を行うことには、必ず何か理由がある
という感覚になっていきました。

その理由を理解するためには
それこそ専門的な能力が必要ですし、
それでも的外れのこともありますし、
なかなか心のブロックが固い人もいます。

だけど、そこがわからなければ
自分がどうして犯罪をしたのかということがわからず、
どうやったら今後犯罪をしないですむのか
ということがなかなか見えてこない
そのために必死になって
共同作業をするわけです。

そのためにも、被害者の苦しみを
理解しなければ文字通り始まらないのです。

被害者の被害の大きさを実感し、
是非とも二度とこういうことはやらないようにしたいと思い、
親権に自分の人生を考えてもらう
これが弁護なのです。

警察の人とこういう話をした時、
「弁護士は被害者の反省を助ける仕事」
という言葉をいただきました。
何気なく言った言葉を拾ってもらい
ハッと新鮮な緊張が走った記憶があります。

だから、あまり、刑を軽くするという目的での弁護はしません。
もちろん被告人の方の最大の関心事が刑の重さなのですが、
そのこと以上に、自分の今後の生き方を見つめることが大事で、
それがうまくいったときは、
良い結果もついてくるのです。

さて、タイトルの強姦事件です。
強姦事件もそうですが、性犯罪事件一般に共通の事情があるようです。
全部が全部というわけではありませんが、
弁護した実感としてということになります。

それは、
その人の日常生活において、
自分で自分のことを決めることができない
誰かに自分の行動をコントロールされている
という息苦しい、支配されている感覚を持っている
そういう場合が多いようです。

自分であれこれしたいことがあるのに
誰かが、それをさせられないで別のことをさせる
それが日常的に繰り返されている
自分で決めることができない

しかし、その息苦しさに気が付いていないこともあります。

いわゆるエリートと呼ばれる人の性犯罪はこの傾向が強く
マルチの仕事を同時にこなさなければならない
複数の関係者から同時に叱責される
自分の自由が無い
そういう場合に性犯罪に走るようです。

性犯罪の被疑者被告人は、言葉では言いませんが、
自分が支配されているように
誰かを征服したい
という潜在的要求があるようです。

それで自分よりも弱い者
一人でいる女性を襲うという図式があるように思われます。

被害に遭われた方は、
犯人が自分をつけ狙っていて
その結果被害に遭ったと思われる方が多いのですが、

ストーカー型の犯行でない場合は、
犯人が、自分より弱そうだと思うなら
誰でもよい場合が多いです。

被害者の方にこう説明すると
安心していただくことが多いので
一言付け加えておきます。

事件を憎んで犯人も憎んでいたら
犯罪の原因が見えません。
その人が悪いということで終わります。

しかし、もし、共通の原因があるのであれば、
その原因を除去して
新たな被害を作らない
そういうことが必要なのではないでしょうか。




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