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日大アメフト事件を監督コーチの処分で終わりにするなら事件は繰り返される [労務管理・労働環境]



日大アメフト事件は、監督、コーチらが除名を含む処分をされました。
もし、監督やコーチ、特に監督の人格上の問題で本事件が起きたならば、
それで終わりにしても再発はしないでしょう。

しかし、もし、今回の事件を起こした監督自身が
このような行為に出るように追い込まれていたとしたら
今回の監督ではなくても起こり得た事件だったと考えなければなりません。

現在の経済学は、人間は誤りを起こすものだという前提から出発します。
誤りを犯すものだから仕方がないというのではなく
どういうメカニズムで誤りが生まれるかいうことを研究し、
先回りして誤りを防止するという努力が積み重なれています。

対人関係においても誤りの仕組みを研究し、
誤りを防止することをするべきでしょう。

今回の事件の背景的問題として、
日大アメフト部が低迷していたという事情があり、
それは大学の評価が下がるという意識があったようです。
このため、アメフト部の成績を上げることが至上命題とされ、
そのために前監督が招へいされたという事情があるようです。

勝ちたいという自然なモチベーションではなく、
勝たなければならないという外圧がかけられていたということになります。

これは企業においてもありうることです。
売り上げが低迷しているために
外部からコンサルタントを招聘したり
ヘッドハンティングをしたりということがあるようです。

おそらく良い条件で抜擢されたのでしょう。
また、組織が困っている時に頼りにされることは
やりがいのあることです。

そうなると、信頼を裏切ることはできません。
一番いやな言葉は
「期待外れ」
です。

無理をしてでも成績をあげなければなりません。
無理をしてでも売り上げをあげるパワハラ上司と同じです。

この時、独自の方法論をもって
部下のモチベーションを高め、
モチベーションを合理的な方向への努力につなげることができれば
成績は上がっていくでしょう。

しかし、各大学、ライバル企業もしのぎを削っていますので、
そんな魔法の人間管理は対人関係学的労務管理を学ばない限り
到底できません。

そういうノウハウがない人たちはどうするのでしょう。
ここに奇妙な共通点があります。
成績の良い個人に依存するのです。

能力のあるものを叩いて
能力を絞り出そうとしてしまうようです。
指導能力のない人たちは底上げということを考えられません。

能力のある個人に徹底的につらく当たり、
無駄に活性化させ、
さらには、アンフェアな行動に出ることまでを期待します。
鬼に金棒作戦とでもいうようなものです。

今回は全日本大学選抜の選手にこれをやりました。
パワハラ過労死の犠牲者も、能力の高い人ばかりです。

能力のある人はフェアに活動していますので、
そこに軋轢が生じるものです。
この軋轢は、やる気と能力のある個人の
やる気を奪っていきます。
この延長線上に自死があります。

それでも、監督や上司は厳しく当たるしかありません。
合理的に伸ばす指導のノウハウがないからです。

軋轢は標的になった個人だけでなく
周囲にも広がっていきます。
人間の習性でこのような不合理に対しては
集団的怒りが形成されます。
この集団的怒りを抑え込むためには、
さらに強い力で先行攻撃をして、
個別に分断して抑え込むという方法がとられます。

そうすると、怖いものですから、
個人から発案することが無くなります。
言われたことをやるしかなくなるということです。
無力感に陥っていきます。

いつしか業績を上げることをまじめに追及することよりも
上司から気に入られるようにすることが
現実の目標になっていきます。

イエスマンばかりになり、
顧客や取引相手よりも
上司の期限が優先されていきます。
その延長線上に
法律や道徳よりも上司の命令を優先する
そういう仕組みができてしまいます。

日本企業低迷の大きな要因だと思います。

日大事件においてもコーチや監督の
行動のメカニズムを検討する必要があり、
これをしなければ、また同じことが繰り返されます。

これは日大に限ったことではありません。
他の大学、他のスポーツ環境や
経済環境に等しく当てはまることなのです。


一番の出発点は、
スポーツの目的のはき違えです。

その教義をすることが楽しく、
純粋に強くなる、あるいは楽しむということでなく、
母校の名誉や受験者数の増大、就職、金銭という
不純な目的が
人間を大切にする、人間に対する敬意をもつ
という当たり前の感覚を奪っていくということを
私たちは繰り返しニュース動画で見せられました。

部活動での活躍が
就職や進学に優位になる
こういうことを遅くとも中学生から叩き込まれてきたことが、
人間性や弱さを否定され続けてきたことが
今回の事件の背景として見過ごすことはできません。

これが日本経済の発展を妨げていると思います。

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高度プロフェッショナル制度制定を他国から見たらどのように見えるのだろう+一般保守政治家の心理 [労務管理・労働環境]

高度プロフェッショナル制度は、日本法制史に残る
あからさまな悪法です。

その理由は、法律自体に大矛盾があり、
およそ法律の体をなしていないという所にあります。

日本の労働基準法は、戦後直後に制定されましたが、
戦前の労働者が長時間労働で早死にしていたことをふまえて
早死にをさせないように
1日8時間、1週間当たり48時間(現在は40時間)しか
働かせてはいけないということを罰則をもって定めました。
さらに、例外的に働かせてもよい場合でも
時間外労働の場合は割増賃金を支払うこと、
10時から5時の労働の場合も割増賃金を払うこと
として、できるだけ時間外労働をさせない
という工夫をしました。これも罰則付きです。

ところが、今回、年収1075万円以上の労働者は
このような時間制限を無くするというのが
高度プロフェッショナル制度です。

どうして1075万円以上の労働者の場合は
早死にさせる工夫が不要となるのでしょうか。
全く根拠はありません。
早死にしてもかまわないということにしかなりません。

時間外割増賃金も
深夜勤務の割増賃金の制度も無くなります。
これが働かせ放題法案と言われる理由です。

おそらく、このような法律ができたとしても
評判を気にするきちんとした企業や
労働者のモチベーションを大切にして生産性向上を考える企業は
最初は高度プロフェッショナル制度を適用しないでしょう。

こんな制度を適用したら、自分の従業員のモチベーションが上がらないだけでなく、
労働者を100時間近く、下旬と上旬で150時間も
時間外労働をさせる企業だという評判は
企業の信用を低めるからです。

また、時間外割増賃金を払わないならば
労働者を増員する必要がなくなるでしょう。
二人分を一人に働かせればよいわけですから、

しかし、そんなことをしたら、
払うべき賃金も払わない企業
というレッテルが張られるでしょう。

だから、怖くてこんな制度を採用しないと思われます。

しかし、内閣がこんなに話し合わないで強行採決するのだから
一部の企業では、採用するでしょう。
そうすると、経費(人件費)が下がる制度をどうして採用しないのだ
という素人的圧力に屈する企業も増えていくのだと思います。

一番気にしなくてはならないのは
日本の企業の中ではそのようなルールとなっていても
海外ではそのようなルールとなっていないのですから、
外圧がかかってくることは気にしなくてはなりません。
歓迎しているのが、時差を気にするグローバル企業だけかもしれません。

なんにせよ、一部の会社でそのような要求があるからと言って、
理屈に合わない高度プロフェッショナル制度を
強引に推し進めていることを、外国の企業はどのように思うでしょうか。

あたかも、高度プロフェッショナル制度は、
日本企業の総意で制定するというように感じるでしょう。

日本企業は、労働者を休ませないで働かせなければ
採算の合わない経営体質の瀕死の企業ばかりだと感じるでしょう。
それだけ無茶苦茶な制度だからです。

エコノミックアニマルという言葉が昔ありましたが、
この時代ではエコノミックロボットという言葉になるでしょう。

日本労働者の権利意識の低さに驚嘆することでしょう。
そうして、この法律を提案しているのが、
国土交通省や経済省ではなく、
厚生労働省ということを知ったらさらに驚くでしょう。

労働者の福祉、健康を増進するはずの省庁が
過労死を蔓延させる矛盾した法律を提案しているということは
世界の非常識だと思われることでしょう。

これでは日本には、
「我が国の労働者の権利を守る省庁」に当たる省庁は
存在しないのかと納得してしまうことでしょう。

日本は、官僚制度が機能していない
と感じることでしょう。

また、日本の国会議員、特に保守派の議員は
なぜこのような無茶苦茶な法律の提案に
反対派とも区画としても議論をしないのだろうと
不思議に思うでしょう。

この点については少し考えなければなりません。

しかし、高度プロフェッショナル制度に賛成する国会議員のブログにヒントがありました。

第1に、先ず、保守政治家自身が、この法案を知らないのです。
労働基準法の何をどう変えるということも、
それがどのような意味があるのかということも
また、どのような法律に変わるのかさえも
まるで分っていないのです。

驚きました。

これでは反対するあるいは議論をするきっかけが生まれません。

第2に、そうなると次に、彼らは何を考えて賛成しているか
それは、保守党というコミュニティーを大切にする
それがモチベーションだということになります。

分からないけれど、自分たちの代表が推進しているのだから
とにかく推進しなければならない
という意識なのだと思います。

そうするとマスコミや野党が騒げば騒ぐほど、
自分たちを守ろうとしてしまうわけです。

なりふり構わずに
まるで、過労死遺族をあざ笑うような行動は
そのような条件で生まれるようです。

日本をどうしようという発想がないのでしょう。
日本人の幸せではなく、
自分たちに利益を与えてくれる人の幸せを優先に考えている
そういう結果なのだと思います。

ある意味優しい人たちなのでしょう。
しかし、その優しさは
天下国家を動かす立場からすると
致命的な資質の欠損というほかはないと思います。

高度プロフェッショナル制度
とにかく恥ずかしいのです。こんな制度。
国の評価を下げるどこかの司会者みたいな法律だと私は思います。


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日大アメフト傷害事件で起こったことについての解説を、謝罪会見から試みる [自死(自殺)・不明死、葛藤]

昨日、日大アメフト傷害事件の直接の加害者の謝罪会見がありました。
20歳の若者が名前と顔をさらしての会見でしたが、
関係者、特に本人にとって賢い行動選択だったと思います。

ところで、20歳とは言え、
どうして相手に対する暴行を止めることができなかったのか。
また、どうして、指導陣は
傷害をそそのかしたのか。
それらについては、本人たちも分からないでしょう。
記者は本人に回答を求めていましたが、
それは無理です。

謝罪会見で述べられた事実から分析をしましょう。

経緯は、
加害者は、高校時代から有望なフットボール選手で、
高校時代の監督が日大のコーチになったということもあるのか
日大に入学しフットボール部に所属した。

加害者は優秀な選手で、全日本チームのメンバーにも選ばれていた。

ところが、事件の3日前から
監督が加害者をいじめにかかり、
なんくせをつけ、自分の言うことを聞かなければ
全日本も辞退させる
ということを言い出し、

さらに練習にも参加させないという
なりふり構わない対応を始めました。

1 もともとの体育会気質

もともと、スポーツは、上意下達が徹底しているとこがあります。
勝利という明確な目標があり、
経験豊かな指導者が、研究を重ねて、
勝利への最短距離を伝授していくわけです。

そもそも、監督やコーチなどの言葉に逆らうということは
発想として出てこないわけです。

2 群れの中にとどまる本能

そうでなくとも、チームに入ってしまうと
そのチームから外されたくないと思ってしまうのが
人間の本能です。

この人間の本能を利用して
勝利という明確な目標を絶対善として、
他の価値観に優先させる結果、

上の言うことを守ることが
秩序を守ることと同じことになっていきます。

3 落差理論

人間は、今いるポジションを維持することを望みます。
だから、高いポジションにいる人が
下に転落することは精神的に著しい打撃になります。

立場がなくなってしまうということです。
刑事事件で加害者が自死をするケースが比較的多いのですが、
こういう理由なのだと思います。

日大の加害者は、
全日本のメンバーに選ばれていましたから
メンバーから外れることはとても強い抵抗感があったはずです。
ましてや試合のメンバーからも外されることは、
それだけで、外されまいとする心の動きを強くさせます。

外されないためにどうしたらよいだろうかという
そういう発想にしかならないのはそういう理由です。

彼が全日本のメンバーから外れるということは、
当時の自分自身を崩壊させることであり、
自分自身を守ろうと必死になってしまった
という言い方もできると思います。

4 加害者の暴行当時の心

加害者は、暴行当時、
既に二者択一的な思考に陥っていたのだと思います。
傷害を遂行するか、自分を崩壊させるか
そういう視野狭窄の心理状態に追い込まれた
ということが追い込まれたという意味です。

他に選択肢はありませんでした。

退場にならないことに焦りが生じ、
まだ暴力が足りないのかとと感じていたでしょう。
3回目のファールでようやく退場になり、
もう、暴力をしなくてよいのだという安心感が
号泣になったと考えられます。

彼のためにももっと早く退場させるべきでした。
審判も、まさか意図的にやるはずがないという思い込みがありますから、
意図的な暴行だと認定することが難しかったのだと思います。

彼の心理状態が
このように選択の余地がなかったとしても
自分の行ったことについての責任はとらなくてはなりません。
今回の謝罪会見は良い責任の取り方だったのではないでしょうか。

では、監督やコーチの心理はどのようなものでしょうか。

一言で言って、監督は自分の地位を脅かす存在だと
自分にとって加害者危険な存在だと
本能的に感じていたのだと思います。

自分に関係なく全日本選抜となり、
しかもスタイルがフェアプレーで、
自分に対する恭順の姿勢も足りないと感じていたということです。

上意下達が完成されていないと
実力のない上司は不安になるものです。

無意識のうちに
そういう異分子を叩き潰して、
自分に従わせようとします。

母親が子どもにすることがある洗脳ですが、
徹底的に、自分の彼に対する役割を行わず
彼に対する排除の言動を繰り返した挙句、
泣きついてきた彼を迎え入れて、
監督の下に就くことに喜びや安ど感を経験させていくわけです。

それが行われてしまうと
群れにとどまる本能などから
何でも言うことを聞くようになってしまいます。

自ら率先して忖度をするようになるわけです。

コーチは、支配者と服従者と
両方の側面をもって、
監督に媚び、選手を従わせようとしていたことになります。

さて、それにしても、
どうして罪もない相手をつぶすという方針が作れるのでしょう。

それは、第1の原因は、
監督の危機感が強すぎて、
勝利を絶対的に必要とし過ぎたということがあると思います。

その原因はわかりません。
過労死現場でいえば、
実力がないのに役職ばかり上に上がって行って
常に転落の予感に脅えている場合があります。

また、さらに自分の上司から
同じように洗脳されている場合もありました。
もちろんその人の人格的な問題がある場合もあります。

いずれにしても防衛意識が強いということだけは言えると思います。

人間が人間を攻撃しても平気な顔をしていられるのは、
自分や仲間を守るためだと自分に言い聞かせている場合です。

ここまでお話していてお気づきになられた方が多いと思いますが、
今回の日大アメフト傷害事件は、
会社のパワーハラスメントとかなりの部分で重なります。

その本質は、 人間を人間としてみないことです。

相手が生身の人間で
痛みを感じ、精神的に恐怖を感じ、
家族がいて友達がいる
そういう当たり前のことを
感じられなくなっているということです。

痛めつけることが目的化しているともいえると思います。

長時間労働も
家族から切り離され、
心も四六時中仕事のことばかりを考え
夢の中でも仕事をしている状態
毎日がイライラし
家族から見捨てられたり
子どもたちの健全な成長を奪われ、
挙句の果てに命を落とすわけです。

労働者が人間であることが
見事に捨象された考え方です。

今回は他のチームの選手への加害を余儀なくされました。
過労死は、
自分を死に追い込むということですから、
他人とその家族に危害を加えるか
自分とその家族に危害を加えるか
という違いがあるだけで
心理構造は変わっていません。

さて、4年前の今日
国会では過労死等防止対策推進法が可決されました。
そして今年の今日
衆議院では
高度プロフェッショナル制度が強行採決されようとしています。

暴行による傷害は目に見えますが
過重労働によるダメージは目で見ることができません。

しかし本質は同じなのです。

日大は、選手の謝罪会見を受け
相手選手をつぶせと言ったことを認めながら
なお、選手が監督の指導の意図するところに反する行為をした
ということを公式ホームページに掲げました。

考えなしの反射行為ということはあることです。
しかし、この見解が削除されないまま掲載され続けるならば、
日大は反社会的組織だということになります。

他人の人格を尊重することはモラルであり、コンプライアンスです。
比ゆ的な話だとしても
つぶせということはこれらに反するからです。

高度プロフェッショナル制度で労働基準法の労働時間法制を外す
ということも同様ではないでしょうか。


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【緊急】高度プロフェッショナル制度が有史以来の悪法であることについての説明。官僚や財界が反対しないことが不思議な理由。 [労務管理・労働環境]

働き方改革の中に高度プロフェッショナル制度があります。
これは、年収1075万円以上の労働者には
労働基準法の労働時間制限が適用されなくなるという制度です。

労働時間制限と言ってもピンと来ないかもしれません。
以下、説明します。

1 日本においては、労働者の労働時間は
  1日8時間、週40時間の上限があるということ
2 上記上限を超えて働かせると原則として
  刑事罰の対象となること(自然人なら前科がつくということです)
3 例外がいくつかあり、
  職場の3分の2以上の労働者を組織する労働組合などが
  使用者と労働協約を締結することによって
  刑事罰を免れる制度があること(いわゆる36協定)

  但し、36協定が有効であるためにはハードルがあり
  例えば、時間外で働かせる内容が
  日常労働ではなくイレギュラーな作業である必要がある
  ということが通達で定められている。
  従って、36協定があるからと言っても
  日常的に一日8時間以上、週40時間以上働かせることは
  通達違反ということになること。
  この点があまり知られていないので、
  日常的な時間外労働が蔓延している。

4 法は、時間外労働をさせないために周到な準備をしていて
  時間外労働が許される場合でも
  ただ時給を払えばよいのではなく、
  時間外ということで割増賃金を払わなければならないとし、
  この割増賃金を払わない場合にも刑罰の適用がある

こういう制度が労働基準法の労働時間制限です。

では、どうして労働基準法に労働時間制限があるのでしょう。
労働基準法が制定されたのは昭和27年です。
まだ「過労死」という言葉はありません。

しかしながら、労働時間制限が設けられた理由は、
「早死にを防ぐため」ということだったのです。
繊維工業や土木作業において、
長時間労働が行われていて、
肺結核などの呼吸器疾患等で
若者が次々死んでいったという立法事実がありました。
戦争という24時間労働もあったでしょう。

良く、昔の人は朝早く夜遅く働いても長生きした
とかいう人がいますが、
長生きした人だけを見ているからそうなのであって、
実際は、多くの若者が死んでいったのです。

「早死に防止」は、松岡三郎先生という
当時、労働基準法の立法作業に役人として携わった方が
労働基準法の教科書で記載されています。
この教科書も、「過労死」という言葉が生まれる前に著されています。

つまり、労働時間制限は
過労死防止だけの制度ではないということです。

さらに、私は労働分野だけでなく
夫婦問題親子問題も手掛けていますが、
長時間労働がもたらす家庭への影響を
もっと考えるべきです。

親子が一緒にいる時間が少なければ
家族は壊れやすくなるというのが私の実感です。
徳に夫婦はそうです。

さらに、疲労が蓄積していけば
イライラが高まっていきます。
夫がそのような状態だと
妻は必要以上に疎外感を感じ、
危機感に敏感になってしまいます。

長時間労働のある会社は
職場全体が殺伐として生き
無駄な決まり事も増えていきます。
そういう決まり事、社内常識を
家庭に持ち込んでしまうと
さらに家庭はぎくしゃくしていきます。

つまり、長時間労働は、
人間の生命、身体の健康をまもるということと
対人関係の悪化を防ぐということから
人間の安全を守るための制度だと私は考えます。

労働者の健康を守る制度は労働時間制だけではありません。

例えば高所作業の場合は、
ヘルメットを着用し、安全帯を設置すること等が定められています。
もちろん身体生命を守るためです。

もし、その高所作業員が年収1075万円以上だったら
ヘルメットを着用させなくてもよい、
安全帯を設置しなくてもよい
ということになったら、誰でもおかしな制限撤廃だとわかるでしょう。

どうして、労働時間法制だけ撤廃してもよいということになりましょう。

おそらく、高所作業の場合、
ヘルメットや安全帯を着用しないことの危険が
誰でもわかりやすいからなのでしょう。

しかし、時間外労働が多くなればなるほど
死ぬ確率も増えるということは、
ほかならぬ厚生労働省が啓発していることなのです。
厚生労働省は、月45時間以上の時間外労働があれば
過労死になる可能性が高まっていくとしています。

これが、月100時間以上働いても
違法にならないとすることとどう整合するのでしょうか、
年収が高いことと何か関連するのでしょうか。
何も関連しません。
年収が高いからと言って過労死にならないという理屈はありません。

過労死という言葉がなかった時代に
8時間、48時間労働時間制を作った
日本の官僚たちは、先見の明があり、
日本という国を、国民の幸せのための制度にする
という気概が感じられます。

それから、医学的にも進んで、
長時間労働の害悪がいよいよ明らかになってきた今日に
労働時間制度を一部廃止するということは
他の労働法制と全く整合しません。
法律の専門的見地からすれば「めちゃくちゃ」です。

現在進められている高度プロフェッショナル制度は
月あたり100時間を上限としていますが、
過労死認定基準で有害とされている
2週間以上の連続勤務を許しているということもあります。
また、暦の上の月ということですから、
5月と6月で2カ月なので、合計200時間までは良しとされてしまいます。
その結果、5月の後半と6月の前半に時間外労働を命じれば、
30日あたりで100時間を大きく超える労働を
命じることが違法とされなくなってしまいます。

むちゃくちゃの上をゆく悪法です。

このような法律の整合性もなく、
労働者やその家族を追いつめる制度を
国民の税金で生活している官僚たちが進めていることに
どうしても納得できません。

政府は財界の意向を受けてい行っているという報道もありますが
私は信じられません。
労働者に月100時間近く時間外労働をさせる会社で
即ちそういう無茶な労働をしなければならない会社で
長期的に見て反映する会社があるでしょうか。

時間外割増賃金も支払わない会社が多いということは
日本経済が破綻寸前だと考えなければなりません。
われわれが会社が危ないかどうかを見極める指標として、
賃金の不払いや遅延があります。
こういう会社は早期に見限るべきだということが常識です。

日本経済はそういう状態なのでしょうか。
これでは、世界経済の中で孤立していくでしょう。
財界は、自分たちの経済的信用をかなぐり捨てて
何を勝ち取ろうとしているのでしょう。

グローバルな取引をする企業こそ
日本企業の信用失墜を防ぐために
高度プロフェッショナル制度に反対するべきなのです。

このままでは、高度プロフェッショナル制度は成立するとのことです。
一部の動きとして、労働者に解約権を作るとか言っています。
ないよりましかもしれませんが、
そういう対等の立場で解約できないから
労働基準法があるということを理解しない
とても恥ずかしい議論だと思います。

私がこれに反対しないことは、
私がこれまで学んできた労働関連法規、
法律を守るという実務家のキャリアをすべて否定するものです。
だから私はこの法案に反対します。


  
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連休明けの今日、学校に行かなかったあなたと親御さんに  [自死(自殺)・不明死、葛藤]

今日GW明けです。
おそらく、中学生を中心とする多くの子どもたちが
学校に行きたくないと感じていることでしょう。

実際に学校に行かなかった方もたくさんいると思います。

親としては大変心配になります。
学校に行きたくない理由は人によってたくさんあるのですが、
とにかく行けと強制したくなるのも仕方がありません。
それでも、行きたくない気持ちが強い
かなり強い、病的とも思える拒否反応を示すこともあります。

親として一番心配なことは、
とりあえず家から出て、学校に行かないことです。
家の中で、家族に、「学校に行かない」
と宣言して行かないのであれば、
少し安心してもよいのだと思います。

多少なりとも、親を信頼している
という見方もできるからです。
大切なことは、
無理やり行かせないことです。

もちろん行くように説得するべきですし、
そのためには事情を聴くことが必須です。
行く気持ちにさせる努力は必要だと思います。

ダメなのは
頭ごなしに行かなくてはならない
あるいは強制的に学校に連れていくことかもしれません。
行きたくないという気持ちだけは、存在するのです。
無いことにはできない部分です。

気持ちを動かすことができなければ
むしろ「今日は」あきらめる
という選択肢を持つべきだと思います。

今日、突然学校に行かないと言い出すお子さんも
このまま学校に行かないのはまずいと思っています。
本当は、
「今日だけは」行きたくないというお子さんが多いようです。

端的に、
このままいけなくなってしまうのではないか
それなら無理しても行った方が良いと思う。
と意見を述べ、
「明日からは行く」
ということであれば、
「今日は」休むことを支持してもよいかもしれません。

私が思うのですが、
私が中学生だった40年前と現代では
中学校という人間関係は
ずいぶん様変わりしているように感じるのです。

子ども同士の厳しさみたいなものがあり、
許されないという雰囲気が強いようです。

あまり詳細には繰り返しませんが、
良い学校に入って、良い仕事について
解雇の心配と無年金の心配のない環境に入らなければならない
という切迫感を強く感じます。

良い学校に入るためには、
全教科で水準以上の成績を収めなければならない
学校生活で失敗することも許されない
という息苦しさを感じます。

そのため、子どもたち同士でも、
相手の些細な過ちや
求められる水準を満たさない事による中傷が
容赦なく行われます。

例えば部活動に出ないと
ラインなどで、どうして出てこないのだという
一斉攻撃が始まります。

顧問が、それを行うこともあります。

部活動は、
ブラック企業の非人間的な集団生活を送ることに備えるための
精神修業の場ではなく、
充実や、喜びや、楽しさのためにある
という考えは、はじめから無いようです。

このような子どもたちの過酷な攻撃に追い打ちをかけるのが
連帯責任を理由にする叱責です。

一人がいろいろな理由で共同行動できないことが
他の子どもたちが叱られる理由になるという
江戸時代でもめったになかったことを
平気で行ている学校もあります。

また、できないことはできないのに、
陰口をして、子ども同士が嘲笑するということも
今の学校ではあるようです。

「許されない環境」が学校にはあるようです。

ゴールデンウイーク中
家族の中で安心して生活していたお子さんが、
連休明けに学校に行きたくないということは
こういう環境を考慮に入れれば
むしろ当然のことかもしれません。

私たち大人は、
そういう嫌なことを何度も経験していますから、
お子さんの悩みの理由がそれほど深刻なものとは
感じられないということも仕方がありません。

しかし、経験したことの無い苦しみの強烈さというものは
なかなか思い出すことができないものです。
また、その行きたくない理由がなかなか改善できないならば
お子さんは、
将来的にこの苦しみから逃れられない
という長期的な絶望感を感じているかもしれません。

学校に行きたくないということは
文字通りよほどのことだと考えましょう。

特に、小学校などでいじめをされた経験がある場合、
また、あの時と同じ気持ちになるかもしれない
というとてつもないストレスを抱えている可能性もあります。

行きたくないという理由を親が理解できなくても
行くことが極度の苦痛であることはありうることです。

さて、親としては子どもが学校を休んだ以上
学校に行かないことに罪悪感を感じてもらいたいと思うかもしれません。
または、本当に頭がおかしくなってしまったのかしらと
大変ご心配されるかもしれません。

しかし、今、特に今日限定で頭に入れておいていただきたいことは、
子どもは、親から特別扱いされることをとても嫌がることです。
特にはれ物に触るような扱いが苦手です。
普通にいつも通り接してほしいということが本音です。

大事なことは、
「明日から行くんだよね」ということを
ダメ押ししないことです。
(これが一番心配ですが)
行くことを前提にいそいそと準備をする
という姿勢が良いみたいです。

もう、「今日は」仕方がないという割り切り
これが、問題を最小限度にとどめるコツのようです。

さて、今まで今日休んだあなたがこれを読んで
どう思ったでしょうか。
全然わかっていないという評価かも知れません。
しかし、
そういうこと親に言ってほしいという部分が少しでもあるなら、
もう少しだけ読み進めていただきたいのです。

それは、あなたが今日休むことを私は賛成する。
その理由についてです。
大きく言えば、
あなたが自分自身を大切にするために
今日休むことが必要だと思うからです。

親御さんにもそれを理解してもらいたいと思って書きました。
その上で、
もっと、もっと、より自分を大切にすることを提案したいのです。

それは変えなくてもよい所は変えないままでも
考え方を少しだけ変えるということです。

変えなくてもよいところは、
あなたが今日学校に行きたくない事情を
嫌だと思うことです。
それは無理に変えることはできません。

ちょっとだけ変えることをご提案することは、
その嫌な事情の中で、
「自分を責めない」ことです。

できないことはできなくてもよいのです。

誰かから、先生だったり、同級生だったりから
嫌な評価をされたところで出来ないものは仕方がありません。
そんなことができなくたって
日常生活に支障はないでしょう。

要するに、人間はそれぞれ、
向いていないことがある
という事実を覚えるということです。

それにもかかわらず。
さっきも言ったように、
今の学校教育の中には全部をできなければいけないという
人間工学的に非科学的な軍隊思想みたいなものがあって、
一人一人を苦しめています。

あたかもできないことが悪だというような感じです。
これは間違っています。

先生や嫌な同級生が否定評価をしても
あなたは、自分自身を否定してはいけません。
向いていないだけなのです。

覚えていていただきたいことは、
向いていない事なのに他人からやいのやいのと否定されると
いつしか、人間としてすべて否定されているような
そんな感覚に陥ってしまいます。
これは人間誰しもそうです。
あなただけではありません。

しかし、真実はそのことが向いていないだけです。
他の人が簡単にできることが
できないということはよくあります。
言われると私も嫌な気持ちになります。

でもできないことなんていくつもあります。
逆にあなたでなければできないことも
必ずあるんです。

例えば、誰か友達に
「私も嫌な気持ちになったんだよ
 あなただけではないよ」
ということを言えるのもあなただけです。

欠点や弱点が多い人の方が
他人の役に立つことが多いのです。
私はそういう人たちをたくさん見てきています。

あなたの人生には向いていることが必ずあります。
しかし、それはあなたが、自分自身を認めてあげないと
見えてこないことかもしれません。

嫌な環境かもしれませんが、
他人に左右されず、
自分の向いていることを見つけていくことが
人生の喜びです。

私は、50歳を過ぎて
ようやくそれがわかってきました。
まだまだチャンスは十分あります。

今日一日思い切り贅沢をしましょう。
向いていないことは、今日一日きりすてて
ちょっと苦手だけど、このことほどではないことで
比較的できるかもしれないと思えることに
取り組んでみましょう。


家族の中で気まずくなったら、
このブログを紹介して読んでもらってください。





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対人関係学のピンチ 対人関係学は進化心理学の劣化版だったのか 平成30年上3半期の読書研究 [閑話休題]

今年になっての勉強から、進化心理学までたどり着いてしまった
ということなのです。

お正月休みに読んだ本が
ダニエル・カーネマンの「ファストアンドスロー」
ものすごく面白くて、
それまで読んだ行動経済学(マイケル・ルイス、リチャードセイラー)
よりも、しっくりくるというか
今年1年の収穫だと思っていたのです。

この人は、ノーベル経済学賞を取っていますが、
れっきとした心理学者で、
後で(昨日)気づいたのですが、
認知心理学者に分類されるようです。

そうしたら、すぐに、
ダニエル・リーバーマンの「人体」に夢中になってしまい、
もう、心理学をやっている場合ではないという気になってしまいました。
この人は、進化生物学の学者さんで、
ネイチャー投稿数の断トツ一位の人らしいです。

完全に対人関係学のエビデンスになっている!
と飛びついたわけです。
もうこの歳になると、
ノートを取りながら出ないと頭に入らないので
読むのに時間がかかります。

こういう本を読んでいるのは、
半分以上仕事のためです。
過労死事件は、まさに仕事ですし、
自死対策は、
私の公的活動の大部分を占めますので、
やはり、ある意味大切な仕事なのでしょう。

それから、4月に過労死弁護団の拡大幹事会で、
慢性持続性ストレス
というよだれが出るほど、待ってましたという検討課題が提案され、
初心に立ち返り、というか初めて読んだのですが、
ストレスの創始者、
キャノン「からだの知恵」
セリエ「現代社会とストレス」
を読みました。

特にキャノンが面白くて、
今まで私がおっかなびっくり
交感神経ってこうであるはずだ
と語っていたことがすべて書いてあって
感激しました。

キャノンが先行するのですが、
セリエとキャノンは交流があり、
セリエは、キャノンの人格をわざわざ論じているほどです。

そういう人間関係も面白いのですが、
キャノンは交感神経の活性化という視点で、
ストレスという言葉を使いません。

セリエは、ストレスという言葉を
現在言われているストレス反応に当てはめ
ストレッサーという言葉を作った人で
それぞれが学問を発展させてきたことがわかります。

何かのきっかけか忘れたのですが、
やはり、意識の二重構造について人に説明する必要が出てきて、
改めてファストアンドスローを読んだのですが、
ありゃりゃ、読み落としていたのか、意味を理解しなかったのか
ものすごい知識が詰め込まれていることに
改めて驚きました。

私のというか対人関係に大きな影響を与えた
バウマイスターの研究が多く引用されており、
これは何としても読みたいなと思うのですが、
彼の論文は日本語になっていません。
英語で読もうとしてもなかなか入手ができず、
何とか入手しても、
文節が長すぎてなんだかわからなくなることが多くて
うんざりするわけです。
彼の論文の邦訳がされないのに、
批判論文だけは日本語で紹介されるという
奇妙な現象があることをお知らせしておきます。

この批判論文は、題名を見ても
政治的観点からの批判であることがわかります。

過労死や自死を防止しようという熱意よりも
防止する活動を妨害しようとする熱意の方が高い
ということがうかがわれます。
こういう所は見習うべきかもしれません。

さて、意識の二重構造ですから
カーネマンが引用していた
キース・スタノビッチを読むことが自然な流れなわけです。

苦労して遠くの図書館から借りてきた本
「心は遺伝子の論理で決まるのか」<品切>の
現代版「現代世界における意思決定と合理性」が後から取り寄せられ、
大事なことがほとんど書いている上に
翻訳者が原語を翻訳する過程を脚注に事細かく書いていて
はじめからこれだけ読めばよかったのかもと思うこともありました。

キーススタノビッチは、バリバリの認知心理学者だと思うのですが、
当然受け入れながら批判する対象が
進化心理学というわけです。

ダニエル・リーバーマンが引用した
ドブジャンスキーの
「生物学におけるいかなるものも
進化の視点からでなければ何も意味をなさない」
という言葉をストレートに影響を受けていますから、
心理学だってそうだ!と意気込んでいたわけです。
これは対人関係学しかないと思っていたのに、
ああ、やっぱりあったのねということで
進化心理学にたどり着いた次第です。

進化心理学については、ウィキベディアが要領よくまとめています。
最初はわかったようなわからないような感じだったのですが、
ちょっとかじると要領よいことに気が付きます。

進化心理学者は仮説構築のためのメタ理論として一般的に次のような前提を置く。
1 体の器官はそれぞれ異なる機能を持っている。心臓はポンプであり、胃は食物を消化する。脳は体の内外から情報を得て、行動を引き起こし、生理を管理する。したがって脳は情報処理装置のように働く。脳も他の器官と同様、自然選択によって形作られた。進化心理学者は心の計算理論を強く支持する。
2 ヒトの心と行動を理解するためにはそれを生成する情報処理装置を理解しなければならない
3 我々の脳のプログラムは主に狩猟採集時代の経験と選択圧によって形成された。
4 そのプログラムが引き起こす行動が現在でも適応的だという保証はない。
5 恐らくもっとも重大な点は、脳は様々な問題に対処するために多くの異なるプログラムを持つ。異なる問題は通常、異なる進化的解法を必要とする。このプログラムの一つ一つが臓器と見なすことができる。
6 心のプログラムは我々の経験を再構成し、判断を生成し、特定の動機や概念を生み出す。また情熱を与え、他者の振る舞いや意図の理解に繋がる文化普遍的な特徴を与える。そして他の考えを合理的である、興味深い、忘れがたいと感じさせる。プログラムはこうして人間が文化を創る基盤の役割を果たす。

対人関係学のたどり着いた主張と酷似しています。
1から4までは全く異論がありません。
3なんかは、どうしてこうなるのというくらいです。
本当は、対人関係学の独自の発見だと思っていたのにと悔しいのが本音です。
5,6もほとんど異論がありません。

じゃあ、対人関係学は進化心理学であり、
今さら畑違いの素人が参戦することはないのか
ということになり、夢も希望も無くなるのか
ということになりそうなのですが、
どうやらそうでもなさそうなのです。

一つは、クロスオーバーしない部分が重要ではないかということです。
進化心理学はドーキンスの影響を強く受け過ぎているのではないか
それに対して、対人関係学は、
キャノン(後付けっぽいのですが)、リーバーマンの名前は
進化心理学ではあまり出てこない

バウマイスター、アントニオダマシオは認知心理学では引用されますが
進化心理学ではそれほどでもなさそうです。

自死に関しての知見は、あまりないようです。
過労死については特にない。

この根本的な違いがやはりありそうで、
文字通り、対人関係という環境を重視するのが
対人関係学ということになりそうです。

それから、東洋的なアドバンテージがありそうです。
スタノヴィッチもそうなのですが、
ドーキンスの影響を受けているようなのですが、
まだまだ乗り物としての割り切りがない。
遺伝子への反逆なんてことを言っている。
正直このあたりが理解が遠いところです。

禅の思想なのかどうなのか責任あることは言えませんが、
ただ、あるがままの姿を受け入れる
ということが東洋的な高次の境地ともいえるものだとすると、
こういう境地になれるかどうかはともかく
こういう考えもあるということを知っている
あるいは感覚的に理解できることが
人間に対する科学にとっての
大きなアドバンテージになるだろうと
感じた次第なのでした。






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家庭不和が起きやすい現代社会の中で男性が心がけるべきこと 子どもたちのために [家事]

暴力も暴言もないのに、
妻が子どもを連れて出ていくという事件が平成に入ってから増えはじめ、
特に平成20年過ぎから飛躍的に増えています。

親の争いに巻き込まれる子どもたちの
健全な成長にも深刻な影を落とす場合があります。

妻側の体調の変化、考え方の変化
例えば、出産に伴うホルモンバランスの変化
甲状腺機能や婦人科疾患、肝臓の治療、

夫側でいえば、過労によるイライラや無気力
といった、二人に責任を問えないような事情で
夫婦問題が生じることが多くなってきているようにも思われます。

俺は悪くない
あなたが悪いのよ
ということを事後的に言いあっても
もはや解決ができない事態に陥れば
自分たちや子どもたちが
生まれてきた喜びや充実感を
感じられなくなるような事態に陥ってしまいます。

男性側が特に気をつけるべきこと、
意識するべきことを暫定的にまとめます。

1 妻は、不安を感じ易いと思おう!

こんなことくらいで
ということに傷つく可能性があるということを意識しましょう。
体調の変化等で、本人も家族も気が付かないことの方が多いのですが、
実際に不安になりやすくなっていることがあります。

だいたいそう思っていれば間違いはないです。
不安になりやすい人が快適なご家庭であれば
不安でない人だって快適なはずですから。

そんなことないよ。
いつもやり返されていて
妻の方が怖いくらいだ。

ということを言いがちですが、
妻の怒りの根源は
不安を解消しようとしているのかもしれません。

あなたが中学生くらいの時
親から勉強しなさいと言われたとき
「今しようと思っていたのに」
と切れたことはないでしょうか。
大体そんな感じで、
言われるのが嫌だから
怒りを含んだ対応をするということを
頭の中に入れておいてください。

2 言葉遣いの荒いのはダメ

これは、結構共通のことです。
男同士だと、ふざけて
お前なあとか、手命で勝手にしろ
等と言いますが、
女性に対してこのような言葉はNGです。

その時の雰囲気や流れを記憶しないで、
言葉だけが記憶に残り、
恐怖感情を抱くようです。

本人に対してそういう乱暴な言葉をぶつけるだけでなく、
例えば運転中トロトロ走って危ない運転手に
毒づくことも、恐怖の感情を起こさせるようです。
不安を感じている心が敏感な時には
ましましで恐怖になるようです。

3 相手へのダメ出しは最低限に

どうでもいいことが結構多い
ということを意識しましょう。

ダメ出しはマイナスポイントです。
どうでもよいことでダメ出しをしてしまうと、
マイナスポイントが累積して
肝心な時に相手に通じなくなります。

結構、気丈な奥さんも
食事や子育て、その他もろもろ
そんなに自信を持っていやっているわけではありません。

どうしても何か言いたいときは
先ず、肯定するところを探し出して、
感謝なりしてから、
ついでの様に付け加える等の作業が必要のようです。

一番意見が対立するのは子どものことです。
とかく、どちらも夢をみがちです。
完璧な子育てという無理な目標をたてがちです。

意見が鋭く対立しますが、
子どものためと言う言い訳が心に用意されていますから、
なかなか譲歩することがない場面です。

しかし、完璧も絶対的な正しさもありません。
生身の子どもですから。
自分が正しいと思うことも
実際は相手の方が正しかった
ということはよくあります。

奥さんが10と言ってあなたが0と言いあうとき、
着地点の目標は5にしましょう。
これも絶対目標にしないで、
7くらいまで行けば良しとしましょう。

それが子どもにとって一番良いことのようです。

7が良いというわけでなく、
親同士の対立がおさまるということも含めてです。

4 顔をつぶすことをしてはいけない

子どもの前とか、親の前とか
そういう所での対応がポイントです。
とにかく、人前で奥さんを否定しない。

うっかりする時はうっかりしますから。
意識しておくことが必要です。

特に子どもの前で批判することはこらえましょう。
これは子どもの取り合いになり、
子どもにとてつもない不安を与えてしまいます。

逆に人前でたてることによって
ポイントを獲得するチャンスです。

5 なにごともほどほどに

まあ、色々書きましたが
完璧を目指してはなりません。

一回間違えたら、この次は間違えないようにしようとか
間違えちゃったから、ケーキとか買ってこようとか
間違いをフォローするという気持ちの方が大事かもしれません。

そのためには、相手の間違いを許すということ、
この次頑張ろうということ、今度は頑張ろうということ
こういう家庭が結局はうまくいくみたいです。

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