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【提案】児相を責める前に私たちこそが考えを改めよう!目黒5歳女児事件のような虐待死を繰り返さないための共同養育という人間らしい方法 [家事]

何の抵抗することもできず、
何の責められる理由もなく、
5歳の女児が、絶望を抱きながら亡くなりました。
同居していた母親から助けられることの無い
絶対的孤立を感じていたことと思います。

こういう悲惨な出来事があった場合、
人間が犯しやすいエラーは
誰かを責めることです。

誰かを責めることでは
悲劇の繰り返しを絶つことはできません。

児童相談所を責めることは慎重にするべきです。
この種の事案で児童相談所を責めた結果、
本来引き離さなくてもよい親子が
引き離されるということが起きています。

目黒事件という起きてしまったことから目を離さず、
二度とこういう悲劇を起こさないようにしなければなりません。

私たちが変わることで悲劇が一つでも減るならば、
どんどん変わっていこうではありませんか。

今回は不幸にして5歳女性は亡くなりました。
しかし、これは氷山の一角と考えるべきです。
つまり、
亡くならないまでも
心身を虐待され、
安心して帰るべき家を持たない子どもたちがいるのです。

人間が助け合うものだとか、信じられるものだということを
知らないまま大人になっていく子どもたちがいるということなのです。
人間として生まれてきたはずなのに
人間として生まれてきた喜びに接することができない子どもたちがいるのです。

このような最も基本的な人権が今後も守られないなら
そんな社会は死滅していくだけでしょう。


児童虐待一般の問題を考えても仕方がありません。
きちんと目をそらさずに実態をみなくてはいけません。

過酷な児童虐待は、
母親の新しい夫や交際相手の男が行い
実の母親が放置したり、共同加害をしておきます。

統計的にも父親の子殺しは極めて少数です。

危険なのは面会交流ではなく、別居、離婚の仕方 先ず相互理解を試みることが円満離婚の早道 http://doihouritu.blog.so-net.ne.jp/2017-05-11

母親が多いのは新生児を殺すことがあるからです。
母親の交際相手や新しい夫が虐待死、過酷になることが多いのです。

前夫の子殺しは猿の行動です。
今号の雑誌「正論」では、
埼玉大学名誉教授 長谷川三千子と動物行動学研究家 竹内久美子が
「セクハラ
 そんなのチンパンジーでは常識です
 他人の尻馬に乗る「#ME TOO」運動」
と題して対談をしています。

この表題からしても、チンパンジーもセクハラをするのだから
人間がしても仕方がない、批判するな
と受け止めかねない内容になっています。

しかしさらなる問題はその後です。
チンパンジーの雄は雌と繁殖行為をするために
相手のメスの前夫との子どもを殺すということを述べていました。
チンパンジーのセクハラが常識だから非難をやめろというのならば、
チンパンジーも子どもを殺すからなんだというのでしょう。
そらおそろしいことが、埼玉大学名誉教授らによって
語られているわけです。

なぜ人間は服を着ているか少し考えるべきです。
また、人間の雄の犬歯が大きくない理由についても考えるべきでしょう。

正論という名前の雑誌ですから
今回の事件を受けて
何らかの説明記事を次号で出すことだと思います。

それはともかく、
前夫との子どもを殺すのは猿並みです。
しかし、そういう猿並みの男が現代日本に一定数いるのだということになるでしょう。

我が子に対する過酷な虐待を放置している母親の事情があるのかもしれませんが、
その事情について大変興味があります。
詳細な説明を引き出して国民に還元し、
悲劇の防止に役立てるべきだと思います。

いずれにしても、今回の事件が特異な二人によって起こされたというよりは、
今後も起きる要素があるのだということを
しっかり考えなければなりません。

現在この種の事件を繰り返さないために考えるべきこと
私たちが修正するべきことが一つあります。

それは、離婚をしたら、
一方の親だけが子どもと関わり
他方の親はお金だけを払うものだ
という単独養育の風潮があるということです。
もしかしたら、私もどこかでそういう風に考えているのかもしれません。

「だって、理由があって離婚するのだから
 相手とは二度と会いたくないのが当たり前じゃない。」
そういう風に、子どもを別居親に会わせることは
同居親にかわいそうなのではないかと思う傾向があるかもしれません。

確かに嫌でしょう。会わせたくないでしょう。
その気持ちまで否定しようとは思いません。

しかし、そのような素朴な感情が支持される風潮は、
母親が子どもを父親に会わせないことの疑問を
私たちから奪ってしまいます。

今回5歳の女性が死亡しました。
女性には父親がいたはずです。
父親という逃げ道があったはずなのです。
しかし、この様な会わせたくないことを支持する風潮は
子どもからせっかくあるはずの逃げ道を奪ってしまうのです。

もっとも、別居親と死別していた、遠方にいる等の事情もあるかもしれません。
しかし、その時は、父親の両親など新たな逃げ道が
子どものために用意されるべきだと思います。

子どもが別居親と面会することのメリットは数え切れません。

これまでアメイト等によって統計的に裏付けられてきたメリットとして
自尊心の低下の防止があげられていますが、
もっと現実的な効果があります。

今回の目黒事件のような虐待を防ぐことです。
平均体重より12kgも軽い身体状態をみたら、
子どもを奪い取ることができます。
自分の子どもですから、
会いに来たのに子どもに会わせられないまま帰る
やる気のない公務員に任せるよりも確実です。

また、そのような状態になる前の抑止力になります。
即ち、1カ月に一度でも子どもと別居親が会うということになれば、
虐待を疑わせるようなことはできなくなります。

別居親との面会がなかったことが
東京を密室にしてしまいました。

確かに同居親には抵抗があるでしょう。
しかし、やっぱり子どもを産んだ以上は仕方がないのです。

子どもを会わせないわけにはいかない

こういう風潮に私たちを変えていかなければなりません。
みんなが同居親の精神的苦痛を配慮して、
子どもとの面会を助けるような社会にしなければなりません。
同居親を励ますことが必要です。

行政は、離婚した相手と自分は会いたくないけれど
子どもには会わせてよいという同居親が
子どもに会わせやすくするような環境を整えることが急務です。

安価な使用が可能とならなければなりません。
それは行政こそがやるべきなのです。

(私のこのような主張が河北新報に掲載された後
 記者さんが宮城県と仙台市に見解をただしたそうですが、
 どちらも全く考えていないという回答だったそうです。)

現在は、同居親の自分ファーストの感情を支持し
別居親と子どもを引き離すことばかりが行われています。

子どもへの影響を考えることができず
感情的になっている方を支持するということは
感情のまま子殺しをする
直接的な因果関係しか認めない猿並みの思考だと
自分たちを厳しく戒める必要があると思います。

私たちは人間なのです。
親に会いたい子どもの援助をしなければなりません。
会いたいといえない子どもにこそ必要なことです。
それができるのは人間だけです。

ここでもう一つ児相を責める前に指摘しなければならないことがあります。

それは国会議員です。

一部の議員連盟は、
この種の事件の頻発を防止し、親子の絆を断絶させないということから
法案を作成しています。
私は修正されて換骨奪胎になった法案を全面的に指示することはできません。
しかし、何年も前から準備している法案を
一度も国会で議論しないということは、
きわめて怠慢で無責任な態度だと思います。

法案が通ればデメリットも多いのですが、
子どもを別居親に会わせるべきだという傾向を作ることができる
というメリットがあり、
その法律を執行する過程で
具体的な対策も立てられるかもしれません。

通らないにしても
国会で議論をすることは重要です。

今この問題は、日本会議の機関紙くらいでしか
系統的に取り上げられていません。
これが現実なのです。

幾重にも子どもの逃げ道を張り巡らせて、
目黒事件のような悲劇を断絶することが必要です。
そのための第1歩が
離婚後の共同養育ということになります。

あと何回罪のない子どもの
絶対的孤立、絶望の末の死の報道に
私たちは立ち会わなければならないのでしょうか。
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