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「死にたい」という人にどのように働きかけるか 死にたい「くらい」辛い事情の探し方 [自死(自殺)・不明死、葛藤]


前回、死にたいという人にがんばれと言ってはいけない
ということを書いたところ
「ではどう言えばいいのだ」というお問い合わせが来ました。

なるほどごもっともです。
めったに、他人に死にたいとは言わないものですが、
もし言われたらどうしよう
励ましてはいけないしとなれば、
いったいどうすればよいのか。
黙っているわけにもいかないし
と思われるでしょう。

わからない時は、黙って聞くということも正解です。
理解しようとする気持ちを示すことになるからです。

寄り添い、共感するということが第一なのですが、
それは相手の苦しみを部分的にであれ引き受けることになるので、
大変苦しい思いをすることになります。
心中になることがあるのは絶望を共有してしまうからです。
無理をすることは避けるべきです。
「カウンセラーやなにがしかの専門家につなぐ」
という選択肢も「あり」だと思います。

実際、あなたに死にたいと言っている人は
助けてほしいという気持を無自覚ですが持っているようです。
でも、あなたが自分を助けてほしいということではなく、
「誰でもいいから助けてほしい」ということなので、
誰かにつなぐということは間違っているわけではありません。

しかし、そのお話を、あなたが
聴かなければならない立場である場合があるでしょう。

何をどう聞くかということから始めて
聞いてどうするかということを
少しお話してみます。

まず、死にたいと言うお話を聞く場合
時間を用意することが大切です。
目安として2時間くらいを確保しましょう。
確保できない場合は、
予めリミットを告げて、改めていつお話を聞く
ということをはっきり示しましょう。

話はとりとめがなくなることがほとんどです。
プロは、とにかく話を聞き続けるのですが、
私は、時系列に沿ってお話しして頂くようお願いします。
そして、聞きながら時系列表を作ります。

例えば離婚が絡むのであれば、
結婚した日、出会いの方法を
まず聞いてお話して頂きます。

職場の辛いことであれば、
いつ入社をしましたかということから始めます。

時系列は、細かい日付が大切なのではなく
エピソードの前後関係が大切です。
前後関係さえ間違えなければ
「いつ頃」ということが分かればよいです。
もちろん、話していくうちに
前後関係が入れ替わることもありますが、
それは良いことの場合が多いです。

相談者の頭の中が整理されてきた証拠です。
時系列は最終的に確認できれば良いです。

さて、お話をしてもらうということも一つの目的ですが、
こちらとしては、死にたいくらい辛い事情がどこにあるか
ということを知りたいわけです。

おさらいですが死にたい気持ちは
以下のような流れで出てくるようです。

対人関係上の問題
  ↓
危険の認識=不安
  ↓
不安解決要求
  ↓
不安解決行動

ということがノーマルな課題克服法ですが
不安解決方法が見つからない場合
不安解決要求が大きくなってしまいます。
あまりにも大きくなりすぎて
不安解決がなされればそれがすべてだという意識になり
究極的には死んで不安を感じなくしたい
という本末転倒な結論を抱いてしまうのが自死の原理です。

こちらとしては
結論としては死ぬことを否定したいわけです。

聞く側は、早くこの結論、「死んではいけない」
という結論に飛びつきたいものです。

このため、やみくもに、
相手の発言や考えを否定したくなります
ここに最大の注意を払う必要があります。

相手は思考能力にはそれほど問題がないことが多いです。
考えることができないわけではない。
しかし、本末転倒の考えに陥るのは、
十分な考えなしに、ある前提を作って
思考を出発させてしまうところにあります。

どこに問題があるのかは実はなかなか難しいものです。

それにもかかわらずやみくもに否定してしまうと
話している方は
「自分の話を聞くつもりがない」と感じたり、
「自分を馬鹿にしている」、「自分を否定している」
と感じてしまうわけです。

話を聞くほうの自分は
死にたいという人の結論を否定したいから
つい、やみくもに否定してしまう傾向にあるということを
しっかり自覚して、自分を制御し、
じっくり話を聞くことは
意識しなければできないことかもしれません。

また話すほうは、
細部にも手抜きができませんので
回りくどくなったり
遠回りすることがあります。
覚悟して付き合う必要があります。

しかし、遠回りのような気がする場合は
ある程度聞いたら
時系列に戻してもよいでしょう。
その時は、「先ほどの話ですが」
という質問をすることが有効でした。

さて聞くポイントは
当初の問題点、不安を感じた事情と
どうしてそれが解決不能なのか
その人がどのように孤立しているか
その人は何を大事にしているのか(こだわっているのか)
というところにあります。

・解決不能のポイント

・孤立

・本人のこだわり

この3要素を考えることになります。

「解決不能」とは
その人にとって解決不能であるということです。
自分なら解決できるということより、
なるほどその人は解決できないだろうな
と思えればよいわけです。

「孤立」は、
天涯孤独である必要はありません
特定の集団で孤立していれば足ります。
また、本人の言葉から
本人は、実は孤立していなくて
援助を申し出る人がいることに気が付くことが多いです。
本人が孤立を感じている
ということが分かれば孤立していると評価するべきです。

最後の「こだわり」なのですが、
このこだわりは
一般の人ならば大事にしないこだわりもあるのですが、
一般的にはそれを大事にすることが非難されないこともあります。

仕事を一生懸命行うとか
子どもを大事にするとか
通常の程度であればこだわることを肯定できることもあります。
そうです、程度の問題に着目することになります。

これらの要素が存在すれば
「死にたいくらい辛い」となるわけです。

その3要素の存在が理解できれば
「なるほどそれはつらいよね」
「あなたの状況なら誰だってつらいだろうね」
という、辛さについての共感を示すことになります。

ここまでが一区切りということになります。

繰り返しますが、
貴方が専門家でなければ、
専門家につなぐことをお勧めします。
できれば、専門家のところに
一緒に行ってあげるということが望ましいとは思います。

では解決編です。
あくまでも、専門家向けのお話になります。

ここまでお話を聞ければ
辛さのもとになった事情が理解できていると思います。

もし、何がもとになっているのわからず、
病的に全般的に不安になっている場合は
精神疾患にり患してしまっている場合があります。
これはあまり多くありませんが、確かにそういう場合があります。

職場のことが原因で不安になっているようなことを言っていても
心配の仕方が支離滅裂で、
例えば、
自分が会計を担当していて、
営業担当の上司からマスキングテープ200円を買った日付を
実際よりちょっと後で帳簿につけてほしいと言われ
それをしたとします。
確かに不正ですし、会社から処分されることを心配するのは良いのですが、
「東京地検特捜部が捜査にくる」
「自分は刑務所から出られなくなる」
などということを本気で心配して
気が付けば口にしているということは
異常だと考える選択肢を持つべきです。
これは治療適応だと思います。
そして急ぐべきです。

できれば、カウンセリングができる精神科医がベストでしょう。
2時間くらい話を聞いてくれる精神科医です。

しかし、何かわからないが
「顔の左側から危険が来る」
ということをしきりに述べるという人がいて話を聞いたら、
会社で突然、頭がおかしくなった人間がいて、
前触なく、突然顔を殴られたという出来事があったというのです。
その頭がおかしくなった同僚が左の席に座っていた
というように、なにがしかの理由がある場合もあるので、
記憶のメカニズムを説明したら
当の本人が納得したということもありました。
統合失調症と診断されて
入院して強い薬を処方され
強い副作用が出たことによって
障碍者だと認定されていた人でした。

次に、困った事情がそれなりに理解できる場合、
そうして困った事情とそれによって3要素が結び付けられる場合です。

おおもとの理由は、大体一つです。
一つの事情に端を発していることが多いです。

(但し、3要素に至る事情は複数あります。)

例えば、学校のいじめとか
上司の横暴とかパワハラとか
夫婦の問題とか
子どもの問題とか、
自分の体調ということもあるでしょう。
(不治の病にり患した。大きな手術を控えているなど)

但し、おおもとが修正要素となるとは限りません。
おおもとの人間関係をそのままにして
考え方を修正するということ
こだわりを修正する場合もありうるわけです。

「死にたい」という人の何が間違っていることが多いかというと

解決不能だと思うこと
孤立していると感じること
こだわり続けること

この3点です。

こだわりがあるから解決しない
こだわりがあるから孤立する
ということもあります。

まず、それぞれの専門家が判断するべきなのですが
本当に解決不能なのかということを吟味する必要があるでしょう。

そのためにはなぜ解決不能なのかを考える必要があります。

一人では解決できない。援助が必要だ。
自分本位のものの見方をしている
本来解決しなくて良いことだ
解決の方向が硬直している
解決とするレベルが高すぎる

追い詰められた人の意思決定がゆがんでいるというのは
分析的な思考によって決定される意思ではなく
直感で導かれる意思決定パターンの領域のようです。

もともと人間の意思決定は2種類あり
分析的思考をし、ち密にメリットデメリットを評価したり、
派生問題を考えたりして決める場合と
直感で決める場合とあるようです。

驚くほど多くのことを直感で決めているようです。
そのことを特段意識さえしないようです。
どちらの足から歩き出すかというようなことから始まって、
誰が味方で信頼できて
誰が敵で警戒したほうが良いとか
自分の進路や思想選択すら
結局は直感で決めていることが多いようです。

経済活動ですら分析的思考では決めておらず
不合理な意思決定過程を経ることが多いということを発見したことを理由に
最近のノーベル経済学賞を心理学者が受賞しているくらいです。

これには合理性があって
あらゆることが分析的思考によらなければならないとなると
行動が遅れてしまうということや
脳が消耗してしまうというデメリットがあるので
直感的に意思決定をして
エネルギーを節約しているらしいのです。
そうして、直感的判断で
たいていはうまくいくわけです。

どうやら、「死にたい」と言える人は
分析的な思考のゆがみよりも
このような直観的な意思決定に
歪みが強く表れているようです。

分析的思考ができるものだから
自分は頭はしっかりしていると思うわけです。
また、直感的思考は無意識に行われていることが多いので、
自分の「無意識の思考」のゆがみに気が付かないということも
ごく当たり前のことだということになります。

孤立にしても
「自分には味方がいない」という敵味方の判断は
まさに直感的に行うもののようで、
その人が、他人からいろいろと働きかけられていることを認識していながら
味方であると判断できないだけのことが実に多くあります。

「ここまでいかないと味方だと思えない」
という頑固な判断は、こうして生まれるようです。
また、追い詰められれば悲観的なものの見方にもなっているわけです。
例えば、
官僚や財界の地位のある人が
一度刑事処分を受けてしまうと
すべての見方がなくなり自分は社会復帰できないと
自死リスクが高まりますが、
そこまで復帰のハードルを上げる必要がない
という考えもありうるわけです。

一度過ちを犯した人は
その人でなければできない社会貢献がたくさんありますし、
どん底から這い上がるところを
家族に見せてあげるということができるわけです。

また、危険な職場から離脱して
新たな職場を求めるということも
同様に、検討事項になりにくい
ということもあり得ます。

解決のためには現状維持の要求を捨てなければならない場合が多いようです。

これに対しては、
まず、一時的にダウンサイジングをする
ビバークするという考え方を提案することが有効です。

今後レベルを落とすということは衝撃ですが、
少しずつ鳴らしていく一方で
将来に向けての再帰以上の目標を持つ
というアイデアは
第三者が提案しなければ自然には生まれないでしょう。

こだわりを捨て去る必要はなく
形を変える、一事留保する
という提案をするわけです。

人間関係について
最近、研鑽を受けもせず、深く考えもせず
まるっきり共感もしない人が介入して
かえって人を追い込む現象が多発しています。

確かに、その集団にいることが
危険性が強く、デメリットしかない
という場合は集団からの離脱が最終手段なのですが、

追い込まれた人の思考は
死んで楽になりたいという極端な場合でなくても
夫婦の困難な問題から逃げるために離婚を選択したり、
退職したり、退学したりということが行われます。
これはうつ病の症状として
従来から言われていることですが、
「不安解消要求が強くなりすぎた結果だ」と
統一した説明が可能となったわけです。

さて、
このようなゆがんだ不安解消要求を追認して
安易に離婚させることによって、
離婚をした後で、
「こんなはずではなかった。今とても苦しい。
 しかし、そのことを離婚を進めた機関に言うと
 離婚を選択したのはあなたですよ。
 こちらは責任がありません。」
といわれるという人権相談が多く寄せられています。

夫婦問題の多くは
適切な介入によって
関係が改善することが多くあります。

(問題は適切な介入をする人が少なすぎる
不適切な介入をする機関が多すぎるということにあるのですが)

安易に不安解消要求を追認することは
結局自死を追認することになるのと程度の違いしかない
と厳しく批判されなければなりません。
つまり問題の先送りです。

さらに困ったことは、
対人関係の悩みの中で
不安解消要求を追認することは
その人のパートナーを攻撃することになります。

例えば
妻が漠然とした不安がある
マニュアルで夫の精神的虐待がないかどうかしつこく尋ねる
市井の夫婦であれば必ずあるような夫婦喧嘩をもって
それは精神的虐待だ、モラルハラスメントだと決めつける
貴方は殺される危険があるから子供を連れて逃げろ
というパターンがあるとします。

子どもを連れて逃げられた夫は
呆然として、わけがわからないうちに
行政や警察からも目をつけられて
社会的に孤立してしまう
裁判所も自分の味方をしてくれない
絶対的な孤立と解決不能感が強力に置きますから
自死リスクがかなり増大していきます。

自死に至らなくても
追い込まれたことによる認知のゆがみが強くなり、
敵と味方の区別がつかなくなり
味方を攻撃する現象が起きやすくなるわけです。

どうしても困った人を見ると味方になってあげたくて
その人さえ守ることができれば
その他の人が傷つくことに気が回らなくなったり、
それほど罪のない人を敵視したりしてしまいます。

もともとの奥さんの不安を解消できないばかりか
新たに夫の自死リスクを高めるという
深刻な弊害を生んでいます。

死にたいという人に対する支援は
その人そのものを支援するだけでなく、
その人が所属する集団を支援、修正していくことだと
考えを改める必要が高いと考えています。

個人に対する治療ではないのです。

そうして、一番のその人の所属する集団は家族です。

家族の在り方に問題があるならば
修正を提案することが
真面目な支援だということになります。

私は弁護士ですが、
弁護士は人間の対立の中で
紛争を解決する専門家のはずです。

人間関係の修正という視点を
比較的持ちやすい職業のはずです。

また、今までお話ししてきたように
精神医学の観点、カウンセリングの観点
問題解決に当たってはケースワークの知識など
いろいろな専門家が集団的討論をし、
メリットデメリットを明らかにしたうえで
本人に意思決定をしてもらう

これが死にたいという人に対する
本当の支援なのだと思うのです。

私が生きているうちに
どこまで近づくのか
あまり楽観的にはなれないところです。


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