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【怖いもの知らずの妄想的仮説】どうしてセロトニンが不足すると抑うつ状態になるのか、 [閑話休題]



脳科学者に記憶の仕組みを語らせると
アメフラシという軟体動物が出てくる。
アメフラシは、神経が太く少ないので、
神経の観察にもってこいだからとのことである。

アメフラシにも神経があり、
水管に触られるとエラをひっこめるという反射行動をする。
エラは大事な器官なので、外敵から守るために
触られると危険があると判断し、
引っ込めるのだ。

ところが触り続けると、
エラをひっこめなくなる。
これを危険がないという記憶が生じたというかどうかはともかく、
引っ込めなくなる。
記憶の原始形態のように説明される。

この研究が進み、
引っ込めなくなるメカニズムについて解明された。
そもそも引っ込めるメカニズムは、
感覚神経が異物を感じた場合、
その信号をいくつかの神経を通って、
運動神経に伝えて、
エラ引っ込め運動をするということらしい。

その神経から神経に信号を伝える時、
セロトニンという伝達物質が必要だけど、
危険をしょっちゅう感じてセロトニンを出していると
次第にセロトニンを作れなくなる
このため、神経信号が運動神経に伝わらず、
引っ込め反射ができなくなる
こういうわけらしい。

だから、しばらく危険がなければ
やがてセロトニンの作成能力が復活して
また引っ込め反応をするとのことだ。

「セロトニンですって?」

われわれにわか勉強マンは、
セロトニンと言えば、ましてやセロトニン不足と言えば
うつ病である。

アメフラシもうつ病になるのだろうかと
短絡的な考えを抱いたことは仕方がないだろう。
短絡ついでに、
もしかしたら、
人間のうつ病のセロトニン不足も、
危険を感じすぎて
セロトニン作成能力オーバーになっているのではないかと
そう感じてしまったのも仕方がないだろう。

アメフラシはそれほど神経が多くないので
うつ病になるかどうかわからないが
人間は確実に神経が多い。
そうすると、セロトニン不足で活動が鈍ると
活動が鈍ったことを心配し、焦る神経もあるかもしれない。

その神経は、
「いざ危険が起きてもセロトニン不足のために対応できない」
という予期不安を感じているのではないだろうか
と考えてみてしまった。

つまり、精神的な抑うつ状態は、
 セロトニン不足から直結しているのではなく、
 セロトニン不足を覚知したことによる反応ではないか
 ということ

このような解決手段がないことを覚知することによる
予期不安の自然発生は比較的わかりやすい。

例えば光の刺さない真っ暗なところにいると
それだけで怖くなる。
何かに襲われたらどうしようという気持ちになる。
もっと漠然とした不安、恐怖かもしれない。

実際、山の中のトンネルを歩いたことがある。
20歳前後の男性数人で歩いたのだが
皆、怖さを口に出し、
幽霊が出たらどうしようという気持ちにさえなった。

これは暗闇の中で何かがあったら、
見えないために対応ができない
という意識ないし無意識が
恐怖を掻き立てているものではないだろうか。

狭いところに閉じ込められたり
手や足を縛られた時も
言い知れない恐怖が湧いてくる。
逃げたり戦ったりできないことの恐怖が、
ありもしない危険を感じさせるのだろう。

うつ病においてもこのような
先回り不安を抱いているのではないだろうか。

そもそも、セロトニンやノルアドレナリンが
神経の間に少なくなったとすれば
その生物学的効果は、
神経間の伝達に支障が生じるだけのことである。
それ自体が抑うつ状態を生じさせるという
メカニズムにはならないだろう。

もしかすると危険等の連続で、
セロトニン、ノルアドレナリンの放出過剰が起き、
あるいは先天的な要因で
アメフラシのようにセロトニン等の放出の不能状態が
先ず生まれているのだと思われる。

その結果、危険が生じているのに
神経間の伝達が弱くなっているということを
脳のどこかが感じるのだろう。

(セロトニン不足をある神経にチクるのは神経ではなくグリア細胞ではないか。
 チクられる神経は脳幹とかいわゆる古い脳ではないか。)


すると、光のない世界、音のない世界
からだを動かせない世界の恐怖のように
何かあった場合に対処できないという
先回り不安が生じてしまうのではないか。

そうして、何かをすることで
危険が発生することを回避しようとして、
活動をしないように体が反応してしまう。
ここでいう何かをすることとは、
生きるための活動である。

意識的な思考、無意識の行動を抑え込む必要がある。
行動に出ないように体が反応するからだ。

全精神活動が低下していき
生きるための意欲が失われていくように思われ、
生きる行動が鈍っていく。
うつ病というのはそういうことなのではないだろうか。


また、生きるということは
危険や困難を乗り越えていくことなのかもしれない。



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【怖いもの知らずの妄想的仮説】記憶想起のメカニズム仮説 [閑話休題]


貯蔵された記憶をどのようなメカニズムで想起するか
ということが現在の課題となっているようです。

記憶は、先ず海馬で記憶され(秒から分単位)
内側側頭葉に保管され(もう少し長い)
そして大脳皮質に貯蔵され、長期記憶になる
とされています。
ここまでは解明が進んだそうです。

しかし、貯蔵された記憶が
意識に上らせるメカニズムは
これからの課題とのこと。

ここで、無責任な見解を述べることは
まさに素人の醍醐味なわけです。

私は、記憶の貯蔵自体が想起のメカニズムだと
大胆な提案をしたいと思っています。

先ず記憶がどのように長期記憶へ移行していくか
ということとも関連するのですが、
その前に、記憶とは何かということを
ごくごく大胆に端折って説明すると、

物事に対して人間が反応するということは、
何らかの神経伝達活動が起きているということです。
この神経伝達活動は、無数のパターンを作ることができるそうです。
それぞれの反応のパターンを神経が再現できる
これが記憶です。

従って、同じ反応を反復継続すれば、
記憶として定着しやすくなるわけです。

しかし、生きて活動していれば
次々と刺激が現れますから、
同じ反応だけを反復するということはできません。
しかし、反復しなければ記憶として定着しない
記憶として定着している以上反復している。
いつ反復しているのか。
もう寝ている時しかありません。

一夜漬けで得た知識が翌日のテストの時間に記憶されているのに
帰るまでには失われているのは
長期記憶になっていなかったから
つまり寝ていなかったからということになります。
受験本番では役に立たないのはこういうわけです。

寝ている時の記憶はありませんが、
レム睡眠という時間は、
起きている時と同じように脳が活発に活動しています。

反応が繰り返し再現されているわけです。
しかし、あまり強い刺激の場合
例えば犬が嫌いな人がいぬから吠えられ
追われて逃げたという反応を再現すると
眠りながら駆けだしてしまったりする危険があります。

しかし、レム睡眠は「うまくできています。」
脳から運動神経への伝達が遮断されているからです。
脳が反応しても運動神経の手前で止まっているので、
隣で寝ている人が踏みつぶされることはありません。

同時にレム睡眠時は新たな反応をしないために
感覚神経も脳と遮断されています。
寒くても対応ができません。
冬山でうたた寝をすると死ぬのは、
レム睡眠の時なのでしょう。

何も気にしないで思う存分反復再現をして
皮質で長期記憶とすることができるのです。

この長期記憶への移行が
実は想起のメカニズムではないかというのが
私の主張ということになります。

つまり、ただ反復再現しているのではなく、
この時、過去の記憶との関連付けが行われているということです。
例えば、危険の大きさ、危険回避の困難さについて
過去の記憶の中にある危険の中のどの順位に位置づけられているか
おそらく、反応の状態を診て几帳面に並べ直されているのでしょう。

レム睡眠時にファイリングがなされるということが有力ですが、
それはこういうことではないかと思うのです。

危険の大きさ、危険回避の困難さが
もっとも重要なファイリングの要素だと思うのですが、
もしかしたら、他の要素もファイリングの要素になっていて
二次元的なファイリングではなく多次元的なファイリングに
なっているのかもしれません。

細かい記憶、
文字とか、機械の名前とか、色彩とか
そういう記憶もあるのだから
多次元のファイリングがなされているのだと思うのですが、
これは私の手には余ります。
というかあまり関心のないところです。
記憶の必要性というのは危険回避の手段の蓄積に
その要諦があると思うからです。

記憶自体が関連性の中での位置づけという形で貯蔵されているので、
関連事項に刺激されれば、
記憶が自然と想起されるシステムになっている
これが私の提案です。

記憶の想起とは
実は脳が勝手に同種の反応の再現している
ということになると思います。

だから思い出すという作業は
無意識に関連付けをしているということではないか
と思うのです。

卑近な例では
台所で用事を思い出し、
自分の部屋に行ったけれど、
自分の部屋に行ったとたん
何をするか忘れるということがあります。

こういう場合は、
もう一度台所に戻って
さっきしていたことと同じことをすると
「ああ、そうだった」
ということになると思います。

そうやって二度思い出す、つまり反復した場合は
自室に行って確実に用を足すことができるわけです。

これは、短期記憶の例ですが、
関連付けをすることで、意識に上らせた例
ということになると思います。

ちなみに、機械の名前とか歴史上の人物の名前とか
およそ実生活に関係しないことは
よほど反復するか、実生活に引き付けて
つまり関連付けの中に無理やり押し込めてでないと
どんどん記憶から欠落していくでしょう。

逆に、強盗に襲われたとか、震災の記憶等は
ファイリングしきれない記憶ということになります。
それでも危険の記憶ですからもっとも重要な記憶です。
ファイリングがされなければ、
いつでも危険への対処をスタンバイしていなければなりません。
これがPTSDの原理ではないかと思います。
ファイリングは危険への対処をシミュレーションして
情動を鎮める作用もあるようです。

妄想ついでに言えば
記憶が神経の伝達パターンの再現だとすると
パターンオーバーになることを心配したくなります。

おそらく、関連付けの中で
出来事が過去過ぎて、もはや脅威ではないとするべきことは、
記憶のファイルから欠落していくというか
コンパクトに再構成されていくのではないかと思っています。
どんなに片づけが苦手な人も
脳は立派に再構成して整理しているわけです。

逆に、細部にわたる記憶が延々と続く場合は
もしかしたら、神経伝達パターンの再構成がなされていて、
伝達パターンの可変部分と不変部分があるのではないかと
利根川大先生の物まねをしたくなったりしています。

妄想よりもさらに無責任な話として
これまで、ニューロンの伝達パターンばかりが注目されているようですが、
脳の可塑性については、グリア細胞が大きな役割を果たしているのではないか
という視点での研究が必要なのではないかと
吐き出してみました。

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