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長期休みの最終日が辛い理由 結構みんなが辛い理由 [故事、ことわざ、熟語対人関係学]

長期休みの最終日が辛い理由

ゴールデンウイークや夏休みなど
長期休み明けは子どもの自死が増える
大人だって、気が滅入る。
今年(平成30-31)の年末年始は
9日間事務所が休みになったので、
私でさえ、出勤のことを思ってしんどくなったことがあった。

このように多くの人がそうだそうだと思うと
「そういうものだ」になってしまい、
思考が停まってしまう。

そして、単純に
学校や職場の人間関係の問題に問題がある
というような犯人探しに躍起になってしまう。
ところが、何が原因で、どう修正するかについても
まともな議論さえ広がらないのだから、
向こう岸の議論に思えてしまう。
要するに今困っている人にとって、
何の役にも立たない議論だということだ。

とりあえず対症療法を考える人も
いても良いと思う。

問題の所在は、
長期休み前は、その人間関係の中で
ともかくも生き残って
やってきたわけだ。

また同じことをやって生き延びればよいし
実際に多くの人間は休み前と同じように
困難をすり抜けて生きることができる。

つまり、休み前に耐え抜いていることが
休みを挟んでしまうと耐えられなくなる
この仕組みを真剣に考える必要があるのではないだろうか。

その人にとって休み前の生活、人間関係は、
おそらくかなりの緊張の連続だったと思う。
単純な緊張だけでなく、
複数のストレッサーがあって、
ひっきりなしに強い緊張が訪れて、持続して
しかも、顔がつぶされるとか、立場を失うとか
本気で参ってしまう危険を前に
強烈な緊張状態にあり、
局面においては、完全に孤立していると感じていたかもしれない。

これに対して家庭がうまくいっている場合は、
ストレスをあまり感じなくてよい。
だから緊張する必要が少ない。
副交感神経が活性化され、
生理的にはメンテナンスに適した環境になっている。
消耗した神経や血管が修復に向かう。

ストレスという交感神経が活性化された状態から
副交感神経が活性化され緊張がゆるみ切る状態である。

人間は、ストレスがかかり続けると
一気に破綻するが、
緊張がゆるみ過ぎると
行動を起こすことが難しくなるようだ。

通常は一日の内、大雑把に言うと
昼間に交感神経が活性化し
夜は副交感神経が活性化し
一日のリズムの中で活動とメンテナンスを行っている
(サーカディアンリズム)

おそらく、平日に学校に通っている日々も
このような生理的リズムがあるのだろう。
但し、
例えば学校で緊張状態が90ポイントになるとすると
帰宅しても60ポイントとかにしか下がらないのだろうと思う。
また明日のことを考えると
戦闘態勢を解除するわけにはいかないからだ。
朝起きた段階が60ポイントだとすると、
身支度を整えながら80ポイント近くまで上がっていき、
学校に着くころには90ポイントまで上げることは
おそらくそれほど難しいことではないのだと思う。

ところが、長期休みになって、
翌日に緊張のポイントを90にあげる必要がなければ、
日頃のストレス疲れの反動で
休みが続くうちにどんどん緊張ポイントが下がり、
10ポイントくらいになっているのではないかと思う。

10から90に持っていくことはなかなか難しいのだろう。
いきなり90ポイントまで上げなくてはならないと思うと
それはしんどいだろう。

もう一つ理由がある
学校でのストレスのかかる出来事が
対処方法抜きに思い出されてしまうという問題だ。
本当は緊張をしているにしても、
何らかの形でやり過ごしている。

緊張ポイントが高く維持されている時は、
嫌な奴の嫌みが来ても無視をしたり笑ってご増すという
処世術とセットになって思い出すことができる。
理不尽な先輩に会わないように
行動経路を工夫していたかもしれない。

ところが、緊張レベルが低い時は、
ごまかしの対処方法が思い浮かばず、
困難の場面だけが思い浮かんでしまう。
この結果、真正面から正攻法で対処することしか
思い浮かばなくなってしまうようだ。

真正面からの正攻法で対処して失敗した記憶だけが
その時窮地に陥った感情だけがぶり返すわけだ。

しかし、実際は
耐えきっているし、
ごまかしているし
先延ばししているのだ。
これをえいやっとやっているので、
緊張をしていない状態では、
思い出すことができないのだ。

ここまでのことをまとめてみる。

長期休み明けは
緊張ポイントが、通常時よりかなり下がっている。
このため、通常時が緊張状態だったことを体が忘れている。
困難な出来事を想定してしまうが、
緊張状態を作っての対処方法とることを思い出せない。
だから対処方法を思い出したとしても、
それがまたできるとは思われない。

真正面の正攻法での対処方法しか思い浮かばないが
やはりそれができるとは思えない。
出来ないからこそ嫌な記憶なのだ。

その結果、自分が顔がつぶされ、立場がなくなる
ということだけが頭を駆け巡る。
孤立と不可能だけが現実だと感じてしまう。
つまり絶望が起こりやすくなる。

しかし、原因が分かれば対策は簡単にできるかもしれない。

先ず、対処方法を思い出す方法がある。
休みの日学校の近くまで行ってみるということだ。
誰もいない教室に入れればなお良い。
誰もいない教室で一人でいると
なんとなく天下を取ったみたいに安心できる。

実はこの年末年始私も誰もいない事務所に何回か行った。
部屋の片づけをしなくてはならないという
差し迫った必要性があったから行ったのだが、
やはりなんとなく落ち着いた。
私の場合特に理由のない不安というか焦りというか
そういうものを持っていたのだが、
誰もいない事務所に座って仕事をしていると
そういうマイナスの気持ちは
自然と薄らいでいった。
年末年始の間、何回か事務所に足を運んだ。

環境の中で記憶が喚起されるという側面がある。
何とかなってきたじゃないかという自信みたいなものも
湧いてくるだろう。
実際、多くの不安はなんとかなるものである。

次の方法は、
あまりまじめに考え過ぎないことだと思う。
実際休み前は結構適当にやっていたはずだ。
勉強や仕事に関しては適当にやっても困るが、
人間関係については、結構
耐え抜く、ごまかす、先延ばしする
でしのいできたはずだ。
卒業すれば会うことも無くなる人間とは
そんなにまじめに決着をつける必要もない。

逃げられるところは逃げることも勉強だ。
逃げ込むべき場所、逃げ込むべき人は
えり好みしなければ見つかる。
逃げられる時間は確実に逃げよう。
ずるいと思っても、自分が一番だ。

色々困難な現実があり、
不合理な攻撃を受けることも
勉強だ。
危険や困難があっても
一時しのぎや自信をもてる自分のフィールドを作ることも
若いうちに経験しておくとその後役に立つだろう。

一人で打ち込める楽器、読書、収集
それからいざと言うとき守ってもらう家族に
前もって奉仕しておくこと、
できることはやっておいてよいだろう。
自分の危険の程度がそれでわかることがあるので、
よくよくの時に逃げ出すという選択肢を持つことができる。

困難を乗り切ったら自分を癒す方法があると
本当に困ったときも立ち直ることができる。

長期休み明け、
学校に行きたくないのはあなただけではない
原理を考えると誰にでもあることなのだ。

学校に行きたくて仕方がない人というのは、
家庭の中にいる方が緊張を強いられる人だと
憐れむくらいでちょうどよいことになる。

でもだいたいは学校に着くころは、
緊張状態も上がっていき、
行きたくなかった記憶も薄れてくることが多いだろう。

学校で色々嫌なことがあっても
前日に布団の中で嫌がっていた状態よりは
幾分過ごしやすいことが分かるはずだ。



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