SSブログ

3歳児神話は、神話ではない。聞こえが良い主張には警戒するべきだということ。 [家事]


「3歳児神話」という言葉自体があいまいなのですが、
国や医学会では、きちんと意味を定めて使っています。

問題は、一般向けの記事等で、
大学教授や専門家を名乗る人たちが、
3歳児神話があるために女性が社会進出を妨げられている
と主張するときの3歳児神話は
敢えて意味をぼかして使っているということなのです。

3歳児神話という誰が主張しているかわからない
仮想理論を叩くことによって、
母親を、就労という形での限定された社会参加がしやすいような
社会心理的な環境を作ることが目的となっているようです。

否定論者は、本来、
子どもの健全な成長という利益と
母親の社会参加という利益の対立を
どのように調整するかという議論を立てるべきなのに、
3歳児神話というあいまいな概念をたてて
子ども健全な成長という利益を
黒く塗りつぶして見えなくしています。

先日も、ある大学の学部長に語らせていました。
議論の特徴は
何ら科学的ではないでたらめな論調
というところにあります。

早期に子供を親から話すことは
日本の伝統を引き継ぐ天皇家でも行われている
だから、早く親から話した方がよい
と本当に言っているのです。

そもそもこれは皇室や大名家の風習で、
親子の情が入ると政治に差しさわりが出るから
そのような人間的なつながりを排除するための
帝王学の考え方で行われていたものです。

その伝統に反対したのが、ほかならぬ
今上陛下の母上美智子様だということは
ほとんどの国民が知っているでしょう。
その学者の論調は
美智子様の教育方針を妨害した
おつきの女官たちを支持するものです。

また、小さい子どもたちに
働く母親の姿を見せることは有意義だ
という主張もあるのですが、
3歳未満の子供たちは、
働く母親の姿を見ることはないでしょう。
ただ自分の近くに母親がいないという体験をするだけです。

三歳児神話否定論者が目隠しをする
子どもの発達の利益ということを述べますと、
これは、戦後、ボウルビーとエインズワースの
愛着理論、アタッチメントの理論
という理論を外せません。

ボウルビーは戦災孤児の施設を回り、
幼いときに施設で育った子どもたちの
発達上の問題を調査しました。

その結果、赤ん坊は、
母親のような特定の人間の愛着を受けることによって
精神的に安定し、健全に発達していく
ということを発見しました。

この愛着とは何かというときわめて単純なことで、
身近に親を感じることです、
目で見て、声を聴いて、
抱かれることによって
皮膚の感触を知り、体温を感じ、においを感じる
そこで安心感を抱き、人間を信じ
適切な人間関係の距離を学んでいく
ということのようです。

逆にこの愛着に恵まれないで育った子は、
人間に恐怖を感じて常に疑い、警戒しているか、
媚びるように近づくことでしか人間と関われないか
という両極端のどちらかの障害を持つ場合があります。

ある時期までは、
子どもは近くに親がいることが大切ですし、
ごく初期には、それは母親になることが自然なのでしょう。

しかしある時期からは
母親だと限定する必要はなくなるようです。
ただ、いつも同じ人でなければ
愛着は形成されにくいようです。
同じ声、同じ肌触り、同じ匂いが
子どもに安心感を与えるからなのでしょう。

さて、この愛着形成など
何歳まで親がそばにいることが必要かについては
議論が必要だとは思うのですが、
それらを一切目隠しするのが
三歳児神話否定論者です。

彼らは、何を目的に無茶な議論をしているのでしょうか。

論調を見ると一目瞭然で、
「母親の就労の促進」
という一点に絞られているようです。

いくつかの疑問がわきます。
なぜ子どもの養育に価値を認めないのか、
なぜ女性の社会進出が就労限定なのか
なぜ子どもの養育が母親限定なのか、
なぜ父親の養育という観点がないのか

女性の就労を促進するとしても
なぜ男女格差の賃金の是正を主張しないのか
なぜ保育施設の量的質的拡充を主張しないのか

それにもかかわらずなぜ、母親の就労ありきなのか

これに対する選択肢としては、
家族の一人の就労で家族が豊かな気持ちで暮らす社会を目指し、
その社会では母親が就労し、父親が子育て家事をするということを選べる
そういう主張をしてもよいように思われるのです。

これを主張しない理由は暗黙の前提があるからではないか
と疑っているところです、つまり、
家事、育児の労働は、人間としての価値が低い
だから、男性がこれをやるということは初めからありえない
家事、育児は女がやるもの、
だから安っぽい家事育児にかかわる人を減らして、
生産性を向上させるためには、
母親の就労を促進することが効率的だ
というものです。

これが本当の気持ちならば著しい女性蔑視ですし、
家事、育児の価値を不当に低めるものです。
家事育児ハラスメントの真骨頂ですし、
人間性を否定してまでも生産性を向上させる
という主張です。

アメリカのフェミニストであるナンシー・フレイザーが
警告しているように、
一見女性の立場を向上させる動きのように見えて、
結果的にグローバリズムの新自由主義の召使になっている危険性
を意識する必要があるでしょう。

いくつかの3歳児神話否定論者の非科学的なあいまいな議論は、
結局、良質な労働者なのに、
安価で、都合が悪ければいつでも解雇できるという特徴を持った
女性労働者を提供することが目的のようにさえ感じられます。

そのために子どもの健全な成長という利益や
人間らしく生きるという利益が
見えないように黒く塗りつぶされているのです。

もう一つ看過できないことがネットで書き込まれていました。
スェーデンの子育て事情ですが、
論者は、スェーデンでは、子どもが一歳になると
みんな保育所に入れるということで、
文脈からは子ども愛着理論を意に介さない国のように紹介されています。

しかしスェーデンは、愛着理論に理解がある国で、
子どもが3歳になるまでは、直接親が関われる制度が
整備されているのです。
木村慶子, 高橋愛子『頭がいい親の13歳からの子育て』 2002年

スェーデンは、保育など社会福祉も充実しているから
1歳で保育所に預けられるのでしょう。
日本では、無認可保育所でさえ、
抽選で外れて預けることができない人もいます。

そのような話に一切言及しないで、
親が費用と危険を負担して子ども預けなければならない日本で、
とにかく就労だけを促進するというのですから、
大変恐ろしい主張だと思います。

私は、共稼ぎの家庭で育ちましたし、
自分たち自身が共稼ぎです。
そういう環境しかわかりませんし、
その環境自体に問題も感じていません。

問題は、本来家庭の自由であるはずの
誰が働くか、誰が家事育児をするかということが
暗黙の前提の下で誰かから強く誘導されているということ、
男は外で働かなくてはならず、
家事育児は、男が従事する価値がない
男が働くことは前提で、女も企業で働かなければならない
というように
自由に自分たちの生き方を選ぶことができなくなっているということです。

もっともらしい主張は、きちんとその誤りをみつけ、
否定することが人間性を守るために必要である
そんな危険な社会になっているのではないでしょうか。

nice!(0)  コメント(0)