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一人暮らしの高齢者のかんぽ生命被害の実例から考える高齢者問題 身近な将来の自分たちの問題 [家事]



特に地方などでは、
都会に出て就職したり、しょっちゅう転勤したりと
年老いた親と離れて暮らす人たちが多く、
親もどちらかが亡くなる年齢になると、
高齢者が一人暮らしをしているケースが多くあります。

子どもからすると親の健康問題が一番の心配事ですが、
今話題のかんぽ生命の、必要のない保険加入で貯金がだいぶ減ったとか
不必要な消火器や高額布団、貴金属の購入、
そしてオレオレ詐欺というか特殊詐欺ですか、
一人暮らしだとそういうことの被害にあっているのではないか
という心配もあります。

そうかと思うと、近隣トラブルを起こしていたり、
万引きをして警察沙汰になったりと
後は自動車運転トラブルですか
被害の心配だけでなく加害者になる心配も出てきます。

何とかしなくてはと思うのですが、
自分たちの生活で精いっぱいで
どうすることもできないということで、
「あまり考えないようにする」ということしかできない
ということもリアルな話のような気がします。

不安をあおるようなお話になるのですが、
原因を考えて実現可能な対策を立てる必要がありそうです。

かんぽ生命の不必要な契約については
少し前から相談がありました。
事情があって一人暮らしをしていた高齢の父親が
必要のない保険に次々に加入して
莫大な保険料を払っていたというものです。

ところが、事件にはなりませんでした。
父親本人が被害にあったことを認めなかったからです。

どうやって必要のない保険に加入して
無駄な保険料を払わされていたのでしょうか。
どうして父親は自分が被害者であることを認めなかったのでしょうか。

高齢の父親は自宅で一人暮らしをしていました。
若い時は、固い仕事についていて、それなりの地位にありました。
心身とも年齢の割にはしっかりしていました。
一人で暮らすには十分な年金も支給されていました。

毎日が休日で、一日が長く感じられたことでしょう。
誰かと話をする機会もなく、
電話でのやり取りもそんなに頻繁にというわけではなかったようです。

そんなとき、郵便局からかんぽ生命の勧誘に
職員が来るようになりました。
おそらく久しぶりの人間との会話が
高齢の父親にとっては楽しかったと思います。

また、子どもたちのたまに来る電話は
心配のあまりなのでしょう
食事のこと、火の始末のこと、薬のこと
あれをやってはダメだ、これをこうしろと言う
さしずとダメ出しばかりで面白くない電話が
多かったのかもしれません。

勧誘をしに来る職員は
色々なことをほめてくれるわけです。
やれ男の高齢者にしては家がきれいになっているとか
元気そうでうらやましい、自分は生活習慣病でとか
働いていたときに、周囲からちやほやされた感覚が
よみがえってきたのかもしれません。
さりげなく、年金の金額や、貯金額なども
うまく聞き出していたかもしれません。

もしかすると、職員は、相手の感触が良ければ、
わざと保険の話をおざなりにして、
趣味の話を聞き出すなどして
話の糸口をつかもうとしたのかもしれません。

そうしてたびたび勧誘に来るようになると
一人暮らしの高齢者は
職員を取引相手だとは見ないようになり、
話し相手だと認識するようになります。

こうなると職員は、
保険内容を説明するよりも、
自分のノルマのことなどの話をどこかに刷り込んでいたかもしれません。
高齢者から見れば、
保険を契約することで、話し相手を助けることができる
という気持が芽生えていたかもしれません。

人間は「だれかとつながっていたい」
「群れの中に帰属したい」という本能的な要求を持っています。
これは、「仲間の役に立ちたい」という気持になって現れることがあります。
高齢者は潜在的に仲間のために役に立ちたいと
感じていると思うべきなのかもしれません。

ここで職員は、殺し文句を発するわけです。
この保険が下りることによって喜ぶのは
お子さんやお孫さんですよと
「お孫さんのために保険をかけてみてはいかがでしょうか」と

そう言われてしまうと
自分が何かの役に立つことができる
孫や子供が喜ぶことをすることができる
という人間の本能的な要求を刺激されてしまうわけです。

さしずやダメ出ししかしない相手だが、
なんだかんだ言って俺の子どもだ
俺が子どもや孫のために何とかしてやるんだ
という意識はとても幸福なものだったでしょう。

そして、目の前のこの人も助かる。

高齢者は、まるっきり騙されているように見えても
だまされているかもしれないということは薄々感じているようです。
それ程自分に自信があるわけではありません。
相手に自分と話をするメリットが無ければ
もうここには来ないということを知っています。

(高齢者の法律相談で、相談される内容として
遠く離れて音沙汰のない子どもよりも
毎朝声をかけてくれる近所の娘さんに遺産を渡したいと
まあ、イメージで言えばそんな相談類型が多いのです。)

一度契約が成立すると
職員が焦って頻繁に訪れない限り、
あとはどんどん契約をしてくれる
そんなことが起きていたようです。

おそらく高齢の男性にとって
無駄な保険料は保険料として支払ったというより、
話し相手に対する小遣いみたいな感覚だったのかもしれません。

また、現金を支払うわけではなく、
郵便貯金通帳からの引き落としなので、
どのくらい財産が無くなっていたのかは
通帳を記帳しなければわかりません。
その高齢の男性は、記帳しにいかなかったので
ずうっと貯金が目減りしていたことが分かりませんでした。

ある時公共料金の引き落としができなくなり、
子どもたちの知るところとなって、
この問題が発覚したというのが経緯です。

だまされたことを認めることが怖くて
通帳記帳をするのが怖かったのかもしれません。



このケースでは、お子さん方が皆さん遠方にいらっしゃった上、
今更同居ということもなかなか難しい事情がありました。
自分たちとしてはほっといているわけではなく、
気持ちの上では常に気にかけていたこともよくわかります。

ただ、高齢の父親としては、
自分の存在が忘れられているのではないかという
そういう無自覚の寂しさがあったようです。

例えば読書や釣りや映画鑑賞という趣味があっても、
それだけでは人間は生きられないようです。
誰かのつながりの中で
尊重されて生きていきたいという要求があるようです。

ただ、誰かと一緒にいればよいというのではないようです。
だから、老人のための施設に入っても
介護の対象となるだけの人ということでは、
孤独は解消しない危険があります。
むしろプライドを傷つけられるということが起こりそうです。
何らかの役割を与えられた方が
生き生きとするのかもしれません。

まだ、子どもと同居しても
さしずとダメ出しの会話しかなければ、
あるいは家の中に住んでいても
家族の外に置かれていたのでは
孤立感が拡大すると指摘する
自死対策の専門家の医師も指摘します。

同居や施設入所をすればよいというものではない
ということが言えそうです。
ここでも、家事や体調変化等で「死ななければ良い」
という考え方が、
人間として生活する喜びの追及を邪魔するようです。

お金をかけるとか、無理して同居するよりも
理想を言えば週に一度泊まりに行って
世話になるということが良いようです。

食事を作ってもらったり、
話を聞いて勉強させていただいたり、
世話になるということが良いようです。

仕事の話、家族の話
なんでも良いし、繰り返し同じことでも良いでしょう。

帰る時に
「ありがとう、また来るね」と言える過ごし方が理想です。
言葉で説明すれば、
親が自分にしてくれたことをねぎらう言葉を発するということです。

週1度は距離や家族の状態でなかなか難しいのですが、
月1度、2か月に1度
できるだけ直接会うことが大事なようです。

電話や動画電話も良いように思うのですが、
すぐに飽きてしまうことも多いようです。
高齢者の方が役割を発揮している意識になれないからです。

あくまでも実際の面会の「つなぎ」として考える方がよさそうです。
また、用事が無くても週に1度以上
決まった時間に電話をするということも良いようです。
この時は短い電話でもよいので、定期便はお勧めです。
今日は電話が来る日だなということで
あるいは明日は電話が来る日だなということで
安心することもあるようです。

自分が生きていくだけで大変な世の中なのですが、
高齢者になることは
運が良ければ誰にでも起こることです。
つまり、近い将来の自分のことなのです。

自分の将来が少しでも寂しくならないように
親を生きた教材として、
人間を大切にすること
自分が大切にされることの
訓練をするということであり、
自分が死んだあと子供や孫が
大切にされるための実践的練習なのかもしれません。

自分の親の共同作業になることが理想なのだと思います。

同居できないからと言って全て諦めないで
現実にできることはいろいろあるのかもしれません。

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