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子どもを別居親に会わせるのは、法律ではない。最強のツールの別居親の同居親への「配慮」とは何か。面会交流困難事案対策の実務上のまとめ。 [家事]


面会交流調停*は、だいぶ改善されたという印象があるのですが、
困難案件というのも一定数あるのも確かです。
別居親の代理人の立場からすると、
同居親の頑固な言いがかりや
裁判所が毅然とした態度をとらないことに
イライラするものです。

*面会交流調停:離婚や離婚前の別居によって、子どもが一方の親と別居していて会うことができない場合等に、主として別居親が子どもとの面会交流を求めて家庭裁判所に申し立てる調停

しかし、こういう困難案件こそ
子どもの健全な成長のために
面会交流をする必要性が高いので、
面会交流をあきらめるわけにはいかないのです。

会えない別居親の方が私より
もっとイライラすることは当然です。
別居親の方々は、色々学習している方が多く、
法律や条約はどうなっているとか
片親疎外によって子どもの健全な成長が阻害される
そんなことを主張しようとするのです。

私に対して「法律は・・・」
等と言ってくるのも気持ちは理解できます。

しかし、今の家庭裁判所の運用を見ていると、
法律は、残念ながら、
子どもを別居親に会わせる決め手にはなりません。
法律で強硬に面会交流が実現するということは
シミュレーションしてみることも難しい状況です。

子どもが別居親に会わないことによる弊害を述べても
同居親の心に届くことはあまりありません。
反発だけは確実におきます。
このような主張や面会交流調停申し立て自体が
同居親に対する嫌がらせだという入れ知恵をする人もいるようです。

裁判官でさえ、家裁月報の調査官の論文に対して、
「私はその考えをとらない」
等と平気で言い放つ人もいる始末です。
自分の衝動的行動を抑える訓練が必要だと
切実に感じる瞬間です。

ただ、裁判官が命じることによって面会が実現する場合もあります。
同居親の意思を無視して面会交流が実施される場合があるわけです。

こういった場合の少なくない事例で、
子どもたちは面会交流をすることによって傷ついてしまいます。

例えば同居親の反発の激しい中で試験的な面会が行われた場合、
子どもは別居親に会えて、一緒に時間を過ごすことができて
夢みたいに幸せな瞬間なのです。
私から見れば、会えなかった期間が嘘のように打ち解けて、
夢中になって遊び、
別れ間際は、何とも言えない切ない行動をとるわけです。

ところが同居親の後日の報告では、
面会をした後、子どもは情緒不安定になり
場合によっては吐き気や発熱が起きた
子どもは「もう会いたくない」、「しばらく会わなくてもよい」と言っている。
等とご報告されるわけです。

これはあながち嘘を言っているわけではなく、
本当のことである可能性が高いのです。

原因は何か
子どもの同居親への忖度(そんたく)なのです。

同居親が別居親への葛藤が高い等の事情で面会に納得してない場合
子どもに聞こえるように別居親に対する否定的な言動を吐かなくても
面会日が近づくにつれて、
同居親が嫌悪や怒り、恐怖の感情あるいは焦りを
隠せない状態になってしまうと、
子どもは、現在自分を保護している同居親に気を使うのです。
別居親をこれ以上動揺させたくないと思ってしまいます。

別居親と一緒に時間を過ごして
楽しかった
うれしかった
また会いたい
一緒にいたい
ということを
同居親に「言ってはいけない」と察してしまうのです。

私は面会交流時に、久しぶりに別居親が現れたときに
嬉しい驚きと、その感情を押し殺そうとする
なんとも複雑な表情をする子どもたちをたくさん見ています。

別居親に会えてうれしいのに、
同居親のことを気遣って、
うれしい気持ちを表すことをしてはいけない
と無意識の反応をしてしまっているのです。

子どもたちは自分の感情を押し殺すことを覚えていくでしょう。
楽しんでしまったことに罪悪感を感じてしまうでしょう。
あるいは、楽しいのに楽しいと言えない自分を責めてしまうでしょう。
子どもたちにとって面会が負担になる瞬間です。

せめて、同居親が子どもの前だけでも、
別居親と会うことは「子どもだから当たり前だ」
せめて「仕方がないから何とも思わない」
「うれしくないけれど、嫌でもない」
という態度をしてくれれば、
子どもの自分から離れた世界を承認してくれたら
子どもたちはこんな苦労をしないで済むのです。

だから、
同居親の意思に反して強行に面会を勝ち取ることは
子どもの健全な成長の観点からみれば
もしかしたら逆効果になることもあるかもしれません。

しかしあきらめるわけにはいきません。

子どもたちを
別居親に会わせないわけにはいかないのです。
子どもは会わないと色々なことを感じ、考えてしまい、
特に自我が確立する思春期の時期になってから
悪い影響が噴出します。
両親が別居してしまった後で、子どもが同居親をかばい壊れていく現象とその理由
https://doihouritu.blog.so-net.ne.jp/2015-06-10

しかし、面会交流が正常に行われることによって
このマイナスの影響がだいぶ軽減されると言われています。

なんとしても面会交流を実現する必要があるわけですが、
法律で、裁判所任せではうまくゆかない。
そうすると
法律でこうなっているとか
こういうことが正しいということだけ言っているのではなく、
作戦を考えるべきです。

面会交流実現の最大のハードルは
同居親の感情だということになります。

私は、このような面会交流困難案件での
同居親の別居親の拒否感情の多くが、
同居時に、同居親が
「自分のことを自分で決めることができない」
という不安ないし焦燥状態にあることが
別居親への拒否感につながっているように思います。
特に母親が同居親になっている場合です。

このような心理状態は、
例えば妻が、何かをした場合、
食器を買ったり、子どもの塾の申し込みをしたり、
そういう場合に、夫が
それはダメだと常にダメ出しをして
眉間にしわを寄せられたり、大声を出して否定されたりして
どうしてよいかわからなくなり、
逆にあれをやれこれをやれという指図ばかりをして、
自分で自分のことを決めることができず、
自分のやったことや考えは否定され、
自分がしようと思わなかったことは召使のように強要されている
と感じ続けた末の感情ということだと感じています。
「指図とダメ出し」の結果の心理で、
一緒にいることが息苦しくなり、
息することさえも注意されるのではないかという
極端な心理状態になっているということです。

もちろん、そういう心理状態になる原因は様々です。
本当に夫に支配欲がある場合や会社の八つ当たりの場合もありますが、
夫の暴力や暴言がない場合も多く、
少なくても通常の夫の行動である範囲と言える場合が
ほとんどだと感じています。

夫側の原因というよりも
妻の方の少し病的な思い込みによる自滅の場合もあるし、
そんな状態で第三者の無責任なアドバイスによって、
あなたの不安や焦燥感という心理状態は
夫のモラハラが原因だと思い込まされる場合もあるわけです。

ただ現在子どもを別居親に会わせようと思っているときの問題は
原因がどこにあるかを突き止めることではなく、
そういう心理状態になっているという結果なのです。

別居親側が自分に原因がないから
同居親は子どもに会わせるべきだというのは
それはそうなのですが、
それは理屈であって
同居親のハードルを下げることはできません。

これが心の問題ではなく体の問題で、
足を怪我して歩行が困難になった原因が
ふざけて踊っていて足をくじいたのか
子どもをかばって助けようとして足をくじいたかにかかわりなく、
歩けないのだから家族が変わって家事などをしなければいけないわけです。

自業自得だから痛くても我慢して歩け
ということにはならないはずです。
心の問題も同じでしょう。

同居親の心理的状態が、少し病的なことが原因だとしても、
同居親のハードルを下げて子どもを別居親に会わせるためには、
別居親が同居親をフォローするしかないことは、
身体の問題も心の問題も一緒だとは考えられないでしょうか。

離婚を突きつけられても、あるいは離婚をしても
さらにはどちらかが再婚しても、
子どもがいる以上は、家族なのだと思います。
家族一人の状態が悪い時は
別の家族がカバーしなければならないのでしょう。

相手が自業自得だからと言って
子どもの面倒をだれも見ないという理屈にはならないはずです。

もし少し病的に相手が自分を毛嫌いしていたならば
こちらが相手をフォローして子どもの健全な成長を
守らなければならないはずだと思います。

ところが、
これを調停や裁判で、
法律がこうなっているから子どもを会わせなければならない
とか、
子どもへの悪影響があるから会わせなければならない
会わせないことは子どもの虐待だ
と「相手に向かって」正論で主張することは、
同居親からすれば
結局別居親からの指図とダメ出しとしか受け取らず、
役所や警察の言うとおり、
私は別居親からモラルハラスメントを受けていた
相手は自分に、あれをやれこれをやれ
これはだめだというその繰り返しをしている
としか思われないわけです。
相変わらず、同居した時と同じだ
やっぱり嫌だということになるわけです。

子どもを別居親に会わせることに近づかないどころか、
益々子どもを別居親から遠ざける結果になってしまっている
という耐えられない皮肉な状況に陥ってしまっていることになります。

それでも子どもを別居親に会わせることを
あきらめるわけにはいかないのです。

ところがそこには大きな壁があります。

別居親が同居親に対してフォローすることの一番難しい問題は、
別居親の感情です。

それはそうでしょう。当たり前だと思います。
わけのわからないうちに突然家からいなくなり
少なくない事例でどこに子どもたちがいるのかさえも分からないし、
近づこうとすれば警察が出動するわけです。

中には、家の現金や預金をごっそり持ち出して、
夫名義のクレジットカードで200万円を超えるキャッシングを
された事例までありました。
それでも婚姻費用の調停まで起こされるわけです。

さらには、弁護士から
あたかも自分が妻に対してDVをした粗暴な夫みたいに扱われたり、
いわれのない保護命令を出されたり、
調停に行くと、イヤホンとカムを付けた目つきの悪い職員が
自分が廊下に出るとうろうろしている
役所に行って子どもたちの住所の記載されている書類と取ろうとすると
「あなたに話すことは何もない」
なんて態度をとられてしまう。
まるでなんかの容疑者の扱いです。
こういうことが実際に多発しているのです。

まともな神経では耐えられない状況ですし
実際に抑うつ状態になり通院を始める人もいます。
自死も少なくありません。

そういう人たちに対して
そういうことをした同居親をフォローする必要があると
今私は書いているのです。
子どもを連れて逃げ去ることで
別居親を夫(妻)として、父親(母親)として、男(女)として、人間として
否定しているその相手を、
子どものためとはいえフォローすることが有効だと言おうとしているのです。
先ほどの身体的不具合と精神的不具合の最大の違いは、
相手がこちらを攻撃しているということがあるわけです。

但し、大切なことは自分の命です。
精神面からも命を落とすことがあるので、
今から言うことをしなくてはならない
という価値観を持っていうわけにはいきません。

もし、自分を捨てて
子どもを別居親に会わせて
子どもが最悪の状態にならないことを選ぶ
という場合に限定した話とさせてください。

腹が決まればやることは割と簡単です。
原因が、同居親が別居親からの指図とダメ出しばかりされて
自分で自分のことを決めて行動できない
と感じていることだとすれば
その逆をすることです。

先ず、指図とダメ出しだと受け取られることはしない
但し、
子どもと会うことはあきらめない
虚偽の事実は認めない
ということだけは毅然と主張しなければだめです。

誤った事実認定がなされてしまうと、
それが判決書として残ってしまうと
後々取り返しのつかないことになるからです。

同様に保護命令も法律の要件がない場合は
断固として命令を出させてはいけません。

さて
指図とダメ出しをしないと言っても、
別居してしまっている以上、
指図とダメ出しをする余地がないわけです。
ところがわずかの接点である裁判書類で
指図とダメ出しをしていた。

まず、無駄な非難はしないということ。
事実の違いだけを述べること

非難しないと言ってもそれはなかなか伝わらない。
指図とダメ出しをしないと言っても伝わらない。

つまり、逆のことを相手に伝えるということが
やるべきことになるということです。

つまり、
相手の行動を承認するということになります。
非難しないで承認するということです。

一番相手が不安に感じている自分のしたことは
子どもを連れての別居です。
別居に対して非難しないこと。
一次的な別居はやむを得ないという承認です
これを形にすることは婚姻費用を自主的に支払うこと、
家族なのだから費用を負担するという強烈なメッセージを与えるためには、
自主的に支払うことです。
私が受任後、最初にすることは
相手方に送金先の口座を尋ねることです。

(自主的に送金をした方が別居親にとっても結果的に良いことがたくさんあります。)

あるいは、荷物を送ったり、引き取りに来ることを承認することです。

その後、準備書面や陳述書を作成するときに、
相手の落ち度や、相手の主張が虚偽だということだけを言うのではなく、
積極的に相手を承認していたことを付け加えることが考えられます。

つまり指図とダメ出しの反対は、
感謝と謝罪です。
それまで言わなかった言葉を改めて言うということですね。
ここで嘘をついてはダメですよ。
良いところとこちらが改めるべきだったところを
必死になって探し出して述べるという作業になるでしょう。

同居親は別居親が「一方的に悪い」とは、
本当は思っていないことが多いようで、
謝罪と言っても自分の非をあげつらって謝り倒すのも
重くなるので逆効果のようです。

あの時こうしてしまったけれど
本当はこうすればお互い気持よく生活できたね
というトーンが良いようです。

現在、本当は自業自得かもしれませんが
子どもを育てているのですから、
子どもの親として感謝の言葉を述べることも
有効です。
飽きずにねぎらうこと
そして続けることが大切です。

これまで、私が知っているなかで一番同居親をののしった別居親は
プレゼント攻勢まで行いました
自分の本心を隠して相手を安心させたわけです。
別居は続きましたが、
調停を中止させ、子どもたちも帰ってきました。

とても利口な闘いだったと思います。
但し、こういう器用なことはなかなかできません。

もし面会交流や手紙のやり取りが許されているのであれば
それもチャンスです。チャンスは活かしましょう。
指図とダメ出しをしない
子どもたちを通じて感謝をする。
これは子どもたちにとっても居心地の良い空間を作る
特別な効果があります。

一方の親やそのジジババが他方の親の悪口を言う空間と
他方の親を配慮し気遣う空間
どちらが居心地がよいか考えればわかることです。
子どもが安らいだ時間を過ごせば、
誰に忖度することなく、自分の感情のままで行動できる体験をすれば、
その自由さ、自分の心に嘘をつかいことの楽しさは、
どんなに隠しても同居親は気が付くもののようです。
会わせることも「仕方がないな」と思う瞬間だそうです。

そうして、当事者同士は葛藤を下げようと行動します。

裁判所に対しては法律と子どもの効果を主張するわけですが、
今の裁判体や調停委員会の状態が一般論が足りない裁判所ならば
そこを追求する必要があります。
但し、局面では、どうにかして子どもに別居親を会わせようと
裁判官も相手を説得している場面では、
こちらの配慮を示すべきです。

そういう局面で一般論を叫んでいても
味方を敵に回すだけです。

相手の心のハードルを下げる努力を見せて、
何とかお願いするということを伝えてもらう
極論するとそういうことになります。
(初めからそれではだめだと思います。そういう調停の局面を作っておくことは必要で、そのためには、多少の裁判所との軋轢は覚悟する必要があると思います。しかし、敵に回さないようにしなければならないのはもちろんです。)

面会の条件を受け入れやすいものにする、
面会時のこちらの注意事項について、自主的に宣言する
相手が会わせやすいような場所や協力者を用意する
こういう労力の積み重ねがボディーブローのように
後々効いてくるようです。
(面会交流は、小さく産んで大きく育てる。そのためには実施後のねぎらいの継続が有効です。)

さあ、それができるかどうかです。
極端に理不尽な思いをしている別居親が
それでは相手の言いなりだと反発されることは
至極もっともなのです。

これをやれというわけにはいかないでしょう。
自分の気持ち、感情を大切にすることも悪いことではないでしょう。

ただ、大変なご苦労をして
自分の気持ちを殺してでも、
子どもをご自分に会わせたいという場合の
その方法について現時点のまとめを試みてみました。

せっかくの思いと覚悟がありながら、
無意識に逆方向の行動を起こしている方々のための
お叱り覚悟のメッセージです。

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