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ソフトパワハラについて考える : 例えば「わたし定時で帰ります」のユースケ・サンタマリアが演じた上司の息苦しさの原因 [労務管理・労働環境]


吉高由里子さん主演の「わたし定時で帰ります」という番組がありました。
なかなか現代社会の断面を切り取った意欲的な番組だったと思います。
シリーズの後半は比較的よく観ていました。

異彩を放っていたのは、
ユースケ・サンタマリアさんが演じた主人公の上司
福永清次だったと思います。

彼は、暴力は振るいませんし、威圧的な言動もありません。
「もっと、残業もしてみようよ」とか
部下に意思があることを前提として、
自発的に仕事に取り組むようにアドバイスする
というような語り方をしますし、
具体的な残業命令をするわけではありません。

しかし、彼が登場し、発言をしようとするものなら、
緊張感が走り、
発言が終わって部屋を出ても
何とも言えない息苦しさが残ったと思います。

俳優は見事に演じきったと言え
怪演と言うべき演技だったと思います。

暴力もない、威圧的言動もない
具体的な残業命令もない
それでも息苦しい嫌な気持ちになるのはなぜでしょう。

パワハラだという声もあれば
パワハラとは言えないという声もあります。
威圧的な雰囲気がないけれどパワハラと同じということであれば
「ソフトパワハラ」とでも言ってみましょう。

視聴者は、
言われた部下に共鳴して嫌な気持ちになっているので、
部下の気持ちを考えてみましょう。

結論から言えば、
暴力や威圧を使ってパワハラをしたときと
結果としては同じことをしているのだと思います。
やはりソフトパワハラをしているということですね。

ソフトパワハラによって
部下は「自分で自分のことを決めることができない」
上司が勝手に自分の行動を決めてしまっている。
部下にとって裁量の余地が極めて少ない
という感覚を抱いています。

彼は暴力や威圧を手段としては使いません。
その代わりに使っているのは、
(企業)常識、企業の普通、
仲間の不利益の回避や
チームワークを乱さないという正義等です。

部下たちは
暴力や威圧によって上司に逆らえなくなるのと同じように
仲間の不利益回避やチームワークという正義や
企業の常識というルールに異を唱えることができないために
上司の無理な指示命令に逆らえないだけなのです。

その命令に逆らうことは
仲間としてふさわしくない行動だと評価されるだろうと思い、
無意識にやがて仲間から外されるのではないかという
不安を感じてしまっているわけです。

さらには、
無理な仕事の受注をしてきて、
部下は「自分の判断で」残業をせざるを得なくなります。
自分のプライベートを
直接制限する言葉を発しているわけではありませんが、
「仕事が終わらなかった会社に迷惑をかける」
という意識を利用して
仕事をさせるわけです。

彼は、暴力や威圧的な言動をせずに
彼なりに言葉を工夫していたようでした。
どこかで、稚拙な労務管理を教わってきた
という設定なのでしょう。

これに対して
現在、一つの完成された労務管理の手法があります。
企業の労働者の一人一人が職場の働き方をデザインして
するべきことを見つけて行動する
そうして、自発的に労働することによって
生産性をあげるという手法です。

全労働者が経営者感覚なので
確かに生産性が向上します。
適当にやればいいやと言う労働者は
労働者によって排除されるということもあります。
なるほど生産性は上がるようです。

長時間労働になりがちにもなるのですが
一人一人の労働者の幸福度も高いように見えます。

「わたし定時で帰ります」の職場はそうではなかったわけです。

この職場はクリエイティブな仕事をしているのですが、
ソフトパワハラによって
実際は、やることが決められ
機械的な作業を強いられるような
仕事の配点をされていたということになります。

上司は労働者の意思に働きかけているように見えて
実は意思を無視して、結果として強制していたわけです。
さらにはプライベートの時間まで
勝手に仕事に使われていたということになります。
そこに労働者の自発的意思はありませんでした。

自分の自由が奪われるという感覚が
生物としての本能であるところの
「自分で自分の身を守る」
と言うことがいざとなってもできないという予測が自動的に生じ
息苦しい気持ちを抱かせるのです。

結局目隠しをされたり耳をふさがれたり、
手や足を拘束されることと
結果として同じような感覚になってしまうようです。

受講料は高額だけれど
安っぽい労務管理セミナーにありがちな
心はこもらなくてもこういう言葉を先に言うとか
こういう言葉を言ってはいけないとか
定型的なアドバイスを受けて
それを実践していたような感じをうまく演技していました。

肝心なことはすっぽり抜けてしまっていたわけです。

つまり、自分がこういう言動をした場合
相手がどのように思うだろうかという
想像力に欠如しているということですし、
連続した残業によって
部下の家族関係などのプライベートが圧迫され
その結果どうなるということを
結果として無視しているということです。
思い至らなくても、
部下は現実に生きて生活している人間なのです。

ちょっとした気遣いで
職場の雰囲気はだいぶ変わって
生産性にも差が生じてきてしまいます。

もう一つ
ソフトパワハラの典型例として
部下の欠点や失敗ばかりが見えてしまい
それを指摘せずにはいられないという行動パターンがあります。

例えば取引相手とのプレゼンに成功しても
一応「よくやった」という言葉を発するのですが、
それはおざなりに済まし、
どこが良かったかと言うことを指摘せずに
「この次ここに気を付ければもっと良くなるよ」
と言うことばかりを指摘する上司です。

(中には、ここでこのような言い間違いをしましたと
取引先に謝って来いという上司までいます。)

その指摘が本当に部下の成長につながることもあります。

しかしソフトパワハラの場合は、
「言わなくても良いこと」をわざわざ指摘することが特徴です。
些細な言い間違い等のケアレスミスの指摘が典型例です。
プレゼンを成功させるという大前提を無視して
些細なミスもなく完璧に行うという
独立した目標を立ててしまうわけです。

間違わないようにやるということはツールであって
目標ではないわけです。
間違わないようにするに越したことはないけれど
相手に伝えることに神経を集中させるべき時に
些細なところに神経を回してしまい、
熱意がそがれてしまうというデメリットもあります。

なによりも、
自分で自分のことを決められないという意識も出てきます。
また、部下が、何が必要でそのためにどう行動するか
自分で考えて、意欲的に取り組み
それによって結果を出したのに
「よくやった」という言葉は形式的に発するものの
評価の大部分がダメだしということであれば、
カウンター攻撃を受けるようなものです。
喜びは失われて、落胆ばかりが残ってしまいます。

それでも、
どうしても相手のマイナスポイントだけが目につき、
それを口にしてしまう人間はいるようです。
けっこう多くの人がこの間違いをしているので、
それはあらかじめ警戒をしておく必要がありそうです。

「どうでも良いことをどうでもよいと評価の対象から外す」
ということをいつも意識しておく必要があるようです。
実害がない欠点や
利点の方が大きい欠点には目をつぶる
という選択肢を上司は用意しておく必要があるようです。

コーチングはメリットばかりではありません。
副作用が必ずあるという意識が必要なのかもしれません。

ソフトパワハラになってしまうと
結局部下のやる気がなくなり
生産性が低下していくことになるわけです。

ソフトパワハラとパワハラは
結局同じように企業と労働者の敵だということで
お互い気を付ける必要がありそうです。

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