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DVサイクル論という日本の男女参画行政が全面的に採用する非科学的俗説の弊害と真実のありか [家事]

1 目黒事件の精神科医の証言

目黒事件の裁判員裁判で精神科医が証人として証言した。「母親はDVをされていて、DVがなかったら放置はなかった。」というものだった。母親の放置があるとして、それが夫の精神的支配によるものだということについては成り立ちうる立論だと考えていたが、そのための立証は、案の定、皮相な俗論であり、科学的な鑑定意見のようなものではなかった。前提としてDVはあったのかという議論が必要となってしまい、かつ、それは証明できていないものとなってしまった。この日本型DV論ともいえる論が持つ弱点が端的に表わされてしまった。また、この俗論に基づいた実務の手法の弊害が如実に表れた結果である。もう少し事実に即した丁寧な証言がなされるべきであったと思われる。
ちょうど良い機会であるから、この証言の元になった日本型DV論がどのように誤っていて、どのような弊害があるか、真実はどこにあり、そしてどうすべきかについて考えてみたいと思った。

2 日本型DV論の非科学性の源泉

日本型DV論は、アメリカの心理学者であるLenore E. Walker らの理論「バタードウーマン」に全面的に負っている。この理論は、筆者の心理セラピーのクライアントの話を総合して組み立てている。したがって統計的な立証ではないし、そのエビデンスとしての価値も疑問視されている。科学ではなく、どちらかというと女性の保護、解放という視点、目的からの立論である。
それにもかかわらず、日本の男女参画政策を担う、内閣府男女参画局、地方の男女参画、警察の生活安全課、厚生労働省婦人援護施設、児童相談所等では、無批判に全面的にこの理論にそって行政行為を行っている。莫大な予算も投入されている。

3 DVサイクル理論

この理論の根幹は、DVサイクルというものである。妻は、身体的暴力や精神的暴力をうけても夫と別れられない。その理由として、DVサイクルというものが存在しているからだという理論の重要なポイントである。つまり、DVは、一辺倒ではなく、暴力などが爆発する爆発期、その後暴力を反省し、謝罪し取り入ろうとするハネムーン期、それがなくなり暴力がいつ始まるか緊張が高まる緊張期という3つの時期が繰り返される。そして、暴力を受けても、ハネムーン期があるために、本当は夫は優しい人なのではないか、いい人なのではないか、爆発するのは自分が悪いためではないか、あるいはもう爆発は起らないのではないかと期待してしまう。このために妻は夫から離れられないと主張する理論である。

人間観も独特である。DVを行う夫は、結局、自己愛性パーソナリティ障害の患者で、相手を支配しようとする人格を持っていて、治療などによって改善されない。だから妻が暴力から解放されるためには逃げなければならない。分離だけが唯一の解決方法となる。そしてこの理論の実践場面においては、警察をはじめとする行政は、夫は妻を殺すだろうから子どもと自分の命を守るためにとにかく逃げろと、抵抗する妻に何時間も説得を続けている。
実は、妻に対しても独特の人間観をもっている。妻の性格も虐待される要因があるとする。妻は、暴力にも従順であり、自己主張をしない。夫に依存する傾向にあるとする。要するに男性に依存してしか生きられない哀れな存在であるとみる。売春婦と異なるのは、DVを受けている妻は夫一人に依存しているが、売春婦は不特定多数の男性に依存しているという違いだけであるというものである。この思想が端的に表れている事情は、DVを受けている妻を一時保護する婦人援護施設は、もともとは売春防止法が生まれたのちに元売春婦の生活の更生のために使われていた施設だったものを引き継いでいるということである。担当部局も同じである。運用も同じ思想で行われる。施設に保護された女性は、自発的な行動が禁止され、外部と連絡を取ることも禁止される。放っておくとまた男性のもとへ依存する行動に戻るからだということも、売春婦保護の思想と取り扱いを引き継いでいるからである。大事な家族の将来を夫と話し合うことをさせないのも、もと売春婦に売春宿と話し合いをさせなかったことの自然な流れなのであるう。主体的な思想を注入しようとしているのだから、どこかの国の理念と全く同じである。保護される女性は保護と教育、更生の対象として扱われる。私はこの扱いに抵抗がある。

4 日本型DV理論の誤りと弊害

先ず、端的な間違いは、現在DVと認定されて、家族分離がなされている事案の多数で、DVサイクルは当てはまっていないことからも本当は明らかである。暴力や支配を目的とした妻を追い詰める言動の爆発が存在していないことが実際には多数だろう。爆発期が存在していないこともあり、また日本男性の特徴ともいえるが、ハネムーン期が存在しない。多くの事例では緊張の継続の時期だけである。これでは、「なぜ、DVがあるのに(本当は緊張が継続しているのに)夫と別れることができないのか、」ということを説明できないことになる。

また、恐怖感情がない場合にもかかわらず、どうして夫の思想に共鳴するのかということが説明つかない。目黒事件では、「児相に目を付けられるだろうけれど、それは子どもが悪い」という趣旨のラインをどうして夫の暴力や強制もないのに自発的に打ったのかということが説明できない。

行政やその下請団体は、DVサイクル理論によって、女性が息苦しさを感じている場合、それは夫のDVが原因だと根拠なく決めつけて家族分離を進めてしまう。分離以外の方策を検討する余地がない。選択肢が用意されていないのである。強引に妻が子どもを連れて別居を開始し、夫が一人家に取り残されて妻子の居所もわからなくされた結果、夫が苦しむばかりではなく、子どもも自分が父親から分離されたことで不安にさらされる。また、暴力父の子であるという悩みが生まれることもあって自分に対する評価が著しく下がる。さらには、妻自身も、自分は理由なく人間扱いされていなかった、殺されるところだったという恐怖が生まれてしまい、自分が逃げているという意識を持たされることによって恐怖が固定化してしまい、夫から逃げても何年も恐怖感情がよみがえってしまうことがよく見られる。誰も幸せにはならないことが多い。
子どもの幸せは考えられておらず、妻に認知のゆがみがあっても是正できない。夫の人権は無視されている。これが日本型DV理論に基づく対策なのである。

5 真実はどこにあるのか

1) 女性の息苦しさの正体(原因が夫婦関係以外)

女性、特に子どもを産んだ母親の息苦しさの正体は、それが離婚事件などの紛争になっている場面では、「自分が主体的に生きられない」ということが多く、もう少し具体的に言えば「自分で自分のことを決めることができない。」というものである。「何か悪いことが起きそうだ」という焦燥感と、「自分だけが損をしている」という被害者感情が伴うことが多い。

必ずしもそれは、夫に原因があるわけではない。夫以外の原因としては、
産後うつ、
もっとまじめに考えなければならない産後クライシス 産後に見られる逆上、人格の変貌について
https://doihouritu.blog.so-net.ne.jp/2015-10-12

内科疾患やパニック障害などの精神疾患
存在しない夫のDVをあると思いこむ心理過程 思い込みDV研究
https://doihouritu.blog.so-net.ne.jp/2018-12-04

等がある。

日本の行政の「DVがある」との認定にあたっては、妻からしか事情を聞かない。夫から話を聞くことはない。このため、妻に息苦しさ、焦燥感、被害感情があれば、それは夫のDVがあると決めつけられることが多い。そういう結果しか出ない聞き取りを行うマニュアルがあるからである。妻本人がそれを否定しても、あなたは夫からしいたげられていると「教え込む」のである。妻は夫という男性に依存するしかできない要保護のかわいそうな人間だとされているので、自分が受けているDVを認識していない、だから行政がきちんとDVがあったことを自覚させなければならないと考えている。命の危険があるから、直ちに子どもを連れて夫から逃げて、元売春婦のために作られた婦人援護施設に囲われて居場所を隠される。携帯電話も取り上げられ、向精神薬の服用を強く促される施設もあると言われている。

2) 夫のDVがある場合

夫に妻を支配したいという意図があり、この意図に基づいて暴力や、言動による精神的な追い込みがある事例は確かにある。なぜ夫は、支配を意欲するのか。
答えは、妻との関係継続の意欲と自己防衛である。両者は同じことを角度を変えてみているだけのことである。
夫の一番の関心事は、妻から否定されないこと、妻から愛想をつかされないことである。このことに過剰に敏感になっている。妻の否定評価が起きそうだと感じてしまうと、反射的にそれを無かったことにしようとする。力づくで否定評価をさせないようにするということである。くどくどと言い訳をしたり、ごまかしたりすることは少なく、逆切れして妻を攻撃する。また、妻の自分に対する否定評価が起こりそうな場合、先制攻撃を仕掛けたりする。自分の失敗が妻に原因があるような言動をするのである。妻は、もとより、攻撃しようと思って話をするわけではなく、客観的事実を指摘する場合も多い。また、確かに妻が無神経に言葉を発することもあるが、夫が過敏になっているため、聞き流すべき言葉も、夫は自分を否定しているように感じたりしてしまう。夫は危険から逃げる形で回避することもせず、あくまでも妻を攻撃して、強引に危険を解消としているのである。その危険とは、「妻からの自分に対する否定評価」であり、究極には「妻の自分からの別離」である。この危険を回避するために妻を攻撃するという矛盾した行動しかできないのである。
一方妻は、夫を攻撃するつもりもなく、無邪気に言葉を発していたり、行動をしたりしているのに、夫が過敏に反応をするので、夫が逆上するポイントがわからない。夫は、自分を守る意識が強いので、自分の逆上を余裕をもって制御することができない。妻は、いつ夫が爆発するかわからないため、常に戦々恐々としている。夫ならどうしてほしいかということを常に考えている。爆発させないためである。こうして夫ならどうしてもらいたいか、どうすれば否定されないで済むかということが行動原理になってしまう。これでは自分で自由に自分の行動を決めることができなくなり、常に夫の目を意識するようになり息苦しくなっていく。
このパターンでは、夫は、本当は自分に自信がない。自信がないからごまかそうとするのである。虚勢を張るのである。仕事上の自信はあるという場合は、職場の人間関係には問題がない。しかし、男として、パートナーとして自信がない事情があると、職場では問題がないが家庭ではDVをしているという場合がある。実は極めてデリケートな問題を抱えていることが多い。また、全般的に人間関係に自信がなく、職場でも家庭でも問題が生じている場合もある。
このような人物は、主として、結婚以前の時期に人間関係を円満に形成した経験がない場合、円満な人間関係のサンプルを見ていないために人間関係を円満に形成する方法を知らない場合がある。また、いろいろな人間関係で自分が常に否定され続けてきた経験があるために、自分に自信が持てないという場合もある。また、職場などで、あるいは社会的状態が、自分が否定されている、人間として扱われていないと感じている場合も多い。
いずれにせよ、このパターンの圧倒的多数の事例でもおよそ命の危険はない。

3) 夫のDVがない場合

夫の目を気にして緊張を強いられる場合なのに、夫に前述のような支配の意志がない場合がある。これは日本に多いパターンのように思われる。このような場合も、行政に相談してしまうと、夫のDVが「ある」と認定されてしまう。そして、妻は命の危険があるからともと売春婦の更生施設に「保護」される。
支配の意志がないにもかかわらず、妻の行動に対して否定的評価をしたり、妻に対して過剰な指図をしたりするような場合が典型的な場合である。このような場合、夫の性格が几帳面であり、完全を目指し、正義感が強いような場合が多い。妻の些細な失敗を許すことができず、妻の感情を無視して妻の行動を是正しようとしてしまう。細かなことにいちいち口を出す。行動の要求の標準が高い。正義や道徳に、妻の感情より大きく価値を置いている。そして致命的なことは、肯定的評価、感謝をしないということ、妻の感情を満足させるような行動を自発的にしようとしないことである。
この場合でも、妻は、自分が指図やダメ出しばかりされていうるが、夫と妻の価値観が同一ではないため夫の行動基準がわからない。どうして自分の好きにさせてもらえないのかわからない。理詰めで否定する夫、指図ばかりして自由を与えない夫という評価となり、あたかもDVを受けているような息苦しさを感じてしまう。
夫の価値観の形成は、私は教育や、これまでの生い立ちによるところが大きいのではないかと疑っている。要するに子どものころ、親や学校、友人などから自分がやらされていた標準をクリアすることが人間として当然だと思い、道徳や正義を実践しないことは人間として許されないことであり、それがわずかに逸脱したことがあったとしても厳しく否定されてきたので、人間関係とはそういうものだと学習してしまっている場合が多いように思われる。「自分は努力していた。その努力をしていない妻は許せない。」と感じているのかもしれない。こういう「正しい夫」は、学歴が高いとか、仕事で成功しているという人に多いように感じる。この正しさの意識は、妻の感情を考慮しない要因になっていると感じられる。
まれに夫に共感する能力が劣っている場合がある。こういうことをしたら相手は屈辱的に感じるだろうとか、大事に扱われないことを感じ寂しく思うだろうとか、そういう相手の気持ちを理解することができないのである。相手の感情を考慮できないので、頭で理解できる正しい行動をする。おそらく自分たち家族が損をしないようにということで、妻の自由であるべき行動を細かく制限してしまう。こういう夫は、他人の気持ちがわからなくても、これまでの学習によって、社会のあるべき行動パターンを「知って」いて、そういう正しい行動をすることができるので、あまり周囲から気が付かれることがない。むしろ、頭で記憶している「正しい」行動パターンに従って行動する傾向があるため、過剰に道徳的に、過剰に丁寧に人と接しているなという印象を与えるが、悪い人ではないだろうと思われている。特に深く付き合わない人はその人が他人の感情に共鳴できないことに気が付かない。

4) 妻側の事情

妻は、夫の価値観に従おうとするから、それに従うことが苦痛になるという現象が起きる。夫がどう言おうと、「私はそうは思わない。あなたとは価値観が違う。」と平然としていられるならば、苦しくはならない。そうはならない原因がどこにあるか。ここで、夫の暴力が怖い、暴力の記憶が冷凍保存されているので従わざるを得ないという服従の論理だけで説明しようとすると無理が生まれる。人間はそんなに単純ではない。怖いならば言われる前に逃げるだけの話である。それができない理由は実は人間の本能にある。
人間は、無意識に自分の属する群れを強化しようとしている。そのために、群れの秩序をつくり、なるべく群れの構成員が一体として動けるようにしようとする。群れの中にリーダー的な人物が現れ、それが群れにおいて承認されると、リーダーに迎合するようになる。これは人間が群れを作る動物であることからくる本能的な行動である。
本来夫婦は、それぞれが話し合って秩序を形成すればよいのだが、何かの拍子で、夫がリーダーになってしまうと、リーダーの意思を尊重するようになるし、リーダーの意図を先取りして、自分の意図だと意識しないでリーダーの意志に基づいて行動や思考をするようになってしまう。
以前から私は、これは「服従」ではなく、「迎合」だと言っていた。「Stanley Milgramの服従実験(アイヒマン実験)を再評価する 人は群れの論理に対して迎合する行動傾向がある」https://doihouritu.blog.so-net.ne.jp/2019-01-05
その関係については考えが及ばなかったが、「服従」が自分の意志に反して他人の指示命令に従うことだが、「迎合」は自分の意志自体が他人の意志に乗っ取られる状態であるから、「迎合」は「服従」を超えた支配が完成されている状態という関係になる。

もともと、秩序を作ろうという本能があるうえに、妻が自分自身を否定的に評価している場合は、妻は自分以外の他人に、リーダーシップをとってもらいたいと思い、リーダーシップに迎合する傾向が強くなる。自分に自信がないという場合である。こうなるのも、もともとの性格というより、それまでの生い立ちや体験から、自分の意見を他者から否定され続けていて、社会的な自分の位置づけが低いものだと刷り込まれている場合が多いのではないだろうかと思う。
また、夫が自己主張を積極的にするような場合は、リーダーに迎合しようとする本能が通常以上に強まるのかもしれない。
このように夫と妻の状態によって、妻が過剰に夫の意見に迎合しようとするようになり、その結果息苦しさが生まれるということが、離婚事件でよく見られる関係である。
妻側の事情として、夫に対する愛情が強すぎる場合がある。ここまで行くと愛情という言葉が適当なのか自信がなくなる。しかし、夫のことが好きすぎて、夫から否定的評価が下されることが怖いと過剰に警戒心が強くなっているということは確かにある。離婚訴訟では虐待の証拠として日記が提出されることがある。裁判で出された日記を、裏の意味を含めて解読すると。過剰な警戒心が認知の歪みになっている過程がが明らかに浮かび上がることがしばしばある。例えばこういう失敗があり、夫からこういうふうに言われるのではないかという怯えが、記憶の中でこういうふうに言われたとすり替わっているのである。この記憶のすり替えが客観的証拠から裏付けられてしまうことも多いのである。そして自分を守るために夫に対する攻撃が始まる。こういうパターンは、見ていて大変痛ましい思いがする。好きすぎて被害者意識を抱き、相手を攻撃して自分を守る姿を見ることはは本当に切ない。またこういうパターンの場合は危険でもある。夫と別れたことによって、一番傷つくのは別離を強く望んだはずの妻のほうであることが多く、病的な悲嘆が起きることを経験している。

6 謎はどのように説明されるのか

1) 先ず、DVサイクルとは何なのか

夫は、妻をアプリオリに苦しめようとしているわけでもなく、そのような人格だというわけでもない。ただ、妻との関係を維持しようとしたいだけのである。爆発期というのは、結局逆切れや、先制攻撃という自分を守る手段としてのふるまいである。その自分の行動が、妻から嫌われる原因になると自覚すれば、そのことを無かったことにしたくなる。怒りという感情はあまり持続しない。ひと時の怒りの感情が消失すれば、ひたすら謝り続け、妻に奉仕することになることは自然の流れである。
それでも妻は、夫の爆発も、一転した謝罪攻勢も当然ながら理解できない。このために混乱もするし緊張もする。夫は自分に自信がないから、謝りながらも、自分についてのコンプレックスから、妻が自分を否定評価するのではないかという警戒感も生まれ、表出してしまう。これが緊張期である。
このような感情に任せた行動であるがゆえに、必ずしもサイクル通りに事が運ばないことが多い。特に日本人男性は、例えばイタリア人男性のように女性を持ち上げたり、べたべたした愛情表現が苦手であるから顕著なハネムーン期というものがないことが多い。自分が否定されるのではないかという警戒感はあったとしても、特に爆発することは少ない。結果的に支配のための爆発であることは否定できないとしても、能動的に支配を目的として暴力や暴言を意図的に行うというよりは、どちらかといえば、反射的に自分を守ろうとして、突発的に相手をねじ伏せてその場を乗り切ろうとするという表現のほうがしっくりくるように感じられる。

2) なぜ妻は息苦しさを抱えながらも夫から逃れないのか

これはいろいろな理由がある。
一つ目は、自分が苦しいと感じていると自覚できないという事情があるからだ。
自分が苦しんでいるというように、自分を客観的に観察し、評価することは大変難しいことだ。ましてやその原因に思い至るということは難しい。自分は、とにかく夫の意志を実現しようとしているだけである。やらなくてはならないことができない、だから何とかやり抜こうと頑張ってしまっている。イライラはするだろうけれど苦しんでいるという自覚はない。過労死、いじめなどすべての慢性ストレスから抜け出せない原因として考えなければならない理論である。夫婦関係においてはこれがよりよくあてはまる。
二つ目は、夫の愛、愛と呼べないまでも、自分に対する執着を自覚しているからである。夫は自分から離れたくないから自分につらく当たるということは、当事者はよく理解してしまう。そもそも恋愛の一つの側面として、自分を受け入れてくれると感じたことが恋愛の始まりになったり、恋愛感情を高める一つの要素になったりする。ハネムーン期がなくても、それは当然感じるものであるらしい。愛されている環境から自ら離脱するということがなかなかできない。特に繁殖期の年齢では難しいようだ。愛されている実感が、離脱に対する抵抗になっているのだ。愛されている実感がなくなれば、ためらうことなく夫のもとから逃げ出す。だから、アメリカ型DVがある場合はなかなか逃げ出すことができず、爆発期はないものの、愛情を感じるエピソードが何もない日本型の場合は、子どもを連れて逃げ出すことが簡単に起きてしまうのだ。

3) なぜ、子どもの虐待を放置するのか

支配が完成された妻は、夫の意志が正しい、夫の意志を尊重することが家族がうまくいく方法だと無意識に感じてしまっている。それは自分の意志をなるべく捨てよう、自分の考えは劣っており、家族ダメにしてしまうという意識と同じことになる。夫の子どもに対する虐待を、虐待とは感じられなくなってしまっている。夫のやることは、子どもにとっても利益だと感じてしまっているのである。それでも夫のいないところで子どもを甘やかさずにはいられない自分は、だらしない母親だと思ってしまっている。自分で考え、判断することをやめるように自分を強制し、それに自分自身を慣らそうとしているのである。
夫に迎合するほど支配が完成している場合は、夫が子どもが悪いということを喜ぶと分かっていれば、積極的に子どもを悪くいうことも起きる。これが服従を超えた迎合である。そこに必ずしも恐怖感情は必要がない。
恐怖感情から服従する段階を超えた、もっと人格が荒廃する状態となっているのである。DVサイクル論の信奉者たちは、このような深刻な状態にあることを理解できないであろう。「支援者」たちの妻に対する「男に依存するみすぼらしい女性」という意識は、真実についての考察を停止させる。

7 ではどうすればよいのか。

1) 知識の提供(価値観の転換)

せっかく好きあって夫婦になった二人の関係が、ただ苦しいものになってしまう原因は、知識がないことが大きい。逆に言えば知識があれば、ちょっとの努力で簡単に解決する可能性もあるということだと考えている。
パートナーが自分のことを自分で決められないということは、人間としてとても苦しいのだということを知る必要がある。知れば、行動を改める人が多い。
自分が関係性について過敏になっているということを自覚することも大切である。自分の失敗をごまかすよりも、誠実に謝罪するほうが関係性の継続に役に立つのだということを知る必要がある。これは、妻のアシストがあるとより効果的であり、夫の自信にもつながる。
夫も妻も、それぞれ、相手に自信をつける言動をする工夫は必要であろう。相手の言動が自分を支えれば、相手にもそれをしようとするのが夫婦である。
例えば書店に行っても、この種の本のコーナーがない。どうすれば、幸せになれるのか、家族の作り方のノウハウを教える本がない。例えばテレビ番組でも、それを問題提起するようなものがない。
人は、それぞれ勝手に傷つくばかりである。広く、家族の在り方を議論するべきである。現代社会は、夫婦は孤立しており、自分たちの状態が歪んでいることに気づくことさえできない状態なのである。

2) 苦しさの気づき、孤立しないこと

自分で自分が苦しく感じているということを客観的に認識することは至難の業である。しかし、苦しんでいることを他人が観察することはそれほど難しいことではない。誰かに話をしている中で、自分の精神的状態に気が付くことが多い。これまでの時代では、夫婦は、いろいろな人間に囲まれて生活していた。どちらかの両親と同居していたり、仲人の家を定期的に訪問したり、職場の上司や同僚と家族ぐるみの付き合いが当たり、親戚付き合いがあったり、町内の交流があったりした。ところが、現代では、夫婦は孤立している。夫婦やその子どもの利益を考えておせっかいを焼く人たちが周囲に誰もいないのである。特に都市部の住宅事情は、大家族の同居を難しくしている。終身雇用を前提としていない職場の人間関係は職場外での人間としての付き合いを難しくする。面倒なことにかかわらないようにする。マンションは、エレベーターの中で一緒になっても、挨拶さえしないということも珍しくない。夫婦は孤立しているがために、お互いに依存しあう傾向が強くなってしまう。誰も異変に気が付かないことが多い。過度の従属、迎合があった場合、誰かに苦しいのではないかと尋ねられる環境を作る必要がある。これができなければ行政が関与するべきだが、現状では、行政は、夫婦を立て直すのではなく、分離させる傾向が強くある。
子どもの幸せを第1に考える人で、夫婦のあり方を夫婦に支持的に判断できる人間を近くに配置するべきである。

3) 家族を温かく見守る機関を創設すること

一つは、人間の付き合い方を変えていくことである。積極的に家族ぐるみの付き合いを工夫していくこと。できれば、同年代ではなく、年代の異なる人との交流を行うことが有効だと思う。疑似父母、疑似祖父母である。本来自分たちの両親、祖父母から学ぶことが自然であり、一番小さい子どもの幸せを願う人たちであるから、最も合理的で、適切なアドバイスをすることが期待できる。
二つは、そのような交流をしようにも、ノウハウもなく、その相手もなかなか見つからないということが現代日本の実情である。それを解決するために、家事紛争調整センターを創設することを以前にも提案した(家事調整センター企画書http://doihouritu.com/family.html)。以前は紛争が起きたあとの調整を主眼にしていた。しかしなるべく早く相談にゆき、解決を援助してもらう機関としなければならない。それにとどまらず、個別紛争の普遍的な部分を抽出し、一般的な予防の宣伝をするとともに、あるべき家族の形を研究し、宣伝することも、その任務とされるべきだと、今回の考察を踏まえて考えている。
賛同される多くの人で、日本の家族を支えていく理性的な行動の波が起こされなければならない。


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