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家族など仲間に怒りをぶつける前に抑える方法 人間の意識からの考察 かわいそうだからやめる実務的方法 [進化心理学、生理学、対人関係学]

家族など仲間に怒りをぶつける前に抑える方法 人間の意識からの考察 かわいそうだからやめる実務的方法

目次
序 大事な仲間を自分の怒りで失わないために
1 怒りを抑えることが難しい理由 怒りのメカニズムから
2 怒りを中断し、理性を働かせる方法 エラーパターンの認識

序 大事な仲間を自分の怒りで失わないために

私は、怒りは必要だと思うので、
怒り一般を抑えることは副作用も大きいと思うので賛成できない。

ただ、仲間に対しては、怒りをぶつけてはならないと思う。
これは未熟な私自身の反省を踏まえて、
怒ることで仲間を傷つけて後悔している人たちと
一緒に考えるページである。

仲間に対して怒りをぶちまけて
反撃されて返り討ちにあうなら
結果としてはそれでよいように思う。

逆に首尾よく自分の怒りで相手を制圧してしまうと、
相手が回復しがたいダメージを受けていることを
目の当たりに見ることになってしまう。
傷つけたのは自分だと思うと取り返しがつかない気持ちになる。

あるいは、その時その時のダメージは大きくないとしても、
怒りをぶつけられた相手が
あなたに対するどす黒い泥のような負の感情を
相手の心に深く沈殿させ、それは堆積されて
ついには相手があなたから去ってしまうこともある。
そうなると本当に取り返しがつかない。

ところが自分が怒りをぶつけたことによって
相手が傷ついたということに
気が付くなら解決の糸口がある。

しかし、けっこう多い事案では、
あなたが相手にダメージを与えていることに
気が付いてさえいない。

気が付かない理由は、
自分は理性的に相手を正したのであって、
相手が傷つく必要はないと
無意識に感じているからであることが多い。
正しくないことをして正されたなら
感謝こそされるべきだなんて思っているかもしれない。

そうすると、突然の別離や
相手方の再起不能を受け入れるという事態が起こりかねない。
そしてその理由に気が付ないならば、
不幸の感じ方が加速度的に強まってしまう。

覚えのある人にだけ理解してもらえばよいし、
一緒に考えてもらえばよい。

では、

1 怒りを抑えることが難しい理由 怒りのメカニズムから

怒りを抑えることは難しい。
魔法の呪文のようなものはない。
そのことをまず説明する。

怒りを抑えることが難しい理由は、
人間の能力が貧弱なことにある。
人間は、一度に複数の事柄に意識をフォーカスできない
ということだ。

かゆい時は暑いことを忘れ、
熱いと悲鳴を上げているときは痛いことを忘れる

転んで尻が痛いときは今まで考えていたことを忘れ、
怒っているときは、冷静な思考ができなくなる。
冗談に笑っているときは不幸も忘れる。

この貧弱さは、必ずしも悪いことばかりではない。
ただ
「かわいそうだからやめよう」という思考は
怒りが継続しているときは出てくる余地がないのである。

意識のフォーカスは一瞬にして切り替わる。
このため、感覚としては
二つが同時にフォーカスされているように思ってしまう。
しかし厳密に分析すると前後関係が必ずある。

しかも怒りは一瞬で終わることは難しい。

なぜならば、怒りは
相手を叩きのめすための
自然が用意したツールだからである。

怒りは、自分に降りかかった危険を排除する手段である。
先ず危険を意識的にか無意識にか、感じていることが前提だ。
その上で
相手に勝てるという判断、あるいは
仲間のために勝たなければならないという判断が
怒りを導く。
勝てないと思えば恐れに導き逃げる。これが生き物の原則だ。

怒りを覚えて危険を除去するためには、
相手を最後まで叩き潰さなければならない。

情けが入り手加減してしまうと
相手を逃がして、後日報復されたり、
その場で逆襲されてこちらが致命的になる。

そのため、相手を叩きのめして危険を除去するため
怒りという感情が相手を叩きのめしやすくさせてくれるわけだ。
情けや、共感や、後先という思考を排除するのが役割だ。
怒りは、「かわいそうだからやめよう」ということを
刺せない仕組みと言ってもよいだろう。

だから仲間に対して怒るときは、
怒りによって
仲間ではなく、相手は敵になってしまい、人間ではなくなってしまう。
容赦なく攻撃をしてしまう。

怒っているときも
ふと怒っている自分を自覚して
怒りをやめるということはある。

しかし、やはり厳密に考えると
怒りが中断して、その後で
理性的にものを考えることができるようになっただけである。

「いや怒っていながらやめようとした」と主張する人はいるだろう。
その感覚にも理由がある。

怒りのフォーカスが外れても、
怒りで起きる生理的変化である
心拍数の増加や血圧の上昇を
体性感覚で感じているから
怒りが持続していると意識してしまうのだ。

しかし、その体性感覚を残しつつ、
怒りのフォーカスがぼやけたから立ち止まることができる。

怒っているときは理性が働かない。
理性を働かせるためには、
順番としてまず怒りを鎮めなければならない。
理性で怒りを止めようとしても無理であるのは
そういう理由による。

ところが、市販の怒りを鎮める方法は、
理性で怒りを鎮めようとする方法であるか、
怒りを予防する方法である。
だから、ひとたび怒りだしてしまうと
止めることがなかなか難しいことは当然なのである。


2 怒りを中断し、理性を働かせる方法 エラーパターンの認識

魔法のような呪文がないのだとすれば、
事前にエラーパターンを学習するということが
怒りを中断させる方法として
有効な方法になるかもしれない。

近年ノーベル経済学賞の受賞者を多数輩出している
行動経済学の応用である。

エラーパターンは教科書を探してもみつからない。
一番の教材は、つい最近自分がやったことである。

怒ってしまったことを、きちんと反省するということである。
反省と言っても、悔やんでいただけでは何の役にも立たない。

反省というのは次の3つのことを考えることである。

第1に、自分の行為で相手がどのような気持ちになったのか
ここでかわいそうだということを考えることができなければ
相手にとってあなたが仲間であるメリットが見えなくなり、
デメリットばかりを感じるようになるだろう。

基本は相手の立場に立ってみて
相手の心細い気持ち、情けない気持ち、逃げ場のない思いを
追体験することである。
かわいそうなことをしたなと思うまで考えるべきだ。

第2は、どうして自分はそこまで怒ったのかを考える。
かけがえのない仲間の気持ち以上に大切なものが
本当に存在したのか。
怒りによって回避したいと無意識に感じたのは
危険を感じたからである。
自分はどんな危険を感じていたのかを思い出す。
(通常は、馬鹿にされる、損させられる等のつまらないこと)

実は、自分が感じていた危険の多くの部分は、
本当は職場や社会など他の人間関係のうっ憤であり、
八つ当たりしていたのではないかということを
本気で考えよう。

第3は、怒るタイミングで、この反省を思い出す工夫を考えることだ
自分の心拍が上がってきたり、
血圧が上がってきたリ
体温が上がってきた場合に、
すかさず相手がかわいそうだと思う訓練をするということだ。

怒ったら相手をかわいそうと思う
そういう条件反射をする訓練だ。

だいたい人間は、
まず怒り(心臓を中心とした生理的な反応が起き)、
その次に怒りの感情を言葉にする。
感情にまかせた行動をする。

このタイムラグが貴重である。
言葉が出る前にかわいそうだと思うようにする。
一瞬怖い顔になっても、
言葉など態度に出なければ
相手を不快にしない可能性が高くなる。

また、怒りの言葉を聞かれ、表情を見られても
その言葉に反応をして、怒りが中断できれば、
うまくいけば相手はあなたを評価してくれるだろう。

つまり、特定の仲間である例えば家族、恋人に対してだけ、
怒りを覚えたら、怒りを鎮めるという
条件反射の仕組みを作るということだ。
パブロフの犬になろうということで、

これなら、「理性で怒りを鎮める」という非科学的な方法論よりも
情動を中断させる方法論として
科学的であり、有効であると思われる。

これは同時に、相手の気持ちを考える訓練にもなる。
相手の気持ちを害することをやめ、
自分を抑える姿を見せることは
相手に対する愛情をアピールすることにもつながるかもしれない。

相手があなたの努力に気が付かなくても
徐々に、あなたに対する安心感を強めていくことだろう。

つまり、自分と仲間と協調する訓練であり、
幸せになる訓練であると考えている。


仲間に対する怒りのもととなる危険は
対人関係的危険であることが圧倒的多数である。
対人関係的危険については
対人関係学のホームページを参照していただきたい。
このページの左上にボタンもあります。

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