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プロは他人の悩みを笑わない プロの支援とは何か 探すのをやめたとき見つかる理由 [進化心理学、生理学、対人関係学]


悩みは、他人からみると、
意外な原因で悩んでいることが多くあります。
典型的なことは子どもの悩みです。
大人の尺度でものを見ると
そんなことで悩んでいること自体が信じられなくなることがあるでしょう。
しかし、子どもは思い詰めています。
子どもの視線で、
どうしてそれを悩むのかということが理解できなければ
効果的なアドバイスはできないと思います。

相談会などに行くと
本人やインテークをする人が
その悩みはくだらない悩みだとか、小さいことだとか
本気か謙遜かわかりませんが、
そんなことを聞かされることがあります。

プロは、人の悩みにくだらないものとか小さいもの
ということは感じません。
その方が真剣に悩んでいて
それに自分が役に立たせてもらえるなら
それが人間としての私の喜びだ
とそう考えています。

悩んでいる方は、解決方法を知識として持っていることが多いです。
もっとも法的知識のように
それを知らなければ解決方法がないということも多いのですが、
人間関係の解決方法は「知って」いることが多いです。

ところが、それが意識に上らなかったり
その解決方法を選択して実行できないという
理由があるから解決しない
ということが実感です。

一言で言って、
人間の脳は、現代社会に適応していない
ということが言えるようです。

人間の脳の活動である意識は
一つのことにしかフォーカスをあてられない
という特徴があると考えると
その理由がうまく説明がつくようです。

悩んでいるときは、
困った、苦しいという感情にだけ
意識のフォーカスがあたっていて、
意識というか、脳は思考をしていないのです。

困難から逃れよう、逃れなくてはという焦燥感が意識に上り
それが意識のフォーカスを独占してしまっている
このため考えることができないということです。

悩んでいるとき、困っているとき、
人間は思考をすることができないのです。

悩む、困るという意識活動は
人間を危険から遠ざけて安全な場所に移動するためのシステムです。
ただ逃げるということに専念することが
逃げ切るためには有効なので、
特に危機感を抱いた時は、他のことに意識が回らないように
脳が組み立てられているようです。

これに対して、自分はいろいろなことを同時並行でやることができる
例えば、テレビを観ながら本を読んで、ご飯も食べることができる
なんてことをいう人がいますが、
実際は、それぞれ細かく分断して順番にやっているだけです。
一言で言って気が散りやすいからできるわけです。
集中が苦手ということですね。

しかし、メリットもあります。
気が散りやすいということは、
一つのことに意識のフォーカスを絞らないで
他のことにも気が付きやすくなるので、
考えるべきことが考えられるかもしれないということです。

ただし、そういう場合にも、
「逃げる」という場面の場合は、
なかなか気が散らず、悩むことに集中してしまうことが多いようです。

解決方法に移行するためには、
先ず、悩むことをやめることが必要です。

「逃げる場面で悩むのをやめる」ということは、
自分をあえて危険にさらすということです。

これは、生命身体の危険
怪我をするとか、病気になるとか
そういう場合に逃げるのをやめることができませんが、
他人との人間関係上の危険
顔がつぶれるとか、立場がなくなるとか
そういう場合の危険は、
命には別条がないので、
一瞬悩むのをやめることが本来できるはずなのです。

しかし、人間は、そのような対人関係の危険と
生命身体の危険の反応を
区別して設計していないので、
とにかく基本逃げるということを目指してしまいます。
だから、悩むだけで考えることができないわけです。

探しているように見えても
実際は目的物が見つからないので困っているだけ
ということが多くあります。
これがないと学校で恥をかくとか先生から叱られるとか
そういう逃げる意識にフォーカスがあったっていると
考えることができませんので、
見えないところにしまってあるものは見つかりません。

探すのをやめるというのは
実際には、脳にしてみれば
見つからないから困るということをやめる
ということなのです。
そうすると、ようやく思考の出番になりますので、
最後にそのものを見た場所を思い出そうとすることに
意識のフォーカスを充てることができるわけです。
そうすると、ああそうだったと照れ笑いとともに
物が見つかる確率が高くなると
こういうことになります。

岡目八目という言葉は囲碁の言葉で
囲碁を打っている当事者よりも
観戦している人の方が冷静に考えられて
その先の状況を推測することができる
ということだと思います。

負けたくない、勝ちたくないという感情にとらわれると
思考が鈍ってしまうとすれば理解ができる言葉だと思います。

困りごとの支援者とはこういうものです。
つまり、当事者は困っているから、そこの意識のフォーカスがあたってしまい、
解決方法を選んだり、それを選択したり、実行したりする
ということにフォーカスがあたりません。

支援者は、第三者として
解決に意識を集中することができる
それだけの話なのです。

もちろん弁護士などの専門家は
当事者の不足している知識を補うことも必要です。

だから、プロの支援者というのは
過度の共感をしてはならないということになります。
共感を示すべき部分は
現実に困って悩んでいるというところにするべきです。
相談者と一緒になって悩むのは
プロの支援者とは言えないのはそういうわけです。

ただ、支援者の中には
解決方法が簡単である場合は、
「そんなことで悩むことはないですよ」と
言ってしまうことがあります。

解決策があり、解決できるよと
励ましのために善意で言うのでしょうけれど、
自分の悩みを軽く扱われたという印象を持たれることがあり、
相手を傷つけることがあるので、
お互いに注意をしましょう。


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