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なぜ、現代のフェミニストはグローバル企業の召使と呼ばれたのか。 [弁護士会 民主主義 人権]


これは、ナンシー・フレイザーの言い回しです。
彼女は、社会主義者のフェミニストだそうです。
もっともアメリカの社会主義者なので、
我々がイメージする東アジアの社会主義者とは少し違うようです。
アメリカの大統領選挙の民主党候補になりかけた
サンダースも社会主義者ということでした。

彼女は、第2次フェミニズム運動の理念から
現在の第3派フェミニストたちを批判しています。

第2次フェミニストの理念とは
女性の解放という理念と同時に
男性の価値観から女性の価値観に転換することによって
公正、平等、平和な社会を実現していくという理念があったというのです。

この考え方は前提として男性と女性の違いを承認したうえで
男性的価値観は、実力主義というか
争いで勝つこととか、利益を追求するとかにもとづくもので
そういう価値観が社会を無駄に生きづらくさせている
そうではなくて
女性的価値観は、協調的というか
人間が精神的に穏やかに生活するところにあり、
この価値観を社会に浸透させていこうと主張していました。

昭和の年代に労働法を研究というか勉強した男性は
この第2次フェミニズムに少なからず共感していて
労働組合幹部の女性の割合をもっと増やすことによって
もっと健全で建設的な労働運動の流れができてくるのではないか
という考えを持っていた人が多かったように思います。
沼田稲次郎先生は、航空関係の労働組合主催の講演で
「バターか大砲かと尋ねられたら女性はバターを選ぶ」
とおっしゃって、女性の労働運動に期待を寄せていました。

さて、ナンシー・フレイザーは、
昨今のフェミニズムは、家庭の中の女性解放は主張するが
この社会的変革の理念が欠落しているため
結果的にグローバル企業の召使になっているというのです。
どういうことでしょうか。

グローバル企業の望む人材はどういうものでしょうか
いくつか要素を上げてみましょう。
・安い人件費
・良質(生産性の高い)な労働力
・企業の都合で契約を終了できる労働者
・企業に従順で争いを好まない労働者

この要望に応えるように昭和の年代に法制化されたのは、
労働者派遣を合法化した法律です。
それまで職業安定法で禁止されていたことが合法化されたのです。
抱き合わせのように男女雇用機会均等法が作られ
労働基準法の女性保護規定のいくつかが撤廃されました。

着々とグローバル企業の要請が実現していっていたわけでした。

女性労働力はパート労働という形で
企業のニーズにぴったり当てはまりました。
終身雇用制は崩壊しつつあり
セットの年功賃金は成果主義賃金と姿を変えました。
企業が、その労働では成果が上がっていないと強弁すれば
賃金を上げなくて済む制度として使われることが目につきます。
さらに成績が上がらないことを理由として
解雇がしやすくなる制度になってしまっています。

これまでの正社員の中で割合の多かった男性労働者は
改革のたびにだるま落としのように下に落ちているようです。

さらにそのリストラした高賃金の男性労働者の座を
良質で低賃金の女性労働に置き換えることが
企業にとって利益であることは誰でも考え付くでしょう。

高学歴で、就労経験のある主婦を労働力としてイメージすることは
自然な流れだったと思います。

ところが専業主婦は、働くモチベーションがないため
働こうとしなかったわけです。
夫の収入で生活ができたし、
意識が高いため、家事、育児に時間をかけて吟味していて
働きに出るなんて時間はなかったでしょう。
家事に価値と達成感を感じていたということになります。

この専業主婦を働かせる方法は簡単です。
まず、夫の収入を低く抑える
さらに買いたいものを増やして収入を獲得する必要性を意識づける。
老後のために資金を蓄えることが必要だという意識も役に立つでしょう。
そうやって働かなければならないという意識を与えることです。

次に、家事の時間を短縮させる電化製品や
コンビニやスーパーでの安くて手の込んだ調理済み食品の提供
安価な家事代行サービスの提供も力になったでしょう。
そしてそのようなものを利用するとかつては「手抜き」といわれたのですが、
時短で合理的だという風潮があるとさらに後押しするでしょう。

何よりも、大切なことは自分のために働くという意識づけです。
そのためには家事労働は価値が低い仕事で
気が利いた人間は他人に頼むような仕事だという
意識づけです。

具体的には
3歳児神話は科学的根拠がないから子育ては施設に預けてもよいとか
母親は子どもの奴隷ではないとか
女性も企業で働いてこそ輝くとか
そういう社会的風潮はとても役に立っていると思います。

特にボランティアでも、PTAでも、近所の相互扶助でもなく
企業に働いてこそ輝きだという思考が
いつの間にか脳の中に侵入しているようで、
特に産前には資格を持って働いていた出産後の母親は
働かなくてはならないという焦りのようなものを感じるようです。
自分が子育てをすること自体に疑問を持たせ、
外で働いている夫はずるいという感覚を持つようです。
「自分だけが損をしている」
という気持ちを抱いてしまっている女性をたくさん見ます。

この意識の原因は誰かが植え付けているという単純な話ではなく、
素朴な感覚を持っているところに限定した言葉が与えられることによって
感覚がずらされて誘導されているように感じます。
だからその考えに逆らうことができなくなるみたいなのです。

その結果企業が求める労働力が続々と提供されています。
安価で、生産性が高い良質な労働力が、
必然的に途中採用という不利な採用のされ方をして
企業に不都合になったら安価に契約を打ち切れても
争わない従順な労働力です。
仕事を辞めたくないので、
理不尽な上司の命令も従おうとし、
できないのは自分が悪いと思ってくれるのです。
なんて理想的な労働力でしょう。

本来家事は、人間の再生産に重要な仕事です。
家庭の中で家事を専門に行う人間がいないと無理が出てきます。
誰かが収入を獲得するために家を出なければなりませんが、
誰かが家事に専念しなければどこかに無理が出る現代の家事です。

煩瑣な公共手続きだけでもうんざりします。
塩素や抗生物質から腸などの体内環境を守るためには
時間をかけてデトックスをする必要がありますが、
そもそも安全性の高い食材や衣類を探すのも時間がかかることでしょう。
これをしなければ、大人は長生きをしないだけですが、
子どもは、健全な成長がゆがめられてしまう可能性もあるようです。
教育の問題にしても、学校任せでは生活のこと学習のことも
本当は心もとないのではないでしょうか。
学校と保護者が協力してよい学習生活環境を作るということを
怠っているところにいじめや指導死の問題の背景があるように思われます。
地域の環境改善というかコミュニケーションを作ることも
意識的に時間をかけて作らないから
自分の頭の上に住んでいる人が誰なのかわからない
という事態も起きているはずです。
人間は自分だけで幸せになれないようにできていると思います。

もし働くために、子育てに時間をかけられないから
抗生物質や添加物の入った食べ物を与えているならば、
18世紀のイギリスの労働者階級で
子どもが泣き止まないので手間暇をかけられず
手っ取り早くジンを飲ませて泣き止ませたという逸話と
大差のない話に聞こえてきてしまいます。

本来、家族のうちの一人が働けば
充実した不測のない生活が送れることができればよいのです。
それができないのは、賃金が充実していないからです。
労働者に対する賃金が充実する労働市場になれば
不幸な人間が確実に減ると思います。

ところが、そのような社会的視点が欠落し、
女性の解放をもっぱら家庭の中に力点を置いてしまうと
本来共同して社会を前進させていくパートナーガ協力できず、
力になりません。

それどころか、
家庭から企業で働くことが女性の輝きだという
政府の主張を先取りするかのような主張をしているのは誰なのでしょう。
様々な女性枠というものを安易に享受しているわけですが、
これでは対等をはじめから放棄しているように感じられます。
結局上部に依存して、特別扱いしてもらっているからです。

DV問題がフェミニストの主戦場のようにも感じられますが、
解決方法は警察や行政という公権力に依存していています。
公権力が私人に介入する余地を拡大することを
問題の所在として懸念しているようには感じられません。
権力に依存する方法をとるから、権力の増大を問題視できないようです。

DVの問題にしても
程度の問題を考えずに
すべて夫から逃げるという方策が金太郎あめのように出されます。
結局夫に気が付いてほしい、
気が付かなければ逃げるというのでは、
人間が環境に働きかけて生きる動物である意味がなくなるでしょう。
ゲームのように夫から女性を隠し、
保護命令や調停申し立てをして離婚させれば援助は終わりです。
そのあとでこんなはずではなかったということを言えば
「離婚はあなたが決めたことです」で終わりです。
判で押した流れに従ったルーティン作業であり
根本的な幸せを獲得するという視点はありません。
定められたゴールを目指し余計なことは考えない。
なんて男性的な行動でしょう。

結局は協力し合うべき男女が
分断されて期待されています。
これを最も基盤的な社会である過程でやられてしまえば
建設的な社会変革は他人ごとになってしまいます。
変革されては困るほうにとって大変都合の良い話です。

決して「一人が働けば充実した生活ができる賃金を」
というスローガンは聞かれません。
せいぜい男女賃金格差の是正です。
これは着々と実現しつつあります。
男性賃金が低下すれば実現するからです。

なんてグローバル企業にとって都合がよいのでしょう。
自分たちが直接意見表明をしたり
国の機関に提言させなくても
勝手に自分たちに都合の良い社会構造を
ターゲット自身が作ってくれているわけです。
社会に対して向けられるべき不満を
家庭の中などの男性に対して向けているわけですから
しばらくは安泰でしょう。

昭和の終わりころ、女性の深夜労働の解禁を訴えた女性たちを見ながら、
女性にも平等に過労死を要求するのかという暗澹たる思いをしたことを覚えています。

労働法学者沼田稲次郎先生が
先ほどの女性の労働組合活動のテーマの集会で
面白いお話をされていました。

男性は職場で嫌な事不正なことをされても
寄り集まったところで酒飲んでくだ巻いて終わりだ。
女性は、みんなで話し合って不合理を是正させるために頑張る
そういう傾向にあるということでした。

私は素直にそういうものかもしれないなと勉強させていただいていました。
今もそうなのでしょうか。
女性がどんどんかつての男性並みに酒を飲んであきらめだした
ということはないのでしょうか。

男がもはやついていくことをやめた男性的な価値観を
延命させているのは女性の社会進出ということはないのでしょうか。
ジェンダーの主張は、私には、
男性の弊害がある価値観を是認し、大前提とした主張
そう思えてなりません。

これからは男性が女性の価値観を
歴史学として学ばなければならないのでしょう。
かつての女性の価値観をしっかりと身に着けて
人間らしい生活を求めていかなければならないようです。



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