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ロサンゼルス暴動を対人関係学の立場から分析してみる Los angels rlot 1992 [故事、ことわざ、熟語対人関係学]

ロサンゼルス暴動を対人関係学の立場から分析してみる

先日、テレビでロサンゼルス暴動の特集を観ました。
つい28年前の出来事であり、記憶にも残っていたのですが、
そのテレビ番組で新しい事実を知ったことで
群集心理というか、人間の感情、秩序等について、
対人関係学の考えを説明するための
ちょうどよい教材であることに気が付きました。
知識はペディアで補充しています。

目次
1 ロサンゼルス暴動とは何か。関係する事件を含めて
2 暴徒化の原因と暴徒化する条件
3 罪のない人への攻撃はどうして起きたのか
4 テレビで事件を知った人はどうして被害男性を助けようと思えたのか。
5 事件はどうして終息したのか

1 ロサンゼルス暴動とはなにか。背景となる事件を含めて
 1)ロサンゼルス事件
1992年4月29日、のちに述べるLA市警の警官への無罪評決をきっかけにアフリカ系アメリカ人たちが暴徒と化し、ロサンゼルス市街地で暴動を起こして白人や韓国系アメリカ人が経営する商店を襲い、放火や略奪をおこない、 これがロサンゼルスだけでなく広範囲に広がった。
映像も残っているが、たまたまLA市内をトラック輸送仕事で走行していた白人トラック運転手、レジナルド・デニーが交差点で信号待ちをしていた際、暴徒化したアフリカ系アメリカ人にトラックから引きずり出されて、コンクリート塊でこめかみを強打したり、頭部に数十キロの鉄の塊(エンジンブロック)を投げ落とされたりした。この暴行をTVのライブ中継を見ていた地域住民のアフリカ系アメリカ人によって、彼は助け出されて病院で開頭手術などを受け一命を取り留めている。
主な襲撃目標となったLA市警は自らを守るだけで手一杯の状況となり、暴動を取り締まることをしなかった。
暴動による被害は死者53人、負傷者約2,000人を出し、放火件数は3,600件、崩壊した建物は1,100件にも達した。被害総額は8億ドルとも10億ドルともいわれる。この事件での逮捕者は約1万人にものぼり、そのうち42%がアフリカ系アメリカ人、44%がヒスパニック系、そして9%の白人と2%のその他の人種が含まれていた。
 2)ロドニー・キング事件
1991年3月3日、アフリカ系アメリカ人男性ロドニー・キングがスピード違反を犯し、LA市警によって逮捕された。その際、20人にものぼる白人警察官が彼を車から引きずり出して、装備のトンファーバトンやマグライトで殴打、足蹴にするなどの暴行を加えた。たまたま近隣住民が持っていたビデオカメラでこの様子を撮影しており、この映像が全米で報道されアフリカ系アメリカ人たちの怒りを膨らませた。 白人警察官に対する裁判の結果、警官達の“キングは巨漢で、酔っていた上に激しく抵抗したため、素手では押さえつけられなかった”との主張が全面的に認められ(実際はおとなしく両手をあげて地面に伏せたキングが無抵抗のまま殴打され、医療記録によるとあごを砕かれ、足を骨折、片方の眼球は潰されていたとされるが、裁判では認められなかった)、事件発生から1年経過した92年4月29日に陪審員は無罪評決を下した。これについては、白人住民の多かったシミ・バレーで法廷が開かれ、陪審員にアフリカ系アメリカ人含まれていなかった事も原因の一つであるといわれる。 この裁判の報道の1時間後にロサンゼルス暴動は始まった。

 3)ラターシャ・ハーリンズ射殺事件
1991年3月16日、アフリカ系アメリカ人の少女(当時15歳)であるラターシャ・ハーリンズが韓国系アメリカ人の女性店主、斗順子(トウ・スンジャ、Soon Ja Du、当時49歳)によって射殺された。店主は少女がジュースを万引きしたのだと勘違いして少女を咎め、もみ合いとなった末に少女がオレンジジュースを店において出ていこうとした。その時は店主によって背後から銃撃頭部を撃ち抜かれて少女は殺された。事件の判決は同年11月15日に出されたが、殺人罪としては異例に軽いものであった。この判決はアフリカ系アメリカ人社会の怒りを再び煽ることとなり、無実のアフリカ系アメリカ人少女を射殺するというこの事件により、アフリカ系アメリカ人社会と韓国人社会間の軋轢は頂点に達した。

2 暴徒化の原因と暴徒化する条件

 1)原因
暴徒化の要因として、ロドニー・キング事件とラターシャ・ハーリンズ射殺事件がきっかけになったことは間違いない。二つの事件は、それぞれの被害者だけの問題ではなく、アフリカ系アメリカ人全体が当時の社会の中で置かれた状況を象徴的に表していた。二つの事件の被害ほど深刻ではなくても、ロサンゼルスのアフリカ系アメリカ人であれば、誰もが差別的取り扱いを経験したことであったと思われる。二つの事件は。氷山の一角だったはずだ。
問題はその社会の状況が暴動につながる、そのメカニズムである。不合理に対する怒りということが言われる。もちろん、それも間違ってはいない。しかし、怒りが暴動に発展するメカニズムをもう少し分析的に理解する必要があると思う。不合理な扱いがなされれば必ず暴動が起きるわけでもない。
まず、理解していただきたいことは、怒りとは危険を感じた場合に出現するということである。自分か自分の仲間の危険である。人間も哺乳類の多くも、危険を感じ取るとまず不安を覚えて、この不安を解消したいという要求が生じる。この要求に基づいて、逃げるとか戦うという行動に移ることができる。不安を解消する行動とは、危険から逃れようとすることが動物の原則であるが、相手を攻撃して危険を消滅しようすることもある。逃れようとする場合の感情が恐怖であり、攻撃して解消しようとする場合の感情が怒りである。まとめると、怒りには、自分か仲間に対する危険の覚知が先行する。
ロサンゼルス暴動においては、ロドニー・キング事件とラターシャ・ハーリンズ射殺事件が先行する。そこから推測できる危険とは何かを考えてみよう。
二つの事件から導かれる社会的状況からは、当然、身体生命の危険を感じたであろう。些細なことで、自分を守るべき警察官によって、逆に瀕死の重傷を負わせられたロドニー・キング事件、また勘違いで攻撃されて無防備な状態で射殺されるという事件。アフリカ系アメリカ人というだけの理由で被害者になったのだと感じれば、アフリカ系アメリカ人にとっては、日常的に深刻な生命身体の危険にさらされていたことになる。
しかし、もう一つの危険が存在する。それが対人関係的危険である。アフリカ系アメリカ人は、ロサンゼルス、あるいはアメリカという社会において、自分が仲間として認められていないという危険意識、疎外感を強く抱くようになったはずだ。その後の裁判においても、加害者が優遇されれば、自分たちは守られていない、尊重されていないという認識が深まるだろう。事件が起きた時に感じていた対人関係的危険は、裁判によって強固なものになった。白人の支配層からは人間として尊重されていないという不気味な危険意識があった。韓国系商人からは、自分たちの存在がやがて韓国系商人にとって代わられるという将来に対する大きな不安があったが、これが裁判によって州ぐるみに行われているという絶望感を抱いたのだと思う。誰かに差別されているのではなく、社会ぐるみで差別されているという感覚になったと思われる。
つまり、ロサンゼルス暴動という大きな怒りは、大きな危険の意識、危険解消の要求に支えられていたのだ。ロサンゼルス暴動においても、その直前に身体生命の危険と、対人関係の危険の深刻な状態をいやというほど感じさせられ、この二つの危険からの開放要求がとてつもなく強くなっていた。
しかし、この危険と危険解消の要求だけでは、それは不気味な恐怖が主たる感情だったはずだ。これが、具体的な怒りの集団行動に至るためには、次に述べる条件が必要だったと考えられる。
2)条件
暴動化の条件は、危険と危険解消要求を共有する仲間の存在が強烈に意識されたことである。
まず、危険を感じる側のカテゴリーが、きわめてわかりやすかったことである。アフリカ系アメリカ人に対する差別であるから、外見からわかりやすい。差別されている「自分たち」が見てわかるというわかりやすさがポイントだった。
ロドニー・キング事件の警察官に対する無罪評決が起きたとき、怒りのポイントもわかりやすかった。この裁判のニュースの後に、街で歩いているアフリカ系アメリカ人が見知らぬ人間だったとしても、彼らが怒りを表明していれば、それはロドニー・キング事件の無罪評決への怒りであることが「自分たち」の間で簡単に確認しあえたのだ。
街を歩いている見ず知らずのアフリカ系アメリカ人たちの間で、説明を抜きにしても一つのことで怒りを共有している仲間であるという連帯感が生まれた。コミュニティが即席に成立してしまったのだ。ロドニー・キング事件評決の怒りであり、アフリカ系アメリカ人への差別に対する憎しみというテーマにおいては。即席の仲間の利害は完全に一致していた。
仲間ができてしまうと、仲間の秩序が形成されていった。ロサンゼルス暴動においては、支配層である白人社会が、社会秩序維持の装置である裁判によって、アフリカ系アメリカ人に危険の意識を与えていたという背景が重大な問題である。このために、「既存の社会秩序」は自分たちを守るものではないという感覚を持たされてしまっていた。秩序のうちの差別の部分だけに反対するという理性的な分析と行動はもはや期待できない状態になっていた。このため、既成秩序であれば、すべてが攻撃の対象ということになってしまっていた。
具体的に差別をした白人系企業や韓国系企業だけでなく、差別をしなった企業も含めてあらゆる白人系企業や韓国系企業が放火や略奪の対象となった。自分たちが迫害されているという不安を解消する表現になるならそれでよかったわけである。自分たちに不安を与えるものは存在自体を否定することが不安解消のためには有効だった。専門的かつ正確な表現を使えば、既存の秩序や正義は、自分たちを苦しめるものだ、「くそくらえ」ということであった。

ここで、怒りの特徴の説明を付け加えたい。
まず前提となる不安解消要求が解消行動にスムーズに移行しないと、解消要求は大きくなっていく。その後も合理的な解消行動が見つからず不安が持続してしまうと、不安解消要求もますます肥大化してしまう。そうすると、脳の活動に変化が生じてしまう。複雑な思考をする能力が極端に低下してしまうのだ。思考は二者択一的になり、将来のことまで考えが回らなくなり刹那的な行動をするようになる。「それをすれどうなるか」ということも考えられなくなる。他人の感情という複雑なことも考えなくなる。
次に、仲間の存在を認識すると、不安解消行動としては恐怖ではなく怒りが選択されやすくなる。仲間がいれば勝てるという気持ちが強くなるという事情もあるが、ロサンゼルス暴動の場合は仲間を守るために勝たなくてはならないという使命感が怒りを選択させたようだ。
怒りの行動が始まれば思考の単純化がますます進んでいく。仲間のすることは、否定することができなくなる。人間は仲間だと思う他者を批判することをためらうようになる。だから、放火や略奪が始まっても、それを批判する力が失われる。心の中で、無意識の言い訳をあれこれ行っても、仲間を擁護しようとするのである。その最たるものは、仲間の逸脱行為に参加することである。逸脱行為をしている人間は、自分の逸脱行為をだれにも注意されない、否定されないために、許された行為だという意識が生まれてくる。こうやって暴動の秩序が形成されていく。暴動は、無秩序が生まれるのではなく、暴動をする即席コミュニティの新たな秩序が形成されるのだ。
怒りを抱いているときは、恐怖は感じにくくなる。恐怖を感じない相手を力で屈服させることは簡単ではない。こうしてロサンゼルス市警は暴動を鎮圧することを放棄してしまうのである。

3 罪のない人への攻撃はどうして起きたのか

 たまたまロサンゼルスを通りがかっただけの、罪のない人であるレジナルド・デニーは、自らの行動の罰を受けたわけではない。彼を攻撃した人たちは、彼が誰なのかもわからなかったはずだ。攻撃した人たちが知っていたことは。「彼は自分たちの一人ではない。」ということだけだった。アフリカ系アメリカ人という外見からわかる特徴が「自分たち」をわかりやすくさせた。これは同時に「自分たち以外」の人間もわかりやすくさせてしまった。
 暴徒はすでに二者択一的思考に陥っていた。自分たちは仲間であると同時に自分たち以外の人間であれば敵であり、自分たちを攻撃している者であり、自分たちを苦しめる存在になってしまっていた。強烈な利害関係の一致で形成されたコミュニティからすると、コミュニティの外の者は、同じ人間だという感覚が失われてしまう。敵であり、純粋に怒りをぶつける対象になってしまう。相手に対する共感が排除されてしまい、容赦のない攻撃が可能となってしまった。それが、レジナルド・デニー事件である。

4 テレビで事件を知った人はどうして被害男性を助けようと思えたのか。

 テレビでレジナルド・デニー事件を見ていた複数のアフリカ系アメリカ人は、直ちに現場に駆けつけて彼を救出した。救出した人間相互には面識がなかったという。彼らは暴徒化に加わらなかった。彼らも、ロドニー・キング事件とラターシャ・ハーリンズ射殺事件やその他の出来事から、二つの不安を感じていて、不安解消要求を抱いていたことは間違いないと思う。しかし、暴徒とはならなかった。この点をテレビで見たことと次に述べる暴動の鎮静化のことが、私に本稿への着手を思い立たせた。まず彼らはなぜ暴徒化しなかったのか。
 救出メンバーは暴徒というコミュニティ形成の段階に参加しなかった。暴徒という結果をテレビで見せられただけであった。暴徒コミュニティが、その場の「自分たち」の感情の共有を、相互作用によって作っていくということがよくわかるエピソードである。まず、大声で怒鳴るという少しの逸脱行動を許容し、共有し、こぶしを振り上げるアクションが投石というアクションに発達し、投石が窓ガラスにあたると、自然に破壊活動に育っていき、放火や暴行という行動に発展していくのである。その発展の過程における一つ一つの段階において、「自分たち」の行動に対する許容が起きる。許容さることでもっと大胆な行動に出る。それも許容していく。秩序とは、このように、仲間の行為に対する迎合によって形作られる。一度できてしまった秩序は秩序自体がメンバーの迎合の対象となり、秩序が強いものになっていくのである。強い秩序は、服従ではなく迎合によって作られる。
Stanley Milgramの服従実験(アイヒマン実験)を再評価する 人は群れの論理に対して迎合する行動傾向がある
doihouritu.blog.ss-blog.jp/2019-01-05
 救出メンバーは、このような秩序形成過程に参加しなかった。即席コミュニティの住人にはならなかったのである。すでにできた秩序は救出メンバーが是認する秩序に反していた。だから、罪のない被害者に同情することができ、救出しようとすることができた。もともとそのメンバーの「人となり」ということもあったかもしれない。しかし、彼らがうっかり、初めからその場にいたら、攻撃に加わらないということがあったとしても、攻撃を止めるということができたであろうか。疑問を留保しておく。

5 事件はどうして終息したのか

 暴動の終息のきっかけも最近見たテレビ番組で初めて知った。なんと暴動の終息を呼びかけたのは、そもそもの暴動のきっかけとなったロドニー・キングその人のテレビを通じた鎮静の呼びかけであった。
 暴徒化のきっかけは、ロドニー・キング事件の無罪評決であった。暴動化した理由が自分たちアフリカ系アメリカ人に対する差別による不安解消であったが、きっかけは、ロドニー・キングに対する同情であった。暴動の大義名分がロドニー・キングの無念を晴らすということであり、ロドニー・キングこそ、自分たちの象徴的な人物だった。
そのロドニー・キングが怒りを抑えて仲良くしようとスピーチしたとあれば、秩序を統一させていた的がなくなってしまう。怒りが一気にエネルギーを失ってしまったということだったと思う。もともと、怒りという感情も一時的なものであり長続きしない。略奪や放火という生まれながらにして悪いことだと思い続けてきたことを、評価はともかく事実として自分たちが行っていたこともわかってはいた。一気に怒りは冷めてしまい、暴徒化秩序は消滅し、一時的なコミュニティは崩壊した。ロサンゼルス暴動の幕を閉じたのも、暴動が始まった理由を裏付けるエピソードだった。

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