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人間関係があるところ秩序があり、秩序への迎合がある 迎合三部作完結編 [進化心理学、生理学、対人関係学]

前々回に少し無理してロサンゼルス暴動の分析をまとめたことは
有意義な結果となりました。
これを前回の記事で、いじめの問題に応用する試みをしましたが、
私なりには成功したと思っています。

「人間関係があるところに、
秩序に向けた個人個人の迎合がある」という
一般理論の構築を意識していたもので、
他の問題もこの迎合の理論で説明することを
射程に入れながら記事を書いていました。

<官僚の不祥事と組織の秩序への迎合>

例えば、官僚の不祥事にもきれいにあてはまると思います。
公文書を廃棄したり、権力者に忖度したりというのも
これまでは官僚の保身にその原因があるということで
それなりの批判がなされていました。

しかし、これは自分の上司やその頂点にいる首相に対して
こびへつらっているということでは
説明しきれないように感じています。

官僚たちは、自分の保身を主たる目的にして行動していたのではなく、
主観的には、「行政という秩序を維持している」という意識、目的があり、
義務感、正義感を抱いて行動していた
と考えるとわかりやすいように思われます。

省庁や地方自治体の幹部役員は
とてつもなく高学歴で、相応のキャリアを積んだ方々です。
それなのに、普段接していると、腰が低く、物腰も柔らかい
立派な方々が多くいらっしゃるという印象を持ちます。
ところが、自分の属するトップに対しては
「どうしてそれほど」というほど高く持ち上げます。
その人がそこにいないのに、
そこにいるのは私のような部外者だけなのに
心底尊敬しているような口ぶりをするのです。

どうもお役人というのは
役所の秩序を最優先する人が多いようです。
そして秩序を形成するために、
トップを高く奉ろうとするものみたいです。
迎合の的はトップのように見えますが、
実際は秩序を維持しようとしているように思われます。

だから官僚の不祥事の多くは
主として自分の利益を守ろうとして行うものではなく、
秩序を維持するために、自分が犠牲になるという
そのような妙な正義感から行動しているようなのです。

ただ、もちろんそれが正しいことではありません。
正しいことかどうかということよりも
秩序を守ることを優先してしまう性質を
人間が持っていることの現れです。
それが、教養があり、人間的にも強靭な人でさえも
抵抗できない誘惑だということの象徴が
官僚の不祥事だと私は見ています。

<群れの秩序に迎合する人間の源流>

善悪よりも秩序を優先することがはっきりする場合は、
自分たちに危機が訪れていることを
共同体がみんなで感じている場合です。

これは人間の心の性質のことですから
心の発生当時の約200万年前のことを思い浮かべると
簡単に理解できます。

当時は、道具も大したものはなく、火も使わず、
言葉もない時代でした。
人間はたいそう無防備で頼りない生き物でした。
このために、群れを作ってお互いを守りあって生きてきたわけです。

言葉もない時代にどうやって群れを作って守りあったかというと
群れを作ることに都合の良い本能をもっていたからだと考えます。
群れの中にいたいという本能
群れから外されそうになると感じると不安になる本能
弱いものを守ろうとする本能
共感する脳の力
そして弱い者を守ろうとするときの勇気でしょうか。

こういった本能や生物的能力は現代に引き継がれていますが、
当時は生まれてから死ぬまで原則として一つの群れで生活したので
このような本能や能力がとてもよく環境と適合していたのですが、
現代社会はさまざまな群れに同時に帰属しなくてはならないという
環境の変化があったために様々な不具合が生じているわけです。
(対人関係学のHP[心と環境のミスマッチ詳論]
http://www7b.biglobe.ne.jp/~interpersonal/concept.html
に詳しく書いています。

さてそのような時代に感じる危険のポピュラーなものは、
肉食獣に襲われそうになっているという場合でしょう。
進化の説明をするCGなどでは、
人類の祖先が、簡単に肉食獣に襲われて
群れの仲間は簡単にあきらめている姿が描かれています。
私は、この解釈に反対しています。

おそらく、群れが一丸になって
襲ってきた肉食獣に対して
襲い返していたと思います(袋叩き反撃仮設)。
「ネット炎上、いじめ、クレーマーの由来、200万年前の袋叩き反撃仮説」
https://doihouritu.blog.ss-blog.jp/2018-06-19

肉食獣に対抗するためには、
むしろ襲われにくくすることが肝心で、
そのためには群れが結束していることが必要になります。
一体として、一個の生き物のようにふるまうことが
襲われにくくなるための唯一の方法だったはずです。

言葉もない時代に群れが一体化するためには、
群れの誰かが行動を提起したら
それに無条件に従うことが必要です。

手巻きをして仲間を密集させる「最初の行動者」
「最初の行動者」の行動に反応して
他の仲間を促して密集ポイントに誘う「最初の行動者に準ずる者」
そして、それらの誘導に従う「一般」
それぞれが、自分の役割を瞬時に悟って
率先してその役割を果たそうとする
こうやって群れが一体の動物として動くことができるわけです。

善悪なんて余計なことを考えていたら
肉食獣の犠牲になってしまいます。
群れが完全崩壊する危険さえあります。
だから必死になって迎合しているわけです。

現代の組織論などを参考にすると
「最初の行動者」と「最初の行動者に準ずる者」を合わせて
群れの2割から3割くらいの人数に過ぎず
7割から8割はい「一般」の人だったのかもしれません。

一般の人は自分の意見を殺して
2~3割の人間の行動に積極的に従った
いやいや従ったのではなく
生き残ろうとして従うわけですから
服従ではなく迎合という言葉が近いと思うのです。

「最初の行動者」や「最初の行動者に準ずる者」は、
生まれながらにそういう性質を持った人間でしょうが、
群れ全体の中の役割を敏感に察して行動する場合もありそうです。

誰が威張っているという時代ではなく
食料などは完全な平等を貫かれていたということなので、
従うということに何らへりくだる要素を感じる必要もなかったのだと思います。
全員が自分の役割を積極的に果たして
群れの犠牲者を出さないようにしたはずです。

これが群れに協調するということです。
どうやってそのような技を人間が身に着けたかというと
初めからそういう能力を持っていたという偶然なのだと思います。
たまたまそういう能力を持っていたから生き残ったのであり、
そういう能力を持たなかった自由人たる個体は
厳しい自然環境に適合しないでほろんだということになると思います。

私たちはそういう適合した人間の子孫ですから
どうしても秩序に迎合してしまう特性を持っているわけです。
しかしその中にも、もともと「最初の行動者」の
血を濃く引き継いだ人たちも生まれるわけで、
秩序に迎合しようとしない人たちということになるでしょう。

現代社会は、様々な群れにおいて
「一般」の人たちの割合が多くなってしまっていて
「最初の行動者」が排除されてしまう傾向があるように感じられます。
しかし、「最初の行動者」が尊重されている群れは
とても強い群れになり、
尊重されていない群れはとてももろい側面を持っていると
いうことになると思います。

<その他の秩序への迎合例>

これまでこのブログで迎合例をいくつか書いています。
両親による児童虐待の例は、
この迎合の理論がよくあてはまると思います。
年齢の割に強すぎる言動でのかかわりを
どちらかが夫婦の間の秩序に迎合して容認する
結果として虐待行為がエスカレートしてしまう。

私が少しかかわった事例でも
離婚後の母親が、娘の性的虐待を
事実としては認識しているのです。
でも、それが新しいパートナーの行為だということを
どうしても認めようとしなかった例があります。
頭ではわかっているのに、気持ちでは否定しようとする
そういう現象だと解釈しました。

そもそも配偶者からの虐待を
第三者に助けを求めることができないことも
迎合の理論で解釈できるのかもしれません。
夫婦という共同体に第三者から介入されることを
無意識に避けているのかもしれません。

パワーハラスメントなんて言うのも
迎合の理論で考えるとわかりやすいですね。
会社本部の設定したノルマの達成を最優先し
つまり会社の秩序に迎合して
従業員に対して罵倒してでもノルマを達成させようとする
そういう場合にパワハラが生まれることがあります。

パワハラを受けている同僚を見て見ぬふりをするのも
こちらが攻撃されることを恐れてというよりも
できてしまっている秩序を壊せないという
心理的プレッシャーがあるというほうが近いようです。

フェイスブックなどで
誰か政治的なリーダーみたいな人が記事を上げると
反対派に対して罵倒するコメントが並びます。
これなんかも典型的な迎合行為ですね。
アンチ権力という共同体ができていて
その共同体の趣旨に反しなければ
安心してコメントを出して、
賛同が得られることに喜びを感じているのでしょう。

最初に記事をアップした人と比べて
コメントは気が利かない極端なものが多いのも
積極的に迎合した結果なのでしょう。
共同体の秩序に沿ったものになっていますが、
通常は共同体の外にいる人が
そのコメントに賛同することはほとんどないようです。

多くの政治的な思想の共同体の構成員ができれば
有力な野党ができるのだろうと思います。

与党になるためには、それだけでは足りないようですが、
共同体が形成され、迎合の理論が通用していることには
変わりがないように感じます。

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