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【半ば宣伝】一人で悩んでいるときこそ言葉に出すことで誰かと相談した時の効果があるということが私が講演を断らない理由とこのブログが私にとって存在価値がある意味 [閑話休題]

半年以上前に書いたブログで、
言葉には二つの源流があることを述べた。
一つは、危険を教えあうことと
もう一つは、相手を安心させるための言葉
そして言葉というよりも強さとイントネーションが大切だということだ。
今思うと言葉というより、会話の始まりというほうが正確かもしれない。
それから、どうして語彙が増えたのかについて
人間が仲間と認識できる人数を超えた人間とかかわりあいを持つため
言葉が必要になり、言葉増えたということをのべた。


言葉の始まりと成り立ち 言葉を使おう!現代に生きる我々が意識して行うべきこと。 
https://doihouritu.blog.ss-blog.jp/2019-05-24

だから私たちが悩んでいるとき、
考えているふりをしているとき
意外と言葉は使っていない。
ただ悩み、ただ不安になっているだけということが多い。

言葉も会話も、元々他人と関わるために生まれたのだから
他人の存在を前提としている。
だから、自分の悩みを正確に言い当てることは
言葉の目的ではなかったということになりそうだ。

自分の考えや着想を言葉に出し切ることはできない。
そもそも、相手が理解できる範囲で伝わるだけのことでもある。

それで十分であり、それで役割を果たしてきたし
文明を発展させてきた。

そしてここにもう一つの言葉の機能が生まれていた。

考えを言葉にしてみることで
これまで考えていたことと別の着想が生まれるということだ。
自分の考えと、あるいは感情と、言葉との間には必ずずれがある。
すると
本当は自分が考えていたことではないことが
自分の言葉の中に発見できることがある。
自分で言ったにもかかわらず、
それを耳で聞いて、目で読んで
「ああそうか。」と思う。

そうやって、考えるための武器が増えて、
知識が増えるときもある。

一人で考えているときこそ
言葉にしてみることが必要だ。
言葉にしないと、考えているようで本当はただ困っているだけの時も多い。
文字や音声にしてみることで
誰かと相談しながら考えている効果が生まれてくる。

でも、本当は誰かにその言葉を聞いてもらえる状態が
一番良いように思う。
誰かに伝えたいことを伝えようとしているとき
自分の発する言葉に刺激を受けることが多いように思える。

だから、私は、講演のお誘いはなるべく断らない
学校でも、職場でも、PTAでも、研究会でも
官庁でも、自治体でも、経営者の集まりでも
積極的にお話に行く。

人権や、自死や、過労死予防や、いじめ予防、
家族や夫婦の育て方、労働法、
私の興味関心のあることならば喜んで話に行く。

必ず新しい発見があり、新しい武器を獲得する。

しゃべっているうちに、ペロッと台本にないことを思いついて話して
聞いてくださる方々の表情や反応に驚き、
ああこういうことだったのかと気が付くことが多い。
自分が話しているのに、自分が一番勉強している。
これがとても楽しい。
だからやめられない。
どんどん呼んでほしい。

結局このブログもそういうことなのだろう。
お話の原稿をアップするのもそういう理由なのだろう。

検索しているうちに、うっかりこのブログを開いてみて
お読みになられてしまった方には申し訳ないけれど。

読んでいただけるかもしれない誰かを思いながら
今も書いている。



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