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令和2年1月5日のSモーニングの加藤諦三氏の問題提起のその先こそ考えるべきではないのか、社会の幼児化の原因としての不安とは何か、不安と幼児化はどうしてつながるのか [故事、ことわざ、熟語対人関係学]


別のことをしていて、気が付いたらテレビがついていたという感じなので、
そこだけ聞きかじったようなものですが

心理学者の加藤諦三氏のインタビューが流れ、
(おそらく世界中の社会病理の説明は)
幼児化・退行化の広がりだとして、
その原因は不安だということをおっしゃっていました。

幼児化、退行化という言葉が出されたときは
そういう側面もあるけれど、少し違うのではないかと思いましたが、
その原因が不安だと聞いたことから、幼児化、退行化という表現も
ありうる表現かなと思い直しました。

そして私は、さあ、本題に入るのだろうと期待したのです。
幼児化、退行化の広がりの原因になる不安は
どうして世界中に広まってきたのか
という話になるのだろうと思ってしまいました。

しかし、その後はコメンテーターが勝手に話しだし
主に自分の領域に話を持っていき、
現政権批判などでお茶を濁されてしまいました。

もしかすると、このコーナーの前あたりに
グローバリズムとか新自由主義とか本質的な話があって、
後ろから前につなげて全体で理解してもらう
という狙いだったとしたら申し訳ありませんが、
途中から見た私には肩透かしの感がありました。

ただ、その幼児化、退行化が
フロイトの理論やその流れのフロムの説を紹介していたので、
肩透かしでよかったのかもしれません。
それからコメンテーターから出てきた学者がマズローでした。

いかんせん一言で言って古い。
その人たちを大切にするグループの人以外は
根拠のないものとして批判されているような理論を
金科玉条のように掲げての説明なので、
その先の議論には結びつかないのかもしれません。

ただ、せっかく不安までたどり着いたのなら
せめてその先の議論の問題提起までしてほしかったです。
そうではないと、意味を取り違える人たちが
続出することもやむを得ないでしょう。

少なくとも、コメンテーターたちは発言を聞く限り
あまりこの議論を理解しているようには思えませんでした。

その先の問題提起とは
1 幼児化を広げた「不安」とは何か。
2 その「不安」がなぜ増大したか。
3 不安がどのように人間を幼児化、退行化するか
です。

これはまさに対人関係学の独壇場かもしれません。

そう思い、ちゃっかり関口さんの番組に便乗して
対人関係学の基本的なポイントをおさらいさせていただくことにしました。

1 不安とは何か

不安は、
危険が迫ってきていることを知覚した場合に、
意識に危険が迫ってきたとことを伝えるシグナルです。

ちょうど痛みが、
体の部分に不具合が発生したことを意識に伝えるシグナルと
同じ仕組みだということになります。

そして、不安が意識に上ると
不安を解消したいという要求が起き、
戦うか逃げるかという不安解消行動を起こそうとするわけです。

この不安を感じさせる危険というのは2種類あって
一つは、生命身体の危険ということです。
生命身体の危険を知覚すると
交感神経が活発になり、心臓が激しく動き
血液を筋肉に大量に流して逃げたり戦ったりすることを容易にするなどの
生理的反応が起きます。
この一連の体の変化をストレスというわけです。

もう一つの危険が、対人関係的危険です。
人間は群れに帰属していたいという本能があり、
この要求が満たされない場合は心身の不具合を発症させます。
群とは、家族、社会、学校、職場というあらゆる人間関係です。

要求が満たされない場合で一番問題になるのが
今自分が所属している群れから追放されてしまうのではないか
ということを思い起こさせる事象があった場合です。
自分が何かを失敗した場合もありますが、
他人の自分に対する評価をみて、
対人関係的危険を感じることが問題です。

対人関係的な危険を感じると
身体生命の危険と同じように
生理的変化、ストレス反応が起きます。

これは逃げたり戦ったりすることには役に立ちますが、
対人関係的な危険に対しては役に立たないどころか
後で述べる弊害が生じてしまう困った生理現象です。

2 不安の増大の要因

ここで、不安という本質は同じでも
アメリカ大統領等の国家元首と
私たち庶民の不安は別に考えて論じるべきだと思います。

これを区別しないということは
原理論理の議論と
社会の出来事の議論を混同してしまっていることになります。

私は、庶民の不安についてまず説明したいと思います。

現代社会では、リストラ、パワハラ、いじめ等々があり
理不尽に自分が群れから追放されてしまうことが多くなりました。
とにかく帰属の見通しが不安定なことが多いようです。

低賃金は、働いても自活できない場合さえあり
社会的貧困を招いていて、
これは社会という群れからの追放を予感させてしまうことです。

特に職場の身分の不安定化は、
将来の生活にも大きな影響が出てきますから
大変ストレスが高くなるでしょう。
子どもたちへの早期教育や競争意識も
いやがうえに高くなるわけです。

さらに、弱者に冷たい社会構造ともなれば
少しでも有利な就職を感がえて
無理を承知で頑張らせようとすることは
むしろ当然だと思います。

優しさや、寛容、穏やかな暮らしが
否定的な価値を与えられてしまうこともしばしばです。

社会全体がいじめや、過労死、過労自死へと
向かって言っているような気さえします。

対人関係学的には、幸せは、
自分所属する群れの中で、自分が尊重されて帰属し続けていること
というように定義付けます。
これ以外の幸せを認めないのではなく
政策などで目標とするべき幸せの方向を
一つ定めたということです。

マズローの承認要求に似ていますが、
対人関係学は、これを群を作る人間の本能として
その発生と内容を説明しています。

おそらく、大統領とはいえ、
その支持者の支持を失った場合は
権力の座から滑り落ちるのでしょうから、
その意味での不安はあるのでしょう。

テロリズムなどは、
その背景において社会的に尊重されていないという体験から
人間関係というものをそれほど重要なものとは思わなくなってしまうために
他者の命ということに興味、関心を失ってしまっているのかもしれません。

現代社会の病理の背景に不安がある
という点に対しては大いに賛同するのです。

3 不安と幼児化、退行

しかしながら、不安による影響を
フロイトやフロムを使って説明してしまうと
またわけがわからなくなってしまいます。

対人関係学的には
危険の知覚と不安がもたらす脳機能の変化
という説明をします。

不安を抱いていると、それが強く、持続してしまうと特に、
脳の機能が著しく低下してしまいます。
複雑な思考ができなくなってしまうのです。
これは、前頭前野の機能ということになります。

分析的な思考が苦手になり直感的にインスタントに結論を出したくなる
こうすればこうなるだろうという将来予測ができなくなる
二者択一的思考になる
折衷的な思考ができなくなる
建設的な思考ができなくなる
自己防衛を第一に考えてしまう
(悲観的な思考になる。攻撃的な思考になる)
他者の感情を理解しにくくなる
共感、共鳴が少なくなる。
あたらしいことに頭が柔軟に対応できなくなる。
等です。

これを幼児化と呼べないこともないのですが、
幼児化と言ってしまうと、
このような特徴が見えなくなってしまうと思いますし、
なろうとして幼児化の思考になっているのではなく、
環境が人間の思考力を奪っている
という本質が見えなくなると思うのです。

左上の対人関係学のリンクから対人関係学のホームページに行って
参考していただければ幸いです。


蛇足を付け加えます。
このような不安は、その時々の政権の濃淡によって
ある程度大きくなったり小さくなったりすると思うのですが、
そういう小手先の問題ではないと思います。

むしろその時々の政権に原因を求めてしまうと
政権交代さえ起きれば問題は解消するというような
錯覚を起こさせてしまう危険すらあるのです。

根本的な不安を招く社会構造とは何か
対人関係的危険の観点と
人間が尊重されるとは何かという観点から
根本的な解決を考えていかなければならないと思います。

また、社会構造が変革されることには時間がかかることが予想されますので、
あわせて、今の社会の中においても
幸せを獲得する作業を意識的に行っていくことも必要となると思います。

対人関係学はどちらかというと
後者に照準を当てて研究を行っている学問です。

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