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思い込みDVにおける「よりそい」が女性を不幸にする構図を乳腺外科医の無罪判決に学ぶ [刑事事件]

平成28年8月、40歳の乳腺外科医師が逮捕された
5月10日に乳腺腫瘍除去手術をした女性が
術後に、6人部屋の病室で、担当医師から胸をなめられるなどの
わいせつ行為をされたと警察に訴えたからだ。

医師は12月まで約100日間警察署に勾留されたままになり
何度かの請求でようやく保釈された。
事件の概要は江川紹子さんの記事で私も学んだ。

乳腺外科医のわいせつ事件はあったのか?~検察・弁護側の主張を整理する
https://news.yahoo.co.jp/byline/egawashoko/20190119-00111366/

平成31年2月20日、東京地裁は無罪判決を出した。
その内容も江川さんでどうぞ。

乳腺外科医への無罪判決が意味するもの
https://news.yahoo.co.jp/byline/egawashoko/20190220-00115538/

つまり、判決によれば、女性がわいせつな行為をされたというのは、
手術の後の「せん妄」状態による幻覚であり、
実際は存在しなかったというのである。

「せん妄」とはその時の状態を示すものであり。この場合は病気ではない。
麻酔の影響と痛みの自覚によって起きてしまう一過性のものである。
つまり誰であっても起こりうる。
それはかなりリアルな「体験」であるので、
現実に起きたと思い込むことは全くやむを得ない。

通常はかなり突拍子もない幻覚をみるため、
せん妄状態が薄れれば、
現実ではないと頭で納得して忘れるようである。

今回のものも年老いた私からすれば突拍子もないものだと思うが
被害を訴えた若い女性にとっては、
ありうる出来事だという認識なのかもしれない。

もちろん最大の被害者は、
無実の罪で100日以上も拘束され、
今までの人生とこれからの人生に暗い影を差された
外科医と家族など関係者であることは間違いない。
もう一人の被害者は、
被害を訴えた女性であると思う。

もし判決の通り妄想による幻覚であれば、
警察が、きちんと証拠収集をして、適切な処理をして
被害の実態がないということを示していれば
女性も納得したはずなのだ。
せん妄状態の幻覚から覚めた多くの人たち同じように
幻覚の不思議さ、怖さを感じた記憶に収まったはずだった。

私がこのように言うのは、
女性がまだ、せん妄とは何かということを理解していない
ということがはっきりしたからだ。
それはこの記事に表れている
乳腺外科医のわいせつ裁判で無罪判決、被害女性が涙の反論
https://www.jprime.jp/articles/-/14933

「私をせん妄状態だと決めつけて嘘つき呼ばわりしました。」
「せん妄の頭のおかしい女性として扱われ、」
という発言に注目する。

被害を訴えた女性は、せん妄状態について正しく理解していない。
判決が、せん妄状態だと言っている以上
彼女の「感覚」初期の「記憶」は真実だと言っているのだ。
つまり彼女が嘘をついていないということを言っている。
ただ、それが客観的には存在しなかっただけ。
それがせん妄状態というものだ。

ところが、被害を訴えた女性は、
せん妄は頭がおかしくなったということ
自分はうそをついている、つまり本当はなかったと知っているのに
虚偽の事実をあえて主張した
と言われていると、いまだに思っている。
これがこの女性の最大の不幸だと私は思う。

もちろん、それには無責任なインターネットでの誹謗中傷が
彼女を苦しめたし、
その誹謗中傷に対する反論が、彼女が訴える内容だったからなのだろう。

しかし、ここまで彼女がせん妄を理解していないのは、
彼女を取り巻く人たちが
相手の言い分を正しく彼女に理解させようとしなかったことが
大きな原因ではないかと懸念している。

弁護士の中には
「よりそい」とは、本人の言動を一切疑わないこと、否定しないこと
という、支援者としては、はなはだ勉強不足の神話がある。
これが女性を絶望の中にとどめてしまう不適切な「支援」であることは、
ハーマンの「心的外傷と回復」引用しながら述べてきた。
「あなたは悪くない」という絶望の押し付けからの面会交流を通じての子連れ離婚母の回復とは
https://doihouritu.blog.ss-blog.jp/2016-12-21

もしかしたら、今回も
女性の主張を100パーセント信じるか否かが
支援者の態度の試金石だという考えから、
周囲が、「女性の主張は確かに現実に存在したのだ」
という態度に終始してしまっていたのではないか
という心配がある。

これが女性の友人や家族なら致し方ない。
せん妄と妄想を区別できないのはそれほど珍しくはない。
しかし、医師や心理職、弁護士などは、
その知識を正しく持っているし、持っていなければならないのだから
それに賛成するかどうかはともかく
一つの選択肢として説明しなければならない。

もし女性に対して支持的にせん妄だった可能性を示していたならば、
そうして事件の見通しを示すことができたならば、
彼女は、訴える被害が実際にはない可能性があると理解して、
訴えを取り下げるという選択があったかもしれない。

支援者がなすべきことは、当事者にすべての選択肢を提示することだと思う。
各選択肢のメリットデメリットを説明することだ。
これができて、初めて当事者は適切な自己決定ができる。
これがなければ、当事者は選択肢が提示されない形で
狭い考えでの行動を余儀なくされてしまう。
こうなってしまうと、
当事者のもしかしたら選択したかもしれない方向を
支援者を自称する人たちが妨害したことと同じになる。

今回は、せん妄を状態像ではなく、
頭がおかしくなったという病気か障害のように考えていることがわかる。
せん妄状態の幻覚は、確かに本人が感じ取って、濃くした内容であり
嘘をついているわけではない。
これを本人が理解していないことが、前述の記事で明らかになっている。

今回の判決は、警察が証拠収集の過程や分析の過程の記録がなく
刑事裁判の記録とは考えられないずさんなものだと厳しく断じた。
プロの仕事ではなかったということだ。
無責任なよりそいが警察にもあった可能性を示唆している。

こうやって、初期の段階から無責任なよりそいが重なり、
被害記憶が肥大化し、固定化していった可能性はなかったのか。
そういう心配がある。
性被害においても、仲間は被害者を救済しようとする思いが強くなりすぎ、
被害者が、周囲に押されて行動せざるを得なくなるケースもある。
途中で引き返す選択肢とその方法を提示することも
支援者の立派な活動である。

今回被害を訴えた女性が
引き返す選択肢を与えられず、
無罪判決の見通しを正しく伝えられず、
被害女性の主張する被害があったのか
それとも嘘をついているかという
二者択一的な選択肢しか与えられなかったとすれば、
その女性は、まったくの被害者だということになる。

このような構造は、私たちの日常にも周到に用意されている。
配偶者暴力相談の相談機関に相談すると
本人が暴力や、夫の危険性を否定しても
「夫は、本当の暴力を振るうようになり、
妻は殺される可能性がある、
直ちに逃げ出さなければならない」
と、個別事情にかかわりなくアドバイスされることがある。

私が、実際の公文書でこのような相談があったことが
記録されていたのが、警察の生活安全課だ。

特に出産後の女性は
産後うつだけでなく、
出産後の脳機能の変化や、内科疾患、婦人科疾患
あるいは、元々あった精神疾患の傾向が
妊娠、出産で増悪してしまうなど
様々な理由で、一時的に漠然とした不安が生まれたり、
自分だけが損をしていると感じたりすることがあるようだ。
なんでもなければ、二年くらいで収まっていく。

ところが、その不安を相談されることを待ち構えて
妻が不安を口にしたら、
夫の暴力があったことに誘導し、決めつけ、逃げることを勧める。
私が見た公文書では、妻が否定して家に帰りたいと言っているにもかかわらず
二時間も説得して、家族再生を断念させたのである。
夫の暴力の証拠は何もなく
後に民事裁判で妻の主張は妄想であるとして否定された。
それでも、マニュアルどおり、警察官は説得したのだ。

言われた女性は、日常的に抱えている不安を解消したい
という要求が肥大化しているために
そのような具体的なアドバイスを受け入れて
不安を解消しようとしてしまう。
ありもしないDVがあったと思い込む構造である。

夫と協力して出産後の不安定な時期を乗り越えるという選択肢は
「支援者」によって妨害されているのである。
子どもが両親そろって育つ環境を大切にしようということも
「支援者」によって切り捨てられるのである。

適切な事実確認をせず、証拠も分析もずさんで、
つまり科学的根拠は何もなく
夫のDVがあるということを断定して「支援」する
そうするといわれた妻は、
最初は抵抗しているが、
徐々にそのように記憶が形成されていく。
断片的な記憶が、暴力被害の記憶に変容する。
しかし、作られた記憶は、客観的事実と齟齬がある。
裁判ではその主張は認められない。

どうだろうか。
私は、乳腺外科無罪判決における女性の被害の構造と
思い込みDVで結局苦しい生活を余儀なくされる女性の構造が
全く同じ構造であると感じる。

弱者になりやすい女性が
「支援者」によって特定の選択肢を奪われて
結局は不幸な被害者になるということが
繰り返されてはならない。

そのためには、科学的な証拠収集と分析が必要だという
本件判決の示した方向も
共通の方向である。

また、もしこういう構造であれば、
行動をした女性を責めてはいけないのだと思う。
再び仲間に迎え入れるという意識が必要だということが
科学的結論になるべきである。








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