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夫婦の話し合いがうまくいかない理由 価値観の違い、性格の不一致ではなく、男女の行動基準が違うだけ。繁殖期を過ぎても仲良く暮らす方法。 [家事]



新型コロナのために、外出を自粛することが多く
家族の距離が近くなっています。
家族間の軋轢が高まるきっかけにもなりますが、
家族間のチームワークが強まるきっかけにもなります。
東日本大震災の時がそうでした。

お互いを理解しあって楽しい家庭生活を送りたいものです。

家庭内の紛争は、
どうすれば楽しく生活ができるかのヒントが多く隠されています。

離婚事件を多く担当していると
夫婦間の問題を解決するために話し合いをしても
解決に向かわないばかりか
逆に仲がますますこじれてしまうことがほとんどです。

なまじ「話し合い」をするから
夫は妻へのイライラが積み重なっていき
妻は夫に対する嫌悪感や恐怖が増えてゆきます。

なぜでしょうか。
それは、話がかみ合っていないからです。
そのために、それぞれが自分の言いたいことを言い、
言ってほしいことが相手の口から出てこない
話し合いが必要なまでこじれてきたこれまでのすれ違いの
総結集が繰り広げられてしまっているのです。

その結果、
価値観が違うとか性格が不一致だと言いあうのです。
言われた方は自分の人格を否定されたように受け止めて、
ますます相手に対する怒りや恐怖を覚えるのです。

性格や価値観は違うのが当たり前です。
ある時から性格や価値観が変わったわけではありません。
結婚を決めたときからおそらく変化はないのでしょう。

結婚までの時期と
結婚してから子どもを作る時期までは、
家族という人間関係を形成するという一つの目的がありますから、
お互いに、自分の言い分をわきにおいても
一つの目的の下での共同行動ができたのです。
ところがある程度家族が形成され、安定してしまうと
それぞれの主張を我慢するまでして行動するべき
目的が失われてしまうのかもしれません。

そうすると、各自の行動基準で行動をしようとしてしまうわけです。

価値観や性格が変わったわけではなく
行動基準が変化しただけだと考えると
あまり傷つく必要はないということになりそうです。

もともと人間は男女によって行動基準が異なっていました。

200万年前くらいから
男女の行動基準の違いによって人類は生存を続けることができたのです。

その頃から
男は小動物を狩りに行って
女は子育てと植物採取をしていたとされています。
数十人の群れを形成していて
仕事ができる大人が半数とすると
例えば40人の群れで勤労年齢が20人、うち男女10人ずつだとして
男性10人は狩りチーム、女性10人は植物採取チームとしましょう。

男性10人の狩りのスタイルは、
チームを組んで、イノシシなどの小動物を追いかけていきます。
どこまでも追いかけるのだそうです。
動物は分厚い毛皮でおおわれていますから
走って逃げるうちに熱中症みたいに体温が上昇して弱ってしまいます。
人間には薄い体毛しかありませんから
発汗によって、気化熱が体温を奪いますから
熱中症になることはありません。
だから熱中症で弱った動物を捕獲することができるというわけです。

ところが、必ずしも動物が捕獲できるわけではありませんので、
餓死しない、空腹をしのぐために
植物を採取しておくことは大切なことです。
また、外敵に襲われないように子どもや年寄りを守らなければなりません。
そのために子育てをしながらできる植物採取を
女性が行っていたようです。

なぜ、男女で役割が分かれたかというと、
おそらく人間が二足歩行を始めてしまい
流産をしやすくなったためだろうと思われます。

数十人の群れですし、
人間の妊娠出産は時間がかかるので、
せっかくできた子どもが流産してしまうことは
群れ全体の滅亡につながります。

女性が狩りをしない群れでは子どもが多く生まれる
ということに気が付いたら、
その理由を認識していたかどうかはともかく、
何万年の月日の中で、
女性は狩りをしないものだということになっていったのでしょう。

当時は、完全に平等社会だったようで、
「狩りに行くほうがえらい」というような
男性的価値観が社会を支配していなかったようです。
男性は、待っている女性のために喜んで狩りをしたでしょうし、
女性は、獲物をとれなくても男性を責めることはなかったでしょう。
それぞれが自分の役割を積極的に果たし、
それぞれを尊重していたものだと想像します。

さて、このような役割分担は
男性と女性に行動基準を植え付けていくわけです。

男性は、獲物をとるという目的でチームを組みます。
獲物をとるという目的にとって最善の合理的行動をとることが
行動基準となります。
目的に反する行動は厳しく禁止されます。

当時の男性にとって意味のある行動とは
目的に向かって合理的な行動だということになります。

女性の作業はこれとは異なります。
植物採取は、ルーティンの性格があり、
共同作業というよりは各自の行為です。
それよりも、獲物をとるなどの一つの目的で結集するのではなく、
結集しておくことによって、
肉食獣から身を守ることに有利になるというものであり、
どちらかと言うと、
共同生活それ自体が目的だというスタイルになります。
そのためには、合理性という行動基準ではなく、
お互いの間に波風を立てないということ
そのためには、相手の言動や存在を尊重する
相手の心に気を配る
そういう行動基準になったのでしょう。

相手の心に気を配るということは
自分の心にも気を配ってもらいたいという気持ちになったのでしょう。

もちろん、これらの違いは完全に男女で色分けできるものではなく、
特に現代では複雑に混在していると思います。
ただ、繁殖期が終わった、繁殖以外の男性、女性が顔を出してくるときは
感覚の違いが鋭く出てしまうことがあるのだと考えると
現代の夫婦のすれ違いがよく説明できるように思えるのです。

結婚をして、子どもを作るというところまでは、
目的のもとに行動するという要素と
人間関係を作っていくという要素が
どちらも含まれた活動をしていますから
放っておいても、男女ともお互いにとって
都合よく行動しやすくできています。

ところが、ある程度人間関係が形成されてしまうと
それぞれの無意識の思考である行動基準が
先祖返りのように傾向が分かれてきてしまいます。

男性は小さなことでも、目的というものを意識して
目的に向かって合理的なことが正義であり、するべきことと考えるようです。
目的に反するこうどうや、目的を阻害する行動は
悪だとして怒りをもつこともあります。

女性は、行動が合理的かそうでないことをそれほど気にしません。
目的を達するということを行動基準としないということです。
むしろ、それぞれの仲間が、尊重されて楽しく不安を持たずに生活する
ということが第一の目的であり、行動基準なのです。
目的を達しようが達しまいが、みんなで仲良く暮らしていたい
そのために行動するわけです。

片づけができないということを例に挙げてみましょう。

片づけは簡単なことであり、通常なら誰でもできます。
しかしいろいろな事情があって
片付けに手が出ないということはあるのです。

ゴミが落ちていたとか、汚れが解消されていないことはあるでしょう。

男性的な発想は
家をきれいに保つことが主婦としての目的であるべきだと
無意識に感じているのでしょう。
それをしないことは悪になってしまいますから
無意識に怒りを含んで、片付けることを要求してしまいます。

女性は、みんなで仲良く暮らしたいと思っているのに、
自分を攻撃する家族がいることに驚き
みんなで仲良く暮らすことをしないことに怒りを持ち
同時に攻撃されていると感じますから自分を守ろうとして
その結果怖がったり、それに対して怒りを持ったりするわけです。

簡単なことでもできないことがある。

男性は、そういう時は、自分が片づけをやっていたのであり、
それでした妻を叱責したことはないということをよく言いますし
それはその通りなのでしょう。

ところが子細に話を聞いていくと
汚れを目にして、思い切り顔をしかめ舌打ちをして
「何で仕事から疲れて帰ってきたのに俺が片づけをしなければならないのだ」
ということを全身で表現して片づけをしているようなのです。

子どもだってそんな父親を見ているわけですから
母親としてはいたたまれない気持ちになるでしょう。

夫は家をきれいに保つという目的に従った行動を妻がしていないので
マイナス評価をすることは当たり前で、
口に出して文句を言わない自分は大人だと思うのです。

しかし、妻は、まず夫が
みんなで仲良く暮らすという目的に反した行動をとっている
ということを強く感じます。

もちろん夫のイライラも敏感に察しているわけです。

だから話し合いは
男性の主張としては、家の片づけをしろよという主張になり、
女性の主張としては、私を侮辱したり否定したりしないでよ
ということになるわけで、だからかみ合わないのです。

男性が考える目的に従った行動ができない事情があるのです。
成人女性には特にあることです。

女性的な行動基準では
先ず、相手を尊重する。尊重しない態度はとらない。
では、現状の課題をどうするか
という流れになるのだと思います。

これを意識して男性は自分の心にストップをかけなければ
日常生活小言だらけになってしまいます。
女性は、当初は自分の評価を下げたくないから頑張りますが、
だんだん、自分は尊重されていないのではないかと
無意識に感じ始めるわけです。

何をしても感謝されない、ダメ出しと否定しかされない。
そういう気持ちが募っていけば
そしてそれが毎日長期間続けば
だんだん相手は自分を否定する存在なのだと評価が固定し
嫌悪と恐怖しか出てこなくなるのかもしれません。

男性的行動基準も女性的行動基準も
メリットやデメリットがあります。
どうやら家庭の生活では
女性的な行動基準で行動するべきなのでしょう。

どちらかというと、家庭は
何か目的をもってそれに向かって結束して行動するよりも、
みんなで仲良く生活すること自体が目的となるべきだからです。
女性の行動基準がいかんなく発揮される人間関係なのでしょう。

ただ、子どもの進学だったり、しつけだったり
家庭の中の行動が、他の人間関係に影響を与えるような場合は
男性的な行動基準が部分手金導入されることが求められることもあるでしょう。

職場では男性的な行動基準が求められます。
それが会社にとって都合がよいと思われているからです。
みんなが目的的な行動をとれば生産性が上がると思われがちで、
目的に反したり、最短距離を進まない行動は否定されています。
このような労務管理に、男性は洗脳されやすいのでしょう。
いつしか家庭に企業の論理を持ち込んでいるようにも感じられます。

本当は行動基準が違うことが
家族が社会の中で楽しく暮らすためには必要なことなのです。
女性的な行動基準だけで家庭生活をしてしまうと、
社会の中から取り残されてしまうということがありうるからです。

細かい話で言えば
今日は子どもの学用品を買いに行こうと出かけても、
売り場に行く前にほかのところで時間をとりすぎて
目的の場所にたどり着かないというのでは子どもに迷惑をかけてしまいます。

協調性に価値を置くことを基本にしながらも
必要の範囲で、目的的行動を追求する場面がある
ということがバランスが取れているのではないでしょうか。

細かいことに気をしないで、おおらかな男性に人気が集まりますが、
それは目的的行動ばかりを口うるさく言わないという
女性的行動原理で行動しても安心できる相手だからかもしれません。

先ほども言いましたが、繁殖期はこれが男性でもできたのです。
相手の心にくどいほど気を使って心を砕いて
何とか相手をモノしようと努力していたではないですか。

女性も目的的行動に順応しようと努力をしていたのでしょう。

繁殖期を過ぎても家族が仲良く円満に暮らすためには
ここを意識しなければならないのだと思います。

自分の思い通り相手が動かなくても
決して価値観が違うわけではなく、
育った環境が違うからではなく、
自分を馬鹿にしているわけでもなく、
だらしないわけでもなく、
性格が悪いわけでもないのです。

動けない事情があるのです。
怒らなくてもよいのです。

そもそも家族という他人を
思い通り動かそうとすることが間違いだ
と考えることが夫婦円満の秘訣かもしれません。

片付けない妻は悪いかもしれません。
しかし、だからと言って、妻に
屈辱的な思いや不安を与えることはもっと悪い
ということなのかもしれません。

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