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職場での強いモラハラ、学校等でのいじめ等によるトラウマが起きた事案に対する、パーソナリティ障害、発達障害の診断についての疑問 [進化心理学、生理学、対人関係学]

不当な人事やパワーハラスメント等で強いうつ病になり
何年間も休職を余儀なくされた労働者の人たちが
「うつ病は、仕事が原因ではなく、
元々あった本人の素因によるものだ。
その証拠にパーソナリティ障害(場合によっては発達障害)
の診断書があるではないか」
ということで、労災認定されないケースがあります。

裁判などになれば、
医師の診断書の信用性を疑問視しなければならないのですが、
なかなか一度診断書に記載された病名はくつがえりません。

しかし、根本から疑問があります。

例えば、
Aさんは、有名進学校からナンバーワン私立大学に進学し
一部上場会社に採用されて以来10年以上
例外的な出世を果たすほど活躍した人です。
結婚して子どももいるのですが、
吸収合併があり、仕事を干されて重いうつ病になり
治療を受けるようになりました。
そして心理士の心理テストで、
発達障害と診断されました。

しかし、
果たして発達障害がある人が、
一部上場企業で、チームの要の位置にあり
スピード出世するように仕事ができるのでしょうか。
コンピューターをにらんで一日が終わる仕事ではなく、
取引相手との交渉や、会社の関係部署との調整も彼の仕事で
それらの対人関係も評価されての出世でした。
吸収合併までは特に人間関係でも障害はありませんでした。
どうしてそんな人が発達障害と診断を受けなければならないのでしょうか。

私の理解では、発達障害は、
1 先天的なもので
2 障害という生活上の不便さを本人が感じている
ものだと思っていました。
彼は、少なくとも40歳近くまで、
何田対人関係の問題で深刻に悩んだことはありません。
発達障害が40歳近くになってから発症したということになるのでしょうか。
それは科学的なことなのでしょうか。

Bさんは、
地方のエリートしか入れない企業に入りやはり活躍していました。
結婚もしました。
しかし、交通事故労災をきっかけに会社から退職勧奨のような
ひどい労働内容を命じられるとか、
机を取り上げられて、それをパート社員にあてがい、
自分は花瓶の台の上で仕事をさせられたとか
大変ひどい目にあいました。
交通事故の後遺症にも苦しめられました。

うつ病でも通院していたのですが
後に、境界性パーソナリティ障害だとの診断もなされました。

パーソナリティ障害と診断がつくような人が
そのような企業に採用されるものなのでしょうか。
酷い取り扱いに甘んじなければならない理由もありません。

我々過労自死を扱う弁護士は、
生前の労働者には通常出会うことはありません。
既に亡くなってから関わるわけです。

私は友人を過労自死で失くしたという経験があり
その認定裁判に関わるという貴重な経験があります。
亡くなった後に関わった人たちの感想と私の記憶は
全く違うものでした。

もしかしたら、
パワハラやモラハラ、不当な人事扱いで
深い精神的障害を発症した人は、
病前性格は良好でも、そのことによって性格や人格が変容してしまうのではないか
という疑問があるのです。

そのような強烈なトラウマ体験を考慮に入れて
パーソナリティ鑑別や発達障害鑑別がなされるのでしょうか。
本当に心因反応と内因的な障害とを区別できる心理テストなのでしょうか。

そのようなトラウマ的体験の存在を前提として
心理テストは構築されているのでしょうか。

そんな前提や考慮もなく
他者を先天的な障害として扱うことは許されるのでしょうか。
当然治療は進みません。
彼らは治療以外の事情で改善して行きました。

Aさんは、訴訟には負けましたが
自分の権利を守る戦いをする中で社会性を発揮し、
もともとあった能力の高さから
大企業の子会社に再就職をしてそれなりの役割を担うようになりました。
病前性格は、このようにバイタリティにあふれた
陽気で楽天的な人だったことがわかります。
彼はまた心理テストを受けてもらいたいです。
先天的な障害であるはずの指標が
おそらく消失していることでしょう。

Bさんも、過労死防止の社会活動に参加するなかで
社会性が強まったのですが
色々な不遇がありまだ調子に波があるようです。
しかし、活動をする前に比べると
様子が全くかわりました。

迫害された人たちが色々とこだわりを持つようになることは当然です。
特にトラウマになるほどの強い精神的打撃を受けた人は
その不合理に対する適切な対処方法を奪われていたわけですから
なにか、突拍子のないもの、合理性が見られない手段で
安心感を獲得しようとしているわけです。

こだわりがあると評価される根拠になる行動や思考は、
紛争を抱えている人たちにある程度見られる心理的反応です。

また、徹底的に追求しなければ
自分がやられてしまう
自分の権利が葬られてしまう
自分が人間として扱われなくなる
という体験は、
その人の行動を変化させます。

第三者から見れば
容赦のない過酷な言動に見える振る舞いをし、
味方か敵かの極端な主張ばかりする思考につながるわけです。

私はそれが許容されるべきで、第三者は我慢するべきだ
と言っているわけではありません。
トラウマを受けるような孤立と絶望を与えられた人は
自分を守るためにそのような反応しかできなくなるという可能性はないのか
ということを言いたいわけです。

これはちょうどいじめにあった子供たちも一緒です。
幼少期にいじめにあうと
他人は、自分を攻撃する動物だという意識が生まれてしまいます。
逃げ場のない焦燥感は奇行に見える行動をさせてしまいます。
衝動的な行動
暴力的な行動
破壊的な行動がよく見られます。

持て余した両親に連れられて受診した精神科では
発達障害
パーソナリティ(行動)障害
統合失調症
妄想性障害
等の病名がつくのですが、
私には正当な心因反応だと感じてならないのです。

しかし、彼ら、彼女らの生活上の不便さは
先天的な原因があるということで
自己責任や、親の責任になってしまっているのです。

治らない障害だと決めつけられて
かなりのハンディキャップが与えられてしまいます。

私は、精神的外傷の研究がもっともっと行われないと
このよう不合理が弱者に集中していくのではないかと危惧を抱いています。

社会に都合の悪い人間は
どんどん障害者という別枠にくくられていくような
怖い世の中になるのではないかと不安を抱いています。

私が今の時代に若者として生きていたならば
おそらく発達障害かパーソナリティ障害というレッテルを
どこかで貼られていたはずだ
と思えて仕方がないからかもしれません。

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