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【木村花選手の急逝に寄せて】人を追い詰める誹謗中傷は「正義感」からなされていることを意識しなければ、悲劇は繰り返される。 [自死(自殺)・不明死、葛藤]

木村花選手が22歳の若さで急逝された。
死因は分からない。
生前、木村選手のネット配信番組の関連での
とてつもない誹謗中傷があったことが報じられており
その関連を示唆する関係者のコメントが多い。

誹謗中傷の内容を一部読んだが
一つ一つのコメントもさることながら
それが連日多数寄せられていたということを考えると
精神的に追い詰められても不思議ではない。

木村選手の急逝に関しては様々なコメントが寄せられている。
その中でも最も感心したコメントが
WWE(アメリカのメジャープロレス団体)の
ASUKA(華奈)選手のコメントだ。
「渡米するまで数年間、毎日沢山の、死ね、女子プロレスを壊すな、この業界から去れとメールが私の元へきました。そして今日は、他の選手がコメントを出してるのに、まだお前はコメントをださないのか、ときました。自分の正義感に前のめり過ぎて、同類だと気がついてないんですきっと。これが怖い。」

日本人ながら本場アメリカで、多くのファンを惹きつけて
「女帝」と呼ばれる地位にのぼりつめた人のコメントであり、
本質を突いていると感じた。

それは、誹謗中傷というものが「正義感」から始まっている
という真実を言い当てていることだ。
そして、本人たちがそのことに気が付かないために
誹謗中傷はなくならないだろうということも示唆している。

この視点で見ることができれば
多くの識者のコメントが
ASUKA選手の指摘通りに
前のめりの正義感をひけらかすだけであることに気が付くであろう。

このような事態を防ぐために
ネットの言論を厳しく監視し、
行き過ぎた言動を法律で制限しようという提案もなされている。

残念ながら浅はかな主張であると思う。
1 本質が正義感から来るのであるから、自分の行為が法的規制されている言動だとは思わないため、抑止にならない。
2 匿名性を排除する措置をとるなら、自由な言論が制限され、その効果は、政治的な主張が抑制されることになる危険性を考慮されていない。
3 なんでも、国によって管理してもらうという発想は安易である上、国が国民の私生活に介入する余地を広げてしまうことになる。

正義感から人を攻撃するということはよくあることだ。
いじめも、パワハラも、DVも突き詰めれば同じことだ。
正義は人を苦しめ、人を殺す。
このことは以前書いたので、詳細は略す。
「正義を脱ぎ捨て人にやさしくなろう。」
https://doihouritu.blog.ss-blog.jp/2019-02-18

誹謗中傷が、最初から最後まで悪であり、
誹謗中傷の内容を思いつくことから間違っている
という風に考えてしまえば
対策を立てようがないのである。

誹謗中傷をする人は、
自分は正義を貫こうとしていると思うので、
自分が他者を誹謗中傷しているということに気が付かない。

例えば黒川東京高検検事長が、マージャンをして辞意を表明している。
これに対して、
「訓戒処分ではなく懲戒処分にするべきだ。」
「退職金を支給するべきではない。」
等という懲戒論も、正義感から始まっている。

これを法律家さえも主張しているのだから暗澹たる気持ちになる。
「処分比例の原則」というものが確かにある。
「行った行為の重さ以上の重い処分をしない」という意味だ。
行った行為以下の軽い処分を許さないという論理ではない。
実際の処分は、その人の功績や処分をすることの影響
等を考慮して、処分比例の原則に反しない範囲で
処分者の裁量にゆだねられる。
この軽減する事情は、処分者が一番情報を有しているからだ。

それにも関わらず生ぬるいと言って
30年近くの公務の結果である退職金を支給するなという主張を
平気で行うということだ。
彼や彼の家族の生活が全く捨象されている。
おそらくそれらの主張を声高に叫ぶ人は
そのような主張が認められた結果の相手や家族の苦しみを
全く考えられないのだろう。

漫画家と比較して処分が軽いという主張もある。
一般の人がこういう主張することはある程度やむを得ないが、
法律家がするのは疑問が大きい。
結局は重い方に合わせろという主張だからだ。

世の中は、どんどん個人の感情、個人の利益
その家族の感情について鈍感になっていくことがよくわかると思う。

前のめりの正義感が、
世の中を堅苦しく、相互監視の風潮を強めている。
自分で自分の首を絞めることになるだけだと思う。

今回の誹謗中傷もそうだが、
誰かを守ろうとすると
誰かを攻撃してしまっていることになる。

ネットの書き込みをして誹謗中傷した人たちも
攻撃が自己目的ではなかったはずだ。
出演者の誰かを守りたかったのだろうし、
人間関係を守ろうとしたのだろう。
そして、黙ってはいられないという気持ちから
弱い人たちのために力になりたい
という素朴な気持ちから始まったはずだ。

攻撃している人間が仲間であれば、
仲間のやっていることを非難したくない
仲間を応援しようとして攻撃参加する人もいたかもしれない。

それはやがて、みんなが攻撃しているのだから
自分も攻撃の輪に加わっても、
誰からも反撃されないだろうという意識を生ませる
自分のいら立ちを
彼女を攻撃することで
なだめていたという側面もあったかもしれない。

黒川氏の家族がどんな思いをしてもかまわない
退職金を払うな
と主張することとまったく一緒である。

原理は、いじめも、パワハラも、虐待も同じである。

詩人吉野弘は、「祝婚歌」という詩の中で
正しいことを言うときは
少しひかえめにするほうがいい
正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと
気付いているほうがいい
と歌っているが、全くその通りだと思う。

そう言う自分自身も今回は番組を責める言葉を探してしまっていた。
感情が起きる環境を作って
生身の感情、当然の感情をさらして見世物にするような番組は
人間に対する尊敬が欠けているのではないか。と
さらされた人間はかなりつらい状況に
そもそも初めから追い込まれるようになっていたのではないかと。

自分の放つ正義の大砲は
結果的に誰かに向けられている可能性が高い
だから大砲を打つ前に、攻撃をする前に
誰かを傷つけることになるのではないかという
チェックが必要なのである。

当初の誰かを守ろうとする気持ちを否定する必要はない。
問題は守り方、その方法論にある。

誰かを責めるのではなく
問題提起をするということだ。

誰かを責めることなく
問題の解決を目指すという
大人の社会に早くならなければならないと思われる。

「正義と悪の二者択一的な価値判断を当然のこととして
無邪気に仮想敵を攻撃すること」
に疑問を持たなければならない。
そのような行動に対しては
眉をひそめ、軽蔑する社会の風潮が必要だ。



木村花選手は典型的ではないにしろ
ヒールとして活躍した選手だとのことである。
誹謗中傷という反響は
彼女の勲章だったはずだ。
それだけで彼女が自死したとは考えにくい。

おそらくその誹謗中傷と何らかの関連をもって
自分の将来を悲観しなければならない出来事に直面し、
相談することによって、誰かを苦しめてしまうことになることを気遣い、
誰にも相談できない孤立に追い込まれたのだと
考えている。

また、頭では自分の活動が成功しているということを理解できても
22歳という年齢から考えると
そう理性的にばかり受け止めることは
とても難しかったということはもちろんあるだろう

もし、彼女自身が、
彼女を非難している人たちに
うっかり共鳴してしまい、
誹謗中傷者の視点で
自分自身を評価してしまったらと思うと
恐怖すら感じてしまう。

結果的にであれ、
他者を攻撃することは
それが最悪の事態を生むことがある。
このことを私たちは忘れるべきではない。


*****


私は、
彼女のことは、おそらくデビューして間もないころしかわからない。
薄いピンクのフードと肩掛けのセットを身にまとってリングに登場し、
スラっとした長い手足で、およそレスラーっぽくない外見だった
アジャコング選手や、里村芽衣子選手と無謀にもブッキングされ
とてもかなわないながら一生懸命エルボーを打っていた姿しか覚えていない。
アジャ選手や里村選手が彼女を、
一人前のレスラーとして育てようとする愛情も感じられた。

その後彼女は団体を代表する選手に育ち
次世代の女子プロレスの目玉選手として
団体の枠を超えて期待されるまでに成長していたようだ。

母親のお人柄ということもあるのだろう
たくさんのプロレス関係者から大切にされていたようだ。

一プロレスファンとしても残念でならない。

母上の木村響子様、木村花選手を大切に思っていたプロレス関係者の方々には心よりお悔やみ申し上げます。
木村花選手のご冥福をお祈り申し上げます。

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