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【文研研究】「離婚の新常識 別れてもふたりで子育て」しばはし聡子著(マガジンランド)すべての夫婦問題親子問題に直面している人たちに読んでほしい。そして、これから結婚して死ぬまで幸せでいたい人にも。 [家事]

出版のうわさはキャッチしていたのですが
コロナの問題があり、なかなか書店に行けませんでした。
先日仙台の丸善に行ったら面陳列されていて
(ふつう本棚には背表紙を見せるように陳列されますが
表紙を見せるように陳列することを面陳列というそうです)
力を入れて売られているようでした。

日曜日に買って、水曜日に他県で面会交流調停だったので
新幹線の中と待ち時間で読みました。
素直に中身が頭に入るのですらすら読めました。
(見習わなければ。)

内容は期待以上のものでした。
是非皆さんに買って実際に読んでいただきたいので詳細な説明は避けます。

IMG_1405.jpg

最初は子どもを連れて離婚した妻の視点から書かれているのですが、
実際の相談活動では男性側の相談も受けておられるとのことで、
何を書くべきかということをとても意識されており、
男性読者が読むことをきちんと想定されています。

子の連れ去りにあった男性は
最初は、何が起きたのか分からず
衝撃だけを無防備に受ける形になり、
様々な疑心暗鬼をいだきます。

この本を読めば
ある程度のことを理解することができます。

その時の女性の心理をえぐり出すように描かれているからです。
ここは当事者ならではの貴重な情報になっています。
この種の事件を多く手掛けている弁護士としては、
ここで書かれていることは個別事情ではなく
ある程度、共通した心理だと感じました。
他者の相談を自分の体験で咀嚼して、ここで表現されているという感じです。
だから、必ず、これを読む人みんなの問題解決についてのヒントが書かれていると思います。

離婚を経験した人ばかりだけではなく、
夫婦問題で多少なりとも悩みを持っている
おそらくすべての結婚経験者にこたえられると思います。

但し、
妻側の落ち度ばかりを探す視点で読んでしまうと
自分の体験と重なって理不尽な思いばかり蓄積されていくことでしょう。
結局何も理解できない危険もあります。

「自分はどうすればよかったのか」
という疑問を持ちながら読むと
急に視界が開けてくると思います。

もう一つ注意することは、
読者の妻の「どの時点の心理」かというところに注意を払うべきです。

通常の連れ去り事件の場合であると
妻の連れ去りの直前あたりの心理や
連れ去りを決意する過程(不満の飽和過程)
ということで読んだ通り理解すればよいです。

そうではなくて、
例えば、女性が不貞をして、それにもかかわらず
夫にDVがあったなどと言い張って連れ去りをする場合
(最近は結構多くあります)
こういう場合は、連れ去りの時点を不貞の時点と置き換えて読む必要があります。

どうして妻が不貞をするに至ったのかという視点で
不貞をする前の段階までさかのぼって理解しようとすると
重なる部分がきっと見えてくるはずです。

この読み替えはご苦労されると思います。
不貞は悪いことだということは間違いないので、
不貞をされた被害者は100パーセント相手が悪いと思って疑いませんので、
それ以上の考察に至ることが難しいものです。
当然のことです。

しかし、そのとらわれから自分を解放し、
(自分が悪いわけではないにしろ)
自分がどうすればよかったかという視点を持つことができると
案外事態が見えてきて
余計な苦しみから逆に解放されることが少なくありません。

「それでは、これからどうしたらよいのか」

少なくとも対立を激化させるより鎮静化させる方向へ
話を持っていくことが求められるということに気が付かされます。
しかし、裁判所などでの話し合いはまっすぐには進みません。
男性と女性でどうして対立するのか
という男性の時間軸と女性の時間軸との違いも明快に書かれています。
ここは大変勉強になりました。
多くの事件を考えると思い当たるところが強くあります。

この本は、
連れ去りにあった男性たちに
特にこれから子どもたちに自分を会わせるんだと頑張っているすべてのお父さんたちに
是非読んでほしい本です。

間違った方向、目的から遠ざかる方向から
目的に向かっての最短コースに修正をすることができる本です。

もちろん、離婚をしようとしている女性たちも必見です。
弁護士として常々もったいないなあと感じているのは
わざわざ離婚までしようとしているのに
離婚しきれない女性たちの行動と感情です。

わざわざ無駄な問題を起こして
結果として相手を挑発して、その相手の反応によって
ご自分のストレスを高めているという悪循環がよく見られます。
この本を読めば
何がストレスの温床で
どうすればそれが解決するのか
という方法が描かれています。
堂々と胸を張って離婚後の人生を謳歌する方法が提案されています。

本当の意味での女性解放の道筋が描かれていると感じました。

最も感心したことは、
子どもに対してどのように愛情をかけるか
という根本的なことが中心に据えられていることです。
その注意ポイントが具体的な体験をもとに描かれています。
これは身を切るような作業だったと思います。

どうも、自分が苦しいと
他者の苦しみから目を背けてしまう傾向があるようです。
「自分が苦しんでいるのだからあなたの苦しみは勘弁してほしい」と
そう言う言い訳を自分の年端のいかない子どもに対しても
知らず知らず行っているという警告は背筋が凍る思いでした。
ここに気が付かれたのは、
お子さんをよく見ているから、お子さんに愛情をもっているから
ということになると思います。

もしかしたら、両親の離婚を経験した方も
この本を読むと何が起きたのかが理解できるかもしれません。

さらには、これから、結婚して子どもを作ろうとする方も
ほとんどの夫婦が多かれ少なかれやっている間違いを
予め知識として持つことによって
無駄に傷つけあうことをしないで済むようになるかもしれません。

弁護士にも、家庭裁判所にも
他人の結婚問題に首を突っ込むことをしている人たちすべてが
必ず読んで、考えなければならないと思います。

この本は、
不思議な本です。
学術書でもマニュアル書でも体験本でもなく、
またそのすべてでもあるような本です。

一番のセールスポイントは
読んでわかるし、すぐに役に立つことです。
その意味では、間違いなく格好の実務書です。
夫婦問題、親子問題を抱えている私のすべての依頼者に
お勧めすることになると思います。

追伸
「はじめに」にすべてのエッセンスが凝縮されていると思います。
書店で手に取ってここを読まれて心が動いた方は買いだと思います。

漫画も読む順番を間違えましたが
なかなか良い味わいです。
泣けました。


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仲間の一番弱者のために戦うという意識。第2波新型コロナウイルスに対する反応から見えてきたもの やみくもな不安から脱却して、合理的な予防をするために [災害等]



感染者数は、第1波の最高値を超えて過去最高の更新が続いています。
第1波の時には芸能人が亡くなったり、重症化したりと
やみくもに恐怖が先行していましたが、
第2波となり少し様変わりしてきたようです。
何をどのように心配して、どういう行動をとるべきか
だんだん見えてきたような気がします。

第2波の特徴は、
第1波のころの具体的な恐怖心
(自分も苦しんで死ぬかもしれない)が後退し、
数字が多くなってきたから抽象的に怖いとか
言葉のごまかしで、心配しなくていいとか、
あおりとまやかしに左右されやすくなっている
というところが強くなっているようです。

やみくもに不安になっていて、
些細な刺激で、自然に不安を感じてしまい、
根拠の有無を吟味しないで助けにすがろうとする
そう言う社会心理状態であるように感じます。

こういう場合第一にやるべきことは
言葉の意味を正確に理解することです。

言葉の誤用としては、
PCR陽性反応は感染者ではないという間違いです。

ウイルスなどの「感染」という言葉は、
ウイルスなどが体内に入り、体内で「増殖」することを言います。

どうやって感染、つまりウイルスの体内増殖を検査するかというと、
ウイルスの特徴を利用して検査をします。
ウイルスは細胞を持ちません。その意味で生物と言えないかもしれません。
いわばむき出しの遺伝子
みたいな状態で存在します。

生物である細胞は
細胞内のDNAという遺伝子を転写(コピー)したRNAを作り、
細胞分裂をして細胞を増やしていきます。

ウイルスによっても違うのですが
新型コロナウイルスはもともとはこのDNAしかありません。
増殖する場合は
人間の細胞を支配して、支配した細胞にRNAというコピーを作らせ、
増殖をするわけです。
これが感染です。

つまり体内に新型コロナウイルスのRNAが確認できれば
「新型コロナウイルスに感染した」ということになります。
これを検査するのがPCR検査です。
PCR検査ではRNAの有無を検査するそうです。

ですからPCR検査で陽性であれば
コロナウイルスが体内で増殖したのだから
「新型コロナウイルスに感染している」
ということになります。

ウイルスではなく、細菌の場合は事情が違うようです。
細菌の有無もPCR検査で調べますが、
細菌は、生物ですから細胞があり、
RNAもDNAも両方をもともと持っています。
RNAの存在を確認しても増殖と言えず
感染したとは言わない場合もあるかもしれません。
大事なことは細菌とウイルスは全く別物だということです。

さて、感染をしても症状が出ない場合もあることは
報道されているとおりです。
体内の異物追放能力等によって
症状が出ないでウイルスが体内から消滅する場合もあるのでしょう。

この場合は感染をしたけれど発症しなかったということになります。
発症とは症状が出現したことを言います。
発症しなければ重篤化することもないので、
重症化して死ぬこともありません。

しかし、感染をしている場合、
体内に増殖したウイルスがあるわけで、
それを唾などとともに他人につけて
他人を感染させる危険はあるわけです。

自分は発症しなかった場合でも
他人に感染させて、他人を発症させる危険はあるわけです。

このために、発症をしていなくとも
感染者を隔離して新たな感染を防ぐことが必要となります。
また、感染者はいつ発症してもおかしくないので
症状を管理して、重症化を防いだり
重症化したらすぐに手当てをして
最悪の事態を防ぐことが必要となります。

この意味でPCR検査は必要だと私は思うのです。

隔離して病状を管理するためには
病院やホテルなどの施設が必要となります。

感染者があまりに多すぎると、
どこも満杯となり、入る施設がなくなってしまいます。
自宅待機ということになると
外出をして新たな感染者を出したり、
気が付かないうちに重篤化していて
手遅れとなってしまう事態も招きかねません。

だからやはり感染者数の推移は見守る必要があると私は思います。

感染者の中での発症割合や重症化割合は下がっているようです。

ここにどのような原因があるのかはよくわかりません。

一方で、一定割合で発症者も重症者も出ていることも確かです。
特に代謝の落ちた高齢者や、特定の持病を抱えた人が
感染して発症をすれば重症化する危険を考えなくてはなりません。

また、第2波の新規感染者数は
8月に入ってからは伸び方の勢いが増してきて、
爆発的な増加をする可能性も示しています。
そうすると、自宅待機の割合が増加してしまい
野放しに近い状態が生まれるかもしれません。
今絶対数で少ない重症者が
爆発的に増える危険もあるわけです。

確かに一部の論者の言う通り
あまり心配しすぎて無駄な不安をあおるということは
デメリットが大きいのかもしれません。
しかし、何らかの別の目的で、無責任に
不安を持つなと言っているのだとしたら
取り返しのつかないことになるでしょう。

もしかすると健康な若者は
自分が感染して死亡するという意味での
心配をする必要はないのかもしれません。

ここで、我々は理性を働かせる必要があると思います。

自分が感染することを恐れるというよりも、
高齢者や持病のある方に感染させて、発症させない
という意識を持つことが
結局自分たちのメンタルにも有益なような気がします。

恐れて逃げるのではなく
誰かのために戦うという意識です。

コロナ弱者のために社会が防衛する
その防衛チームの一員であることを一人一人が自覚して
行動する。
社会(国)がそのための必要な費用を負担する
そうして、早期にコロナを克服して
経済活動を再生していく。

目先の経済活動を優先して
コロナが蔓延して収拾がつかなくなり
致命的な経済破綻を回避するという意識です。

こういう意識を持つことで、
自分を含めた日本社会の状態を見ることができ、
無駄な不安におびえることが亡くなるのだろうと思います。

第2波コロナから見えてきたことは
我々はつながっているということです。
名前も知らない人、顔も思い出せない人とも
感染する可能性があるということでは
共通の利益を持っている仲間です。

道ですれ違う人
交通機関に乗り合わせた人
店の中で出会う人
好むと好まざるとにかかわらず、
運命を共有する仲間だということを理解して
仲間の一番弱い人のために戦う
ということを意識して取り組めば
理性的に、有効に、合理的に
第2波コロナを乗り切りやすくなるのではないかと
感じたところでありました。

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