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連れ去り関連の法律の問題点 親子断絶法体系から家族の安心強化、再生の法体系へ [家事]


1 大学時代に教授から教わった法律
  私は、大学時代労働関連法を特に勉強してきました。法律はどうしても抽象的な文言で作成しなければならないのに対して、実際に適用される実態は無数のバリエーションがあるわけです。そこで法律を実生活に当てはめるにあたっては法律の条文の意味を確定する必要がでてきます。これが法解釈です。労働関連法は、労働者保護を進めるという立法目的があります。大学に入ったばかりの私は、労働者保護という一方的な観点から法解釈をする傾向があり、指導していただいた教授からは、ここを厳しくご指導いただきました。「この場合はその解釈でよいとしても、こういう場合はどうですか?」とか、「この人にとってはその解釈は都合が良いですが、こういう立場の人の利益が全く考慮されないという問題はありませんか。」等、徹底的に考えさせられました。あの時は涙目で頑張っていましたが、今にして思うと、法律家としての基礎を体に叩き込まれたということがよくわかり、実務に出てから貴重な体験だったと感謝しております。
  さて、労働法は、現実に労働実態に法律が介入して労働者保護を先に進める形で社会を変えようという性質があります。おそらく女性の保護の諸法も同様に女性保護を強化して暮らしやすいようにするという目的がある法律だと思うのです。今回問題になっているのは、配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護等に関する法律(DV法)が中心でしょうけれど、実務的にみているとこれをストーカー規制法が補完し、離婚手続きや面会交流手続きなどの民法や家事手続法にも影響を与えています。法律や実務の運用にあたっては、これらのDV関連諸法案の法体系ができていると考えなければならないでしょう。
2 DV関連法体系の問題
  ところが、労働法体系とDV関連法体系は同じ社会変革の目的を持った法律なのですが、一番の違いは、私が大学で教わった様々な立場の違いの中で法律が公平に、当事者間の利害調整をするという視点が決定的に弱いことだと思います。
  家族がいて、妻と夫と子どもがいるわけですが、三社の利益が考慮されているとはとても言えないと感じています。
  典型的なのは、夫の利益です。DVというのは何も夫から妻への暴力等だけではありません。妻から夫への様々な攻撃があることが実態です。実際にも夫婦間の殺人において、妻が夫を殺害することと夫が妻を殺害する件数においては、有意な違いはありません。さらに夫を自死に追いやるということを考えた場合は、私の実務的経験からは、夫の方が死亡していることが多いのではないかとさえ感じています。ところが、DV関連法体系の中には、特に実務の運用では男性の保護という仕組みは欠落しているように思われます。男性被害は野放しになっている状況です。これは被害者としての男性保護です。男性が自らの被害を訴えると、男のくせにというジェンダーバイアスがかかった対応されることが多いと思います。決して平等ではないのです。これは被害者保護としての男性の利益の観点が欠落しているという意味です。
 加害者としての男性の保護の観点も欠落しています。本来、行政手続きによって不利益を受ける場合は不当な人権侵害がないような手当を講じなければなりません。憲法上では憲法31条が刑事事件についてこれを定めていますし、その他の行政上の不利益につては憲法13条と合わせて保障がなされていると考えられています。この最大の方法が、弁解をする権利です。また、不利益を受けるためには、証拠に基づいて判断されなければなりません。ところが、DV法の支援措置においては、このような手続きが存在しません。理屈としては、支援措置は妻に対する支援であり、妻を保護する反射的効果として夫が不利益を受けるだけだから、夫の権利を侵害する処分ではないという理屈です。これは法の制定や解釈、あるいは運用としては全く稚拙でその体をなしていないと言わざるを得ません。
 例えば、犯罪をしてしまうと、そのないようによって刑務所で強制労働させられるとか罰金を支払うという権利制限が強制されます。この場合は刑事裁判という厳格な手続きを経て、証拠と本人の弁解をもとに判断がなされます。これはその人に対する処分です。例えば、DV法の支援措置で、妻が子どもを連れて行方をくらますことを手伝うことがあります。住民票の閲覧も制限され、夫は家族がどこに行ったか分かりません。これは私は人権の大きな制約だと思います。刑務所で自由が拘束されることの大きなつらさの一つは、自分の愛する人と引き離されることではないでしょうか。このつらさが、まるっきり弁解なく強行されてしまうのです。保護命令についてもこの弁解手続きが極めて希薄に運用されています。保護命令の相手方の夫は十分に弁護士と相談する機会も許されずに裁判に臨まなければならない実態があります。監護者指定の審判や、親権者指定、あるいは婚姻費用の分担の判断も含めて、子どもから引き離された父親は、それだけで不利な運用がなされていると感じています。DV法体系は、現実の機能としては親子断絶の法体系となってしまっていると感じています。
3 子どもの利益も考慮されない
  このDV法体系で最も欠落している利益考慮は、子どもの利益です。各種統計上、あるいは発達心理学の知見からも、子どもは双方の親から愛情を注がれて成長することが望ましいとされています。離婚というスポット的な出来事以上に相手に対する葛藤が残ることが子どもの成長にとって悪影響があるということも確立された見解です。ところが、DV法体系は、この葛藤を鎮めようとする配慮はなく、高める運用がなされています。DV法体系の結果、子どもの健全な成長が害されたという統計は少ないかもしれませんが、科学的に問題があるということについて、ほとんど顧みられていないということは法律の最大の欠陥だと思います。この点が、世界中から非難を受けるポイントになっていますが、なかなか報道がなされないということが実情です。
4 女性の利益も考慮されない
  人権擁護委員会の人権相談で、コンスタントに来る相談としては、離婚した女性からの相談です。「役所や相談機関に言われて離婚をしたけれど、その時説明されたような幸せな生活が送れず、お金や子育ての問題で大変苦労するようになってしまった。役所に相談したら、『離婚を決めたのはあなた自身です。』と言われて何の力にもなってもらえない。」というものです。また、葛藤を高めて離婚をした場合、いつまでたっても元夫に恐怖感情や嫌悪感情が残り、安心して暮らすことができないという結果も多く見られます。
  このような事態が起きることにはいくつか理由があります。
  最大の理由は、本来DV法だけでなく、雇用機会均等法や雇用政策など、総合的に女性の地位を向上させ、権利を拡大し、女性の幸せを実現していくということが目的であるはずなのに、そのような総合的な観点がいつしか脱落しているということです。一向に女性の正規採用の数も率も上昇しませんし、賃金格差も多くは残存しているのではないでしょうか。ただ、妻のある夫の性的役割意識の改革だけが声高に叫ばれているように思われます。女性の雇用条件の情勢は、夫の役割意識が問題なのではなく、女性の勤め口が非正規しかないところが問題なのです。もはや、現実の日本の家族において、女性は働かないで家で子育てなど家事に専念すべきだということを考えている人間は圧倒的に少数でしょう。労働実態が意識を変えてしまっているのです。女性の方が賃金が高くなると、男性の方が家事に専念するということもありうる話です。そのためには、女性が女性らしさを発揮することによって企業の収益を上げることができる道筋を開発する必要があると思います。短期的な売り上げ目標ではなく、長期的な安定経営という戦略では、女性らしい発想が有益だと私は思っていますが、そのようなコンサルは開発されていないことが実情だと思います。そしてこの女性らしさに対する信頼や尊敬が足りないことが決定的な問題だと思います。
  いつの間にか男女参画政策から、雇用分野の政策が脱落しているのです。だから、離婚後の女性の生活についての政策と言えば、せいぜい何らかの公的給付しかないわけです。その意味からすると、DV法体系は、女性の権利や社会的地位を向上させるという法体系ではなく、連れ去りをして、離婚をさせるという家族の分断法体系だと言えるのではないかと思われるわけです。
  この背景として、政策者が対象女性に対する尊敬がないということにあると感じています。実際のDVシェルターでは、スマホを取り上げられ、外出も制限を受けると入所者は教えてくれました。シェルターに入所する女性は、男性に依存する傾向にあるから、夫に連絡が取れないようにしないと、夫の元に帰ってしまうから連絡手段を取り上げるのだそうです。本人の自由意思を無価値なものとして否定するのですから、これ以上の人間に対する侮辱はないのではないでしょうか。DV保護施設が、売春婦の保護施設を引き継いでいることと関連があると思います。実際の女性観がこういうものなのです。
5 法律というにはあまりにも稚拙な二項対立的な人間観
  それでは、このような不合理なDV法体系を運用する役所、警察、裁判所は、どうして、不合理な事態を温存させることができるのかということを考えてみましょう。
  これは、一言で言えば「正義」の観念なのです。DVと言えば、非力な女性が人格的に問題のある粗暴な男性から攻撃を受けている。女性はDVの「被害者」であり、男性は「加害者」である。だから被害者救済のために、加害者が不利益を受けるのは仕方がない。むしろ不利益は自業自得なのであり、正当に考慮する必要がないという素朴な正義感が横行していると感じます。
  そのため、女性が悩み苦しんでいる様子を見ると、マニュアル通り、そこにはDVがあり、女性を救済しなければならないというスイッチが入ってしまうようです。しかし、実務的に見れば、女性が悩み苦しんでいる場合には、必ずしも夫の加害あるとは限りません。女性の体調の問題だったり、何らかの疾患があったり、本当は女性の職場や親子関係に問題があったりということも多くあります。それが相談所に行くと、夫との些細なやり取りをとって「それは夫のDVだ。モラルハラスメントだ。」ということをアドバイスされます。悩んでいる人は、自分がどうして苦しいのかわからないで悩むことがむしろ通常ですから、その原因を特定してもらえば、それが原因だと思い込んでしまうわけです。「支援」をする方は、女性の悩みがDVとしては不合理だと思っても、疑うことは「寄り添っていない」からそれはしてはならないと徹底的に教え込まれますから、疑問を持つことは許されず、すべてが夫のDVに誘導されていきます。
  このマニュアル自体、配偶者暴力の構造について表面的な知識しかない者が作成しています。また運用する者もマニュアル以上の研究は行いません。ある国の機関の相談者の相談内容を知る機会がありました。そうしたら、「いつも暴言を吐くわけではない、暴言を吐かないときは比較的優しいときもある。」という相談を受けて、「それは典型的なDVだ。DVで間違いない。」と断定していました。もし、このDVサイクル理論の元となった、レノア・ウォーカーの「バタードウーマン」という本を読んだことがある人であれば、このような単純な決断はしないことでしょう。彼女はDVサイクルなどという言葉は使いません。「暴力のサイクル理論」という言葉を使います。ここでいう暴力は、極端な暴力ばかりで、極めて精神的侵襲の強いものばかりです。そして、暴力の後にくるハネムーン期というのは、自分がつけた傷をなめるかの如くの、極端に男性が女性に対して許しを請う強い行動がなされます。この本を読むと、日本の男性のほとんどにはハネムーン期は存在しないことがわかります。暴言を吐かない時期があったとしても、それハネムーン期ではないのです。先の国の機関の事例は、何ら典型的な配偶者加害の事例ではないということが正解です。それでも、国の説明のDVサイクルには当てはまるようです。国のDV理論は、何らの実証的な研究にもとづかないばかりか、元々の原典からも外れた「まがい物」だと思います。
 DVという概念が極めて曖昧なものにされているため、何でもかんでもDVにされてしまいます。本当に国家どころか、他人が介入するべきなのか疑問の事例もどんどんDV認定されて介入が行われています。
 この最大の理由がDVという曖昧な概念だということです。夫婦間の日常的な感情対立もすべて夫のDVだとされています。そもそもDVという言葉を使うことは世界中でも例外的だと思います。通常は配偶者加害という言い方をして、「支配を目的とした暴力」を言うことが多く、偶発的な暴力はのぞかれることが一般的でしょう。そうして暴力や脅迫の内容を限定した上で、危険で重大な結果を生む暴力を、行政や他者が介入して止めるのです。ところが日本では、妻が苦しみ悩んでいたらすべてがDVだと認定される可能性が高いのです。現実の暴力や暴言については何ら吟味をすることがないこともその理由ですが、形式的に妻が警察などに相談をしただけで、「被害者」という用語を使うこととされていることにも原因があると思います。そうして、何ら加害が認定されていないにもかかわらず、夫を「加害者」と呼ぶことにしているのです。総務省は、総務省自治行政局住民制度課の平成25年10月18日の通知で、一般的には、「他人に危害や損害を加える人」という意味で、「被害者」の対義語として「加害者」と いう言葉が使われることがありますが、支援措置においては、上記のとおりこれと全て一致するもので はありませんので、窓口における「加害者欄に記載された者」等へ対応する場合や事務処理要領第 6-10 -サに基づき、庁内で必要な情報共有等を行う場合などはご留意ください。と述べています。しかし、これは日本語の加害者とは全く異なります。日本語として適正ではない用語を国が、それに気づいてもなお使い続けること自体が重大な問題だと思います。素朴な正義感を持つ人は「被害者」と名付けられた人を保護し、「加害者」と名付けられた人と敵対する心理になってしまいます。実際に区役所などの対応は加害者として対応していることが多く見られます。
 かくして、普通の夫婦のいさかいがあっても、夫に原因がないとしても、ひとたび妻がDV相談を受けると、DVだと認定されてしまい、他国では相当激しい暴力等がある場合に限定されて作られた配偶者加害のための救済措置である接近禁止や離婚、連れ去りなどの効果が日本では与えられてしまうわけです。
6 本当のDV(配偶者加害)被害は救済されにくい。では何が必要か。
  DV法の最大の問題は、DV自己申告制にあります。自己申告さえすれば実態が同であれ法の恩恵を受けるのと反対に、自己申告しなければ救済されることはありません。実際の配偶者加害の被害者は、強烈な支配を受け、行動を制限され、孤立させられています。そして、自分への攻撃がいつ来るか予測可能な状態で、常におびえて生活しています。つまり、なかなか外部に相談できない仕組みになっているのです。
  そして、現実の配偶者加害の加害者というべき男性の行動傾向を見ていると、結局は自分に自信がなく、自信がないために妻が自分から離れていくという不安を絶えず持っているようです。このため、自分以外の人間が妻に影響を与えることを極端に心配して妻を孤立させます。また、妻の失敗などをあげつらって、それでも自分は妻を見捨てないというようなアッピールをして、自分につなぎとめようとします。妻の失敗を強調するためと、自分の不安に基づく衝動行為を制御できないために過酷な暴力や脅迫、無意味な行動制限や強制を行うようです。一種の洗脳を受けているようなものですから、なかなか援助希求は心理的にも難しいですし、行動制限があるため物理的にも相談機関に出向くことが難しいのです。このような夫婦関係の在り方、あるいは、人間関係のあるべき姿に関して、まったくの無知であることが多くあります。その多くは疑心暗鬼です。
  家族の分断の法体系では、真に救済を受けるべき人は救済されません。もっと大きな視点で政策を運用する必要があるわけです。
例えばこのような実態を研究し、暴力や脅迫ではない人間関係を提案するべきなのです。無理をせず、不安にならないで人間関係を結ぶことの方が幸せであることは間違いないのです。そして、そのような理想の人間関係、夫婦関係、家族関係の提案の普及によって、自分たちの夫婦や家族の在り方に疑問を持つことができるでしょう。そうしたら、隔離や離婚ではなく、家族再生の方法論を研究し、気楽に相談できる機関が多く増えていけばよいと私は考えています。
  連れ去って離婚してという対策から、家族の在り方、楽しい人間関係の送り方の普及啓発をどんどんするべきです。そして、そのような研究に予算を投じて、民間レベルで研究結果を還元していくことが大切です。それは強制ではなく、提案です。紛争を研究して、紛争を生まないようにする予防法学の分野にも入ってきます。
  この観点から現代のDV法体系の問題を整理すると一言で言うと 法律や警察、裁判等の強制力だけで解決しようとすることに根本的な誤りがある。ということです。その背景として、人間観があると思います。一般の人間、男性や女性、あるいは大人や子どもに対する畏敬の念がないということに最大の問題があるともいます。
  総合的に家族の幸せの実現を図るという観点からの研究を行い、民間と行政と連携しながら強制ではない選択肢を提案して行く、文化として解決していくという政策に転換していく必要があると私は思います。

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