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暴力がなくとも妻が夫を強烈に嫌悪する理由 たとえ夫が悪くなくても妻は夫を毛嫌いする。自分が悪くなくてもできることをしていないかもしれないということ。 [家事]



妻が子どもを連れて家を出ていくと、外野は、夫がDVをしていたからだと決めつけることが多くあります。しかし、実際の私が担当した案件を見ると夫のDVということは極めて例外的です。妻が夫を嫌悪していることはよくわかるのですが、夫は原因に思い当たるところがない。妻の主張も、突き詰めていくと、暴力があるわけでもなく、夫が道理に外れたことをしているわけでもなく、原因については何とも曖昧なことしか言いません。こういう事例がほとんどです。だから、夫は、妻が自分を嫌悪している、一緒にいたくないということがすんなり理解できません。単純に自分が攻撃されていると思うわけです。
これは、裏側から見ると、
「暴力やモラルハラスメントが無くても、妻は夫を嫌悪し、一緒にいることが怖くなり、子どもを連れて逃げ出したくなる」
ということなのです。つまり、私たち日常の夫婦喧嘩の延長線上に子どもの連れ去り離婚はあるし、連れ去り別居と関係維持は紙一重のところにあるようです。
これまでの業務の事例、自分を含めた身の回りの事例、当事者の方々との意見交換を踏まえて、夫婦には必ず危機があるということ、それを意識することによって、家族分離という、特に子どもの人生にとって悲劇となる事態を防ぐ一助になればと思い、まとめてみることにしました。結婚しているすべての男女、これから結婚するすべての男女、大げさに言えば人類の共通の課題だと思います。

これまで当事者の方々と意見交換したときや、業務でアドバイスしていて痛感することがあります。それは、日常生活において、「不合理は存在するものだ」という構えに建てないと、理解が難しいということです。「自分が悪くなければ自分には不利益なことは起きない。」ということは作り事だということを理解してほしいということです。これは、特に男性には理解が難しいことのようです。私も男性なのでよくわかります。特に法律なんて勉強すると、責任も悪意もないのに責められることは不合理で許せないという気持ちになるものです。社会的な問題ならば、そういう考えも有効でしょう。しかし、こと家庭の問題、特に夫婦という男女関係の問題では、そういう考えは引っ込めるべきなのです。
あなたが結婚する前に、男女の問題で、そういう「論理的なやりとり」で、「合理的に」ことが進んだでしょうか。私なんかは山ほど不合理な思いに苦しんだわけですが、みんなそれを忘れているだけではないでしょうか。入籍をして、子どもが生まれるころになると、みんな「相手は合理的な反応をするべきであり、不合理な反応は許されないことで、してはいけない」と何時しかそういう考えが身に染みこんで、そんなルールなんてないということに気が付かなくなるようです。これからお話しすることは不合理の(少なくとも)存在を承認することから出発しなければなりません。

つまり、「夫に一番の原因も、大きな原因も無くても、妻は夫を毛嫌いする。」ということです。

先ず「毛嫌い」というぴったりくる表現の意味を解説していきましょう。ここはある程度共通の感情を持っているようです。列挙します。
・一緒にいることが嫌で、同じ空気を吸うことも嫌だ。
・一緒にいると何か自分にとって悪いことが起きてしまう。
・街で夫と同じ背格好の男性を見ると呼吸が止まり、体が動かなくなる。
・夫は損をしていないのに自分だけが損をしているような気がする。
・夫ばかりではなく夫の両親ばかり尊重されて、自分の両親がないがしろにされている。
・自分は人間として、女性として尊重されていない。夫は自分に興味関心がない。
・自分が社会から取り残されていく。
・このまま一緒にいると破滅してしまうのではないか。
・夫が近くにいるだけで、ひどく疲れてしまう。
・常に自分が否定されているような感覚を持ってします。自分は夫から肯定されたことがない。すべて指図される。
・自分のやることなすことすべて否定され、馬鹿にされる。
・自分が存在することを歓迎されていないのではないか。
・自分は夫からぞんざいに扱われ、いつも大声で罵倒されている。
こんな感じでしょうか。

こういうことが現実にあったならば、こう思うことももっともなことがあれば、いっしょにいることは拷問みたいなものでしょう。しかし、実際に、こういう感情が、「なるほどもっともだ」と賛成できることはほとんどありません。少なくとも、そう言われても、夫はぴんと来ないだろうなというケースがほとんどです。

なぜ、夫に主な原因が無くても、妻は夫を毛嫌いし、夫はそれを理解できないのでしょうか。
大きくまとめると2つの理由があります。
一つ目は、妻が勝手に不安になっている。自滅している。
二つ目は、夫がやるべき対応をしていない。
ということです。

妻の自滅ということをいうと、おそらく反発があると思います。できれば妻の自滅と夫の不作為ということがセットとして考えていただきたいのですが、説明の便宜のために分けて説明しています。
妻の自滅というのは、夫の行為とはかかわりなく、妻は体調の変化が起きやすく、自働的に病的な不安を感じることがあるということです。これは全ての女性に多かれ少なかれあることで、個性の差は程度の差でしかないということです。
体調の変化とは、妊娠、出産、月経。あるいは妊娠、出産の想定。更年期障害。甲状腺機能異常などの身体疾患。頭部外傷や高次脳機能障害などのけが。不安障害やパニック障害などの疾患。薬の副作用。他者と安心して関わる経験が乏しかったこと。先天的に他者を警戒してしまう要因がある。等々です。たくさんありますし、女性特有というものではない者もあります。
キーワードは不安だと思います。特に出産後に不安が増大するようです。
例えば、手のかかる赤ん坊の世話をしなければならない。自分は、赤ん坊の世話で手いっぱいだ。我が家の将来は夫一人の収入にかかっている。こういう状況の中、貧困妄想(特に理由もなくこのままお金を使い果たして一文無しになってしまうのではないか。けっこう誰にでもあることが以上に強く起きる。)があれば、扶養者が一人増えたのに、夫が子どもが生まれる前と何ら変わらない状態にあれば、このまま金がなくなっていって、預貯金などもなくなっていくのではないかという妄想はエスカレートするだろうことは想像しやすいのではないでしょうか。
高学歴が必要である職業の人や、目に見えて誰かの役に立っている職業を持っていた女性は、特に、このまま自分は社会から取り残されてしまうのではないかという漠然とした不安を持つようです。赤ん坊の世話に一生懸命でも、ふとそんなことを考えてしまうと、自分は社会から尊重されているのだろうかという気持ちになっていくようです。
自分と子どもは社会から取り残されるのではないかという不安ならば子どもと一緒に頑張ろうという気持ちにもなるのでしょうが、不安が病的に強くなると、「自分は子どもも取り上げられてしまって、天涯孤独になるのではないか」という気持ち、感覚になるようです。子どもをとられまいと異常なまでに執着する理由はあるようです。この時に、「それは自分の利益を求めようとすることで、子どもの利益を考えていない」と声高に妻を責めても良い効果が伴わないことはよくお分かりになると思います。
この不安が高まり、持続してしまうと、最も自分を安心させてほしい夫が自分を見捨てるとか、夫が自分を見限るとか、そういう最悪の状態を心配してしまいます。悲観的な思考というものはこういうもので、最悪のことが起きるということを確信してしまうものです。「こうなると嫌だな」と思ったことが、「こうなった」という記憶に置き換わるようです。一番身近な夫から、自分を守ろうという行動がみられてきます。そうする必要もないのに、「自分は悪くない。」というアッピールが始まり、「その証拠に悪いのは夫だ」という感情が自然とわいてくるようです。夫の些細なしぐさや言動が自分を責めているように感じられますから、それらに対してむきになって妻は反論するわけです。「悪いのはあなたよ。」と。
ちなみに、夫に対して逆切れして攻撃する人は、夫の愛情を求めている人が多いです。また、夫からは自分は攻撃されるはずがないという根拠のない自信を持っていることが多いです。
夫は、ヒステリーなどをぶつけられたり、無視を決め込まれたりしますので、不合理な思いをするわけです。しかし、よく考えてみれば、妻だって、そんなことしたくないのに、体調の変化で不安を感じさせられ、不安解消のためにもがいているということが真実です。女性だって不合理を感じて良いのだと思います。それらに気が付かないことは、二人に原因があるのではなく、そのことに気が付かず、研究もせず、明らかにしない社会の問題だと冷静に考えるとそういう結論しか出てこないのです。気が付けと言ったところで無理なのです。
このような各家族が、他の家族と分断されて別々に暮らしているという社会は、日本ではこれまでなかったことです。理屈は別として色々とうまい仕組みがあって、社会が夫婦を育てていたという側面があったのです。少しずつ先人の知恵を私も発掘しています。どうも日本では、昔の社会の悪い側面だけを現代の価値観から批判するばかりで、こういう経験的なメンタルの手当てを見過ごしがちだということを強く感じています。何事も全面的に否定しなければならないことは少なく、全面的に否定してしまうと良い面も無かったことにされるようです。

次に夫の「するべきことをしない」というのはどういうことでしょうか。
妻の自滅に対する対応、フォローです。家族というチームの一人が体調を崩して困っているのだから、仲間がフォローするということは当たり前と言えば当たり前の話なのです。妻が自働的に生まれる不安に困って自分を守るために夫を攻撃しているのに、夫はそれがわからないから、自分が不合理に妻から責められていると思い、夫も自分を守ろうと妻を攻撃してしまうということが起きているわけです。これは多かれ少なかれどのご家庭にもあるのではないでしょうか。どんなに妻を責めても、妻自身がどうにもならないことがあります。どうしても、朝起きられないとか、どうしても掃除や片付けができないとか、どうしても子どもに愛情が感じられないとか、どうしても金銭管理ができないとか、そういうことは妻に責任が無くてもあることです。足を骨折した人が歩けないということを同じことがメンタル的には起きるということでしょうか。夫の方も妻の不安に日常的にさらされていたり、夫自身の問題があったりして、それらの妻のできないことを自分が責められている、自分が馬鹿にされているかのように受け止めてしまうことがあります。特に妻のヒステリーに対してが一番でしょうね。つい自分を守るため、激しく妻に反撃してしまうのです。妻は、自分ができないことをやれと言われて不可能と絶望を感じるわけですし、自分の不安を否定され太と感じ、自分の存在、自分が生きていくことを激しく否定されたと感じているわけです。
このようなオープンな不安の放出ではなく、連れ去り別居が起きる家庭は、妻は不安を内に秘める傾向が多いように感じられます。じっと夫の不作為や反撃を我慢して、静かに夫の評価を積み重ねていくパターンです。離婚事件ともなれば、自分で合理的な関係修復の提案もしないで、一方的にいかにダメな夫かを饒舌に主張してくるパターンです。その多くが、起きてもいないことが起きたという記憶の置き換えにもとづいているようです。これは、その不安が起きたと同時に置き換えが起きているようです。夕方に「こういうことを言うと、夫からだからダメなんだと言われるだろうな」と思っていたことが、その夜の日記では「夫からだからお前はダメなんだ馬鹿と言われた。」と変わっていたことが証拠から明らかになった事案がありました。言われた事実はないけれど夫かそう言われたら嫌だなという気持ちがあったことは間違いないようです。
とにかく妻は、特に出産後、不安と悲観的思考が支配されていますから、今までそれでよかったということが良くなくなっています。自分が夫から尊重されている自信がなくなっているのです。出産前の情緒的な記憶が薄れているようです。「尊重されていた記憶が無い。夫が何を考えているかわからない。自分は否定されているのではないか。馬鹿にされているのではないか。」という思考です。そうだとすれば、家族というチームの仲間は、「大丈夫だよ。大切に思っているよ。」ということを分からせてあげる必要があるのではないでしょうか。
例えばあなたが仕事で上司から、あなたが会社に貢献したことについては一切評価されず、些細なミスをした時だけ、怒りを向けられたり、あざ笑われたりした場合、あるいは同僚の前で否定評価された場合、間違いなくカーっと体温が上がったり、血圧が上がったり、脈拍が早くなると思います。どす黒い気持ちになることでしょう。おそらく妻は体調が悪くなり、夫婦の蜜月の記憶が薄れていますから、あなたが少し煙たい上司に抱いている感情を妻はあなたに抱いていると考えるとよいかもしれません。そんな上司が、あなたにだけ、家族旅行のお土産をくれたり、「あなたがいるからいつも助けれている」と同僚の前で感謝されたり、あなたが失敗したときも笑顔でフォローしてくれたりすればとてもうれしいと思います。家族は職場以上に孤立した環境ですから、妻にとって、花を買ってくる人はあなたしかいませんし、子どもの前で「お母さんは日本一だ」とほめてあげる人もあなたしかいませんし、どうしても起き上がれないときに年休をとって子供たちの面倒を見ながら家事をやるのは夫しかいません。それにもかかわらず、妻へ何の感謝も示さないで自分の趣味の道具にばかりお金をかけたり、子どもの前でだらしないと叱ったり、「家の幼児で会社を休めるわけがないだろう。子どものことは母親なんだから何とかしろ」と怒鳴って、遠いところから妻の両親を応援に来させるようなことがあれば、家族ぐるみで関係が悪化していくことはわかりやすいことだと思います。
どんなに妻を愛していてもいつも良い顔ばかりはできませんが、全くしないということはだめで、2回に1回、3回に1回は夫も無理をする。尊重を形にして示す。これができれば、妻の感覚、感情にだいぶ効果があるようなのです。
「いつもと同じようにしているのだから、自分は悪くない。自分は一貫性がある。」なんてことを言うことが滑稽であるということを理解してください。妻だって、一貫した行動と感情でいたいのですが、体調がそれを許さないだけなのです。夫が悪くないということは言えるかもしれませんが、妻だって悪くない。人間はそんなに理性だけで行動しているわけではありません。でも人間は、生き物なので、どうしても自分を守ろうとしてしまう。自分が攻撃されていると思ってしまう。
ここで思い出していただきたい結婚が決まるまでのあなたの気持ちが二つあります。
一つ目の気持ちは、当時は、例えば野良犬が、二人を襲ってきたら、あなたは身を挺して将来の妻を守ろうという気持ちがあったはずです。妻から自分を守ろうとしていることに気が付いて、二人の仲を引き裂こうとする野良犬という体調変化から、自分を犠牲にして二人を守るということです。二人を守るのは二人しかいません。「自分が悪くないから相手が悪い。」という論理は、「相手が一人で自分たち二人を守るべきだ」という子どもじみた考えだとお気づきになったことだと思います。夫婦はお互いに、相手の親ではない、しかも自分が子どもの時の「絶対的親」ではありません。もう一つの気持ちは、結婚が決まる前は、相手の気持ちを獲得するために相手を観察して、分析して、自分なりに行動したということです。相手の自分に対する対応に一喜一憂したその気持ちです。相手が変な反応をしたとしても、妻から攻撃があったと感じた場合は、「先ず反撃」するのではなく、「先ず悲しむ」ということが正解だということになります。そしてあまり気にしないで、時間が経過したら別の話題を振ってみる。これで解決することも多いかもしれません。そして、感謝の行動と、感謝の言葉、そしてできないことに対するフォローです。これを3回のチャンスのうち1回は実行するということですね。
3回に1回でも男には難しいという事情があると思います。私だけかもしれませんが、より男の方に事情があります。正義感、社会常識、論理、合理性、もしかしたら「子どもの利益」なんて言うのも含まれるかもしれません。こっちが悪くないのだから攻撃するな。このごみをゴミ箱に入れることやこの本をひもでくくって捨てることやいらない物を買ってこないことをするのは常識だろう、こんなことで大騒ぎしたら、近所から変な目で見られるだろう。自分があの時ああしなかったくせに、こっちがしないときだけ怒鳴るな。多少体がきつくても子どものために頑張れないのでは母親ではないだろう。こんな感じでしょうかね。誰でも覚えがあると思いますよ。
よく、連れ去り妻を批判しますよね。「自分のために子どもを巻き込んで子どもの不利益を顧みない」という具合です。自分に原因がないと思うから相手に100%の責任を感じるのは、仕方が無かったことかもしれません。しかし、もし、夫が妻の体調変化に気が付いて対応を変えて、妻が自分は尊重されているんだと感じる機会がもう少しあったならばと思います。夫が悪いわけではないかもしれません。でも妻が悪いわけでもなかったかもしれないし、夫が別の行動をすれば事情が変わったかもしれないということを、今の日本全体で考える必要があると思います。
女性の方も、安易に夫ばかりを責めることをしない方が良いと思います。夫が自分の不安や恐怖の原因だと決め打ちしてしまうと、離婚ができても、夫が生きている限り不安や恐怖が消えないことがあります。ご自分の体調変化に気が付くということは、特にメンタル的変化については絶望的に難しいことです。でも予備的な知識があれば、必要以上に苦しむ前に、解決方法が見える場合もあると思います。


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